ホーム白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く明日へ持っていく味
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明日へ持っていく味

 
 食後、火へ細い燃料を足しながら、ナジュラで買うものを話した。

「まず濾過ろか材」
「ああ」

「次に工具。発掘はっくつ用のやいばと、細い端子たんし抜き。あと靴底」
「リュカの靴も」
「オレのは今直してもらったじゃん」
「応急処置」

「ナジュラまではもつ」
「俺の靴も直したほうがいい?」
「おまえのは底より紐。切れかけてる」

 セヴァンが自分の靴を見る。

「気づかなかった」
「そういうのを見るのがオレの仕事。あと水と保存食」

「粉も欲しい」
「保存食にあるだろ」
「あれは粒が粗い。煮るにはいいけど、パンにすると固くなる」

「また始まった」
「ナジュラなら、もう少し細かい小麦粉があるかもしれない。発酵種はっこうだねも」

 小麦粉そのものは、この世界にも残っている。
 ただし、荒野の集落で手に入るものは、殻や細かな砂まで混じったあらい粉が多い。水を加えて煮れば腹を満たせるが、柔らかなパンを作るには向かない。きちんと精製せいせいされた小麦粉はとても希少で高価だ。

 ナジュラほど大きな街なら、選別された小麦や、細かくいた粉が流通しているかもしれない。
 セヴァンは、そういう話をどこで聞いたのか。

 あるいは、なぜ小麦粉の違いまで知っているのか。
 訊いても、きっと「分からない」と答える。

「旅に持って歩くつもり?」
「小さなつぼなら持てる」
「誰が?」
「俺が」

 当然のように答えた後、セヴァンは少し間を置いた。

「卵もあるだろうか」

 声が、ほんのわずかに明るくなる。内心オレも期待しているのでドキッとする。

「何に使うの?」
「汁へ流してもいい。焼いてもいい。粉があれば生地にも使える。少し古くても、火を通せば――」
「待って。どれだけ卵の使い道を考えてたんだよ」

「歩きながら」
「さっき黙ってたの、卵のこと考えてたの?」
「少し」

「もっと大事なこと考えろよ」
「食べることは大事」

 言い切られた。
 反論しにくい。
 今日食べたものを思えば、なおさらだった。

「箱が売れて、必要なものを全部買って、それでも金が余ったら。一個だけ」

 口にしてから、しまったと思った。
 セヴァンがこちらを見る。
 蜂蜜はちみつ色の瞳には、期待と興奮の明かりが小さく揺れていた。

あまったら、買っていい?」
「一個だけだよ」
「ああ」

「まだ売れるって決まったわけじゃないからね」
「分かっている」

 今度の「分かっている」は、少しだけ信用できた。

 不意に、風が止んだ。
 さっきまで外套がいとうはしを揺らしていた音が消え、荒野が息を潜める。

 オレは顔を上げた。
 夜空には、数え切れないほどの星が浮かんでいる。

 昔の人間は、あんなものへ願いを掛けたらしい。
 オレたちが空を見るのは、星が美しいからではない。

 光が不自然に揺れていないか。
 磁気じきが乱れていないか。
 嵐が近づいていないか。

 生きるために必要なことを確かめるためだ。
 それでも今夜の星は、少しだけきれいに見えた。

 温かいものを食べたせいかもしれない。

 耳元で、ぱち、と小さな音がした。
 髪の先が静電気で浮いている。
 舌の奥へ、薄い金属をんだような味がにじんだ。

「磁気が荒れてる」
「ああ」

 セヴァンが片耳を押さえる。
