ホーム›法鍵士は夕暮れに鳴る›第35話 呼び続けた名前
目次前の話 →

第35話 呼び続けた名前

*
「――封印術式だ」

トウゴは後退しながら、白銀の刃を構えるヨシから目を離さず、背後のジョウへ告げた。

「記憶への強制介入、あるいは、意識そのものの乗っ取りだ」
「どういうことだよ......! なんでよっさんがワシらを!?」
「目の前にいるのはよっさんであって、よっさんじゃない。あいつの身体を、別の誰かの術式が無理やり動かしている」

ヨシの身体が、再び爆発的に加速した。速い。
空間を十文字に裂くように、トレブルの鍵が白銀の斬撃を放つ。
トウゴは群青の鍵を振り下ろし、障壁で弾いた。床に亀裂が走る。

「ジョウ、窓側に回れ! よっさんの真後ろに立つな、死角から狩られる!」
「でも、止めないと――!」
「今は動きを封じることだけを考えろ。絶対に傷つけるな!」

白銀の猛攻を紙一重で捌きながら、トウゴは考えた。これほど精度の高い精神封印を扱える者は、封印派でも数えるほどしかいない。

(――綴つづりだ)

気配も音もなく術式を埋め込み、対象に自覚すら持たせない。
無音は、音を奪うだけの力ではない。反応を、意志ごと奪う。
おそらく昨日、ヨシが一人で出かけた先で嵌められたのだ。
ジョウへの再封印の術式を握り潰した自分への、組織からの見せしめか。
それとも――。

「くそが......っ」

舌打ちの隙を突いて、ヨシの身体が軌道を変えた。標的はトウゴではない。ジョウだ。

「ジョウッ!」

叫ぶより早く、ジョウは駆けていた。 直線的な刺突を、紙一重で滑って躱す。ただ逃げたのではなかった。ジョウは回避の慣性のまま体勢を翻し、凶刃を振るうヨシへ、無防備に両手を伸ばした。正気の沙汰ではない。その掌に、ミッドの鍵はなかった。

「お前、何を考えている!」
「よっさんの手を、掴む!」
「馬鹿か! 肉を削がれるぞ!」
「切られたっていい!」
「よくない!」
「ごーさんだって、首から血がボタボタ出てるじゃんか!」

怒鳴り合いながらも、連携は乱れなかった。トウゴが低音の波動でヨシの突進を鈍らせ、その一瞬に、ジョウが泥臭く肉薄する。
異変は、その直後に起きた。 ヨシの剣筋に、ブレが生じ始めた。内側から別の意志が、外からの命令に歯向かっているかのように、トレブルの切っ先がガタガタと揺れる。

「......よっさんが、中で戦ってる!」
「分かっている。なら、これしかない」

トウゴは群青の鍵を逆手に構え直した。家伝の封縛術。
外せば、ヨシの鍵ごと壊れる。躊躇う時間は、一秒もなかった。

「ジョウ! あいつの名前を呼び続けろ! 声を絶やすな!」
「それだけでいいの!?」
「それだけでいい。お前の声はミッドだ、まっすぐ届けば楔になる。刃が揺れたのは、お前が近づいた瞬間だった!」

ジョウは、一秒も迷わなかった。

「よっさん――!!」

薄暗い研究棟に、限界まで張り上げた声が響く。

「よっさん! 聞こえてる!? ワシの声、届いてる!?」

ヨシの白銀の刃が、目に見えて跳ね上がった。

「ワシも、ごーさんもここにいる! ちゃんと、よっさんの目の前にいるよ!」

白銀の光条が、狂ったように震え始める。

「だから――戻ってきてくれ!!」

*

今だ。 トウゴは地を滑った。バスの鍵が低く、重く、空気を圧縮していく。
床を這って広がった群青の光輪が、ヨシの足元を捉えた。

「――クローズ」

地鳴りのような低音が迸った。 ピキ、と空間が凍る音がして、ヨシの身体が止まった。一指も動かせないまま、人形の無表情で、その場に縫い付けられる。
トウゴは一歩、ヨシの目の前へ歩み寄り、焦点の合わない瞳を正面から見据えた。 喉の奥で、いつもの呼び名が引っかかった。「よっさん」では届かない。
根拠もなく、そう思った。 息を吸い、止め、それから絞り出す。

