
血染めの儀式、運命の夜
2036年5月28日 午後6時53分
「さて、準備はできたかな? 天乃君」 静寂を裂くように、男の声が空間に響いた。 そこは埃っぽいコンクリートの匂いが立ち込める薄暗い閉鎖された空間であった。 そこには出入口がなかった。明かりを取り込む窓もない。ただ、硬質な部屋に携帯端末の画面から漏れこむ僅かな光が巨大な空間であることだけを示していた。 その声の主は、およそこの場にはそぐわない風体であった。派手な原色が踊るアロハシャツのような薄手のシャツに、履き古した短パンとサンダル。 四十代半ばといった風貌の中年男性は、リゾート地を歩くような軽快さで正面に対峙する少年に問いを投げかける。「......――」 呼びかけられた少年――天乃慎は、男とは対照的な装いであった。 この魔術特区――浅木区に位置する国立大学法人浅木大学付属第三高等学校。そこの指定制服であるブレザーが、薄暗いフロアの中で携帯端末の光を受けて淡く浮かび上がっている。 その閉ざされた巨大な空間の中心。冷たい床に引かれた白いチョークの線が、周囲の闇を拒絶するように無機質な幾何学模様を描き出している。「――いろいろ知った後だと何とも云えない感情になるな」 天乃は男の問いには答えず、独り言のようにそう言葉を零した。「はっはは、それはお互い様さ。でも、僕はこのスタンスで行かせてもらうよ。さんざんいろいろあったけどね。こればっかりは僕の落ち度だ。予想しておくべきことだった」 中年男性――鵲と呼ばれるその男は、あくまでも軽薄に、そして飄々と笑った。 その瞳の奥に張り付いた感情を、お道化た仕草の裏側に隠し持ったまま。「まぁ、そうだな。最早今更という感じもするから、手っ取り早くいこう。オレの準備なら問題ない。むしろそっちの手抜かりがないかが気がかりだ」「もう根回しは済んでいるさ。後は君と彼次第だよ」「彼か。そちらはちゃんと機能するのか?」「云ったでしょ。彼次第さ」 天乃の射抜くような視線にも、鵲はどこ吹く風といった様子で肩をすくめる。「もう確認はよいじゃろ。一番大変なのはわっちなんじゃ。さっさと始めんかい」 そのやり取りを断ち切ったのは、天乃の足元にいた一人の少女であった。八歳ほどに見えるその容姿は、精巧な球体関節人形を思わせるほどに整っている。 彼女は天乃の脚を背もたれにするようにして、フロアの床に座り込んでいた。赤い着物を羽織り、ポニーテールに結い上げた黒髪の根元には、淡い黄色のリボンが添えられている。先ほどまで、彼女の視線は虚空を彷徨っており、二人の会話には微塵の興味も示していないようであったが、流石に無駄話が過ぎたようだ。少女は、幼い容姿に似つかわしくない、古風で傲岸な口調で、無表情のまま、不満を隠そうともせずに二人を仰ぎ見た。「だいたい、わっちらは今ここまで無断で侵入してきておるのじゃ。いわば敵地じゃぞ。そこで呑気に会話なんぞしおって。まったく。その度胸はわっちも見習いたいものじゃな」「はっはは、これは悪いねぇ。ついつい愉快に話が弾んじゃってね」「いや、そんな愉快な雰囲気ではなかっただろ。まぁ、悪かった。無駄口を叩いたのは主にオレの方だ」 天乃の謝罪に、和装の少女は留飲を下げたかのように矛を収める。「わかったならよい。まぁ、いくら主殿でも無駄口を叩きたくなる気持ちはわからんではないのだがな。経験済みのわっちから云わせれば、あんなもんは別に大したもんではないぞ。では、とっとと儀式とやらを始めるんじゃな」 少女の叱責に、二人の男は苦笑いを浮かべながら、フロアの床に描かれた魔方陣へと足を向けた。 白のチョークで引かれた幾何学模様が、冷淡な無機質さを放っている。「いやぁ、この歳になってこんな小さな娘に叱られることになるとは思わなかったよ。はっはは」「普段はここまで不機嫌じゃないがな。今回はちょっと損な役回りで気が立っているのだろう。しかし、大したことではないときたか......改めて常識の違いを感じるな」「じぃぃぃぃぃぃぃ――」 再び始まった雑談に、少女が冷たい眼差しを向ける。 その背後には、フロアを威圧するように巨大な閉ざされた門が聳え立つ。 こうして、運命を不可逆へと変える儀式が、二人の苦笑と共に静かに幕を開けた。
