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暴君の気まぐれ、蛮勇を示した者への慈悲

2036年6月7日午後1時25分
 
 緋澄ひずみの目が、魔力まりょく放出ほうしゅつを回避かいひしていた天乃あまのを捉とらえる。その双眸には、獲物を追い詰めた愉悦と、それ以上に深い、言葉にできない複雑な色が混ざり合っていた。

「......なぁんだ。記憶きおくが消えてすっかり腑抜ふぬけたのかと思ったけど。いいじゃない。その魔眼めは、まだ健在けんざいのようね。よかった。私の嫌いな天乃慎あまのしんがまだ残っていてくれたみたいで、少し安心したわ」

 緋澄ひずみは少し冷静になったような口調くちょうで述べ、天乃あまのを見据みすえる。

「でも、意外ね。安心、......安心とか。我がことながら噴飯ふんぱんものね。
 あれだけ『死ねばいい』『消えてればいい』『いなくなればいい』って。
 『思って』『想おもって』
 『考えて』『叶かなえようとして』
 『願ねがって』『希こいねがって』
 『諦あきらめて』『諦あきらめきれなくて』
 ――ここまできたはずなのに」

 緋澄ひずみは自嘲じちょう気味な笑えみを浮かべ、脱力だつりょくしたかのように肩を竦すくめる。その言葉は天乃に向けられたものであると同時に、自分自身の割り切れない感情を整理するための独白のようでもあった。

「ホント、ままならないわね。......まぁ、でも、うん、いいや。これで、心置きなく――」
「慎しんちゃん、逃げて!!」
(拙まずい、主殿あるじどのッ!!)

「――――――さよなら」

 咄嗟とっさに我に返った遊上ゆがみの悲鳴ひめいのような警告けいこくと、英莉えりが不穏ふおんな気配けはいを感じて硬直こうちょくを脱しようとしたのと、緋澄ひずみの腕が動いたのは、ほぼ同時であった。

 英莉えりは、数秒間続く原因不明の硬直こうちょくから脱するため、全身に力を込めて無理やり地面を蹴けろうとするが、脚あしが地面に縫ぬい付けられているかのようで、まったく持ち上がる気配けはいがない。

(この現象げんしょうッ!
 仕組しくみは凡おおよそわかったが、『枷かせ』がある状態では振り切るための膂力りょりょくが足らんかッッ!!)

 通常、魔力まりょく放出ほうしゅつは、せいぜいが空気に動きを生じさせ、風を巻き起こすという現象げんしょうを引き起こす程度ていどのものである。
 ただし、瞬間しゅんかん的に放出ほうしゅつした魔力まりょく量が多ければ、その放出ほうしゅつの勢いきおいを利用することで、人体じんたいを空中に浮かせたり、高速で移動したり、素手すでや武器ぶきでの打撃だげきや投擲とうてきの威力いりょくを増ましたり、地面に押さえ付けることで身体の動きを一瞬固定したりといったことが可能となる。
 勿論もちろん、それ自体を攻撃の手段に転用することすら可能であり、その技術は一部で魔弾まだんなどと呼ばれている。
 しかしながら、この魔力まりょく放出ほうしゅつによって発生した空気の流れに触ふれたとしても、それが人体じんたいに何か影響えいきょうを及およぼすといったことは、特にないのである。
 つまり、単なる魔力まりょく放出ほうしゅつであれば、英莉えりや天空てんくうの身体を瞬間しゅんかん的に固定するならまだしも、数秒にわたって固定し続けるなどということは、本来的には不可能なはずなのである。
 しかし、緋澄ひずみは、魔力まりょく放出ほうしゅつととある技法ぎほうを併用へいようすることで、これを可能としていた。
 それは、『遠隔えんかく魔力まりょく操作そうさ』や『操魔法そうまほう』などと呼ばれる特殊とくしゅな技法ぎほうで、天空てんくうが魔力まりょく競技『送球そうきゅう』の際に使っていた体外に放出ほうしゅつした魔力まりょくを操作そうさするというものである。
 緋澄ひずみは、これを見ただけで模倣もほうして再現さいげんしてみせた水無月みなづきから、その後にこっそりとコツを聞き出しており、自分なりにアレンジして使用してみせたのである。
 その結果、放出ほうしゅつされた魔力まりょくが、植・物・の・よ・う・に・相手に絡からみつき、その動きを封ふうじるという現象げんしょうが生じたのである。
 もっとも、水無月みなづきは予め魔弾まだんと呼ばれる技術を知っており、体外に放出ほうしゅつした魔力まりょくに属性を付与することができるということを知っていたが、緋澄ひずみは魔弾まだんの存在すら知らずに、ほとんどぶっつけ本番でここにまで至っているのであるから、才能という面では水無月みなづきに引けを取らないものであろう。
 そして、これにより、特に、英莉えりの脚あしは念入ねんいりに地面と接着せっちゃくするような形で拘束こうそくされている。
 これは、英莉えり本人が考えていた通り、その拘束こうそくを振り切るためには、これそのものを引きちぎったり、地中に潜もぐり込んで植物しょくぶつのように根を張った状態の魔力まりょくの塊かたまりを地面ごと引き抜いたりするほどの膂力りょりょくが必要となる。
 ただ、如何いかに植物しょくぶつの操作そうさに特化した魔術を扱あつかう緋澄ひずみの魔力まりょくとはいえ、所詮しょせんは形も質量も存在しない植・物・で・あ・る・と・い・う・方・向・性・を・与・え・ら・れ・た・だ・け・の力にすぎないことから、もって数秒という短い間の拘束こうそくしか本来的に為なし得ない。
 なぜなら、数秒後に魔力まりょくは、自・身・が・植・物・で・は・な・か・っ・た・こ・と・を・思・い・出・し・、その機能を失ってしまうからある。
 このことから、英莉えりには拘束こうそくを振り切るだけの膂力りょりょくはなかったが、あとほんの1、2秒で拘束こうそくは自然に解とける状態にはあった。

