第29話 夢の中
「夕斗、私が夕斗のお嫁さんになってあげるね!」
「ほうほう、そうかそうか、まだ若いのに人生をドブに捨てる蛮勇は褒められるこっちゃねーぞ」
「謙遜~~」
「語尾を伸ばすな、すっとこどっこい」
夢だ。一瞬でそう判断できた。何せ人より近くに天井があるし、今僕が見ているのは既にこの世に存在しないはずの2人、岩寄夕斗と江川公子なのだから。
「それにそんなこと言って良いのかなぁ?夕斗と結婚する奇特な女なんて私以外にいるとは思えないぞ~~」
見覚えがある。そうだ、まだ夕斗が19歳だったころ公子とこんな会話をした覚えがある......とすると。
「あのクソガキ。うちの娘に色目使いやがって」
やはり、遥か遠くに般若を宿した江川さんがいた。あの時は燃え盛る気配だけを感じ取っていたがこんな顔だったのか。いや、単に僕が無意識にイメージした顔が見えているだけかな。
「ユー、婚約指輪買っちゃいなよ」
「生憎だがそんなもん買うつもりはない。
公子、大人をからかうのは止めなさい」
「からかってないよ。私は本気だよ! だって、夕斗は私のことを助けてくれた王子様だもんっ」
王子様と言うほど大したことはしてない。海辺でボーっとしていた僕の目に海で犬より下手な犬かきをしながら海水を呑んでいたガキが映ったから救助してやっただけの話だ。
「うふふふ、そろそろ公子ちゃんと婚約くらいしてあげたらどう?」
「そうだそうだ、意外と勢いだぞこんなもん」
「そーだそーだ。結婚しろ~~」
「夢浦さん、そんな無責任なこと言わないでくださいよ。そして公子、便乗するな」
最近結婚したばかりの夢浦夫婦、まぁつまり紅魅の両親となる夢浦美玲さんとその旦那さんである幸雄さんが口を挟んできた。2人のかごの中には大量の日用雑貨と少々の食べ物、そして大人のエチケットである薄いものが隠すことなくぶち込まれていた。
「公子ちゃん、こういう相手にはイケイケドンドンで行くのが一番いいんだよ。あたしもそうやってダーリンを手に入れたんだから」
ダーリンて、こうやって改めて見て思うけれどよくこの人から紅魅が産まれたもんだな。どういう突然変異が起きたとしか思えん。
「イケイケドンドン......うんっ」
無い胸を押し付けるように僕の腕に絡みついてきた。どこでこんなもん覚えたんだ。
「イケイケドンドン~~~」
チラリと後ろを向く。
「殺してやる、殺してやるぞ夕斗の野郎」
怒気どころか殺意に満ち満ちてるんだけど。この時の夕斗はよくこんな人を背後にして普通に公子たちと会話できてたもんだよな。若い頃にしか生えない、心臓の毛とかあるんだろうか。
その時、夢浦さんが持っていたかごの中に乱雑に酒が放り込まれた。
「お前ら、その余所者と必要以上に会話するな」
「お義父さん。何を言うんですか?」
「そのままの意味だ。どこの馬の骨から出てきたかも分からない馬の糞と交わったらお前らまで糞臭くなるぞ」
「ちょっと、怜人さん。夕斗のことを悪く言わないでっていつも言ってるでしょう!」
公子が頬を膨らませて必死の抗議をする。しかしながら海千山千の爺さんにそんな可愛らしい威嚇が効くわけもなく鼻で笑う。
「斗鬼和島の人間は特別なんだ。例えこの島で育ったとしても純然たる島民じゃない」
「だから、悪く言わないでってば!」
「別にいいんだよ」
物心ついた時から似たような悪罵を聞かされていた僕にとってはそよ風に乗ったたんぽぽの種のようなものだ。ただそんな僕をかばってくれているというのは頬が緩む。
「自分のルーツが分からないのは確かだ」
「そんなの関係あるの?夕斗がどこの誰かは分からないけれど、夕斗であることに変わりはないじゃんか」
「まだ子供であるお前には分からなくても仕方ないが、産まれた時から決まってることって言うのはあるんだ」
「何が決まってるの?」
「この島には先祖代々受け継がれた意志と遺伝子がある。余所者にはどう頑張っても得ることが出来ないものだ。
雪の中捨てられていたガキには特にな」
「何と言われてもどうでも良いですけど出来れば公子......いや、子供の前でそういうことを言うのは止めてくれますか?教育に良くない」
「平気だ。純然たる斗鬼和島民は罪と罰が骨身より深いところに刻み込まれている。どうあがいても悪人になんてならない」
夕斗時代に良く聞いた根拠になっていない理屈だ。ただ怜人さんはまるで地球を中心に星々が動いているんだというかのように、ずっと訴え続けている。
「まぁ、公子が悪い子にならないってのは同意ですけどね」
僕をかばってくれた小さな頭を叩いてやると破顔する。つられて僕も顔が半分ほど緩んでしまうではないか。
「おいコラ爺さん。あんまり俺の店で騒ぐなよ。他のお客様に迷惑だろーが」
「ふんっ。騒いでるのはお前んところのガキたちだろうが。美玲、俺は先に帰る。今日の飯は刺身だぞ」
「ったくもう、お父さんったら勝手なんだから。謝ればいいのに」
「黙れ」
「はーい」
爺さんが去っていくと夫妻が頭を下げる。
「いつもごめんね。お父さんったらどうにも頭が原始時代で。後で私達からもしっかり怒っておくから」
「いや、俺お義父さんに強くは言えないんだけど」
「そんなんじゃいけないぞ、ダーリン。いつか産まれる私達の子供の為に威厳のあるお父さんになってもらわないと。
公子ちゃん、貴方は悪いことは悪いとしっかり理解してごめんなさいって言えるレディーになってちょうだいね」
「うん、分かってるよ。
夕斗もそういう淑女が好みでしょ」
「......ああ、そうかもな」
「ふふふ、じゃあ頑張る~~」
無邪気な顔がとても愛らしい。もう一度頭を撫でようとしたが、ギロチンのような視線を喰らったから自重しておいたんだったっけ。