「――ヨシ」

敬称も略称もない、剥き出しの名前だった。

「聞こえているなら、意地でも抗ってみせろ。解放と封印、その両方を扱えるお前が、こんな安物の呪縛に遅れを取るな......!」

部屋が、水を打ったように静まり返る。 ジョウが隣へ滑り込み、縫い留められたヨシの両手を、自分の両手で強く包んだ。

「よっさん......っ!」

ジョウの声が、空間の障壁を押し広げていく。
だが、暴走を続ける白銀の残光が、近づくジョウを拒むように火花を散らし、
その掌の皮膚を切り裂いた。 ぷつぷつと、血が噴き出す。
ジョウは、手を離さなかった。指の関節が白くなっている。
それでも、握る力は緩まない。掌の傷が増え、鮮血が二人の手を赤く染めていく。
その瞬間、ヨシの手の中で、白銀の鍵が激しく震え、ガラスの砕けるような音を立てて霧散した。
同時に、ヨシの身体から糸が切れたように力が抜けた。
崩れ落ちる身体を、トウゴが踏み込んで受け止める。
焦点が、曇りが晴れるように、ゆっくりと戻り始めた。

「......ごーさん......」

カサカサに乾いた声だった。

「いるぞ」
「ジョウ、は......」
「ワシならここにいるよ、よっさん」

ジョウが、血に染まった手を握りしめたまま、顔を覗き込む。
ヨシの目元が、静かに滲んだ。いつものおどけた表情も、
飄々とした仮面も、そこには何も残っていなかった。

「......ごめん、なさい......」

ジョウは、傷だらけの手で、ヨシの手をぎゅっと握り直した。

「謝らなくていいよ」
「でも、僕は......」
「よっさんはずっと、中でワシらのために戦ってた。ワシには、ちゃんと分かってたから」

トウゴは、何も言わなかった。腕の中のヨシの身体を、ほんの少しだけ強く抱いた。
シェア
前の話 →
第34話 ずれたピッチ
最新話です
目次に戻る
法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
目次を見る

第35話 呼び続けた名前

*
「――封印術式だ」

トウゴは後退しながら、白銀の刃を構えるヨシから目を離さず、背後のジョウへ告げた。

「記憶への強制介入、あるいは、意識そのものの乗っ取りだ」
「どういうことだよ......! なんでよっさんがワシらを!?」
「目の前にいるのはよっさんであって、よっさんじゃない。あいつの身体を、別の誰かの術式が無理やり動かしている」

ヨシの身体が、再び爆発的に加速した。速い。
空間を十文字に裂くように、トレブルの鍵が白銀の斬撃を放つ。
トウゴは群青の鍵を振り下ろし、障壁で弾いた。床に亀裂が走る。

「ジョウ、窓側に回れ! よっさんの真後ろに立つな、死角から狩られる!」
「でも、止めないと――!」
「今は動きを封じることだけを考えろ。絶対に傷つけるな!」

白銀の猛攻を紙一重で捌きながら、トウゴは考えた。これほど精度の高い精神封印を扱える者は、封印派でも数えるほどしかいない。

(――綴つづりだ)

気配も音もなく術式を埋め込み、対象に自覚すら持たせない。
無音は、音を奪うだけの力ではない。反応を、意志ごと奪う。
おそらく昨日、ヨシが一人で出かけた先で嵌められたのだ。
ジョウへの再封印の術式を握り潰した自分への、組織からの見せしめか。
それとも――。

「くそが......っ」

舌打ちの隙を突いて、ヨシの身体が軌道を変えた。標的はトウゴではない。ジョウだ。

「ジョウッ!」

叫ぶより早く、ジョウは駆けていた。 直線的な刺突を、紙一重で滑って躱す。ただ逃げたのではなかった。ジョウは回避の慣性のまま体勢を翻し、凶刃を振るうヨシへ、無防備に両手を伸ばした。正気の沙汰ではない。その掌に、ミッドの鍵はなかった。

「お前、何を考えている!」
「よっさんの手を、掴む!」
「馬鹿か! 肉を削がれるぞ!」
「切られたっていい!」
「よくない!」
「ごーさんだって、首から血がボタボタ出てるじゃんか!」

