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Echo 06 『 時の振り子 』


 黒塗くろぬりの高級車の車内は、エンジンの微かすかな唸うなりだけが低く満ちていた。尻しりを預あづけけた革張かわばりの座席は、じんわりと体温を吸って湿度しつどを帯おび、高級車特有の、あの重く甘い芳香ぼうこうが微かすかに鼻をくすぐる。

 袖口そでぐちのシワを指先でなぞって整ととのえ、左胸のポケットからスマートフォンを取り出した。液晶えきしょうから放はなたれる青白あおじろい光が、網膜もうまくを刺さし、薄暗うすぐらい車内に彼女の冷ひややかな輪郭りんかくを焼き付ける。
 運転手は背中でその気配けはいを感じながら、言われるがままに目的地へと滑すべり出した。

 彼女は短く、肺はいの奥まで酸素さんそを詰つめ込こむように息を吸すい、画面をタップした。

「もしもし、こちら八咫烏やたがらす財団ざいだんです」

「合言葉は?」

 電話口から流暢りゅうちょうに答えが返ってくる。
「ヤタカラスカモタケツノミノミコト」

「動きがあったわ。さっそくあなたたちには動いてもらうわよ。場所は既に転送済みのファイルを送っておいたわ」

「承知しょうちいたしました、お嬢様じょうさま」

 少女はサイドボタンを押し、液晶えきしょう画面を閉じた。
「......さて」

 彼女は窓の外、網膜もうまくを焼く太陽に照てらされた明雲めいうん神社の方向を見つめた。
「きっとこの運命の歯車オートマタは、あなたを狂くるわせる......もう少し踏ふん張ばってね」

 ―――

 その頃、明雲めいうん神社

 千切ちぎれた葉と砕くだけた石の礫こいしが頬ほほを鋭するどくかすめ、火薬のような焦こげた匂においと衝撃波しょうげきはが、肌の産毛うぶげを逆立さかだたせる。

「ふっ、予想通りだったな」
 綾華は、風を裂さくような身のこなしで攻撃をかわし、俺にそう告つげた。

「どういう意味だ」

 彼女の瞳ひとみには、冷徹れいてつな警戒心けいかいしんが刺さすような光となって宿やどっていた。
「甘奈あまなに最後に会あったのはいつだ?」

 淀よどむ視界と、脳を直接掻かき回されるような眩暈めまいの中で、俺は千切ちぎれかけた理性をつなぎ合わせようとした。

「甘奈あまな......あの......入院から......グアッ......フゥッ......頭が痛いたい......」
 耳の奥で、金属をこすり合わせたようなキーンという高音が鳴なり響ひびき、頭蓋骨ずがいこつを内側からノミで叩たたき割られるような激痛げきつうが走る。

(甘あま...奈な...誰だ...?甘奈あまなって誰なんだ?)

「ちっ、面倒めんどうだな。制御不能せいぎょふのうか...」
 綾華あやかの拳こぶしが、みぞおちの奥にある内臓ないぞうを、直接握にぎりつぶすような重い衝撃しょうげきとなってめり込こむ。そのたびに、肺はいの中の空気が強制的に絞しぼり出だされ、喉のどの奥がヒュッという音を立てる。

「手加減てかげんしろと言われているのでね。ただ、容赦ようしゃはしないぞ」

「ガハッ...お前に指示を出したのは誰だ?」

「それは機密事項きみつじこうだ。だがすぐ会えるだろうさ」

「お前らの狙いは何だ?」

 綾華あやかは一度、冷たい空気を深く吸すい込こみ、肺はいを硬かたくしならせた。
「『 時の振り子 』というやつが、この世よに存在する」

「は?」

「『 時の振り子 』は、お前のような人間の憎悪ぞうおなどの感情や魂たましいを喰くい荒あらして栄養えいようを得えている。君に残っているその残滓ざんしは『 時の振り子 』にとってみれば天敵てんてきになる」

「それがどういう意味だってんだよ!」

「だから私たちは君を監視かんしし管理し、生いき永ながらえさせなければならない。君を観察かんさつし続けた研究結果を元に、我々われわれは『 運命のオートマタはぐるま 』を破壊する」

(理解が追いつかない。脳細胞のうさいぼうが熱を持ち、処理しきれない情報の濁流だくりゅうで思考が泥濘ぬかりに沈んでいく。)
「だからそれが俺にどう関係するって言うんだよ!!!」

「君が知る必要はない。君が大人しくなるまで叩たたくだけだ」

(胃のあたりからせり上がる、焼けるような理不尽りふじんへの怒り。俺が一体何をしたって言うんだ。)