 だが、逆を言えば、英莉えりは、あと1・、2・秒・は・確・実・に・動・く・こ・と・が・で・き・な・い・状・態・に・あ・る・ということでもある。
 その間隙かんげきを突くように、緋澄ひずみは、天乃あまのに向けて、魔力まりょく競技『遠投えんとう』の要領ようりょうで再び魔力まりょくを放出ほうしゅつしようと掌てのひらを掲かかげる。


(――来・る・ッ・!)

 緋澄ひずみの腕が上がる直前、緋澄ひずみの魔力まりょくの流れから、魔力まりょく放出ほうしゅつの予兆よちょうを検知けんちした天乃あまのは、ど・う・す・べ・き・か・を考えていた。
 緋澄ひずみの魔力まりょくの流れから、次に来る魔力まりょく放出ほうしゅつが、先ほどとは異なり、周囲を巻き込むようなものではなく、一直線に天乃あまのに迫せまってくるものであることが予測よそくされた。
 天乃あまのは、先ほどの緋澄ひずみによる魔力まりょく放出ほうしゅつを回避かいひした際、もともと天乃あまのが立っていたあたりで魔力まりょくの形状が蔦つたのような植物しょくぶつに変化したのを目撃もくげきしており、これが現在英莉えりたちを拘束こうそくしているということも理解りかいしていた。
 だからこそ、魔力まりょく放出ほうしゅつの軌道きどうを避さけるべく、左右どちらかに移動するのが最も容易よういにこれを回避かいひできる方法であると判断した。
 だが――

(わ・か・ら・な・い・)

 天乃あまのには緋澄ひずみが攻撃してきた理由がわからない。
 そもそも天乃あまのには記憶がなく、緋澄ひずみとの過去の関係性は――

(知らない)

 だが、先ほどの会話を聞く限り、緋澄ひずみが天乃あまのに対して並々なみなみならぬ敵意てきいを抱いだいていることは――

(知っている)

 ならば、この攻撃の目的は――
 緋澄ひずみが激怒げきどしていた理由は――
 それらを踏ふまえて自分がとるべき行動は――

 天乃あまのは、緋澄ひずみが魔力まりょくを放出ほうしゅつするまでの一瞬のうちに、思いつく限りの可能性を検討けんとうし、思案しあんし、最善手さいぜんしゅを模索もさくしていたが、こちらに掌てのひらを向ける緋澄ひずみの表情が視界しかいに入った瞬間しゅんかん、それらをすべて放り投げた。

(――なんで、そっちがそ・ん・な・顔・し・て・ん・だ・よ・!)

 天乃あまのが、緋澄ひずみの表情から読み取れた感情は怒りではなく――憐憫れんびんと悲哀ひあい、そして諦念ていねんだった。
 もっとも、次の瞬間しゅんかんにはその表情は消えさっており、ほとんど感情を読み取れない無表情となっていた。
 そして、直後に緋澄ひずみの掌てのひらから放出ほうしゅつされた魔力まりょくが、天乃あまのの視界しかいを埋うめていく。

(見間違みまちがえ、ってわけじゃないんだよな。ああ、くそっ、もう知ったことかっ!)

