風のままに
その日は、楽しいひとときとなった。
自分が気絶したあとの顛末を聞いたピーターは憤り、ティアのかわりとばかりにレイやゲイリンのことをこっぴどく罵った。彼の口から次々と飛び出す悪態を耳に、ティアは笑いが止まらなかった。あれだけひどい目にあったというのに、不思議なものだ。
かもめ荘の料理をココと三人で囲んで、たくさん話し、たくさん笑い、そして、ピーターからは超巨大魔法陣についての後日談を聞いた。
「セレストではさ、半年くらい前に地震があったんだ」
ピーターは窓の外で蝶を追いかけるココを見ながら言った。
「地震......そういえば、ロイドもそんなことを言ってたわ。地震が原因で排水路の鉄柵が壊れて、マーラットが住み着いたって」
「うん。そのマーラットのせいで水質が一時汚染されてたわけなんだけど、地震はそれ以外にも影響を及ぼしてたんだ。あの巨大魔法陣が刻まれてた地下空間......あそこに、地震でひび割れが入ってたんだってさ」
「ひび割れ?」
「そんなに大きな地震じゃなかったんだけど、地殻変動の影響で石がズレちゃったんだと思う。そのひび割れが、地下の魔法計算式をほんの少しかすっててさ。そのちょっぴりのひびが原因で、水脈調整魔法の効果が弱まってきてるんだろうって話なんだよ」
「......あの全景が見えないほどの大きな魔法陣でも、一つの文字が欠けると機能を停止してしまうのかしら」
「それは今調査中らしいんだ。過去最大級の古代エルフの遺物だとかで、グラン・ソルンからたくさん魔法学者がやってきてさ、もう大騒ぎだよ。港湾ギルドもそうだけど、町のみんなも魔法陣の噂でもちきりなんだ」
そう言うと、ピーターは小さな鼻をツンと上向け、目を閉じて見せた。
「実はボクも、ちょっと手伝ってるんだ」
「手伝ってる? なにを?」
「魔法陣の調査だよ」
「えっ」
ティアが驚くと、ピーターは得意げな顔で目を開ける。
「だって、ボクはこの町の水に魔力が含まれてることに気づいてた唯一の存在だからね。古代エルフ語のことはわからないけど、水魔力理論の研究成果を教えてほしいって言われてて、今忙しいんだ!」
「じゃあ、魔力水もたくさん売れるようになったの?」
「そ、それはまだだけど。でもこれからだよ。ロイドの口利きで、港に魔力水を置いてもらえることになったんだ。今ある在庫が売れちゃったら追加が必要になるでしょ? だから早くあの魔法陣を修復して、新しい魔力水を作れるようにならないと!」
魔力水の売上の港湾ギルドの取り分がいくらだとか、空瓶をもってきた人には何割引きで販売するとか、そういった話を続けるピーターの目は生気にあふれている。ティアはなんだか満たされた気分で、彼のぷるぷると踊る耳を見ていた。
「ティアとココは......セレストにはまだいるんでしょ?」
「そうね。怪我がもうすこし癒えるまではゆっくりしようかしら」
左耳と両手を見せながら答えると、ピーターは口を閉じて、ふと目を伏せた。
「ティアさ」
そこで一瞬言葉を止めると、
「あのリュネ湖で......ボクのことを信じてくれて、ありがとう」
意を決したように、小さな声でそう言い切った。彼の耳はぺたっと後ろに倒れている。
「ちゃんとお礼を言っておきたかったんだ。ボクにとって......ティアがはじめてできたエルフの友達だよ」
視線を逸らしたまま、ぷいと顔を背けるピーターに、ティアは思わず目を瞬かせた。しばしして、自然と頬が緩んでくる。
「笑わないでよ!」
完全に顔をあさっての方向に背けてしまったピーターを見ながら、ティアは笑った。
「わたしも、ピーターがはじめてできたラビット族の友達よ」
ティアは同情心ではなく、本心からその言葉を紡ぐことができた。
「ティアー、準備できたー?」
ココの声が窓の外から聞こえてくる。
ティアは、日記の最後の言葉を書き終えて手帳を閉じると、鉛筆と一緒に革鞄の中にしまい込んだ。寝台の横に寄せていたハイブーツを引き寄せて足をつっこみ、皮ひもをきっちりと結い上げる。
立ち上がって忘れ物がないかを確認すると、両開きの大きな格子窓から外を見た。遠くには陽光をきらきらと反射する水平線がはっきりと見える。この景色をしっかりと目に焼き付けておきたかった。
革鞄と弓を背負って部屋を出ると、ぎしぎしと音を立てる階段を下りた。一階の食堂のすぐ入り口にあるカウンターに目を向ける。