怒鳴り合いながらも、連携は乱れなかった。トウゴが低音の波動でヨシの突進を鈍らせ、その一瞬に、ジョウが泥臭く肉薄する。
異変は、その直後に起きた。 ヨシの剣筋に、ブレが生じ始めた。内側から別の意志が、外からの命令に歯向かっているかのように、トレブルの切っ先がガタガタと揺れる。

「......よっさんが、中で戦ってる!」
「分かっている。なら、これしかない」

トウゴは群青の鍵を逆手に構え直した。家伝の封縛術。
外せば、ヨシの鍵ごと壊れる。躊躇う時間は、一秒もなかった。

「ジョウ! あいつの名前を呼び続けろ! 声を絶やすな!」
「それだけでいいの!?」
「それだけでいい。お前の声はミッドだ、まっすぐ届けば楔になる。刃が揺れたのは、お前が近づいた瞬間だった!」

ジョウは、一秒も迷わなかった。

「よっさん――!!」

薄暗い研究棟に、限界まで張り上げた声が響く。

「よっさん! 聞こえてる!? ワシの声、届いてる!?」

ヨシの白銀の刃が、目に見えて跳ね上がった。

「ワシも、ごーさんもここにいる! ちゃんと、よっさんの目の前にいるよ!」

白銀の光条が、狂ったように震え始める。

「だから――戻ってきてくれ!!」

*

今だ。 トウゴは地を滑った。バスの鍵が低く、重く、空気を圧縮していく。
床を這って広がった群青の光輪が、ヨシの足元を捉えた。

「――クローズ」

地鳴りのような低音が迸った。 ピキ、と空間が凍る音がして、ヨシの身体が止まった。一指も動かせないまま、人形の無表情で、その場に縫い付けられる。
トウゴは一歩、ヨシの目の前へ歩み寄り、焦点の合わない瞳を正面から見据えた。 喉の奥で、いつもの呼び名が引っかかった。「よっさん」では届かない。
根拠もなく、そう思った。 息を吸い、止め、それから絞り出す。

「――ヨシ」

敬称も略称もない、剥き出しの名前だった。

「聞こえているなら、意地でも抗ってみせろ。解放と封印、その両方を扱えるお前が、こんな安物の呪縛に遅れを取るな......!」

部屋が、水を打ったように静まり返る。 ジョウが隣へ滑り込み、縫い留められたヨシの両手を、自分の両手で強く包んだ。

「よっさん......っ!」

ジョウの声が、空間の障壁を押し広げていく。
だが、暴走を続ける白銀の残光が、近づくジョウを拒むように火花を散らし、
その掌の皮膚を切り裂いた。 ぷつぷつと、血が噴き出す。
ジョウは、手を離さなかった。指の関節が白くなっている。
それでも、握る力は緩まない。掌の傷が増え、鮮血が二人の手を赤く染めていく。
その瞬間、ヨシの手の中で、白銀の鍵が激しく震え、ガラスの砕けるような音を立てて霧散した。
同時に、ヨシの身体から糸が切れたように力が抜けた。
崩れ落ちる身体を、トウゴが踏み込んで受け止める。
焦点が、曇りが晴れるように、ゆっくりと戻り始めた。

「......ごーさん......」

カサカサに乾いた声だった。

「いるぞ」
「ジョウ、は......」
「ワシならここにいるよ、よっさん」

ジョウが、血に染まった手を握りしめたまま、顔を覗き込む。
ヨシの目元が、静かに滲んだ。いつものおどけた表情も、
飄々とした仮面も、そこには何も残っていなかった。

「......ごめん、なさい......」

ジョウは、傷だらけの手で、ヨシの手をぎゅっと握り直した。

「謝らなくていいよ」
「でも、僕は......」
「よっさんはずっと、中でワシらのために戦ってた。ワシには、ちゃんと分かってたから」

トウゴは、何も言わなかった。腕の中のヨシの身体を、ほんの少しだけ強く抱いた。
シェア
最新話です
目次に戻る
法鍵士は夕暮れに鳴る作者:福天六(ふくたむ)
目次