ホーム不条識な狼の理♗01
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♗01

♗00
 憶えているのは、あの匂いだ。
 獣と土と、古いトイレのような匂いと鉄っぽい血の匂い。
 座り込んでからどの位時間が経ったのかも分からない。ただ、ぐるぐるぐーるぐると老人と狼があたしを囲んでずっと歩き回っている。
 お経のような変な歌と、狼の息遣いがずっと聞こえて、土を擦るズサーズサーって足音もずっとずっと。ああもう怖いよ。
 やがて足音が少しずつ減って、鈍く斧が振り落ちる音がドサっドサって何回も聞こえて。喉を潰された瞬間に漏れた狼の鳴き声が混ざって......段々狼の声が人間の声で助けてって聞こえてきて......嫌だよぉもう辞めてよ。
 大人たちはあたしを押さえつけて、見なさいと頭を無理矢理、狼の方へ向ける。
 鈍い音、血飛沫。血があたしにも沢山飛んできて、ぼとりと首を投げ捨てる音、荷物を落とした時の音に似ていた。溢れる血は思った以上に速く土に吸収されて、土と混ざった血の匂いが鼻に付く。きっともう一生この匂いは記憶から消えてくれない。
 怖いよお。もうここには居たくない。早くお母さんの所へ行きたいって、振り払おうとしても大人たち相手に勝てる筈がない。もうちょっとだから我慢しようねって何で?何であたしがここにいないといけないの?
 ちゃんと観なさいって怒鳴られて、嫌だ!ぎゅっと目を瞑る。
 ずっとお経。ずっと血、ずっと狼。


 ふと、お経が止んだ。
 終わった。もう帰れる。きっとこれでもう終わったんだ。
 目を開けようとした瞬間にぼちゃぼちゃっと頭から液体を掛けられた。
 生暖かくて、痒い。鉄の匂い。目を開ける前に血だって分かった。それも狼の血だって直ぐに分かった。
 目を開けると、自分の身体が血まみれで、多分叫んだんだと思う。音とか声とかもう曖昧で、
 次視界に入ったのは、狼の首だった。首だけがあたしに飛び込んで、あたしの顔面に噛みついて――

 ◆

『......さいあく、』
 久々に観た。嫌な夢。幼い時から何度も観てきた嫌な夢。
 物心がついたのが3歳だとして、そう考えると15年はこの夢に悩まされている事になる。とはいっても毎日という訳ではない。毎日ではないけど、それなりに悩まされている。
 ここでド級のスピ発言だが、あたしは視える人だ。それこそ悪夢同様、物心ついた時からだ。幼い頃は生者と死者の区別がつかなかった程。
 死んだ人の魂というかなんていうか幽霊って総称されるやつ。これはかなりはっきりと人の形に視える。
 それと、幽霊ではないけど、人の強い感情とか、執念みたいなものも視える。でもそれって概念に近いものなのか煙のように視えたり、感じるというか、急に湿度が上がったようなベタベタしたものとして認識出来る。つまりは死んだ人の魂はハッキリ視えるけど、そうじゃないモノは曖昧に視える。
 だからこの悪夢が辛い。幽霊や誰かの感情の煙と違って意味も分からず何度も観せられる得体の知れない何かでしかないのだ。


 汗だくの布団から出て、立ち上がり、蛇口から水を汲んで飲んだ。そう、あたしは台所に布団を敷いて寝ている。
 信じられないかもしれないけど、そういう家なんだ。そもそも部屋の数が無い、一番安い保護住宅。隣の部屋は両親が使っている。だから18歳だけど、自分の部屋は無い。たぶんそんな人はクラスであたしだけだ。
 嫌な夢の後にすぐ寝る気にもならなかったので、人気の生放送を小さい音で流す事にした。勿論あたしの使う端末は超旧型の腕時計型です。ここからホロスクリーンを直接映写するタイプ。今やほとんどがイヤーフックで脳波連動型か、網膜に直接埋め込むタイプなのに。
 特に、選ばないで今始まったばかりの放送を流した。暗い洋館の中で紙袋を被ったチビキャラアバターが、蝋燭に火を灯して、何やら怖そうなBGMを流している。多分ホラーチャンネルだ。
 正直言って、心霊スポットで幽霊見ました系の話は全く怖いと思わない。よくある話で後ろを振り向いたら髪の長い女の人がいたとかって、最初からいるのが分かっていたら別に怖くないし。事故現場で血まみれで内臓が出ている人がってのも見慣れると全然怖くない。
 それこそ、物心がついた頃からずっと見ているのだ。実際に生きている人間と区別がつかないくらいに視るのが当たり前だったから、その辺の怖い話は全然怖くない。あれって普通の視えない側だったら整合性の取れない意味の分からない世界だからみんな怖いだけであって、それって言いかえれば整合性が取れれば怖くないわけ。あたしはハッキリ視える側だから全く怖くない。
 あの狼の悪夢の方が、整合性が取れなくて怖いんだ。