「えーっと。なんだっけ。確か......『我は選ばれし十三人が内の一人。仲介を業と為す者。今宵条件は成就する。隠された四つ目の法則に従い、我が駒を天上へと導け――成り上がり』......だっけ?」 微光を放つ床の白い幾何学模様。その中央に立つ二人の男の足元から、ぞっとするような冷気が立ち上り始める。鵲が唱える言葉は、呪文というにはあまりに平坦で、神聖さとは無縁のものに聞こえた。「なんだその適当さは。棒読みだし、そんなものでいいのか? 不安しかないのだが」「いいはずだよ。根回しは済んだって云ったでしょ。陣だって反応しているし、あとは条件成就だけさ。勝算はどうだい?」 軽薄な言葉とは裏腹に、床に描かれた陣は変質を始めていた。天乃が確認するように足先で擦っても、チョークの粉は一粒たりとも剥がれることなく、床そのものに刻印されたかのように固定されている。「決まっている。勝てない戦いは勝たない。来い、エリザベート」 天乃がその名を呼んだ瞬間、空気が凍りついた。 エリザベートという西洋風の名前で呼ばれた和装の少女が陣の中央へと歩み寄る。そして、彼女は天乃の目前で爪先立ちになり、静かに瞼を閉じた。天乃の手が、彼女の髪を結わえていた淡い黄色のリボンに触れる。 そのリボンが解かれた刹那、世界から色彩が剥ぎ取られた。薄暗いフロアの現実感が一瞬にして奪われ、圧倒的な神性と恐怖がその場を支配する。 漆黒であった少女の髪が、根元から眩い金色へと塗り替えられていく。平坦であった顔立ちは、峻烈な意思を宿した西洋の貴婦人を思わせる造形へと変貌を遂げた。赤い和服という東洋の装いと、黄金の髪、そして発光するかのような金色の瞳。その異質な美しさは、もはや「エリザベート」という名以外を拒絶しているようにすらみえた。「あぁぁ、この感覚も久々じゃあ。では、儀式の締めと往こうかのぅ」 口端に吊り上げられたのは、獲物を狩る獣のような獰猛にして残認な笑み。 瞬きをする間もなかった。助走すらない。 エリザベートの身体が床を蹴ることもなく、まるで水面に沈み込むような滑らかさで――しかし物理的な抵抗を一切無視した速度で、対峙する他の二人の懐へと滑り込んだ。 そして、その両腕が天乃のブレザーと鵲のアロハシャツの布地を裂き、左胸の肉を抉るように深く穿つ。 閉鎖された空間の床面へ、鮮血が雨のように降り注ぎ広がる。暗がりの中、赤黒く脈動する魔方陣だけが生々しい光を放っている。「――っがは。な、に、をしている、エリ、ザ、ベート......。こ、こで、死、ぬのは、オレだけ、の、はずだ」 苦痛に顔を歪める天乃。その額には冷汗が噴き出しており、口元には肺から逆流したであろう血の味が広がっていく。 貫かれた心臓から熱い血潮がエリザベートの白い腕を伝ってフロアの床へと滴り落ちた。 その天乃の問いへの答えは、同じく心臓を穿たれた鵲から、血混じりの笑いとともに放たれた。「はっは、は。僕が頼んでおいたのさ。知らなかったかな? 『坐』の交代は、旧神の、死によって生じる事象、なんだ、よ」 死を目前にしながらも、鵲の飄々とした態度は崩れない。 精一杯の瘦せ我慢というより、既定の現象に対する既視感に近いものなのであろう。「らしいぞ。この男が最期まで黙ってろというのでな。