かもめ荘の食堂の格子窓からは、斜線上に朝日が射し込んでいる。その光を反射して、カウンターでは妖精を模ったガラスのオルゴールがきらめいていた。何度見てもため息がでる。
「これ、本当にもらっちゃっていいの?」
カウンター越しに言うソノに、ティアはうなずいた。
「ここで光を浴びたほうが、きっとこの子も喜ぶわ」
「たしかに鞄の奥にしまいっぱなしじゃ寂しいかもね。うちは本物の妖精が泊まった宿なんだよって、せいいっぱい宣伝させてもらおうかしら」
いたずらっぽい笑みを浮かべるソノに、ティアも微笑みを返した。
「ソノ、いろいろとありがとう」
「もしまたセレストに来たらさ、うちに泊まってよね。ココちゃん用のコップを用意して待ってるから」
ティアは笑顔でうなずくと、名残惜しそうなソノに別れを告げ、かもめ荘を出た。
花壇のまわりで遊んでいたココは、ティアに気づくとふわふわと飛んでくる。
「ココ、お待たせ。行こっか」
「どっちから行くの?」
「東門よ」
セレスト港へは北門から入ってきたので、反対の東門から出ていくつもりだった。市場区を抜けた先の東門は、王都街道へとつながっている。
小高い立地のかもめ荘から市場区へと下る坂道を進みながら、ティアはセレストの街並みを一望した。この町もこれで見納めだ。
坂道を下りきると、どこからか、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「ティア、なんか、すっごいいい匂いがするよ!」
「そうね......」
どうにも記憶にある香りだった。いったいなんの匂いだろう?
しばらく進むと、商業区と市場区を区切る大きな通りの中心に見覚えのある屋台が出ていた。
【ボンボン・ドロッポン! あま~くてやわらか~い、とろける美味しさ!】
「あっ、ボンボン・ドロッポンだ!」
ココは宝石のような瞳をきらきらとさせて、落ち着きなく丸い焼き菓子を見つめている。まだ朝にもかかわらず甘い香りにつられたのか、屋台前にはちらほらと客がいた。
ティアはしばし考えた。
屋台の張り紙には相変わらず【銅貨8枚】と書かれているが、ティアのふところには少し余裕があった。港湾ギルドから、地下水路の謎を解いた謝礼と、エルフとのもめ事に巻き込んだ詫び料として、そこそこの銀貨をもらっていたのだ。
「ねえココ、あれ、買っちゃおうか」
「えっ! いいの?」
ぱっと顔を輝かせるココに向けてうなずくと、ティアはボンボン・ドロッポンを一袋購入した。
上からかける蜜は何種類もある。さんざん迷って、メープル色の楓蜜と乾燥果実の粉末を選んだ。紙包みを受け取り、道路脇のベンチに腰かける。
ココはすーっと大きく香りを吸うと、頬を染めてうっとりとボンボン・ドロッポンを見つめた。
「すっごい、いい匂い!」
ティアは柔らかい焼き菓子を指先でひとつつまむと、そっと口に入れた。
鼻をくすぐる甘い香りを堪能しながらゆっくりと噛むと、それはまるで口の中で溶けるかのように柔らかく、甘く、しっとりとしている。
「......おいしい......」
ティアがじっくりと甘みを味わいながらつぶやく横で、ココも楓蜜をぺろりと舐めている。
ふたりの間を朝のさわやかな風が横切っていった。ボンボン・ドロッポンの甘い香りを運んで、風は町中を駆け抜けるのだろう。
「ねえねえティア、食べ終わったら東門に行くんでしょ? つぎはどの町に行くの?」
小さな指先につけた楓蜜を舐めながら、ココが好奇心に満ちた瞳で聞いてくる。
ティアはセレスト港に広がる青空を見上げた。
「うーん、そうね」
遠くでは大きな風に運ばれ、雲がゆっくりと空を横切っていく。
「行先は......風まかせ、かな」
流れる雲を見ながらそう答えると、ココと目を合わせて笑いあい、ティアはもうひとつボンボン・ドロッポンを口に運んだ。
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第三月 十二日目
今日でセレスト港を出る。行先は決めてないけど、ココがくつろげるような場所がいい。わたしにできることは、ココに広い世界を見せて、新しい思い出を作ってあげることだと思うから。
ロットにもらったガラスのオルゴールは、ソノにあげることにした。
かもめ荘を訪れる沢山の人がココのオルゴールを見て、可愛いと思ってくれるといいな。
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風探しのセレスティア 港町セレストに眠る約束 ・・・ Fin.