 ▼
「呪いはかける事より、解く方が難しいからね。
 その呪いの柱を自らに差すのではなく、まだ生まれる前の受胎すらしていない子孫に差すという残酷な契約だよ。
 息子たちが子供を作らないという選択で、血筋が途絶えた場合?さあ、それは知らないね。まだ旧大和国時代は今と違って子供を作らないって発想もなかったからね。そもそもの話だが、同性婚も更栄時代に入ってからの制度だ。今の時代の人には信じられないだろうけどね。
 あの時代は土地も個人で所有している場合が殆どだったから土地や財産を継ぐ為の後継が必要不可欠な時代だったんだ。
 ごめんね。話が逸れたね。
 その呪い受けて生まれてきた一族は......」
 ▼

 幽霊は全然怖くない。
 ただ、呪いはちょっと怖い。整合性が取れないからだ。
人の感情で視える煙は『あー多分この人から出てるー』って直ぐに想像つくから怖くない。
 誰もいない所で煙だけ残っているのを何回か見た事がある。人生の内で本当に数回しかないけど。
 あの煙だけのやつは実体が分からな過ぎて怖い。幽霊でも生者でもないのにどうして煙だけ残っているのか。余程の恨みでも残っているのか?視えない人は幽霊すら整合性が取れないだろうけど、あたしの中では単体で存在する黒い煙が怖い。整合性が取れな過ぎる。
 ホラーの中に幽霊と呪いが同じジャンルなのであれば、幽霊は全く怖くない。呪いは怖い。その基準でホラーのチャンネルは観るかどうかを決める。

 ▼
「満月の夜になると夜な夜な人間を喰って周る。術者は誰だ、どの人間だと?その人間を喰い殺すまでこの呪いは終わらないと。」
 ▼

 あたしはその放送を切った。呪いは怖い。それが狼の話なら尚更怖い。
 あたしの怖いモノってなんだろう。狼と呪い?
 怖いものは狼と呪いですって変だよね。変だと思う。あたしだって視えない側だったらきっと幽霊は怖いですって言っていたのだと思う。
 そう考えたら恵まれているのかな。万人が怖がる筈の幽霊を全く怖くないと言い張れるわけだから。
 でも怖いモノを、狼の夢か幽霊で選べるのであれば幽霊の方がマシだったのかもしれない。
 意味の分からない狼の夢に悩ませられる人生を選ぶくらいなら、普通の視えない人としてみんなと一緒に幽霊を怖がれる人生の方が良かった。
 余計なものが視える体質な所為で困るぐらいなら視えない方が良かった。

 これはあたしが、代わりの対価を要求されて、呪いで足を踏み外す話。




♗01

 一同起立の号令が掛かり、全校生徒が一斉に立ち上がる。あの物音が響くのに、あたしの耳に付いたのは、背後からの鼻と喉を鳴らすズズズーという音だった。いやそれはあたしだけが聞こえるオバケじゃなくて、多分3組の人は全員聞こえていると思うし、なんならズズズーじゃなくてzzz......って表現すべきだと思う。
 あたしは振り返り斜め背後の座席で爆睡をこいてるヒカミの膝を小突いた。
 すぐにヒカミは目を覚ます。周りは全員起立していて、自分だけが座っている状況に気付き、急いで立ち上がる。しんとしている体育館でヒカミの椅子の音だけが盛大に響いて今にもヒカミのヤバって声が聞こえてきそうな感じだ。
「以上をもちまして、卒業式予行を閉会致します。」
 なんとなくだけど、壇上の教頭がヒカミの事を睨んでいるように見えなくもない。だってコイツ爆睡かましていたのを盛大にアピールした上に、絶対制服で来いって言われていたにも関わらずジャージで登校して来た。
 明日で卒業なんだから、今日明日ぐらいしっかりすれば良いのにこの有様だよ全く。
 案の定、ヒカミは担任に怒られていた。そしてあたしも、頼むから明日は田中に制服を着させて登校させて欲しいって頼まれた。おいおい。

 もろもろ自己紹介が遅れました。
 樫山かしやまさくら。新生区第二高校3年3組。18歳。獅子座。身長165センチ。体重非公表。勉強苦手。体育は得意。というか好き。よくオバケを視る体質。バイトは介護。あだ名サク。
 と言ってもあたしをサクって呼ぶのはヒカミとハクスイだけだ。あまりコミュニケーションが得意じゃないあたしはこの二人しか友達がいない。どうしていないかと言うと、あたし自身の元の性格もあるけど、この超霊感体質なのが大きい。裏表の激しい人達は、変な色の煙が視えるからあまり仲良くなりたくないんだ。煙の所為で小さい頃から当たり前のように人と距離をとって生活していた。そんな中、ヒカミとハクスイとしか話してなかったらいつの間にかにクラスメイト達との距離はそうなっていた。