興が乗った故、黙っておった」 エリザベートは冷淡に告げ、指先に力を込める。「そう、かい。お優しい、ことで。あと、割と、痛、いから、早めに、頼む。鵲、オマエには、絶対、仕返し、してやる」「はっはは。期待しているよ。天乃く――」 言葉が途切れるよりも早く、エリザベートの両手が二人の心臓を抉り出した。 噴き出した鮮血が雨となって降り注ぎ、フロアは一瞬にして鉄臭い死の香りに満たされる。 返り血を浴びたエリザベートは、恍惚とした表情でその赤い滴を舌でなぞった。 床に落ちた血は、白かった魔方陣を赤黒く染め上げながら、意思を持つ生き物のように脈動している。 やがて、心臓を穿たれた二人の肉体は魔法陣に飲み込まれるようにして消滅した。惨劇の痕跡を飲み込み、静まり返る闇の中。血に濡れた少女の足音だけが、コンクリートの空間に冷たく響き渡る。「さて、と。どうやってここから脱出したものか」 全身の皮膚から付着した血を吸い込みながら、エリザベートは独りごちた。 そこにはもはや、二人の男がいた痕跡など欠片も残っていない。 ただ、どす黒く変色した魔方陣だけが、そこにかつて惨劇があった事実を証明するのみである。「うむ、やはり、事前の打ち合わせ通り、強行突破しかないかの。上質な魔力をちょうど喰ったばかりじゃしのぉ」 満足げな笑みを浮かべ、少女は静まり返った敵地へと足を踏み出す。 ふと振り返った床の上には、もう魔方陣の姿も消えていた。「これは上手くいったのかのぅ? わざわざ、この世で異界に最も近い場所を選んだ甲斐はあったかの。とはいえ、死ぬときは案外あっけないもんじゃし、死んどるかもな。――いや、ないな。パスが切れておらん。ということは、奴隷生活続行ということか。やれやれ、世話のかかる主殿じゃな」 エリザベートはそう述べると、闇に包まれた空間で笑みを深めるのであった。 血染めの儀式、運命の夜
2036年5月28日 午後6時53分
「さて、準備はできたかな? 天乃君」 静寂を裂くように、男の声が空間に響いた。 そこは埃っぽいコンクリートの匂いが立ち込める薄暗い閉鎖された空間であった。 そこには出入口がなかった。明かりを取り込む窓もない。ただ、硬質な部屋に携帯端末の画面から漏れこむ僅かな光が巨大な空間であることだけを示していた。 その声の主は、およそこの場にはそぐわない風体であった。派手な原色が踊るアロハシャツのような薄手のシャツに、履き古した短パンとサンダル。 四十代半ばといった風貌の中年男性は、リゾート地を歩くような軽快さで正面に対峙する少年に問いを投げかける。「......――」 呼びかけられた少年――天乃慎は、男とは対照的な装いであった。 この魔術特区――浅木区に位置する国立大学法人浅木大学付属第三高等学校。そこの指定制服であるブレザーが、薄暗いフロアの中で携帯端末の光を受けて淡く浮かび上がっている。 その閉ざされた巨大な空間の中心。冷たい床に引かれた白いチョークの線が、周囲の闇を拒絶するように無機質な幾何学模様を描き出している。「――いろいろ知った後だと何とも云えない感情になるな」 天乃は男の問いには答えず、独り言のようにそう言葉を零した。「はっはは、それはお互い様さ。でも、僕はこのスタンスで行かせてもらうよ。さんざんいろいろあったけどね。こればっかりは僕の落ち度だ。予想しておくべきことだった」 中年男性――鵲と呼ばれるその男は、あくまでも軽薄に、そして飄々と笑った。 その瞳の奥に張り付いた感情を、お道化た仕草の裏側に隠し持ったまま。「まぁ、そうだな。最早今更という感じもするから、手っ取り早くいこう。オレの準備なら問題ない。むしろそっちの手抜かりがないかが気がかりだ」「もう根回しは済んでいるさ。