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Echo 07 『 虹の架け橋 』


 ここはどこだ......?これは夢なのだろうか。

 まるで意識の糸が一度千切ちぎれ、別の世界の織機しょっきに掛かけ直されたような感覚だ。

 俺は、どこまでも丁寧ていねいに作り込まれた庭園のような場所にいた。踏ふみしめるレンガの小道は、硬かたく冷つめたい質感しつかんを足裏あしうらに返してくるが、周囲に漂ただよう湿しめり気けを帯おびた花の芳香ぼうこうは、脳のうを直接痺しびれさせるほどに甘く濃こい。

 その迷宮めいきゅうのような緑みどりの奥に、一人の少女が立っていた。
「あら、やっと来たのね異邦人いほうじん。私の姉が待ちくたびれてるわよ」

「君は......?」

「そんなこと気にしなくていいの。君は彼女を助けないといけないんだから」

 そうだ。俺はハッとした。喉のどの奥にこびりついた鉄錆てつさびの味と、綾華あやかが庇かばった時の衝撃しょうげきが、神経を焼くような痛いたみと共に蘇よみがえる。
「綾華あやかはどこだ?!」

「そんなに慌あわてないの。さっさとついて来なさい。話しながら行きましょ」
 彼女は俺の動揺どうようを置おき去ざりにして、軽かろやかに、風を抱くように奥へ進んだ。

「なぁ、一体ここはどこなんだ」

「あぁ、まぁ私の意識の中って感じ? 固有結界こゆうけっかいと言ったところかしら」

「君は味方なのか?」

「あら、今の君は記憶喪失きおくそうしつってことになってるんだ」

「......以前の俺を知っているかのような口ぶりだな」

「そりゃそうよ。だってこれから会う姉さんは、あなたにとってお母さんみたいな存在なんだから」

「血の繋つながりがあるって意味か?」

「比喩ひゆよ比喩ひゆ。あんたの力が授さずけられたのは姉さんのおかげ。一つ良いことを教えてあげる」
 彼女は一旦立ち止まり、くるりとこちらに身体を向けた。彼女の瞳ひとみが、至近距離しきんきょりで射抜いぬくような光を放はなつ。

「あなたが昔この世界を統すべていた時は、姉さんは女神様なんて言われていたわ。」
「それだけ私の姉は凄すごい人なんだから、時間を無駄むだに使わないでよね」

「よく分からないんだが、この世界はどうなっているんだ」

 彼女が背せを向けて歩き出した。その小さな背中が、一瞬だけ夕闇ゆうやみに溶とけるような、震ふるえるほどの寂寥感せきばくかんを湛たたえた気がした。

「......あんたの世界はアノマリーによって、現実の生と黄泉よみの死が混まざり合った世界なのよ」
 真剣しんけんな面持おももち。彼女の言葉が、冷つめたい水となって俺の背筋せすじを伝つたい落ちる。

「人間が作り出した妄想もうそうが次々と湧わき出て、そりゃ阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図じごくえずだったわ」
「そこで八咫烏やたがらす財団ざいだんやエリュシオン財閥ざいばつと協力してこの世界を繋つなぎ止めることに成功したの」
「でも次に訪おとずれたのは主導権しゅどうけんの争あらそいい。みんな、あんたを狙っているわ」

 眩暈めまいがした。自分の存在が、巨大な重力を持ったブラックホールに変わったような圧迫感あっぱくかん。
「俺の能力が、そんなに災害級さいがいきゅうだってことか?」

「使い道を間違まちがえればね。だからだからこそ、そんなあなたを世界は見逃みのがすはずがない」

「いったい何のために......」

 彼女は、蔦つたが絡からまり色とりどりの花とオリーブで飾かざられたガーデニングドアの前で立ち止まった。
「世界は終末ラグナロクに向かっているの。SCP-001......太陽がこの世を灼熱しゃくねつの地獄じごくに変えてしまう。その『 運命のオートマタはぐるま 』を書き換かえるには、『 時の振り子 』から主導権しゅどうけんを奪還だっかんする必要がある」