 風を切る音さえ置き去りにして、綾華あやかの右腕が胸に突つき刺ささる。

「グフッッ...息が......できない......」

 肺はいの細胞一つ一つに、氷のように冷つめたく鋭するどい針はりを千本せんぼん同時に打うち込こまれたような激痛げきつう。口の中に生ぬるい鉄錆てつさびの味が広がり、せき込むたびに粘ねばり気のある熱い血が、指の間をドロリと伝つたい落ち、掌てのひらを真まっ赤かに染めていく。

「気絶きぜつできると思っていたんだがな......しぶといな」
 綾華あやかの右拳みぎこぶしから、陽炎かげろうのような熱気が立ち上る。

「すまないが、私も雇やとわれている身なのでね。暴走ぼうそうした君を止めなければならない」
 彼女の硬かたく冷つめたい掌てのひらが、俺の頭を鷲掴わしづかみにした。地面から足が離はなれ、重力が消える。三半規管さんはんきかんが狂くるい、自分の身体がどこにあるのかすら曖昧あいまいになる浮遊感ふゆうかん。

 絶体絶命ぜったいぜつめい。その時、彼女の左拳ひだりこぶしが放はなたれようとした瞬間――。

「ッ!!!!!!」

 網膜もうまくを焼き切るような閃光せんこうが視界を横切よこぎり、直後、鼓膜こまくを突つき破やぶるほどの爆音ばくおんが世界を真っ白に染めた。背中に、巨大な鉄塊てっかいに叩たたきつけられたような衝撃しょうげきが走り、身体がくの字に折れる。

「ガァ"ハァ"!!!」
 左耳からすべての音が消失し、世界が奇妙きみょうに静しずまり返る。頭の中をミキサーでかき混まぜられたような感覚に意識が遠とおのく中、俺は綾華あやかがその身を呈ていして俺を庇かばっているのを見た。

 ―――

 ――― 綾華あやか視点



 一瞬のことだった。

 肌はだを刺さすような異質いしつな空気のざわめきに、私の本能が警報けいほうを鳴ならした。

(何か来る......!)

 その光の矢は、由記ゆうきを殺そうとしていた。

「危ないっ!!」
 咄嗟とっさに彼を地面に押おし倒たおし、覆おおいかぶさる。

 眼前がんぜんのコンクリートがドロドロとマグマのように溶とけ落ちる様さまが見えた。数十メートル離はなれているはずなのに、肌はだを焦こがすような灼熱しゃくねつが押おし寄よせ、全身から不快ふかいな汗が噴ふき出だす。背中をかすめたその熱量は、私の脊髄せきずいに戦慄せんりつを刻きざみつけた。

「あらぁ、外しちゃったぁ」
 空中に浮遊ふゆうするその女は、獲物の手足を毟むしる瞬間を楽しみにしているような、残虐ざんぎゃくな悦よろこびに濡ぬれた瞳ひとみでこちらを見下ろしていた。

「久しぶりねぇ、綾華あやか」

 その脳を麻痺まひさせるような甘ったるく気けだるい声。全身の毛穴けあなが収縮しゅうしゅくし、鳥肌とりはだが立つような本能的な拒絶感きょぜつかんが走る。

「私の名前を、気安く呼ぶなっ!!!!」
 私は、指先に感じるコンクリートの冷たく硬かたい感触かんしょくを槍やりへと変え、怒りに任せて投擲とうてきした。

 だが、手応てごたえはない。

「もう〜久しぶりの挨拶あいさつなのに、つれないねぇ」
 女は余裕よゆうありげに湿しめった舌で唇くちびるをなぞり、足を組み直してこちらを挑発ちょうはつする。

 この「バイアス」の質しつ......胃を掴つかまれるような嫌な予感よかんが、直感ちょっかんとなって駆かけ巡めぐる。

「貴様きさまが“やつ”の眼めを醒さまさせたのか?」

「どうかしらねぇ、どっちかというと目覚めざめるのを手助けした感じぃ?」

「やつは重要人物だ。ここで我々われわれの邪魔じゃまはしないでもらいたい」

「私わたしだってぇ、こんなめんどっちぃことやりたくないんだけどさぁ。ほらぁ上からの命令は絶対ってやつ? だからあんたに構かまってる時間も惜おしいってわけ」
 女が、泥どろのように倒たおれている彼を値踏ねぶみするような視線で一瞥いちべつし、小悪魔的こあくまてきな笑えみを浮うかべた。

「そこに倒たおれてる男が私たちの目標なんだけど、うちって無駄むだな争あらそいが嫌いなんだよねぇ」

 喉のどの奥が乾かわくような緊張感きんちょうかんが走る。
(......時間稼かせぎか。戦闘は避さけられなさそうだ...)

