第1話 無秩序な世界
満月の夜、少年はとある屋敷を出た。月はすでに頂上までのぼりきっており、徐々に下へと傾きだしている。それでも月明かりに照らされて、進行方向の道はほのかに明るい。明かりも持たずに月明かりを頼りに歩き慣れた道を通り、近くの路地裏へと回る。
その時、癖で左の腰に手を添える。しかしすぐにあるはずのものは自分から置いてきたことを思い出す。どこか寂しい気持ちを感じながらも、少年は手を腰から離して歩き出す。
「出て行くの?」
ここに来るまで少年は誰の気配もないことを確認していた。しかし、背後から聞き慣れた声が投げられ、踏み出そうとした足が止まる。右足を真下におろして、少年は振り返った。
「紫苑......」
「こそこそしてるのが気になって、ついね。それにボクは夜型だからこの時間は活動時間真っ盛り!」
笑顔で聞いてもいない事情を紫苑は話す。顔馴染み、いやさっきまでは確かに仲間だった少年を警戒する。
自分は紫苑と同じ組織に属していた。しかし、自分の決断のため、無断で抜け出すことを決めた。相棒を後ろ髪が引かれる思いで置いてきた。きっと裏切り者と粛清を受けても仕方がないとわかっていた。
それでも逃亡しようとした瞬間に見つかるとは思わなかった。何日も下調べと全員の動きを探っていた。それなのになんで今日に限ってと、少年は存在ごと信じていない神を呪った。
「黙ってどうした? 別にボクはキミを止めに来たわけでも、裁くつもりもないよ」
いつも通りどころか、いつも以上に冷静に話す紫苑に恐怖を覚えた。紫苑はいつも騒がしい連中の中心にいた。脳筋だとは思わないが、知性のある人間だとは思っていなかった。
二重人格か? と疑いたくなるほど少年の知っている紫苑とは雰囲気が違ったのだ。
どう答えたものか考えていると痺れを切らしたのか後ろを気にしながら紫苑が口を開いた。
「まあ、いいや。ボクも訳ありだからね。キミはいつか出て行く気もしてたから。元気でね?」
「見逃してくれるのか......?」
「見逃すというか、別れの挨拶をしにきただけだよ。新たな門出をボクは祝うよ。他の人達は知らないけど」
少年の困惑も気にせずに紫苑はそう伝えると、「そうだった」と呟き、持っていた鞄を探る。
そして一つの袋を少年に差し出してきた。
「これ、役に立つと思うから餞別として受け取って」
「おい......」
押し付けられるように、渡された袋はずしりと重い。不審に思い中身を確認し、思わず叫びそうになった。
中には拳銃と、最近発明されたと噂で聞いたことのある折りたたみ式の刀が入っていた。なんでこんなものを持っているんだ? 屋敷を出るまでは仲間だと思っていた紫苑が急に末恐ろしい存在に思える。
「あっ、ボクは裏切る気はないからね? 拾ってもらった恩がある。それに、もうあそこ以外にボクの居場所はない」
「......」
紫苑の言葉に何も言えない。その言葉が本心だと見慣れない真剣な表情から伝わってきた。餞別は物だけじゃなく、言葉も込みだったのかもしれないと少年は思った。
初めて紫苑の本心に触れたのが、もう会うこともないであろう別れだということが、なんだか彼らしいと少し笑えてきた。
気付くと口から乾いた笑いが溢れる。
「どうせ、名前も捨てるんだろ? キミの相棒さえ、置いて行くんだから。まあ、あれはボクが大切に預かっておくよ」
「ありがとう。でも、俺はあいつも捨てたんだ」
「今はね。未来はわからない。もしかしたら、またあいつを持つ未来もあるかもしれないよ?」
紫苑の言葉に少しだけ少年の心に希望が生まれた。しかし、すぐに打ち払う。そんな生半可な覚悟であいつを手放したわけではない。
そんな心をまるで読んだかのように紫苑は笑う。
「いつか必要になる時があるかもしれない。その時にどこにあるかわかってるだけでも心の支えになる。まっ、覚えといて。あと組織にはボクが適当に言いくるめておくから安心して」
「なんで、お前がそこまでするんだ?」
「さっきも言っただろ? ボクはキミを気に入ってるんだ。キミの辿り着く未来に興味がある。結局はボクのためさ」
紫苑のその答えに、言葉が詰まる。でもそれこそが少年の知っている愉快犯気質のある紫苑だった。
張り詰めていた息を吐く。これ以上ここにいたら、他の誰かにも見つかるかもしれない。少年はその場を離れることにした。
「とりあえず、感謝はしとくよ。俺はもう行くから」
「うん、またな」
「もう会うことはないことを祈りたいな」
別れの言葉を言う気には少年はならなかった。だから本心を伝える。紫苑がつれないなと笑う。
それを無視して、紫苑に背中を向ける。もはや背後から襲われる心配はないと会話で分かった。
そして、そのまま少年は過去から決別するために歩き出した。決して背後を振り返らないと決意をし、紫苑の視線は感じたがそのまま無視をした。
これからの少年の未来を月明かりだけが照らしていた。
無秩序――。
この世界を表すのにそれ以上にしっくりくる言葉は見つからない。それぐらい治安は荒れ果てていた。
法律はすでにその役割を果たす効力を失い、政府も機能していない。その状態が生まれて数十年もの月日が過ぎていた。
以前は禁止されていた銃や刀も、今では店頭で普通に売られており、誰でも気軽に購入できた。それだけ身近な物となっている。
"正義"という言葉は"強者"のことを指し、それは決して"弱者の味方"ではない。弱者は怯え、強者は傲慢な正義を振り翳す。
それが当たり前の世界。
既にこの仕組みに恐怖する人間は居ても、疑問に思う人間はほとんどいない。この世界はそれが当たり前だと諦めていた。夢も希望も、生き残るためには不必要と切り捨てられるそんな世で、希望を抱えて生きることは出来るのだろうか。
ただ、時間だけが人々に平等に振り分けられていた。
そして、ある満月の日に青年は1人の少年と出会う。
その出会いがもたらすものは――。