 一言一言が、石塊となって俺の胃の腑に溜まっていく。

「でも、あなたならきっと大丈夫。さぁ行きましょ」
 彼女が扉とびらを開あけると、まばゆい光の奔流ほんりゅうが網膜もうまくを焼き、俺の身体を異次元いじげんへと吸すい寄よせた。

「ここからは姉の世界よ。足元を見て震ふるえないでよね」
 そこは、虹色の橋が雲の海を貫つらぬく、物理法則を無視した極彩色ごくさいしきの領域りょういきだった。虹の橋はガラスのように滑なめらかで、足を踏ふみ出すたびに足裏あしうらから澄すんだ振動しんどうが伝つたわってくる。

「姉さんのところはもう少し先よ。」
 彼女は軽かろやかに虹の橋を歩いて行った。

「そういえばなんだが」

「変な質問はしないでよね。全部姉に聞こえてるんだから」

「君たちをどう呼べばいい?」

 彼女は一拍いっぱく置いて答えた。
「私は岩倉いわくら 光来みく。姉さんは灯里あかりよ。呼び捨てでいいわ」

「......光来みく。この世界のことを、どう思っている?」

 俺は綾香あやかの言っていた残酷ざんこくな現実という言葉に引っかかっていた。確かに今まで見てきた風景はまるで夢のようだと思っていた。甘奈あまなも、まるで最初から俺のことを知っていたかのように。

 彼女は少しだけ考えて答えた。
「嘘うその虚構きょこうがずっと存在してる。でもだからこそ、見みえ透すいた嘘うそはすぐにばれる」

 光来みくの表情は、喜びと怒りが混まざり合い、熱と冷気が同時に顔を出すような、複雑な色を帯おびていた。
「つまらない人間が減ったという意味では過ごしやすいのかもね」

「じゃあなんで君たちは直接俺の前に姿を現さなかったんだ」

「SCPっていうアノマリー異象が出た当初はね、ずっと犠牲者ぎせいしゃが出ていたの...あの辻ノつじの姉妹も同じ」

「先輩せんぱいたちが?」

「そう、彼女たちはアノマリー異象に両親を目の前で56されたの」
 俺はその言葉に固唾かたずを飲んだ。

「この場所はとても安全なの。暴漢ぼうかんに襲おそわれる心配も無ければ、ならず者に侵入しんにゅうされることだってないし」
「彼女たちに能力が発現はつげんしたのはそのあと。記憶力が良すぎてしまったから、きっとあの当時のこと...あなたも含めて覚えているんでしょうね」

 俺はそれを聞き、心臓しんぞうを氷こおりの指で撫なでられたような寒気さむけを覚えた。
「い、いやだとしても俺はただの高校生だぞ」

「あなただけが若返わかがえりしたとでも言うべきかしら...姉さんがあなたを助けたのよ。感謝してもしきれないくらいにね」
「あなたにもう一度生きる権利を与えてくれた、そのことをしっかり噛かみしめて、姉さんに失礼の無いようにね」
 彼女の笑えみはどこか慈いつくしむような顔で俺を見つめながらそう言った。

(命の恩人というわけか...)

 俺は空高く太陽の輝かがやくところにある雲の上に辿たどり着こうとしてた。

「さぁ、ここが姉さんのところよ。失礼の無いように頑張りなさいよ」
 光来みくは小さな雲を捕つかまえ、それに乗って下層かそうへと消えた。俺は肺はいの奥まで空気を吸すい込こみ、一人、最上層さいじょうそうへと足を踏み入れた。



 ―――



 昼が夜に反転し、太陽の輝かがやきがランプの淡あわい灯火ともしびへと変わる。どこか懐なつかしい、虫の音と光が漂ただよう静しずけさが心地ここちよい穏おだやかな静寂せいじゃくが肌はだを包つつみ込こむ。

「あら、お客様?」
 奥から聞こえるのは、銀の鈴すずを転がすような、鼓膜こまくを優やさしく愛撫あいぶする可憐かれんな声。

「こちらにいらしても構かまいませんわよ」

 辿たどり着いた先には、揺ゆらめく光に彩いろどられたお茶会のような光景があった。

「あら、お久しぶりね。今は...由記ゆうきくんって呼べばいいかしら」
 椅子に座る彼女――灯里あかりの潤うるんだ唇くちびると、吸すい込こまれそうな深い瞳ひとみが俺を射抜いぬく。