 黒髪の間から覗く横顔が、わずかに強張こわばっていた。

「また聞こえる?」
「少し」
「あの箱から?」
「分からない。遠くからも聞こえる」

 オレは立ち上がり、布で包んだ箱へ近づいた。
 表面には何もない。

 けれど、セヴァンが背後へ立った瞬間、布の隙間で青白い光が一度だけ明滅めいめつした。
 火の粉ではなかった。

 バッテリーみたいな形をしたこの黒い箱とセヴァンの間に、何かがある。
 その何かが、金になるだけのものではないことを、オレはもう薄々感じていた。

「明日は早く出るよ」

 布をきつく巻き直す。

「嵐が来る前に、少しでもナジュラへ近づこう」
「ああ」

「火の番、先におまえね」
「分かった。眠っていい」
「言われなくても寝る」

 遺跡いせきの外壁へ背を預け、砂除すなよけ布を肩まで引き上げる。

 冷えた白い砂。
 細くなった火。
 並んだ二つの空の器。

 その向こうには、長い脚を折り、炎のそばへ座るセヴァンがいる。
 大きな身体は暗がりでも輪郭りんかくを失わず、黒い髪だけが火の光を縁に残していた。

 さらに遠く、地平の果てには、ナジュラの《嵐の歯》が幾本も突き立っている。夜の中では、白い大地へいつけられた黒い針のようにも見えた。

 明日も歩く。黒い箱を売る。必要なものを買う。
 ――もしお金が余ったら、卵を一個。

 目を閉じる寸前、隣でまた、低い振動しんどう音がしたような気がした。
 けれど、セヴァンが火のそばにいる。
 火を絶やさず、荷物へ目を配り、オレが起きる頃には湯を沸かしている。

 大きな安心感と腹が満たされた幸福感に、まぶたが重くなる。
 今夜、食べたものの温かさが、まだ腹の奥へ残っている。

 きのこの香り。
 肉の濃い味。
 柔らかく戻った砂根すなねの甘さ。

 ひとつまみの塩。

 半月前にった根も、今日見つけた箱も、明日へ続く道も、全部が同じ夜の中にある。
 今日あったことを忘れず、明日へ持っていくための味だった。

 美味しい物を食べて十分に元気が出たのだから、あとはしっかり眠るだけだ。
 オレはすぐ近くにセヴァンの存在を感じながら、深い眠りへいざなわれていった。
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白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く作者:玻璃 れにか
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 食後、火へ細い燃料を足しながら、ナジュラで買うものを話した。

「まず濾過ろか材」
「ああ」

「次に工具。発掘はっくつ用のやいばと、細い端子たんし抜き。あと靴底」
「リュカの靴も」
「オレのは今直してもらったじゃん」
「応急処置」

「ナジュラまではもつ」
「俺の靴も直したほうがいい?」
「おまえのは底より紐。切れかけてる」

 セヴァンが自分の靴を見る。

「気づかなかった」
「そういうのを見るのがオレの仕事。あと水と保存食」

「粉も欲しい」
「保存食にあるだろ」
「あれは粒が粗い。煮るにはいいけど、パンにすると固くなる」

「また始まった」
「ナジュラなら、もう少し細かい小麦粉があるかもしれない。発酵種はっこうだねも」

 小麦粉そのものは、この世界にも残っている。
 ただし、荒野の集落で手に入るものは、殻や細かな砂まで混じったあらい粉が多い。水を加えて煮れば腹を満たせるが、柔らかなパンを作るには向かない。きちんと精製せいせいされた小麦粉はとても希少で高価だ。