 天乃あまのは、左に避さけようとしていた足を踏ふみとどまり、緋澄ひずみのいる方向である正・面・へ・と踏ふみ切る。
 そして、姿勢しせいを低くして緋澄ひずみに向かって疾走しっそうし、魔力まりょく放出ほうしゅつによって生じた風が吹き荒あれれる空気の断層だんそうに向かって自ら突つっ込こんでいく。

(主殿あるじどの!? なんでそうなるんじゃッッ!?)

 天乃あまのの思考しこうを読み取ることができる英莉えりは、その思考しこうを読み取った上で、天乃あまのの行動を理解することができなかった。
 思えば、天乃あまのは以前から割わりと突拍子とっぴょうしもない行動をすることがあったが、記憶喪失きおくそうしつ以後はそのような傾向けいこうが減少していたために、完全に油断ゆだんしていたのだ。
 それは、この場にいた遊上ゆがみも天空てんくうも、そして、緋澄ひずみも同様であった。
 そして、天乃あまののこの予想外の行動が、結果的に功こうを奏そうすことになる。

 天乃あまのは、正面から吹ふき付ける魔力まりょく放出ほうしゅつによって生じた風をもろに浴あびる。
 しかし、緋澄ひずみの魔力まりょくが天乃あまのに絡からみつくという現象げんしょうは生しょうじず、そのまま緋澄ひずみに向かって前進ぜんしんする天乃あまのの足は止まる気配けはいがない。
 これは、天乃あまのが予あらかじめ意図いとしていたことではないが、『操魔法そうまほう』の仕様しようによるものである。
 『操魔法そうまほう』は、魔力まりょくを放出ほうしゅつする前に放出ほうしゅつ後の挙動きょどうを入力しておく必要があり、放出ほうしゅつ後に魔力まりょくの挙動きょどうを変更することができないという性質せいしつがある。
 緋澄ひずみは、天乃あまのが通常では目視もくしできないはずの魔力まりょくの動きを見ることができる特殊な魔眼まがんを持っていることを知っていたことから、直線的に最速で魔力まりょくを放出ほうしゅつすれば、天乃あまのはこれを躱かわそうとして左右のどちらかに逃げると予測した。
 だから、天乃あまのが現在立っている地点まで魔力まりょくを直進させ、その場で魔力まりょくを左右に広げてから魔力まりょくの性質せいしつを変化させることで、天乃あまのを拘束こうそくしようと考え、その通りに実行したのである。
 特に、今回は英莉えりがいるため、天乃あまの自身が攻撃に転てんじなくともよい状況じょうきょうにあったことから、まずは回避かいひに徹てっして時間を稼かせぎ、英莉えりが戦線せんせんに復帰ふっきするのを待まつというのが、天乃あまのの最善手さいぜんしゅであると緋澄ひずみは考えていた。
 だからこそ、天乃あまのが正面から向かってくるなどという可能性は、まったく慮外りょがいのものだったのである。

(――――こいつ、なんでッ!!? まっすぐこっちに!!)

 そして、緋澄ひずみは、驚愕きょうがくによって停止していた思考しこうを再開し、どのように対処たいしょするかを検討けんとうする。
 だが、これによって生じた空白時間は、天乃あまのが緋澄ひずみのもとに辿たどり着くには十分すぎる時間であった。

「うおおぉぉ、りゃあ!」

 天乃あまのはそのままの勢いきおいで緋澄ひずみに向かって体重を乗せたタックルを決行けっこうし、緋澄ひずみを仰向あおむけに押し倒たおしながら、もろともに地面に転ころび込む。
 そして、そのまま素早すばやく緋澄ひずみの両手首りょうてくびをつかんで地面に押し付け、馬乗うまのりの体勢たいせいになる。

「はぁ、はぁ、はぁ」
「..................」

 天乃あまのが乱みだれた呼吸こきゅうを整ととのえていると、下敷したじきにされていた緋澄ひずみが口を開く。

「......天乃あまの、慎しん。あなた――」
「ダメ、お姉ちゃん! ダメだよっ!!」

 緋澄ひずみが何かを言いかけるが、それを遮さえぎるように遊上ゆがみが天乃あまのに駆かけ寄より、天乃あまのに抱だき着つくように密着みっちゃくする。

「あのっ、遊上ゆがみさん!? なんだ、これっ!? その、思いっきり当・た・っ・て・る・んですけどっ!」

 何がとは言わないが、思わず敬語けいごになってしまった天乃あまのに対し、遊上ゆがみがそれに気づいた様子はない。
 ただ、真剣しんけんに緋澄ひずみに語かたり掛かけるのみである。