後は君と彼次第だよ」「彼か。そちらはちゃんと機能するのか?」「云ったでしょ。彼次第さ」 天乃の射抜くような視線にも、鵲はどこ吹く風といった様子で肩をすくめる。「もう確認はよいじゃろ。一番大変なのはわっちなんじゃ。さっさと始めんかい」 そのやり取りを断ち切ったのは、天乃の足元にいた一人の少女であった。八歳ほどに見えるその容姿は、精巧な球体関節人形を思わせるほどに整っている。 彼女は天乃の脚を背もたれにするようにして、フロアの床に座り込んでいた。赤い着物を羽織り、ポニーテールに結い上げた黒髪の根元には、淡い黄色のリボンが添えられている。先ほどまで、彼女の視線は虚空を彷徨っており、二人の会話には微塵の興味も示していないようであったが、流石に無駄話が過ぎたようだ。少女は、幼い容姿に似つかわしくない、古風で傲岸な口調で、無表情のまま、不満を隠そうともせずに二人を仰ぎ見た。「だいたい、わっちらは今ここまで無断で侵入してきておるのじゃ。いわば敵地じゃぞ。そこで呑気に会話なんぞしおって。まったく。その度胸はわっちも見習いたいものじゃな」「はっはは、これは悪いねぇ。ついつい愉快に話が弾んじゃってね」「いや、そんな愉快な雰囲気ではなかっただろ。まぁ、悪かった。無駄口を叩いたのは主にオレの方だ」 天乃の謝罪に、和装の少女は留飲を下げたかのように矛を収める。「わかったならよい。まぁ、いくら主殿でも無駄口を叩きたくなる気持ちはわからんではないのだがな。経験済みのわっちから云わせれば、あんなもんは別に大したもんではないぞ。では、とっとと儀式とやらを始めるんじゃな」 少女の叱責に、二人の男は苦笑いを浮かべながら、フロアの床に描かれた魔方陣へと足を向けた。 白のチョークで引かれた幾何学模様が、冷淡な無機質さを放っている。「いやぁ、この歳になってこんな小さな娘に叱られることになるとは思わなかったよ。はっはは」「普段はここまで不機嫌じゃないがな。今回はちょっと損な役回りで気が立っているのだろう。しかし、大したことではないときたか......改めて常識の違いを感じるな」「じぃぃぃぃぃぃぃ――」 再び始まった雑談に、少女が冷たい眼差しを向ける。 その背後には、フロアを威圧するように巨大な閉ざされた門が聳え立つ。 こうして、運命を不可逆へと変える儀式が、二人の苦笑と共に静かに幕を開けた。
「えーっと。なんだっけ。確か......『我は選ばれし十三人が内の一人。仲介を業と為す者。今宵条件は成就する。隠された四つ目の法則に従い、我が駒を天上へと導け――成り上がり』......だっけ?」 微光を放つ床の白い幾何学模様。その中央に立つ二人の男の足元から、ぞっとするような冷気が立ち上り始める。鵲が唱える言葉は、呪文というにはあまりに平坦で、神聖さとは無縁のものに聞こえた。「なんだその適当さは。棒読みだし、そんなものでいいのか? 不安しかないのだが」「いいはずだよ。根回しは済んだって云ったでしょ。陣だって反応しているし、あとは条件成就だけさ。勝算はどうだい?」 軽薄な言葉とは裏腹に、床に描かれた陣は変質を始めていた。天乃が確認するように足先で擦っても、チョークの粉は一粒たりとも剥がれることなく、床そのものに刻印されたかのように固定されている。「決まっている。勝てない戦いは勝たない。来い、エリザベート」 天乃がその名を呼んだ瞬間、空気が凍りついた。 エリザベートという西洋風の名前で呼ばれた和装の少女が陣の中央へと歩み寄る。そして、彼女は天乃の目前で爪先立ちになり、静かに瞼を閉じた。天乃の手が、彼女の髪を結わえていた淡い黄色のリボンに触れる。 そのリボンが解かれた刹那、世界から色彩が剥ぎ取られた。