 ナジュラほど大きな街なら、選別された小麦や、細かくいた粉が流通しているかもしれない。
 セヴァンは、そういう話をどこで聞いたのか。

 あるいは、なぜ小麦粉の違いまで知っているのか。
 訊いても、きっと「分からない」と答える。

「旅に持って歩くつもり?」
「小さなつぼなら持てる」
「誰が?」
「俺が」

 当然のように答えた後、セヴァンは少し間を置いた。

「卵もあるだろうか」

 声が、ほんのわずかに明るくなる。内心オレも期待しているのでドキッとする。

「何に使うの?」
「汁へ流してもいい。焼いてもいい。粉があれば生地にも使える。少し古くても、火を通せば――」
「待って。どれだけ卵の使い道を考えてたんだよ」

「歩きながら」
「さっき黙ってたの、卵のこと考えてたの?」
「少し」

「もっと大事なこと考えろよ」
「食べることは大事」

 言い切られた。
 反論しにくい。
 今日食べたものを思えば、なおさらだった。

「箱が売れて、必要なものを全部買って、それでも金が余ったら。一個だけ」

 口にしてから、しまったと思った。
 セヴァンがこちらを見る。
 蜂蜜はちみつ色の瞳には、期待と興奮の明かりが小さく揺れていた。

あまったら、買っていい?」
「一個だけだよ」
「ああ」

「まだ売れるって決まったわけじゃないからね」
「分かっている」

 今度の「分かっている」は、少しだけ信用できた。

 不意に、風が止んだ。
 さっきまで外套がいとうはしを揺らしていた音が消え、荒野が息を潜める。

 オレは顔を上げた。
 夜空には、数え切れないほどの星が浮かんでいる。

 昔の人間は、あんなものへ願いを掛けたらしい。
 オレたちが空を見るのは、星が美しいからではない。

 光が不自然に揺れていないか。
 磁気じきが乱れていないか。
 嵐が近づいていないか。

 生きるために必要なことを確かめるためだ。
 それでも今夜の星は、少しだけきれいに見えた。

 温かいものを食べたせいかもしれない。

 耳元で、ぱち、と小さな音がした。
 髪の先が静電気で浮いている。
 舌の奥へ、薄い金属をんだような味がにじんだ。

「磁気が荒れてる」
「ああ」

 セヴァンが片耳を押さえる。
 黒髪の間から覗く横顔が、わずかに強張こわばっていた。

「また聞こえる?」
「少し」
「あの箱から?」
「分からない。遠くからも聞こえる」

 オレは立ち上がり、布で包んだ箱へ近づいた。
 表面には何もない。

 けれど、セヴァンが背後へ立った瞬間、布の隙間で青白い光が一度だけ明滅めいめつした。
 火の粉ではなかった。

 バッテリーみたいな形をしたこの黒い箱とセヴァンの間に、何かがある。
 その何かが、金になるだけのものではないことを、オレはもう薄々感じていた。

「明日は早く出るよ」

 布をきつく巻き直す。

「嵐が来る前に、少しでもナジュラへ近づこう」
「ああ」

「火の番、先におまえね」
「分かった。眠っていい」
「言われなくても寝る」

 遺跡いせきの外壁へ背を預け、砂除すなよけ布を肩まで引き上げる。

 冷えた白い砂。
 細くなった火。
 並んだ二つの空の器。

 その向こうには、長い脚を折り、炎のそばへ座るセヴァンがいる。
 大きな身体は暗がりでも輪郭りんかくを失わず、黒い髪だけが火の光を縁に残していた。

 さらに遠く、地平の果てには、ナジュラの《嵐の歯》が幾本も突き立っている。夜の中では、白い大地へいつけられた黒い針のようにも見えた。

 明日も歩く。黒い箱を売る。必要なものを買う。
 ――もしお金が余ったら、卵を一個。

 目を閉じる寸前、隣でまた、低い振動しんどう音がしたような気がした。
 けれど、セヴァンが火のそばにいる。
 火を絶やさず、荷物へ目を配り、オレが起きる頃には湯を沸かしている。

 大きな安心感と腹が満たされた幸福感に、まぶたが重くなる。
 今夜、食べたものの温かさが、まだ腹の奥へ残っている。

 きのこの香り。
 肉の濃い味。
 柔らかく戻った砂根すなねの甘さ。

 ひとつまみの塩。

 半月前にった根も、今日見つけた箱も、明日へ続く道も、全部が同じ夜の中にある。
 今日あったことを忘れず、明日へ持っていくための味だった。

 美味しい物を食べて十分に元気が出たのだから、あとはしっかり眠るだけだ。
 オレはすぐ近くにセヴァンの存在を感じながら、深い眠りへいざなわれていった。
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