「ダメだからね、お姉ちゃん。これ以上は、もう――」
「大丈夫よ。わかってる。これは、全面的に私が悪かったわ。っていうか、公衆こうしゅうの面前めんぜんでそういうのは、はしたないからやめなさい。あと、重いから。退どいて」
「「えっ、あ、はい」」

 まるで何事もなかったかのような緋澄ひずみの冷さめた態度に気圧けおされ、天乃あまのと遊上ゆがみは口を揃そろえて返事をしてから、緋澄ひずみの上から立ち上がり、その場をいそいそと退しりぞく。
 緋澄ひずみがむくりと起き上がると、緋澄ひずみの後頭部こうとうぶがあった場所の下から、緋澄ひずみがとっさにクッションにしたであろう蔦つたの束たばが現れる。
 緋澄ひずみがそれに触ふれると、蔦つたは急速に枯かれていき、朽くちて跡形あとかたもなく消え去る。
 そのときの緋澄ひずみの横顔よこがおを眺ながめていた遊上ゆがみは、ふと思ったことが口から出てしまう。

「あ、あの、お姉ちゃん? なんか、あれ? もしかしてだけど、機嫌きげん......いい?」

 これに対し、緋澄ひずみは呆あきれたような表情でため息を吐つき、物わかりが悪い幼おさない子を諭さとすように、自分の妹に向かって滔々とうとうと語かたり掛かける。

「そんなわけないでしょ。気分は最悪よ、最悪。
 天乃慎あまのしん如ごときに力任ちからまかせに荒々あらあらしく組くみ敷しかれた上に、為なす術すべもなく乙女おとめの柔肌やわはだを無遠慮ぶえんりょに撫なで回されたのよ? 私が初心うぶな少女だったら、卒倒そっとうモノだったと思うわ」
「確かに、初心うぶだとか少女だとかは関係なく、下手へたしたら頭打って卒倒そっとうものだったかもしれないから、それは謝あやまるけど! そんな色気いろけが欠片かけらもあるもんじゃなかったからな! その表現には断固だんことして抗議こうぎしたい!」
「あら? 何か事実と違うところでもあった?」
「事実語かたれば何言ってもいいってわけじゃないって話だが?」

「............そう、いう話、じゃあ、なかったんだけどなぁ」

 天乃あまのと緋澄ひずみが言い合う中、遊上ゆがみはこっそりと肩を落としてぼやく。
 その声を耳聡みみざとく聞きつけた緋澄ひずみは、天乃あまのとの言い合いを一方的に打ち切り、遊上ゆがみの耳元に顔を近づけて、その肩に手を置き、こっそりと耳打ちする。

「(私が今・の・段・階・で、天乃慎あまのしんを殺すわけがないでしょ。
 ついイラっとしてカっとなっちゃったから、適度にビビらして憂うさを晴はらしてやろうと思っただけ。ちょっとくらい反撃はんげきされたからって、そんなことはいちいち気にしてないわ。もう頭も冷ひえたから、心配しなくても大丈夫よ)」

 早口はやくちにそれだけ告つげると、緋澄ひずみは再び天乃あまのの方に向き直る。
 その様子は普段の緋澄ひずみと遜色そんしょくないように見えるが、双子ふたごの妹である遊上ゆがみからみると、少し印象が異ことなるようで――

(......やっぱ、お姉ちゃん、ちょっと機嫌きげんいいんじゃん)

 気まぐれな姉を半目で見つめつつ、遊上ゆがみは人知れずため息を吐つく。

「さて、それじゃあ、天乃慎あまのしん。さっきの適任てきにん云々うんぬんの話の続きを聞かせなさい?」
「なんだコイツ、暴君ぼうくんか?」

 緋澄ひずみがここ数分間に何事もなかったかのように天乃あまのに話の続きを促うながし、天乃あまのが若干じゃっかん引き気味に呟つぶやいている横で、英莉えりと天空てんくうは、

「のぉ、ひょっとして、わっちらは、巻き込まれ損ぞんか?」
「どうやら、本日は厄日やくびのようですね」
「互たがいにの」

 と、知らぬ間に災害さいがいが去さっていたことを確認し、顔を見合みあわせて肩を落とすのであった。
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Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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2036年6月7日午後1時25分
 