薄暗いフロアの現実感が一瞬にして奪われ、圧倒的な神性と恐怖がその場を支配する。 漆黒であった少女の髪が、根元から眩い金色へと塗り替えられていく。平坦であった顔立ちは、峻烈な意思を宿した西洋の貴婦人を思わせる造形へと変貌を遂げた。赤い和服という東洋の装いと、黄金の髪、そして発光するかのような金色の瞳。その異質な美しさは、もはや「エリザベート」という名以外を拒絶しているようにすらみえた。「あぁぁ、この感覚も久々じゃあ。では、儀式の締めと往こうかのぅ」 口端に吊り上げられたのは、獲物を狩る獣のような獰猛にして残認な笑み。 瞬きをする間もなかった。助走すらない。 エリザベートの身体が床を蹴ることもなく、まるで水面に沈み込むような滑らかさで――しかし物理的な抵抗を一切無視した速度で、対峙する他の二人の懐へと滑り込んだ。 そして、その両腕が天乃のブレザーと鵲のアロハシャツの布地を裂き、左胸の肉を抉るように深く穿つ。 閉鎖された空間の床面へ、鮮血が雨のように降り注ぎ広がる。暗がりの中、赤黒く脈動する魔方陣だけが生々しい光を放っている。「――っがは。な、に、をしている、エリ、ザ、ベート......。こ、こで、死、ぬのは、オレだけ、の、はずだ」 苦痛に顔を歪める天乃。その額には冷汗が噴き出しており、口元には肺から逆流したであろう血の味が広がっていく。 貫かれた心臓から熱い血潮がエリザベートの白い腕を伝ってフロアの床へと滴り落ちた。 その天乃の問いへの答えは、同じく心臓を穿たれた鵲から、血混じりの笑いとともに放たれた。「はっは、は。僕が頼んでおいたのさ。知らなかったかな? 『坐』の交代は、旧神の、死によって生じる事象、なんだ、よ」 死を目前にしながらも、鵲の飄々とした態度は崩れない。 精一杯の瘦せ我慢というより、既定の現象に対する既視感に近いものなのであろう。「らしいぞ。この男が最期まで黙ってろというのでな。興が乗った故、黙っておった」 エリザベートは冷淡に告げ、指先に力を込める。「そう、かい。お優しい、ことで。あと、割と、痛、いから、早めに、頼む。鵲、オマエには、絶対、仕返し、してやる」「はっはは。期待しているよ。天乃く――」 言葉が途切れるよりも早く、エリザベートの両手が二人の心臓を抉り出した。 噴き出した鮮血が雨となって降り注ぎ、フロアは一瞬にして鉄臭い死の香りに満たされる。 返り血を浴びたエリザベートは、恍惚とした表情でその赤い滴を舌でなぞった。 床に落ちた血は、白かった魔方陣を赤黒く染め上げながら、意思を持つ生き物のように脈動している。 やがて、心臓を穿たれた二人の肉体は魔法陣に飲み込まれるようにして消滅した。惨劇の痕跡を飲み込み、静まり返る闇の中。血に濡れた少女の足音だけが、コンクリートの空間に冷たく響き渡る。「さて、と。どうやってここから脱出したものか」 全身の皮膚から付着した血を吸い込みながら、エリザベートは独りごちた。 そこにはもはや、二人の男がいた痕跡など欠片も残っていない。 ただ、どす黒く変色した魔方陣だけが、そこにかつて惨劇があった事実を証明するのみである。「うむ、やはり、事前の打ち合わせ通り、強行突破しかないかの。上質な魔力をちょうど喰ったばかりじゃしのぉ」 満足げな笑みを浮かべ、少女は静まり返った敵地へと足を踏み出す。 ふと振り返った床の上には、もう魔方陣の姿も消えていた。「これは上手くいったのかのぅ? わざわざ、この世で異界に最も近い場所を選んだ甲斐はあったかの。とはいえ、死ぬときは案外あっけないもんじゃし、死んどるかもな。――いや、ないな。パスが切れておらん。ということは、奴隷生活続行ということか。やれやれ、世話のかかる主殿じゃな」 エリザベートはそう述べると、闇に包まれた空間で笑みを深めるのであった。