 サクことあたしは来月から進学というか実質就職が決まっています。名目上では進学なんだけど、超少子高齢国であるこの国、大和国では軍関係と介護関係の専門学校は在学中からお給料が出るのです。貧民樫山家としてはこの制度を利用する他なく、あたしは今のバイト先の介護センターでそのまま訓練生徒扱いの実質就職。
 当たり前のように就職するのは、下流と中流家庭だけであって、上流家庭は大学進学が殆どだ。例えば、あたしの親友の一人目、中流家庭の田中ヒカミに至っては、猿のような身軽さと小柄さを生かして、地元のアミューズメントパーク、カラクリ忍者村の忍者として就職が決まっている。職業忍者ってなんだか凄く面白い響きだけど、彼女を含め周りも結構真剣で、火山流忍者、業火丸って名前でカラクリ忍者村のパンフレットにも写真が載ってるし、新生区の観光担当とかにも何かで表彰されてた。
 そんなキャラだから体力馬鹿かと思いきや、頭も良い。いやあたしが頭悪いだけかもしれないけど、びっくりする程頭の回転が良いから、あたしはヒカミとハクスイの会話のペースについていけない事もしばしば。ヒカミって主人公みたいなキャラなんだよね。背丈も異常に低いもんだからそれも個性として湧き出ているし。
 見た目平均値で頭も良くないそして、超ド級の下流家庭のあたしとは大違いだ。あたしも個性の一つぐらい欲しかった。
 そしてもう一人の親友が上流家庭白水家の一人娘である白水しらみず京香こと通称ハクスイだ。ありえない金持ちでありえない長身でありえない美人というチートキャラなせいで、内面に割振るパラメータはゼロに等しく、とんでもなく性格が悪い(褒めてる)
 新生区の空気感として、上流家庭の人は上流家庭同士でつるんでるのに、普段一緒に過ごすのが、ド級の貧乏一家のあたしと、中流のヒカミなのだ。もうそれだけで物凄い嫌われっぷりなのが目に見えてわかる。しかし、ハクスイ本人はどれほどの悪口を言われようとも涼しい顔だし、何よりこの人の一番の問題は貞操観念がゼロで誰とでも寝る事だ。何人彼氏いるのかも何人彼女いるのかも分からない。
 美人長身お金持ち、部活も古流剣術実戦総合派部の主将で全国レベルの実力という文武両道ハイスペックなのに人として問題があり過ぎて(特に貞操観念)典型的な友達がいないタイプ。でもそんな奴があたしの親友のハクスイである。
 基本的にあたしらは三人でつるんでいる事が多いので、学校ではこの綺麗な身長差で〔階段〕と呼ばれることもしばしば。そうだよね、ヒカミとハクスイの後ろ姿で三十センチぐらい身長差あるもんね。
 さて、何でこの二人の事をこんな風に紹介したかというと、現状あたしの視点から語れるこの話において、今後もこの二人がメインに出てくるからだ。
 ここから先、誰も想像出来なかったとんでもない事が起きる。それをあたし達は一年以上かけて解決した。
 ただ、何度思い返しても簡単に解決するような話じゃなかった。紙一重で上手くいった事になっている。
 沢山傷ついて、それって精神面だけじゃなくて、直接的な怪我って意味でも痛い思いをしたし。目の前で人が死ぬ恐怖。血も狼も嫌という程見た。
 一筋縄じゃいかない話っていうのかな。起きる事も状況も、有り得ない事ばかり。何度も放棄を考えた。それでも、あたし一人じゃなくて、諦めなかった事、諦めた事、気紛れなキッカケ、様々な偶然が因果として絡まって――
 今から話す事は全てもう決められた結末のあたし側の過程って表現すべきだと思う。
 あたしが居ないところでどう話が進んだのかはなるべく伝聞で話を補填するけど、あたしも全部を知っている訳じゃない。もしかしたら親友だからこその隠し事があるかもしれない。

 要はね、ちょっと特殊で複雑過ぎる事情なのよ。だからあたしがこの体験を語るにあたり、ヒカミとハクスイという二人の親友に関しては最低限知って欲しかった。こんな事書いていると、物語のプロローグみたいだね。まるであたしが主役みたいだなあ。でもこれだけは言っておく。あたしは主役じゃない。本当に主役ってキャラはヒカミだよ絶対に。あの低身長で猿みたいなアクロバティックな動きで何となく赤のイメージってほら戦隊モノで真ん中に立ってそうじゃん。
 あたしはとにかく平凡巻き込まれキャラなんだけど、ここまで巻き込まれて最後どうなるかってサブキャラ的なポジションだと思う。多分。モブでは無いと信じたい。現に今回の事件もあたしが巻き込まれたのが全ての元凶だし。
 厳密に言えば生まれる前から巻き込まれていたって言えなくも無い。完全後付け論だけど。
 さて。自己紹介が長くなりました。話を教室に。下校のホームルームが始まる前に戻します。