「今の君からしたら、はじめましてかな。私が灯里あかりと言います。お会いできて嬉しいわ」
 彼女は再会できた親友を迎むかえるかのように笑えみが溢あふれ、座るように促うながした。

 差し出されたカップ。熱い陶器とうきの感触かんしょくが指に伝つたわり、フルーティな香かおりが鼻の奥まで華はなやかに広がる。
「この紅茶、とても好きなの」

「フルーティな味わいですね...」

 彼女の立ち振る舞いすべてが、熟じゅくした果実のような、芳醇ほうじゅんな大人の香気こうきを放はなっていた。
「...少しばかり昔話に付き合ってくれるかしら...あぁ外のことは心配しなくていいんですよ。ここは別の時間軸だから大した影響はありませんわよ」

 彼女は一拍いっぱく置いて懐なつかしむような顔で話し始めた。

「...まだあの頃は、混乱と闘争の世界だった。私も含め、みなが散り散りになって物資の奪うばい合いで互たがいに傷きずつけ合い、心も風紀も乱れた世の中でした」
「そんな中、まるで運命が手繰たぐり寄よせたかのようにあなたに出会いました。あなたの言葉に耳を傾け、あなたのその姿に私は一生を捧ささげようと誓ちかいました」
「私はあなたに力を授さずけ、次々と困難を打うち砕くだき、いつしかあなたは民衆から『正義Justiceの執行者Served』と称たたえられるようになりました」
「しかし権力者たちは黙だまっているはずもなく、あなたの力を根こそぎ奪うばおうとしたのです。名目上はアノマリー異象の超常能力で民衆みんしゅうを惑まどわしたテロリストとして」
「そこであなたは、その力が途絶とだえてしまわないように、その力を扱あつかえる人間22人へ継承けいしょうされました」
「あなたは、その奪うばわれた力によって、記憶も身分も存在でさえも消され、深海しんかいの海底に沈められました」
「私はあなたの妻でもあり、母なる女神です。あなたに救われた恩返しとして、私はあなたを水底みなそこの淵ふちからあなたを探し出しました」

 もし彼女の話が本当であれば、俺が記憶喪失きおくそうしつなのも説明が出来る。

「しかしではなぜ、何もかも失った俺を狙ねらうやつらがいるんだ?」

「それは私が説明するより、見た方が早いでしょう」
 彼女はランプを手に取り、空中にふわりと持ち上げたかと思うとゆっくり上昇し、淡あわい月の光から太陽に変わった。彼女が両手で雲をかき分けるように合図すると、ひとりでに雲は開ひらけた。

「あれを見て」彼女が指を指した方向を見てみるとそこには

 赤く染まるおぞましい数の目玉が飛び交かい、樹木のような形をした超弩級ちょうどきゅう衛星えいせいが空を横切るように佇たたずんでいた。あまりの異様いようさに、内臓ないぞうがせり上がるような不気味ぶきみな圧迫感あっぱくかんで呼吸が止まりそうになる。

「あの名前はSCP-6002、通称つうしょう『ユグドラシル』。あなたたちが『精霊せいれい』と呼んでいるデバイスはあの『ユグドラシル』によって管理、監視かんしされているのですよ」
「あなたはこの世界にとって『異分子いぶんし』なのです。私とあなたによって顕現けんげんした『奇跡きせき』は、彼らの監視かんし社会にとって不都合な存在として見られています」

「つまり俺たちはどこにいても狙われる身だというのか?」

「確かにそうとも言えます。この中は外からも検知けんちできないので基本的に大丈夫ですけれど」
 彼女はカーテンを閉めるように雲で空を隠し、太陽を手に取ってランプに取り付けた。

「そろそろ寝ましょう。あなたも身体を休めないと」

「えっと...それってつまり?」

「えぇ、私と一緒に寝るんですよ。それがどうかしたんですか?」

 こんな絶世ぜっせいの美女と寝るだなんて...恥ずかしすぎる。
 いやね?一応元夫?と言えばそりゃ当たり前なのかもしれないけどさ
 だとしても節操せっそうってものがあってだな!!!