 緋澄ひずみの目が、魔力まりょく放出ほうしゅつを回避かいひしていた天乃あまのを捉とらえる。その双眸には、獲物を追い詰めた愉悦と、それ以上に深い、言葉にできない複雑な色が混ざり合っていた。

「......なぁんだ。記憶きおくが消えてすっかり腑抜ふぬけたのかと思ったけど。いいじゃない。その魔眼めは、まだ健在けんざいのようね。よかった。私の嫌いな天乃慎あまのしんがまだ残っていてくれたみたいで、少し安心したわ」

 緋澄ひずみは少し冷静になったような口調くちょうで述べ、天乃あまのを見据みすえる。

「でも、意外ね。安心、......安心とか。我がことながら噴飯ふんぱんものね。
 あれだけ『死ねばいい』『消えてればいい』『いなくなればいい』って。
 『思って』『想おもって』
 『考えて』『叶かなえようとして』
 『願ねがって』『希こいねがって』
 『諦あきらめて』『諦あきらめきれなくて』
 ――ここまできたはずなのに」

 緋澄ひずみは自嘲じちょう気味な笑えみを浮かべ、脱力だつりょくしたかのように肩を竦すくめる。その言葉は天乃に向けられたものであると同時に、自分自身の割り切れない感情を整理するための独白のようでもあった。

「ホント、ままならないわね。......まぁ、でも、うん、いいや。これで、心置きなく――」
「慎しんちゃん、逃げて!!」
(拙まずい、主殿あるじどのッ!!)

「――――――さよなら」

 咄嗟とっさに我に返った遊上ゆがみの悲鳴ひめいのような警告けいこくと、英莉えりが不穏ふおんな気配けはいを感じて硬直こうちょくを脱しようとしたのと、緋澄ひずみの腕が動いたのは、ほぼ同時であった。

 英莉えりは、数秒間続く原因不明の硬直こうちょくから脱するため、全身に力を込めて無理やり地面を蹴けろうとするが、脚あしが地面に縫ぬい付けられているかのようで、まったく持ち上がる気配けはいがない。

(この現象げんしょうッ!
 仕組しくみは凡おおよそわかったが、『枷かせ』がある状態では振り切るための膂力りょりょくが足らんかッッ!!)

 通常、魔力まりょく放出ほうしゅつは、せいぜいが空気に動きを生じさせ、風を巻き起こすという現象げんしょうを引き起こす程度ていどのものである。
 ただし、瞬間しゅんかん的に放出ほうしゅつした魔力まりょく量が多ければ、その放出ほうしゅつの勢いきおいを利用することで、人体じんたいを空中に浮かせたり、高速で移動したり、素手すでや武器ぶきでの打撃だげきや投擲とうてきの威力いりょくを増ましたり、地面に押さえ付けることで身体の動きを一瞬固定したりといったことが可能となる。
 勿論もちろん、それ自体を攻撃の手段に転用することすら可能であり、その技術は一部で魔弾まだんなどと呼ばれている。
 しかしながら、この魔力まりょく放出ほうしゅつによって発生した空気の流れに触ふれたとしても、それが人体じんたいに何か影響えいきょうを及およぼすといったことは、特にないのである。
 つまり、単なる魔力まりょく放出ほうしゅつであれば、英莉えりや天空てんくうの身体を瞬間しゅんかん的に固定するならまだしも、数秒にわたって固定し続けるなどということは、本来的には不可能なはずなのである。
 しかし、緋澄ひずみは、魔力まりょく放出ほうしゅつととある技法ぎほうを併用へいようすることで、これを可能としていた。
 それは、『遠隔えんかく魔力まりょく操作そうさ』や『操魔法そうまほう』などと呼ばれる特殊とくしゅな技法ぎほうで、天空てんくうが魔力まりょく競技『送球そうきゅう』の際に使っていた体外に放出ほうしゅつした魔力まりょくを操作そうさするというものである。
 緋澄ひずみは、これを見ただけで模倣もほうして再現さいげんしてみせた水無月みなづきから、その後にこっそりとコツを聞き出しており、自分なりにアレンジして使用してみせたのである。
 その結果、放出ほうしゅつされた魔力まりょくが、植・物・の・よ・う・に・相手に絡からみつき、その動きを封ふうじるという現象げんしょうが生じたのである。
 もっとも、水無月みなづきは予め魔弾まだんと呼ばれる技術を知っており、体外に放出ほうしゅつした魔力まりょくに属性を付与することができるということを知っていたが、緋澄ひずみは魔弾まだんの存在すら知らずに、ほとんどぶっつけ本番でここにまで至っているのであるから、才能という面では水無月みなづきに引けを取らないものであろう。
 そして、これにより、特に、英莉えりの脚あしは念入ねんいりに地面と接着せっちゃくするような形で拘束こうそくされている。
 これは、英莉えり本人が考えていた通り、その拘束こうそくを振り切るためには、これそのものを引きちぎったり、地中に潜もぐり込んで植物しょくぶつのように根を張った状態の魔力まりょくの塊かたまりを地面ごと引き抜いたりするほどの膂力りょりょくが必要となる。
 ただ、如何いかに植物しょくぶつの操作そうさに特化した魔術を扱あつかう緋澄ひずみの魔力まりょくとはいえ、所詮しょせんは形も質量も存在しない植・物・で・あ・る・と・い・う・方・向・性・を・与・え・ら・れ・た・だ・け・の力にすぎないことから、もって数秒という短い間の拘束こうそくしか本来的に為なし得ない。
 なぜなら、数秒後に魔力まりょくは、自・身・が・植・物・で・は・な・か・っ・た・こ・と・を・思・い・出・し・、その機能を失ってしまうからある。
 このことから、英莉えりには拘束こうそくを振り切るだけの膂力りょりょくはなかったが、あとほんの1、2秒で拘束こうそくは自然に解とける状態にはあった。