『ヒカミ明日お願いだから、制服で来てね。あたしまで先生に田中に絶対制服で来させろって言われちゃったよ。』
「わーってるって。流石に制服持ってくるわ。」
『普通に着てくれば良いじゃん。何?その持ってくるって。』
 そんなやり取りをしていると、ハクスイは一瞬クスリと笑い、少し悲しそうな表情を浮かべる。
「どうした、ハクスイ辛気臭せえぞ。」
「そうね。いやなんかね。このやりとりも明日までなんだなあって。」
 長い黒髪を掻き上げながら喋るのはハクスイのいつもの癖だ。
「私は進学だから、今まで通り学校サボったりとかで上手く時間作れるだろうけど、二人はほら就職じゃん。このご時世だから仕方ないとは思うけど、旧大和国時代は大学進学までが当たり前だったし、今みたく十八歳成人指定じゃなくて二十歳で成人扱いだったって話だって聞くしさ。なんかね、大人の責任を負う迄後二年も猶予がある時代ってなんだか羨ましいなあって。」
 そして次の一言はあたしの心に刺さった。
「明日が来なければ良いのに。」
 明日が来なければ、またいつもの三人で馬鹿やって過ごせる幸せな日々。
「おいおい馬鹿言うなよ。年齢的にはもう成人だ。おれは早く社会の一員になりたんだ。明日が来てくれねえと困るぜ。」
 大人に成りたくないというハクスイの発言は、立場的なものあるんだと思う。
 無責任なスーパー浮気性クソゴミ女だけど、あのお金持ちの白水家の一人娘なのだ。財産を継ぐにしろ、父親と同じ道を歩むにしろ、とにかくハクスイの場合大人になってしまった時の一族の責任が重いのだ。
 学生の内はまだ許されるかもしれないけど、仕事に就いたり、社会信用というのが要求される立場になったらきっと窮屈なんだろう。(現時点でも既婚者に手を出したら立場を追われるだろうと思うが、それは最大限に気をつけているらしい......それって相手を選んでいるの意味なのか隠蔽なのかどっちだ?)
 対し、ヒカミはいつだって早く大人になりたいという発言が前から目立っていたような気がする。
『前から思ってたんだけど、ヒカミが大人になりたい理由って何?』
 ヒカミは良くぞ聞いてくれたとなんだか嬉しそうだ。
「卒業したら、カラクリ忍者村でも火遁の術が解禁されんだ!ほらおれ折角の火山流忍者なのに高校生だからって理由でまだ火遁はショーでやらせてもらえないんだよ。練習では完璧なのにさ。安全面と規則云々で。他の忍者たちより絶対上手くいってる自信があるのに。」
 ああ。なんかヒカミらしい。前向きだなあこの人は。
「まあハクスイ、そんな気負うなって。おれらはなんとか都合付けて会えば良いし、どうせ悪い事だけは異常な器用さを発揮する君の事だ。不倫じゃなくて浮気のうちはなんとかなるって。」
 一般論では悪とされる浮気性というハクスイの行動もヒカミからしてみれば個性とジャッジされているのがまあヒカミの器の広さというか変わったところというか。
 あたしもハクスイの浮気性に関して、推奨はしないけど、止めもしない。あたしが迷惑被ってるわけではないからだ。多分ハクスイとは親友だから親友でいれるのであって、恋人だったらマジで無理だと思う。こんなにハイスペックの美人でも、まるで呼吸のように浮気するこのタイプは余程の人間が相手じゃないと多分一生落ち着かないと思う。
 というかこの人、この美貌を生かしてたまにモデルのバイトとかしているから、一応芸能人扱いなのにこんなに落ち着かなくて良いの?これ程のプレイヤーなら週刊誌のネタとしては十分だけど、やはりそこまで有名じゃないというのと、学生だから許されるという暗黙のルールでもあるんだろうか。なんだか心配だ。
 うん。大人になるのは心配だ。
 あたしも明日の卒業式を終えたらもう立派な社会人、大人枠だ。大学生じゃなくて特殊訓練生だから諸々の税金も発生する。うええええええ。でもその分、やっとフルタイムで働ける権利が貰えるわけだから、もう食べ物に困る事もないと思うと安心だ。ヒカミやハクスイと違ってあたしは常にお金ない!食べ物ない!という死線を潜り抜けてきたので、仕事と食べ物があるという未来は期待でしかない。となると、心配より期待の方が大きい。

『なんなら、景気付けに三人でこれからどっか遊びに行く?』
 気の利いた言葉も思いつかないので、あたしはそう提案した。
「おれは、ボンジロウの散歩の時間だけもらえたら行けるぜ。昨日雨で行かなかったせいで、今日朝の時点で散歩連れてけアピールが凄くてさ。」
 多分察することは簡単だろうけど、ボンジロウってのはヒカミが飼っている小型犬の雑種の名前。三人で下校中に川で拾ってきたのがキッカケでヒカミが飼う事になり、大事に育ててる。
「あーごめん。私の為に気を使って提案してくれたんだろうけど、私今日は婆ちゃんに呼ばれてて。その用事が終わりが何時なのか見えないから、今日はパスで。」
「んじゃあ。明日の卒業式の後の謝恩会は三人で抜け出して、三人でどっか行こうぜ。」

 そんな感じで、話は終わり。下校のホームルームが始まった。
 いつもの会話と、そしていつもの下校。
 そして、いつもの明日と朝が来て。卒業式を迎える。
 つもりだった。この時までは。なんだかね、物語の冒頭には思えないなあ今思い出しても。予行練習でヒカミがジャージで来て怒られるのもいつもの日常だし、なんなら明日卒業式なら最終回じゃん。ここ。
 本当に物語の冒頭なら今日が新学期かなんかの日で謎の転校生が来てとかそういう話が良かったのに。現実はありふれた日常の中で突如明日は来なくなるし、突如運命は狂う。

 約三時間後。あたしたちの三人は死ぬほど後悔する。とだけ宣言しておこう。

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不条識な狼の理作者:駿河鵬命
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♗01

