

第十二幕 未来が消えた、またラーメン代のせい
転送装置の光がおさまった。
目の前には、見慣れた未来の町が広がっている。そのはずだった。
城がない。人影もない。乾いた風が通りを抜けていくだけで、建物の輪郭は水に溶かした絵の具のように薄く、触れたら指が突き抜けてしまいそうだった。
「......誰も、いない」
梅太郎は立ち尽くした。声を張って呼びかけてみる。返ってくるのは、自分の声の反響だけだった。
瞬きをした次の瞬間、目の前に少女が立っていた。足音も、気配もなかった。
「わたしは、アイ。ずっと見てた」
アイは落ち着き払っていた。歳も素性も分からない。ただ、その目は嘘をついているようには見えなかった。
「過去を変えた代償で、この未来ごと消えたの」
梅太郎たちが過去へ飛び、夫婦喧嘩を止めた。あの出来事が、この未来を根こそぎ奪ったのだという。
「何があったんだよ」
アイは小さく息を吸い、語り始めた。
―――
梅太郎たちが去ったあとの過去。くないきゃうとの激闘を終えたおじいさんは、日常を取り戻していた。仲直りしたばかりのくないきゃうと、行きつけになったラーメン屋のカウンターに並んで座っている。
「やっぱり、うまいな」
くないきゃうはどんぶりに顔を寄せ、麺をすすった。あれほどの因縁があったとは思えない、湯気の向こうの穏やかな時間だった。二人は時折、何でもない世間話を交わしていた。
やがて、くないきゃうが箸を置いた。
「ちょっと、失礼」
トイレへ向かう背中を、おじいさんは横目で見送った。
扉の閉まる音がした。
おじいさんはどんぶりを最後の一滴まで飲み干すと、足音をひそめて立ち上がった。暖簾が揺れ、背中が店の外へ消えていく。
戻ってきたくないきゃうは、空いた隣の席の前で足を止めた。
空のどんぶりが二つ。その間に、伝票が一枚だけ残っている。くないきゃうは伝票を手にしたまま、しばらく宙を見つめていた。
そして、伝票を握る指に力がこもっていく。
「一度ならず、二度までも......もう、我慢の限界だ」
次の瞬間、くないきゃうの全身から、以前とは比べものにならない力があふれ出した。
その力に呼び起こされるように、遠くでおじいさんがアルティメット爺へ、おばあさんがシャイニング婆へと姿を変える。二人はさらに真の姿へと覚醒した。三つの力が真正面からぶつかった。
大地が揺れ、空にひびが走った。町の輪郭が端から薄れ、暖簾が透け、最後にカウンターのどんぶりだけが宙に浮いて、消えた。
―――
「......見てることしか、できなかった」
アイは、色の抜けかけた足もとの地面に目を落とした。
梅太郎も、しばらく何も言わなかった。視線が足もとをさまよい、やがてゆっくりと上がった。
「......いや、おじいさんアホなの?」
少し間を置いて、もう一度つぶやく。
「ラーメン代だぞ。ラーメン代で、世界が」
答えはなかった。風が通り過ぎただけだった。
「......どうにかして、元に戻せないのかよ」
「方法は、たぶん一つだけ。もう一度、過去を変えるしかない」
アイは、淡々と続けた。
「ラーメン屋の時点まで戻っても、たぶん意味がないの。あの時点で、もう歴史は書き換わってるはずだから。おじいさんの運命も、くないきゃうの怒りも、全部つながったまま。戻っても、同じことが起きるだけだと思う」
「......じゃあ、どうすればいいんだよ」
「もっと前。おじいさんとおばあさんが、山で梅を手に入れた日。すべての始まりから、やり直すしかない」
梅太郎は一歩、前に出た。
「だったら、俺が行く」
「あなたは、行っちゃダメ」
アイの声は静かだったが、迷いがなかった。
「あなたが行けば、また何かを変えてしまう。今回みたいに」
梅太郎は言葉を返せなかった。拳を握ったまま、唇を結んだ。
「じゃあ、誰が行くんだよ」
「私が行きます。ずっと見てただけだから」
アイは手のひらを上に向け、梅太郎の前に差し出した。
「ただし、歴史を修正するには対価が必要なの。......お代は、頂きます」
「......は?」
梅太郎は、自分の耳を疑った。
「え、金取るの? 世界、消えてるのに?」
アイは何も言わず、手のひらを引っ込めない。
しばらくにらみ合ったあと、梅太郎は肩を落とし、ポケットから財布を引っぱり出した。札を数え、アイの手のひらに載せる。
アイは受け取った札をそっと握り、にっこりと笑った。
「......毎度あり!」
軽くなった財布を手に、梅太郎は思った。アイが何者なのか、歴史修正がどういう仕組みなのか、ひとつも聞けていない。それでも、話だけはどんどん進んでいく。
アイは薄い町並みに背を向け、歩き出した。目指すのはすべての始まり、梅の実る木の下だ。
その背中を見送りながら、梅太郎は財布の口を閉じ、小さくつぶやいた。
「......あいつ、本当に大丈夫か?」
世界を正す旅は、思いがけない商取引から幕を開けた。