 だが、逆を言えば、英莉えりは、あと1・、2・秒・は・確・実・に・動・く・こ・と・が・で・き・な・い・状・態・に・あ・る・ということでもある。
 その間隙かんげきを突くように、緋澄ひずみは、天乃あまのに向けて、魔力まりょく競技『遠投えんとう』の要領ようりょうで再び魔力まりょくを放出ほうしゅつしようと掌てのひらを掲かかげる。


(――来・る・ッ・!)

 緋澄ひずみの腕が上がる直前、緋澄ひずみの魔力まりょくの流れから、魔力まりょく放出ほうしゅつの予兆よちょうを検知けんちした天乃あまのは、ど・う・す・べ・き・か・を考えていた。
 緋澄ひずみの魔力まりょくの流れから、次に来る魔力まりょく放出ほうしゅつが、先ほどとは異なり、周囲を巻き込むようなものではなく、一直線に天乃あまのに迫せまってくるものであることが予測よそくされた。
 天乃あまのは、先ほどの緋澄ひずみによる魔力まりょく放出ほうしゅつを回避かいひした際、もともと天乃あまのが立っていたあたりで魔力まりょくの形状が蔦つたのような植物しょくぶつに変化したのを目撃もくげきしており、これが現在英莉えりたちを拘束こうそくしているということも理解りかいしていた。
 だからこそ、魔力まりょく放出ほうしゅつの軌道きどうを避さけるべく、左右どちらかに移動するのが最も容易よういにこれを回避かいひできる方法であると判断した。
 だが――

(わ・か・ら・な・い・)

 天乃あまのには緋澄ひずみが攻撃してきた理由がわからない。
 そもそも天乃あまのには記憶がなく、緋澄ひずみとの過去の関係性は――

(知らない)

 だが、先ほどの会話を聞く限り、緋澄ひずみが天乃あまのに対して並々なみなみならぬ敵意てきいを抱いだいていることは――

(知っている)

 ならば、この攻撃の目的は――
 緋澄ひずみが激怒げきどしていた理由は――
 それらを踏ふまえて自分がとるべき行動は――

 天乃あまのは、緋澄ひずみが魔力まりょくを放出ほうしゅつするまでの一瞬のうちに、思いつく限りの可能性を検討けんとうし、思案しあんし、最善手さいぜんしゅを模索もさくしていたが、こちらに掌てのひらを向ける緋澄ひずみの表情が視界しかいに入った瞬間しゅんかん、それらをすべて放り投げた。

(――なんで、そっちがそ・ん・な・顔・し・て・ん・だ・よ・!)

 天乃あまのが、緋澄ひずみの表情から読み取れた感情は怒りではなく――憐憫れんびんと悲哀ひあい、そして諦念ていねんだった。
 もっとも、次の瞬間しゅんかんにはその表情は消えさっており、ほとんど感情を読み取れない無表情となっていた。
 そして、直後に緋澄ひずみの掌てのひらから放出ほうしゅつされた魔力まりょくが、天乃あまのの視界しかいを埋うめていく。

(見間違みまちがえ、ってわけじゃないんだよな。ああ、くそっ、もう知ったことかっ!)