♗00
 憶えているのは、あの匂いだ。
 獣と土と、古いトイレのような匂いと鉄っぽい血の匂い。
 座り込んでからどの位時間が経ったのかも分からない。ただ、ぐるぐるぐーるぐると老人と狼があたしを囲んでずっと歩き回っている。
 お経のような変な歌と、狼の息遣いがずっと聞こえて、土を擦るズサーズサーって足音もずっとずっと。ああもう怖いよ。
 やがて足音が少しずつ減って、鈍く斧が振り落ちる音がドサっドサって何回も聞こえて。喉を潰された瞬間に漏れた狼の鳴き声が混ざって......段々狼の声が人間の声で助けてって聞こえてきて......嫌だよぉもう辞めてよ。
 大人たちはあたしを押さえつけて、見なさいと頭を無理矢理、狼の方へ向ける。
 鈍い音、血飛沫。血があたしにも沢山飛んできて、ぼとりと首を投げ捨てる音、荷物を落とした時の音に似ていた。溢れる血は思った以上に速く土に吸収されて、土と混ざった血の匂いが鼻に付く。きっともう一生この匂いは記憶から消えてくれない。
 怖いよお。もうここには居たくない。早くお母さんの所へ行きたいって、振り払おうとしても大人たち相手に勝てる筈がない。もうちょっとだから我慢しようねって何で?何であたしがここにいないといけないの?
 ちゃんと観なさいって怒鳴られて、嫌だ!ぎゅっと目を瞑る。
 ずっとお経。ずっと血、ずっと狼。


 ふと、お経が止んだ。
 終わった。もう帰れる。きっとこれでもう終わったんだ。
 目を開けようとした瞬間にぼちゃぼちゃっと頭から液体を掛けられた。
 生暖かくて、痒い。鉄の匂い。目を開ける前に血だって分かった。それも狼の血だって直ぐに分かった。
 目を開けると、自分の身体が血まみれで、多分叫んだんだと思う。音とか声とかもう曖昧で、
 次視界に入ったのは、狼の首だった。首だけがあたしに飛び込んで、あたしの顔面に噛みついて――

 ◆

『......さいあく、』
 久々に観た。嫌な夢。幼い時から何度も観てきた嫌な夢。
 物心がついたのが3歳だとして、そう考えると15年はこの夢に悩まされている事になる。とはいっても毎日という訳ではない。毎日ではないけど、それなりに悩まされている。
 ここでド級のスピ発言だが、あたしは視える人だ。それこそ悪夢同様、物心ついた時からだ。幼い頃は生者と死者の区別がつかなかった程。
 死んだ人の魂というかなんていうか幽霊って総称されるやつ。これはかなりはっきりと人の形に視える。
 それと、幽霊ではないけど、人の強い感情とか、執念みたいなものも視える。でもそれって概念に近いものなのか煙のように視えたり、感じるというか、急に湿度が上がったようなベタベタしたものとして認識出来る。つまりは死んだ人の魂はハッキリ視えるけど、そうじゃないモノは曖昧に視える。
 だからこの悪夢が辛い。幽霊や誰かの感情の煙と違って意味も分からず何度も観せられる得体の知れない何かでしかないのだ。


 汗だくの布団から出て、立ち上がり、蛇口から水を汲んで飲んだ。そう、あたしは台所に布団を敷いて寝ている。
 信じられないかもしれないけど、そういう家なんだ。そもそも部屋の数が無い、一番安い保護住宅。隣の部屋は両親が使っている。だから18歳だけど、自分の部屋は無い。たぶんそんな人はクラスであたしだけだ。
 嫌な夢の後にすぐ寝る気にもならなかったので、人気の生放送を小さい音で流す事にした。勿論あたしの使う端末は超旧型の腕時計型です。ここからホロスクリーンを直接映写するタイプ。今やほとんどがイヤーフックで脳波連動型か、網膜に直接埋め込むタイプなのに。
 特に、選ばないで今始まったばかりの放送を流した。暗い洋館の中で紙袋を被ったチビキャラアバターが、蝋燭に火を灯して、何やら怖そうなBGMを流している。多分ホラーチャンネルだ。
 正直言って、心霊スポットで幽霊見ました系の話は全く怖いと思わない。よくある話で後ろを振り向いたら髪の長い女の人がいたとかって、最初からいるのが分かっていたら別に怖くないし。事故現場で血まみれで内臓が出ている人がってのも見慣れると全然怖くない。
 それこそ、物心がついた頃からずっと見ているのだ。実際に生きている人間と区別がつかないくらいに視るのが当たり前だったから、その辺の怖い話は全然怖くない。あれって普通の視えない側だったら整合性の取れない意味の分からない世界だからみんな怖いだけであって、それって言いかえれば整合性が取れれば怖くないわけ。あたしはハッキリ視える側だから全く怖くない。
 あの狼の悪夢の方が、整合性が取れなくて怖いんだ。

