第23話 生論
人は光がないと恐怖を覚えるくせに、どういうわけか夜になると活発化する。朝に起きてからようやく身体が本当の意味で目覚めるのか、それとも闇が自分の醜態を隠してくれると思っているのか知らないが全くもって珍妙な進化をしているものだ。
時計の短い針が11を示している時分、僕は何度も大きく息を吸い込みながら玄関で靴を履こうとする。だが、どうにも指が震えて上手く靴紐が結べない。そうこうしているうちに嗅ぎなれた花びらのような匂いが鼻をくすぐったかと思えばパジャマ姿の輪が姿を現した。
「暁人、もう12時よ。こんな時間にどこに行こうとしてるの?」
「悪いね、起こすつもりはなかったんだけど」
「暁人」
輪の目は剣吞なほどに真剣だった。
「今外に出るのは危険だって分からないの?」
「大丈夫だよ、次に狙われるのは今までの法則通りなら若い女性でしょ、僕には関係ないよ」
「そんな保障なんてどこにもないじゃない。仮にその通りだったとしても、もし、万が一今夜も誰かが殺されたとしたらどうなの? 貴方も外に出ていたって知られたら犯人だって思われるでしょう!それに、犯行現場でも見ちゃったら......貴方も殺されるかもしれないじゃない」
靴と踵の間に指を入れて、しっかりと足を靴の中に落とし込んだ。立ち上がって振り返る。
「夜に徘徊する趣味は僕にはないよ。でも、今日はそれをしないといけない理由があるんだ」
「理由って何よ?」
「僕のことを信じて欲しいって言えば許可してくれる?」
「......ダメよ」
ったく、縛りすぎは子供の自主性を損ねるぞ。
「じゃあ、産まれて初めての反抗期を実行しようと思う」
そうして180度回転すると輪が肩を強く掴んだ。
「止めなさいって言ってるでしょう!」
この沈痛な声と顔に下心なんて一切なく、ただただ親が子を心配しているだけ......そう信じたい。だが、僕に輪の心境が本当に分かるのか、その自信が今はない。
「暁人は聡く慎重な子でしょう! 何で外に行こうとしているのか知らないけれど、リスクが多いって分かるはずでしょう!」
「さっき言われたばかりだからね。バカでも分かるよ。
でも、僕はいかないといけないんだ」
扉を開けると冷たいのに生暖かい風が家の中に逃げ込んできた。狂気に浸された空気が夜になると一段と痛い。
「母さんは偶然だって言うけれど、今回の事件には斗鬼和花が深く絡んでいる。それこそ、この島の奥の奥にまで根を張っているかのようにね」
「.........」
「僕も僕なりに色々考えて、根拠のない妄論をいくつも出した。だけど僕ごときじゃ残念ながら安楽椅子探偵は無理みたいでね、足を使うしかないの」
「貴方はまだ子供よ。斗鬼和花が関係しているからって殺人事件なんてものに首を突っ込む必要はないわ。大人に任せなさい」
「正論だね」
そう、正しい論だ。でも、正論は生論になるとは限らない。生きなきゃダメなんだ。
「僕も正論吐いて、原田を止めようとしたけれど結局無理だった。そしてあいつは殺された......もうこの島で無為な殺人なんて犯させたくないんだよ」
「だから、それは暁人がすることじゃないでしょう! 龍臣君の二の舞を演じる羽目になるなんて私は絶対に許さないからね!」
ヒステリーでも起こしたかのような金切り声が夜闇に調和したかのように見えた。なんとも薄気味悪い。
「僕は死なないよ。僕がこれから行うことは僕が僕として生きるために必要なことなんだから」
「暁人が暁人として......?」
「僕は外法によって産まれた、世界の理から言えば本来存在してはならない人間でしょう。そんな僕が産まれて、生きていることには意味があるはずなんだ」
そういや、暁人だって気づいてしばらく後に、同じようなこと思ったっけかな。僕が生まれ変わったのには何か大きな使命があるはずだ、なんて中二臭いことを大真面目に。
「きっと、それが今だ」
「暁人......」
「きっと僕は今動かないと一生後悔する。自分を自分で認めてやれなくなる。死にながら生きている、そんな存在に落ちぶれてしまう」
輪は胸に手を当て僕に悲痛な眼差しを向けた。
「でも......でも.........本当に今外は危なくて......」
「大丈夫」
ありったけの虚勢を張って、震えそうになる足をもう一度気合で抑え付け、昔のように、夕斗のように微笑んだ。
「僕を信じて」
「......暁人」
そのまま僕は夜の中に消えていった。
僕は今、動かないといけない。ようやく罠にかかってくれたんだ。だから、行かないといけない。
星明りの下で一羽の蝶が蜘蛛の巣に引っ掛かっていた。