 天乃あまのは、左に避さけようとしていた足を踏ふみとどまり、緋澄ひずみのいる方向である正・面・へ・と踏ふみ切る。
 そして、姿勢しせいを低くして緋澄ひずみに向かって疾走しっそうし、魔力まりょく放出ほうしゅつによって生じた風が吹き荒あれれる空気の断層だんそうに向かって自ら突つっ込こんでいく。

(主殿あるじどの!? なんでそうなるんじゃッッ!?)

 天乃あまのの思考しこうを読み取ることができる英莉えりは、その思考しこうを読み取った上で、天乃あまのの行動を理解することができなかった。
 思えば、天乃あまのは以前から割わりと突拍子とっぴょうしもない行動をすることがあったが、記憶喪失きおくそうしつ以後はそのような傾向けいこうが減少していたために、完全に油断ゆだんしていたのだ。
 それは、この場にいた遊上ゆがみも天空てんくうも、そして、緋澄ひずみも同様であった。
 そして、天乃あまののこの予想外の行動が、結果的に功こうを奏そうすことになる。

 天乃あまのは、正面から吹ふき付ける魔力まりょく放出ほうしゅつによって生じた風をもろに浴あびる。
 しかし、緋澄ひずみの魔力まりょくが天乃あまのに絡からみつくという現象げんしょうは生しょうじず、そのまま緋澄ひずみに向かって前進ぜんしんする天乃あまのの足は止まる気配けはいがない。
 これは、天乃あまのが予あらかじめ意図いとしていたことではないが、『操魔法そうまほう』の仕様しようによるものである。
 『操魔法そうまほう』は、魔力まりょくを放出ほうしゅつする前に放出ほうしゅつ後の挙動きょどうを入力しておく必要があり、放出ほうしゅつ後に魔力まりょくの挙動きょどうを変更することができないという性質せいしつがある。
 緋澄ひずみは、天乃あまのが通常では目視もくしできないはずの魔力まりょくの動きを見ることができる特殊な魔眼まがんを持っていることを知っていたことから、直線的に最速で魔力まりょくを放出ほうしゅつすれば、天乃あまのはこれを躱かわそうとして左右のどちらかに逃げると予測した。
 だから、天乃あまのが現在立っている地点まで魔力まりょくを直進させ、その場で魔力まりょくを左右に広げてから魔力まりょくの性質せいしつを変化させることで、天乃あまのを拘束こうそくしようと考え、その通りに実行したのである。
 特に、今回は英莉えりがいるため、天乃あまの自身が攻撃に転てんじなくともよい状況じょうきょうにあったことから、まずは回避かいひに徹てっして時間を稼かせぎ、英莉えりが戦線せんせんに復帰ふっきするのを待まつというのが、天乃あまのの最善手さいぜんしゅであると緋澄ひずみは考えていた。
 だからこそ、天乃あまのが正面から向かってくるなどという可能性は、まったく慮外りょがいのものだったのである。

(――――こいつ、なんでッ!!? まっすぐこっちに!!)

 そして、緋澄ひずみは、驚愕きょうがくによって停止していた思考しこうを再開し、どのように対処たいしょするかを検討けんとうする。
 だが、これによって生じた空白時間は、天乃あまのが緋澄ひずみのもとに辿たどり着くには十分すぎる時間であった。

「うおおぉぉ、りゃあ!」

 天乃あまのはそのままの勢いきおいで緋澄ひずみに向かって体重を乗せたタックルを決行けっこうし、緋澄ひずみを仰向あおむけに押し倒たおしながら、もろともに地面に転ころび込む。
 そして、そのまま素早すばやく緋澄ひずみの両手首りょうてくびをつかんで地面に押し付け、馬乗うまのりの体勢たいせいになる。

「はぁ、はぁ、はぁ」
「..................」

 天乃あまのが乱みだれた呼吸こきゅうを整ととのえていると、下敷したじきにされていた緋澄ひずみが口を開く。

「......天乃あまの、慎しん。あなた――」
「ダメ、お姉ちゃん! ダメだよっ!!」

 緋澄ひずみが何かを言いかけるが、それを遮さえぎるように遊上ゆがみが天乃あまのに駆かけ寄より、天乃あまのに抱だき着つくように密着みっちゃくする。

「あのっ、遊上ゆがみさん!? なんだ、これっ!? その、思いっきり当・た・っ・て・る・んですけどっ!」

 何がとは言わないが、思わず敬語けいごになってしまった天乃あまのに対し、遊上ゆがみがそれに気づいた様子はない。
 ただ、真剣しんけんに緋澄ひずみに語かたり掛かけるのみである。