「わざわざ手負ておいの人を攻撃するのも、なんだかいけ好すかないしぃ」

「......それでどうしたいんだ?」

「え〜? 分からない? もう脳のうみそまでカチコチになってしまったのかなぁ?」

「あんたらがこの男を気安きやすく扱あつかっていい理由にはならんぞ」

「あらぁあらぁ? さっきまであんなに一方的な攻撃で気絶きぜつまでさせちゃって〜、綾華あやかちゃん矛盾むじゅんしてない?」

「っ、ふざけるのも大概たいがいにしろ!!」
 奥歯を噛かみ締しめ、怒りで指先が微かすかに震ふるえる。

「あ、怒ったぁ? ごめ〜んごめ〜ん。でもそうねぇ。今ここであなたを見逃みのがしてあげる代かわりに、その男を寄よこしてよ」

 躊躇とまどいなど、最初から私の辞書にはなかった。
「断ことわる」

 女の口角こうかくが、獲物えものを追おい詰つめた猛獣もうじゅうのような狂気きょうきで釣つり上あがる。
「え? 聞こえないなぁ? まさかこのまま逃にげ切きれるとでも?」

 言い終わるより早く、私は鉄くずを弓矢に変え、弦げんを引き絞しぼる筋肉きんにくの緊張きんちょうを矢へと乗のせて解とき放はなった。

「人が話してる間は、最後まで聞けって習ならわなかったぁ?! アハハハハハハ!!」
 耳を劈つんざく狂笑きょうしょう。

 無差別に降ふり注そそぐ瓦礫がれきが、周囲のビルや家屋かおくを豆腐とうふのように容易たやすく粉砕ふんさいしていく。私は彼の身体を背負せおい、その重みを背骨せぼねで受け止めた。

「『 パーセキュートpersecute ゴッドレインgodrain !!!!』 」
 神の槍やりが降ふり注そそぐような破壊。それだけではない。

 吸すい取られた精気せいきが女の力となり、大気たいきが彼女の支配下に置かれていくような圧迫感あっぱくかんが肌はだにまとわりつく。

「つまんないなぁ、じゃあこうしちゃおうかっ。えいっ」
 巨大なビルの残骸ざんがいが、太陽を遮さえぎる巨大な影かげとなって頭上ずじょうから降ふりかかる。

「っ!!!!!!!」
 全身の神経を衝突しょうとつのベクトル方向へと同調どうちょうさせ、衝撃しょうげきを逃にがす。だが、彼女の追撃ついげきは止とまらない。

「はっ、まるでメスゴリラじゃないか」
 私は渇かわいた喉のどで挑発ちょうはつを投なげた。

「なぁに、それで挑発ちょうはつしたつもりなの?」

「あんた、サキュバスのくせに誘惑ゆうわくが下手へたくそだもんな」

 血管けっかんが浮うき出でるほどに激昂げっこうした女の顔が紅潮こうちょうし、ワナワナと震ふるえる。
「あんまり怒らせると......どうなっても知らないわよっ!!!!!!!」

 瓦礫がれきが流星群りゅうせいぐんのように空を埋うめ尽つくす。

 私は、背負せおった彼の手のひらの、頼たよりないほどに冷ひえ切きった感触かんしょくを強く握にぎりしめた。
「お前の力を借りるぞ」

 空を覆おおい尽つくすほどの瓦礫がれきが降ふり注そそぐ。

 私は一歩も引かなかった。私の眼に狂くるいはない。彼こそがこのくそったれな世の中を変える革命かくめいの鍵かぎ。力を借りるということは代償だいしょうを伴ともなう。だが今はこれがベストな選択。

 全身に電撃でんげきが走り出す。ありったけの声を絞しぼり出だし、私は叫さけんだ。
『 ロードLord インバーテッドInverted !!!!』

「へ?」

 瓦礫がれきの山が、不自然な軌道きどうを描えがいて反転し、重力の鎖くさりから解とき放はなたれたように女へと突つき刺ささる。

 彼の能力――それは暴力ぼうりょくを振ふるわず、世界の摂理せつりそのものを「反転」させる。だが代償だいしょうとして、身体的・精神的ダメージが鏡写かがみうつしのように重くのしかかる。