 そうこう焦あせって戸惑とまどっていると、彼女は俺を不思議ふしぎそうに見つめ、下に目線が映うつると驚おどろきと興奮こうふんを隠していなかった。

「あら、あんなに戦闘でボロボロでしたのに、お元気ですこと」
「いいんですよ、ここは夢の中だと思って、私に身を委ゆだねて...」

 俺は定められた運命を呪うかのように、沈みゆく胸の中で灯里あかりに問いかけた。
「俺は思うんだ。こんなことに巻き込こまれるくらいなら、どうしてあの時、俺を放っておいてくれなかったのかって」

 灯里あかりは困惑こんわくと悲しみの顔に満ちた表情で、しかしそれでも彼女は彼に伝えなければならなかった。
「状況じょうきょうは厳きびしいかもしれません。しかしあなたは私たちの希望でもあり、救い主なのですから」

 そう言うと彼女はこわばっている俺の身体からだを両手で優しく包み、その豊満ほうまんで柔やわらかな胸元に顔を抱だき寄よせた。
「あなたは決して一人なんかじゃありません。辛つらい時には私を思い出してください。どんな時でも私はあなたの味方ですから」

 石鹸せっけんのような柔やわらかな匂においに包つつまれて、シルクのような肌触はだざわりの身体からだに顔を埋うずめた。どこにもぶつけられなかった悲しみとともに、あの冷たい海底の記憶をかき消すように、何度も、何度でも身体からだを重かさねた。

 彼女が操あやつる雲は、まるで温かい風呂に沈んでいくような柔やわらかさで、全身の毛穴が弛緩しかんしていく。俺の意識は、彼女の甘い残のこり香がと共に、深い眠りへと沈下ちんかした。
「どうかあなたの行く道が、明るい至福しふくに導みちびかれますように...」挿絵
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 ここはどこだ......?これは夢なのだろうか。

 まるで意識の糸が一度千切ちぎれ、別の世界の織機しょっきに掛かけ直されたような感覚だ。

 俺は、どこまでも丁寧ていねいに作り込まれた庭園のような場所にいた。踏ふみしめるレンガの小道は、硬かたく冷つめたい質感しつかんを足裏あしうらに返してくるが、周囲に漂ただよう湿しめり気けを帯おびた花の芳香ぼうこうは、脳のうを直接痺しびれさせるほどに甘く濃こい。

 その迷宮めいきゅうのような緑みどりの奥に、一人の少女が立っていた。
「あら、やっと来たのね異邦人いほうじん。私の姉が待ちくたびれてるわよ」

「君は......?」

「そんなこと気にしなくていいの。君は彼女を助けないといけないんだから」

 そうだ。俺はハッとした。喉のどの奥にこびりついた鉄錆てつさびの味と、綾華あやかが庇かばった時の衝撃しょうげきが、神経を焼くような痛いたみと共に蘇よみがえる。
「綾華あやかはどこだ?!」

「そんなに慌あわてないの。さっさとついて来なさい。話しながら行きましょ」
 彼女は俺の動揺どうようを置おき去ざりにして、軽かろやかに、風を抱くように奥へ進んだ。

「なぁ、一体ここはどこなんだ」

「あぁ、まぁ私の意識の中って感じ? 固有結界こゆうけっかいと言ったところかしら」

「君は味方なのか?」

「あら、今の君は記憶喪失きおくそうしつってことになってるんだ」

「......以前の俺を知っているかのような口ぶりだな」

「そりゃそうよ。だってこれから会う姉さんは、あなたにとってお母さんみたいな存在なんだから」

「血の繋つながりがあるって意味か?」

「比喩ひゆよ比喩ひゆ。あんたの力が授さずけられたのは姉さんのおかげ。一つ良いことを教えてあげる」
 彼女は一旦立ち止まり、くるりとこちらに身体を向けた。彼女の瞳ひとみが、至近距離しきんきょりで射抜いぬくような光を放はなつ。

