第44話 夜更け
「へー 〈狂い牙〉の事務所に乗り込んで来たんや? 昨日の夕方?」
「そーそー。まぁ 知った顔だったし」
例によって薬箪笥にもたれて立つ闇エルフに肩を竦めてみせるマリノア。
1日が明けて暮れ 夜の帳が降り 暗い店内にはランプの灯りが揺れる。
踊る火影に合わせて 紅瑠石の白銀色の巻き毛が仄かに煌めく。
「知り合いなん?」
「覚えてない? 昔さ タチ悪い薬 街に流してて 生地獄に落としてやったヤツいたじゃん?」
「あー アレはエグかったなー。アレ以来 この街でクスリ流すヤツ激減したもん。けど アイツ さすがに死んだやろ?」
懐かしい事件の記憶を辿る紅瑠石。
やり過ぎたその男に〈糸杉の魔女〉が加えた凄惨な制裁とその悲惨な末路。
その伝説は いまだにウェスティリア中の闇ギルドに対して 中毒性のある薬品流通への抑止力になっていた。
「アイツじゃなくて アイツの舎弟が 今〈狂い牙〉の大ボスやってんの」
「ふーん。出世しとんねんなー」
「向こうもアタシのこと覚えてたから 話早くて 即金で銀貨1万5801枚と銅貨5枚 払ってくれたわよ」
破壊された商品棚は撤去され いつもよりガランとした〈碧猫屋〉の店内。
「店壊したチンピラ共 蟇蛙に変えたったんやろ? その後 どーしたん? 蛇にでも食わせたん?」
「ハッ そんなことしても 銅貨1枚にもなんないじゃない」
いかにもバカバカしいという顔を作って水碧髪の薬師が鼻を鳴らす。
「蛙のまんまじゃ お金になんないから 向こうの事務所で女になる薬飲ましてさ。慰謝料と掛かった薬品代 合わせて銀貨1000枚持って来たら 男に戻る薬売ってやるって言って帰って来たの」
「丸なったなぁ......。昔 もっとエゲツなかったやん」
「そうだっけ?」
「......そう思うけど。もし 女の身体 気に入りよったら 戻ろうと思いよらへんかも知れんやん?」
「......あ。言われてみりゃ そーかも。チッ......馬かなんかにして 売っ払った方がよかったかしら」
マリノアはカウンターに両肘をついたまま 悔しそうな表情。
「まぁ さっさとお金却ってきたし めでたしめでたしやったやん」
「いやぁ それがさーっ。なんか 紅瑠石 アンタがこないだ連れて来た金髪のドラ猫みたいな娘いたじゃん? あの娘と揉めたギランとか言う幹部のヤツが アタシのこと逆恨みしてさーっ」
「大ボスと手打ちしたんやろ? それやのに 何かあったん?」
闇エルフの暗殺者は 暗紅色の瞳を見開いて 少し驚いた様子。
対する海碧色の瞳は ジト目で呆れ顔。
「びっくりするでしょ? よくそんな堪え性で 幹部になれたわよね」
「で 何があったん?」
「いや 別に 特に 大したことでも無いんだけどさ。昨日の夜遅くに 怒鳴り散らしながら暴れ込んで来たから 蟇蛙にして〈狂い牙〉の事務所にお届け。......以上よ。大ボスの決定に逆らったんだし アイツらが それなりに始末するでしょ」
水碧髪の薬師は カウンターに両肘をついたまま 小さく欠伸をする。
「大ボス決めた手打ちの条件に文句認めたら示しつかへんしなぁ......」
「まぁ 蛙のままじゃ処分もしにくいだろうから女体化の薬1本 ついでに売って来た」
忘れていたという風で カウンター横の棚から帳簿を取り出し売り上げを記録する。
「2回も西のスラムに行かなきゃなんなかったし 大海蛇狩りの疲れは残ってるし 寝不足気味よ。今夜は ちょっと ゆっくりしたいわ」
「けど そのギランってヤツ 昨日の内にポシャってたんやと リアンに頼んだ護衛仕事も 今日はヒマやったやろなー。もうすぐで丸7日やし そろそろ報告に来よる感じかいな」
「そー言やアンタ リアンのこと 弟子にするとか約束してたけど どーすんの?」
「あー あれなー。アイツ 斥候 致命的に向いてへんしな......。剣技の方も だいぶタイプちゃうやん? ウチの剣術 魔法も組み合わせた我流やし 両手持ちの片刃刀が得意武器やし」
子犬のように纏わり付いてくる濃緑髪の騎士見習いを思い出し 軽くタメ息を吐く 白銀髪の暗殺者。
お嬢様育ちの世間知らずということなのかも知れないが 師と仰ぐには あまりに不向きな自分の何処に惹かれたのか?
ヤレヤレという風に小さく首を横に振る 紅瑠石の耳に入る微かな足音。
夜も更け 人通りの少なくなった表の道を〈碧猫屋〉に向けて 駆けてくる軽い足音。
噂をすれば影というヤツだろう。
騒々しくなりそうな予感に もう一度 軽くタメ息を吐く。
閉店時間は過ぎていたが 来客があることを見越し 閂の掛けられていない扉が勢いよく 開かれる。
── カランッ カランッ カランッ... カランッ... カラン...... ──
店の中に飛び込んで来たのは 濃緑髪の騎士見習い。
......ではなく仄暗いランプの光にも豪奢に輝く金色の髪。
「薬師さんっ 薬師さんッ 薬ッ 薬をちょうだいッ このままだとッ このままだとリアンがッ リアンが 死んじゃう......ッ」
.........。
......。
...。