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「呪いはかける事より、解く方が難しいからね。
 その呪いの柱を自らに差すのではなく、まだ生まれる前の受胎すらしていない子孫に差すという残酷な契約だよ。
 息子たちが子供を作らないという選択で、血筋が途絶えた場合?さあ、それは知らないね。まだ旧大和国時代は今と違って子供を作らないって発想もなかったからね。そもそもの話だが、同性婚も更栄時代に入ってからの制度だ。今の時代の人には信じられないだろうけどね。
 あの時代は土地も個人で所有している場合が殆どだったから土地や財産を継ぐ為の後継が必要不可欠な時代だったんだ。
 ごめんね。話が逸れたね。
 その呪い受けて生まれてきた一族は......」
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 幽霊は全然怖くない。
 ただ、呪いはちょっと怖い。整合性が取れないからだ。
人の感情で視える煙は『あー多分この人から出てるー』って直ぐに想像つくから怖くない。
 誰もいない所で煙だけ残っているのを何回か見た事がある。人生の内で本当に数回しかないけど。
 あの煙だけのやつは実体が分からな過ぎて怖い。幽霊でも生者でもないのにどうして煙だけ残っているのか。余程の恨みでも残っているのか?視えない人は幽霊すら整合性が取れないだろうけど、あたしの中では単体で存在する黒い煙が怖い。整合性が取れな過ぎる。
 ホラーの中に幽霊と呪いが同じジャンルなのであれば、幽霊は全く怖くない。呪いは怖い。その基準でホラーのチャンネルは観るかどうかを決める。

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「満月の夜になると夜な夜な人間を喰って周る。術者は誰だ、どの人間だと?その人間を喰い殺すまでこの呪いは終わらないと。」
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 あたしはその放送を切った。呪いは怖い。それが狼の話なら尚更怖い。
 あたしの怖いモノってなんだろう。狼と呪い?
 怖いものは狼と呪いですって変だよね。変だと思う。あたしだって視えない側だったらきっと幽霊は怖いですって言っていたのだと思う。
 そう考えたら恵まれているのかな。万人が怖がる筈の幽霊を全く怖くないと言い張れるわけだから。
 でも怖いモノを、狼の夢か幽霊で選べるのであれば幽霊の方がマシだったのかもしれない。
 意味の分からない狼の夢に悩ませられる人生を選ぶくらいなら、普通の視えない人としてみんなと一緒に幽霊を怖がれる人生の方が良かった。
 余計なものが視える体質な所為で困るぐらいなら視えない方が良かった。

 これはあたしが、代わりの対価を要求されて、呪いで足を踏み外す話。




♗01

 一同起立の号令が掛かり、全校生徒が一斉に立ち上がる。あの物音が響くのに、あたしの耳に付いたのは、背後からの鼻と喉を鳴らすズズズーという音だった。いやそれはあたしだけが聞こえるオバケじゃなくて、多分3組の人は全員聞こえていると思うし、なんならズズズーじゃなくてzzz......って表現すべきだと思う。
 あたしは振り返り斜め背後の座席で爆睡をこいてるヒカミの膝を小突いた。
 すぐにヒカミは目を覚ます。周りは全員起立していて、自分だけが座っている状況に気付き、急いで立ち上がる。しんとしている体育館でヒカミの椅子の音だけが盛大に響いて今にもヒカミのヤバって声が聞こえてきそうな感じだ。
「以上をもちまして、卒業式予行を閉会致します。」
 なんとなくだけど、壇上の教頭がヒカミの事を睨んでいるように見えなくもない。だってコイツ爆睡かましていたのを盛大にアピールした上に、絶対制服で来いって言われていたにも関わらずジャージで登校して来た。
 明日で卒業なんだから、今日明日ぐらいしっかりすれば良いのにこの有様だよ全く。
 案の定、ヒカミは担任に怒られていた。そしてあたしも、頼むから明日は田中に制服を着させて登校させて欲しいって頼まれた。おいおい。

 もろもろ自己紹介が遅れました。
 樫山かしやまさくら。新生区第二高校3年3組。18歳。獅子座。身長165センチ。体重非公表。勉強苦手。体育は得意。というか好き。よくオバケを視る体質。バイトは介護。あだ名サク。
 と言ってもあたしをサクって呼ぶのはヒカミとハクスイだけだ。あまりコミュニケーションが得意じゃないあたしはこの二人しか友達がいない。どうしていないかと言うと、あたし自身の元の性格もあるけど、この超霊感体質なのが大きい。裏表の激しい人達は、変な色の煙が視えるからあまり仲良くなりたくないんだ。煙の所為で小さい頃から当たり前のように人と距離をとって生活していた。そんな中、ヒカミとハクスイとしか話してなかったらいつの間にかにクラスメイト達との距離はそうなっていた。