「あなたが昔この世界を統すべていた時は、姉さんは女神様なんて言われていたわ。」
「それだけ私の姉は凄すごい人なんだから、時間を無駄むだに使わないでよね」

「よく分からないんだが、この世界はどうなっているんだ」

 彼女が背せを向けて歩き出した。その小さな背中が、一瞬だけ夕闇ゆうやみに溶とけるような、震ふるえるほどの寂寥感せきばくかんを湛たたえた気がした。

「......あんたの世界はアノマリーによって、現実の生と黄泉よみの死が混まざり合った世界なのよ」
 真剣しんけんな面持おももち。彼女の言葉が、冷つめたい水となって俺の背筋せすじを伝つたい落ちる。

「人間が作り出した妄想もうそうが次々と湧わき出て、そりゃ阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図じごくえずだったわ」
「そこで八咫烏やたがらす財団ざいだんやエリュシオン財閥ざいばつと協力してこの世界を繋つなぎ止めることに成功したの」
「でも次に訪おとずれたのは主導権しゅどうけんの争あらそいい。みんな、あんたを狙っているわ」

 眩暈めまいがした。自分の存在が、巨大な重力を持ったブラックホールに変わったような圧迫感あっぱくかん。
「俺の能力が、そんなに災害級さいがいきゅうだってことか?」

「使い道を間違まちがえればね。だからだからこそ、そんなあなたを世界は見逃みのがすはずがない」

「いったい何のために......」

 彼女は、蔦つたが絡からまり色とりどりの花とオリーブで飾かざられたガーデニングドアの前で立ち止まった。
「世界は終末ラグナロクに向かっているの。SCP-001......太陽がこの世を灼熱しゃくねつの地獄じごくに変えてしまう。その『 運命のオートマタはぐるま 』を書き換かえるには、『 時の振り子 』から主導権しゅどうけんを奪還だっかんする必要がある」

 一言一言が、石塊となって俺の胃の腑に溜まっていく。

「でも、あなたならきっと大丈夫。さぁ行きましょ」
 彼女が扉とびらを開あけると、まばゆい光の奔流ほんりゅうが網膜もうまくを焼き、俺の身体を異次元いじげんへと吸すい寄よせた。

「ここからは姉の世界よ。足元を見て震ふるえないでよね」
 そこは、虹色の橋が雲の海を貫つらぬく、物理法則を無視した極彩色ごくさいしきの領域りょういきだった。虹の橋はガラスのように滑なめらかで、足を踏ふみ出すたびに足裏あしうらから澄すんだ振動しんどうが伝つたわってくる。

「姉さんのところはもう少し先よ。」
 彼女は軽かろやかに虹の橋を歩いて行った。

「そういえばなんだが」

「変な質問はしないでよね。全部姉に聞こえてるんだから」

「君たちをどう呼べばいい?」

 彼女は一拍いっぱく置いて答えた。
「私は岩倉いわくら 光来みく。姉さんは灯里あかりよ。呼び捨てでいいわ」

「......光来みく。この世界のことを、どう思っている?」

 俺は綾香あやかの言っていた残酷ざんこくな現実という言葉に引っかかっていた。確かに今まで見てきた風景はまるで夢のようだと思っていた。甘奈あまなも、まるで最初から俺のことを知っていたかのように。

 彼女は少しだけ考えて答えた。
「嘘うその虚構きょこうがずっと存在してる。でもだからこそ、見みえ透すいた嘘うそはすぐにばれる」

 光来みくの表情は、喜びと怒りが混まざり合い、熱と冷気が同時に顔を出すような、複雑な色を帯おびていた。
「つまらない人間が減ったという意味では過ごしやすいのかもね」