「ダメだからね、お姉ちゃん。これ以上は、もう――」
「大丈夫よ。わかってる。これは、全面的に私が悪かったわ。っていうか、公衆こうしゅうの面前めんぜんでそういうのは、はしたないからやめなさい。あと、重いから。退どいて」
「「えっ、あ、はい」」

 まるで何事もなかったかのような緋澄ひずみの冷さめた態度に気圧けおされ、天乃あまのと遊上ゆがみは口を揃そろえて返事をしてから、緋澄ひずみの上から立ち上がり、その場をいそいそと退しりぞく。
 緋澄ひずみがむくりと起き上がると、緋澄ひずみの後頭部こうとうぶがあった場所の下から、緋澄ひずみがとっさにクッションにしたであろう蔦つたの束たばが現れる。
 緋澄ひずみがそれに触ふれると、蔦つたは急速に枯かれていき、朽くちて跡形あとかたもなく消え去る。
 そのときの緋澄ひずみの横顔よこがおを眺ながめていた遊上ゆがみは、ふと思ったことが口から出てしまう。

「あ、あの、お姉ちゃん? なんか、あれ? もしかしてだけど、機嫌きげん......いい?」

 これに対し、緋澄ひずみは呆あきれたような表情でため息を吐つき、物わかりが悪い幼おさない子を諭さとすように、自分の妹に向かって滔々とうとうと語かたり掛かける。

「そんなわけないでしょ。気分は最悪よ、最悪。
 天乃慎あまのしん如ごときに力任ちからまかせに荒々あらあらしく組くみ敷しかれた上に、為なす術すべもなく乙女おとめの柔肌やわはだを無遠慮ぶえんりょに撫なで回されたのよ? 私が初心うぶな少女だったら、卒倒そっとうモノだったと思うわ」
「確かに、初心うぶだとか少女だとかは関係なく、下手へたしたら頭打って卒倒そっとうものだったかもしれないから、それは謝あやまるけど! そんな色気いろけが欠片かけらもあるもんじゃなかったからな! その表現には断固だんことして抗議こうぎしたい!」
「あら? 何か事実と違うところでもあった?」
「事実語かたれば何言ってもいいってわけじゃないって話だが?」

「............そう、いう話、じゃあ、なかったんだけどなぁ」

 天乃あまのと緋澄ひずみが言い合う中、遊上ゆがみはこっそりと肩を落としてぼやく。
 その声を耳聡みみざとく聞きつけた緋澄ひずみは、天乃あまのとの言い合いを一方的に打ち切り、遊上ゆがみの耳元に顔を近づけて、その肩に手を置き、こっそりと耳打ちする。

「(私が今・の・段・階・で、天乃慎あまのしんを殺すわけがないでしょ。
 ついイラっとしてカっとなっちゃったから、適度にビビらして憂うさを晴はらしてやろうと思っただけ。ちょっとくらい反撃はんげきされたからって、そんなことはいちいち気にしてないわ。もう頭も冷ひえたから、心配しなくても大丈夫よ)」

 早口はやくちにそれだけ告つげると、緋澄ひずみは再び天乃あまのの方に向き直る。
 その様子は普段の緋澄ひずみと遜色そんしょくないように見えるが、双子ふたごの妹である遊上ゆがみからみると、少し印象が異ことなるようで――

(......やっぱ、お姉ちゃん、ちょっと機嫌きげんいいんじゃん)

 気まぐれな姉を半目で見つめつつ、遊上ゆがみは人知れずため息を吐つく。

「さて、それじゃあ、天乃慎あまのしん。さっきの適任てきにん云々うんぬんの話の続きを聞かせなさい?」
「なんだコイツ、暴君ぼうくんか?」

 緋澄ひずみがここ数分間に何事もなかったかのように天乃あまのに話の続きを促うながし、天乃あまのが若干じゃっかん引き気味に呟つぶやいている横で、英莉えりと天空てんくうは、

「のぉ、ひょっとして、わっちらは、巻き込まれ損ぞんか?」
「どうやら、本日は厄日やくびのようですね」
「互たがいにの」

 と、知らぬ間に災害さいがいが去さっていたことを確認し、顔を見合みあわせて肩を落とすのであった。
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Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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