 サクことあたしは来月から進学というか実質就職が決まっています。名目上では進学なんだけど、超少子高齢国であるこの国、大和国では軍関係と介護関係の専門学校は在学中からお給料が出るのです。貧民樫山家としてはこの制度を利用する他なく、あたしは今のバイト先の介護センターでそのまま訓練生徒扱いの実質就職。
 当たり前のように就職するのは、下流と中流家庭だけであって、上流家庭は大学進学が殆どだ。例えば、あたしの親友の一人目、中流家庭の田中ヒカミに至っては、猿のような身軽さと小柄さを生かして、地元のアミューズメントパーク、カラクリ忍者村の忍者として就職が決まっている。職業忍者ってなんだか凄く面白い響きだけど、彼女を含め周りも結構真剣で、火山流忍者、業火丸って名前でカラクリ忍者村のパンフレットにも写真が載ってるし、新生区の観光担当とかにも何かで表彰されてた。
 そんなキャラだから体力馬鹿かと思いきや、頭も良い。いやあたしが頭悪いだけかもしれないけど、びっくりする程頭の回転が良いから、あたしはヒカミとハクスイの会話のペースについていけない事もしばしば。ヒカミって主人公みたいなキャラなんだよね。背丈も異常に低いもんだからそれも個性として湧き出ているし。
 見た目平均値で頭も良くないそして、超ド級の下流家庭のあたしとは大違いだ。あたしも個性の一つぐらい欲しかった。
 そしてもう一人の親友が上流家庭白水家の一人娘である白水しらみず京香こと通称ハクスイだ。ありえない金持ちでありえない長身でありえない美人というチートキャラなせいで、内面に割振るパラメータはゼロに等しく、とんでもなく性格が悪い(褒めてる)
 新生区の空気感として、上流家庭の人は上流家庭同士でつるんでるのに、普段一緒に過ごすのが、ド級の貧乏一家のあたしと、中流のヒカミなのだ。もうそれだけで物凄い嫌われっぷりなのが目に見えてわかる。しかし、ハクスイ本人はどれほどの悪口を言われようとも涼しい顔だし、何よりこの人の一番の問題は貞操観念がゼロで誰とでも寝る事だ。何人彼氏いるのかも何人彼女いるのかも分からない。
 美人長身お金持ち、部活も古流剣術実戦総合派部の主将で全国レベルの実力という文武両道ハイスペックなのに人として問題があり過ぎて(特に貞操観念)典型的な友達がいないタイプ。でもそんな奴があたしの親友のハクスイである。
 基本的にあたしらは三人でつるんでいる事が多いので、学校ではこの綺麗な身長差で〔階段〕と呼ばれることもしばしば。そうだよね、ヒカミとハクスイの後ろ姿で三十センチぐらい身長差あるもんね。
 さて、何でこの二人の事をこんな風に紹介したかというと、現状あたしの視点から語れるこの話において、今後もこの二人がメインに出てくるからだ。
 ここから先、誰も想像出来なかったとんでもない事が起きる。それをあたし達は一年以上かけて解決した。
 ただ、何度思い返しても簡単に解決するような話じゃなかった。紙一重で上手くいった事になっている。
 沢山傷ついて、それって精神面だけじゃなくて、直接的な怪我って意味でも痛い思いをしたし。目の前で人が死ぬ恐怖。血も狼も嫌という程見た。
 一筋縄じゃいかない話っていうのかな。起きる事も状況も、有り得ない事ばかり。何度も放棄を考えた。それでも、あたし一人じゃなくて、諦めなかった事、諦めた事、気紛れなキッカケ、様々な偶然が因果として絡まって――
 今から話す事は全てもう決められた結末のあたし側の過程って表現すべきだと思う。
 あたしが居ないところでどう話が進んだのかはなるべく伝聞で話を補填するけど、あたしも全部を知っている訳じゃない。もしかしたら親友だからこその隠し事があるかもしれない。

 要はね、ちょっと特殊で複雑過ぎる事情なのよ。だからあたしがこの体験を語るにあたり、ヒカミとハクスイという二人の親友に関しては最低限知って欲しかった。こんな事書いていると、物語のプロローグみたいだね。まるであたしが主役みたいだなあ。でもこれだけは言っておく。あたしは主役じゃない。本当に主役ってキャラはヒカミだよ絶対に。あの低身長で猿みたいなアクロバティックな動きで何となく赤のイメージってほら戦隊モノで真ん中に立ってそうじゃん。
 あたしはとにかく平凡巻き込まれキャラなんだけど、ここまで巻き込まれて最後どうなるかってサブキャラ的なポジションだと思う。多分。モブでは無いと信じたい。現に今回の事件もあたしが巻き込まれたのが全ての元凶だし。
 厳密に言えば生まれる前から巻き込まれていたって言えなくも無い。完全後付け論だけど。
 さて。自己紹介が長くなりました。話を教室に。下校のホームルームが始まる前に戻します。