「じゃあなんで君たちは直接俺の前に姿を現さなかったんだ」

「SCPっていうアノマリー異象が出た当初はね、ずっと犠牲者ぎせいしゃが出ていたの...あの辻ノつじの姉妹も同じ」

「先輩せんぱいたちが?」

「そう、彼女たちはアノマリー異象に両親を目の前で56されたの」
 俺はその言葉に固唾かたずを飲んだ。

「この場所はとても安全なの。暴漢ぼうかんに襲おそわれる心配も無ければ、ならず者に侵入しんにゅうされることだってないし」
「彼女たちに能力が発現はつげんしたのはそのあと。記憶力が良すぎてしまったから、きっとあの当時のこと...あなたも含めて覚えているんでしょうね」

 俺はそれを聞き、心臓しんぞうを氷こおりの指で撫なでられたような寒気さむけを覚えた。
「い、いやだとしても俺はただの高校生だぞ」

「あなただけが若返わかがえりしたとでも言うべきかしら...姉さんがあなたを助けたのよ。感謝してもしきれないくらいにね」
「あなたにもう一度生きる権利を与えてくれた、そのことをしっかり噛かみしめて、姉さんに失礼の無いようにね」
 彼女の笑えみはどこか慈いつくしむような顔で俺を見つめながらそう言った。

(命の恩人というわけか...)

 俺は空高く太陽の輝かがやくところにある雲の上に辿たどり着こうとしてた。

「さぁ、ここが姉さんのところよ。失礼の無いように頑張りなさいよ」
 光来みくは小さな雲を捕つかまえ、それに乗って下層かそうへと消えた。俺は肺はいの奥まで空気を吸すい込こみ、一人、最上層さいじょうそうへと足を踏み入れた。



 ―――



 昼が夜に反転し、太陽の輝かがやきがランプの淡あわい灯火ともしびへと変わる。どこか懐なつかしい、虫の音と光が漂ただよう静しずけさが心地ここちよい穏おだやかな静寂せいじゃくが肌はだを包つつみ込こむ。

「あら、お客様?」
 奥から聞こえるのは、銀の鈴すずを転がすような、鼓膜こまくを優やさしく愛撫あいぶする可憐かれんな声。

「こちらにいらしても構かまいませんわよ」

 辿たどり着いた先には、揺ゆらめく光に彩いろどられたお茶会のような光景があった。

「あら、お久しぶりね。今は...由記ゆうきくんって呼べばいいかしら」
 椅子に座る彼女――灯里あかりの潤うるんだ唇くちびると、吸すい込こまれそうな深い瞳ひとみが俺を射抜いぬく。

「今の君からしたら、はじめましてかな。私が灯里あかりと言います。お会いできて嬉しいわ」
 彼女は再会できた親友を迎むかえるかのように笑えみが溢あふれ、座るように促うながした。

 差し出されたカップ。熱い陶器とうきの感触かんしょくが指に伝つたわり、フルーティな香かおりが鼻の奥まで華はなやかに広がる。
「この紅茶、とても好きなの」

「フルーティな味わいですね...」

 彼女の立ち振る舞いすべてが、熟じゅくした果実のような、芳醇ほうじゅんな大人の香気こうきを放はなっていた。
「...少しばかり昔話に付き合ってくれるかしら...あぁ外のことは心配しなくていいんですよ。ここは別の時間軸だから大した影響はありませんわよ」

 彼女は一拍いっぱく置いて懐なつかしむような顔で話し始めた。

「...まだあの頃は、混乱と闘争の世界だった。私も含め、みなが散り散りになって物資の奪うばい合いで互たがいに傷きずつけ合い、心も風紀も乱れた世の中でした」
「そんな中、まるで運命が手繰たぐり寄よせたかのようにあなたに出会いました。あなたの言葉に耳を傾け、あなたのその姿に私は一生を捧ささげようと誓ちかいました」
「私はあなたに力を授さずけ、次々と困難を打うち砕くだき、いつしかあなたは民衆から『正義Justiceの執行者Served』と称たたえられるようになりました」
「しかし権力者たちは黙だまっているはずもなく、あなたの力を根こそぎ奪うばおうとしたのです。名目上はアノマリー異象の超常能力で民衆みんしゅうを惑まどわしたテロリストとして」
「そこであなたは、その力が途絶とだえてしまわないように、その力を扱あつかえる人間22人へ継承けいしょうされました」
「あなたは、その奪うばわれた力によって、記憶も身分も存在でさえも消され、深海しんかいの海底に沈められました」
「私はあなたの妻でもあり、母なる女神です。あなたに救われた恩返しとして、私はあなたを水底みなそこの淵ふちからあなたを探し出しました」

 もし彼女の話が本当であれば、俺が記憶喪失きおくそうしつなのも説明が出来る。

「しかしではなぜ、何もかも失った俺を狙ねらうやつらがいるんだ?」

「それは私が説明するより、見た方が早いでしょう」
 彼女はランプを手に取り、空中にふわりと持ち上げたかと思うとゆっくり上昇し、淡あわい月の光から太陽に変わった。彼女が両手で雲をかき分けるように合図すると、ひとりでに雲は開ひらけた。

「あれを見て」彼女が指を指した方向を見てみるとそこには

 赤く染まるおぞましい数の目玉が飛び交かい、樹木のような形をした超弩級ちょうどきゅう衛星えいせいが空を横切るように佇たたずんでいた。あまりの異様いようさに、内臓ないぞうがせり上がるような不気味ぶきみな圧迫感あっぱくかんで呼吸が止まりそうになる。

「あの名前はSCP-6002、通称つうしょう『ユグドラシル』。あなたたちが『精霊せいれい』と呼んでいるデバイスはあの『ユグドラシル』によって管理、監視かんしされているのですよ」
「あなたはこの世界にとって『異分子いぶんし』なのです。私とあなたによって顕現けんげんした『奇跡きせき』は、彼らの監視かんし社会にとって不都合な存在として見られています」

「つまり俺たちはどこにいても狙われる身だというのか?」

「確かにそうとも言えます。この中は外からも検知けんちできないので基本的に大丈夫ですけれど」
 彼女はカーテンを閉めるように雲で空を隠し、太陽を手に取ってランプに取り付けた。

「そろそろ寝ましょう。あなたも身体を休めないと」

「えっと...それってつまり?」

「えぇ、私と一緒に寝るんですよ。それがどうかしたんですか?」

 こんな絶世ぜっせいの美女と寝るだなんて...恥ずかしすぎる。
 いやね?一応元夫?と言えばそりゃ当たり前なのかもしれないけどさ
 だとしても節操せっそうってものがあってだな!!!

 そうこう焦あせって戸惑とまどっていると、彼女は俺を不思議ふしぎそうに見つめ、下に目線が映うつると驚おどろきと興奮こうふんを隠していなかった。

「あら、あんなに戦闘でボロボロでしたのに、お元気ですこと」
「いいんですよ、ここは夢の中だと思って、私に身を委ゆだねて...」

 俺は定められた運命を呪うかのように、沈みゆく胸の中で灯里あかりに問いかけた。
「俺は思うんだ。こんなことに巻き込こまれるくらいなら、どうしてあの時、俺を放っておいてくれなかったのかって」

 灯里あかりは困惑こんわくと悲しみの顔に満ちた表情で、しかしそれでも彼女は彼に伝えなければならなかった。
「状況じょうきょうは厳きびしいかもしれません。しかしあなたは私たちの希望でもあり、救い主なのですから」

 そう言うと彼女はこわばっている俺の身体からだを両手で優しく包み、その豊満ほうまんで柔やわらかな胸元に顔を抱だき寄よせた。
「あなたは決して一人なんかじゃありません。辛つらい時には私を思い出してください。どんな時でも私はあなたの味方ですから」

 石鹸せっけんのような柔やわらかな匂においに包つつまれて、シルクのような肌触はだざわりの身体からだに顔を埋うずめた。どこにもぶつけられなかった悲しみとともに、あの冷たい海底の記憶をかき消すように、何度も、何度でも身体からだを重かさねた。

 彼女が操あやつる雲は、まるで温かい風呂に沈んでいくような柔やわらかさで、全身の毛穴が弛緩しかんしていく。俺の意識は、彼女の甘い残のこり香がと共に、深い眠りへと沈下ちんかした。
「どうかあなたの行く道が、明るい至福しふくに導みちびかれますように...」挿絵
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