『ヒカミ明日お願いだから、制服で来てね。あたしまで先生に田中に絶対制服で来させろって言われちゃったよ。』
「わーってるって。流石に制服持ってくるわ。」
『普通に着てくれば良いじゃん。何?その持ってくるって。』
 そんなやり取りをしていると、ハクスイは一瞬クスリと笑い、少し悲しそうな表情を浮かべる。
「どうした、ハクスイ辛気臭せえぞ。」
「そうね。いやなんかね。このやりとりも明日までなんだなあって。」
 長い黒髪を掻き上げながら喋るのはハクスイのいつもの癖だ。
「私は進学だから、今まで通り学校サボったりとかで上手く時間作れるだろうけど、二人はほら就職じゃん。このご時世だから仕方ないとは思うけど、旧大和国時代は大学進学までが当たり前だったし、今みたく十八歳成人指定じゃなくて二十歳で成人扱いだったって話だって聞くしさ。なんかね、大人の責任を負う迄後二年も猶予がある時代ってなんだか羨ましいなあって。」
 そして次の一言はあたしの心に刺さった。
「明日が来なければ良いのに。」
 明日が来なければ、またいつもの三人で馬鹿やって過ごせる幸せな日々。
「おいおい馬鹿言うなよ。年齢的にはもう成人だ。おれは早く社会の一員になりたんだ。明日が来てくれねえと困るぜ。」
 大人に成りたくないというハクスイの発言は、立場的なものあるんだと思う。
 無責任なスーパー浮気性クソゴミ女だけど、あのお金持ちの白水家の一人娘なのだ。財産を継ぐにしろ、父親と同じ道を歩むにしろ、とにかくハクスイの場合大人になってしまった時の一族の責任が重いのだ。
 学生の内はまだ許されるかもしれないけど、仕事に就いたり、社会信用というのが要求される立場になったらきっと窮屈なんだろう。(現時点でも既婚者に手を出したら立場を追われるだろうと思うが、それは最大限に気をつけているらしい......それって相手を選んでいるの意味なのか隠蔽なのかどっちだ?)
 対し、ヒカミはいつだって早く大人になりたいという発言が前から目立っていたような気がする。
『前から思ってたんだけど、ヒカミが大人になりたい理由って何?』
 ヒカミは良くぞ聞いてくれたとなんだか嬉しそうだ。
「卒業したら、カラクリ忍者村でも火遁の術が解禁されんだ!ほらおれ折角の火山流忍者なのに高校生だからって理由でまだ火遁はショーでやらせてもらえないんだよ。練習では完璧なのにさ。安全面と規則云々で。他の忍者たちより絶対上手くいってる自信があるのに。」
 ああ。なんかヒカミらしい。前向きだなあこの人は。
「まあハクスイ、そんな気負うなって。おれらはなんとか都合付けて会えば良いし、どうせ悪い事だけは異常な器用さを発揮する君の事だ。不倫じゃなくて浮気のうちはなんとかなるって。」
 一般論では悪とされる浮気性というハクスイの行動もヒカミからしてみれば個性とジャッジされているのがまあヒカミの器の広さというか変わったところというか。
 あたしもハクスイの浮気性に関して、推奨はしないけど、止めもしない。あたしが迷惑被ってるわけではないからだ。多分ハクスイとは親友だから親友でいれるのであって、恋人だったらマジで無理だと思う。こんなにハイスペックの美人でも、まるで呼吸のように浮気するこのタイプは余程の人間が相手じゃないと多分一生落ち着かないと思う。
 というかこの人、この美貌を生かしてたまにモデルのバイトとかしているから、一応芸能人扱いなのにこんなに落ち着かなくて良いの?これ程のプレイヤーなら週刊誌のネタとしては十分だけど、やはりそこまで有名じゃないというのと、学生だから許されるという暗黙のルールでもあるんだろうか。なんだか心配だ。
 うん。大人になるのは心配だ。
 あたしも明日の卒業式を終えたらもう立派な社会人、大人枠だ。大学生じゃなくて特殊訓練生だから諸々の税金も発生する。うええええええ。でもその分、やっとフルタイムで働ける権利が貰えるわけだから、もう食べ物に困る事もないと思うと安心だ。ヒカミやハクスイと違ってあたしは常にお金ない!食べ物ない!という死線を潜り抜けてきたので、仕事と食べ物があるという未来は期待でしかない。となると、心配より期待の方が大きい。

『なんなら、景気付けに三人でこれからどっか遊びに行く?』
 気の利いた言葉も思いつかないので、あたしはそう提案した。
「おれは、ボンジロウの散歩の時間だけもらえたら行けるぜ。昨日雨で行かなかったせいで、今日朝の時点で散歩連れてけアピールが凄くてさ。」
 多分察することは簡単だろうけど、ボンジロウってのはヒカミが飼っている小型犬の雑種の名前。三人で下校中に川で拾ってきたのがキッカケでヒカミが飼う事になり、大事に育ててる。
「あーごめん。私の為に気を使って提案してくれたんだろうけど、私今日は婆ちゃんに呼ばれてて。その用事が終わりが何時なのか見えないから、今日はパスで。」
「んじゃあ。明日の卒業式の後の謝恩会は三人で抜け出して、三人でどっか行こうぜ。」

 そんな感じで、話は終わり。下校のホームルームが始まった。
 いつもの会話と、そしていつもの下校。
 そして、いつもの明日と朝が来て。卒業式を迎える。
 つもりだった。この時までは。なんだかね、物語の冒頭には思えないなあ今思い出しても。予行練習でヒカミがジャージで来て怒られるのもいつもの日常だし、なんなら明日卒業式なら最終回じゃん。ここ。
 本当に物語の冒頭なら今日が新学期かなんかの日で謎の転校生が来てとかそういう話が良かったのに。現実はありふれた日常の中で突如明日は来なくなるし、突如運命は狂う。

 約三時間後。あたしたちの三人は死ぬほど後悔する。とだけ宣言しておこう。

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♗02
不条識な狼の理作者:駿河鵬命
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