 私は彼を背負せおって帰ろうとしたその時



 ガコッッッッッ―――

「...ふぅ、どうやらまだ返してくれないみたいだ」

 瓦礫がれきの間あいだから、ドクドクと拍動はくどうする赤黒い血潮ちしおが噴ふき出だし、それがヌルリとした光沢こうたくを持つ触手しょくしゅへと変貌へんぼうしていく。

「ちっ、自己再生か。しぶといやつめ」
 私は瓦礫がれきの影かげを伝つたって移動し、触手しょくしゅの攻撃から逃げる。

 しかし今ここで攻撃しようと離はなれてしまえば、彼女の思う壺つぼだ。彼女の狙ねらいは彼であり、彼の能力までもが吸すい取とられてしまえばとんでもないことになる。

「せめて核かくを攻撃できれば...」

 足元から、粘ねばつくような不快ふかいな音がした。赤黒あかぐろい肉塊にくかいから、無数の「目」が生え、こちらの毛穴の一つ一つを監視かんしするように凝視ぎょうししている。

「しまっ......!!!!」

 油断ゆだんした。足首に絡からみつく、吸盤きゅうばんのように肌はだに吸すい付つく触手しょくしゅの生温なまたたかい感触かんしょく。四肢ししから力が奪うばわれ、髄液ずいえきを直接啜すすられるような、芯しんからの脱力感だつりょくかんに襲おそわれる。

「くそっ、こんな時に!!!」
(せめて、彼だけでも......!)

 周囲の空気が一気に緊張きんちょうするのを感じた。彼女に違いない。人型の血潮ちしおが、目の前に立っていた。

「ふぅ...なかなかやってくれるじゃない」

 かなりまずい。彼女はすぐに再生するとでもいうのか。底知そこしれない焦あせりで身体が震ふるえた。

「まぁ、まだ不完全体ふかんぜんたいだけど、これでもイける...さて」
 彼女は一呼吸おいた。その吐息といきはまるで野獣やじゅうそのものだ。

「わたくしの出番でばんですわよ!!!」

 心臓しんぞうを冷つめたい手で直じかに鷲掴わしづかみにされたような、根源的こんげんてきな恐怖きょうふ。触手しょくしゅが容赦ようしゃなく肌はだを割り、粘膜ねんまくを凌辱りょうじょくする不快な刺激しげき。私のプライドが、そのヌルついた愛撫あいぶによってズタズタに引ひき裂さかれていく。

「アハッ、いつまで耐たえられるかなぁ?」

 肺はいが圧迫あっぱくされ、酸素さんそが途絶とだえる。脳のうが痺しびれる感覚が幾度いくども波のように押し寄せ、視界が白濁はくだくしていく。

「お楽しみはまだまだこれからよっっ!!!」

 内臓の壁かべを直接こすり上げられるような、吐はき気けを催もよおす刺激しげき。視界の隅すみで赤い星が散り、意識が、深い闇やみの底へと沈んでいく。

「それじゃあ一気にラストスパートイこっか」

 触手しょくしゅが脈動みゃくどうし、粘ねばり気けのある赤濁せきだくした液体が、身体からだの奥底まで容赦ようしゃなく注そそぎ込こまれ、溢あふれ出だしていく。

「グッ......ウ......ゥ......グ......」
(......見るな......私のこんな姿を......)

 私は力尽ちからつき、ゴミのように放り出された。

「抵抗する人間を嬲なぶるのもなかなか悪くないわね。...じゃあ、彼を連れていきましょうか」

(ダメだ......そいつに......触れるな......)
 指先一つ動かせない絶望。遠ざかっていく意識の淵ふちで、私は消えゆく彼の影かげに向けて、感覚を失った手を空むなしく伸ばした。
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Echo 06 『 時の振り子 』


 黒塗くろぬりの高級車の車内は、エンジンの微かすかな唸うなりだけが低く満ちていた。尻しりを預あづけけた革張かわばりの座席は、じんわりと体温を吸って湿度しつどを帯おび、高級車特有の、あの重く甘い芳香ぼうこうが微かすかに鼻をくすぐる。

 袖口そでぐちのシワを指先でなぞって整ととのえ、左胸のポケットからスマートフォンを取り出した。液晶えきしょうから放はなたれる青白あおじろい光が、網膜もうまくを刺さし、薄暗うすぐらい車内に彼女の冷ひややかな輪郭りんかくを焼き付ける。
 運転手は背中でその気配けはいを感じながら、言われるがままに目的地へと滑すべり出した。

 彼女は短く、肺はいの奥まで酸素さんそを詰つめ込こむように息を吸すい、画面をタップした。

「もしもし、こちら八咫烏やたがらす財団ざいだんです」

「合言葉は?」

 電話口から流暢りゅうちょうに答えが返ってくる。
「ヤタカラスカモタケツノミノミコト」

「動きがあったわ。さっそくあなたたちには動いてもらうわよ。場所は既に転送済みのファイルを送っておいたわ」

「承知しょうちいたしました、お嬢様じょうさま」

 少女はサイドボタンを押し、液晶えきしょう画面を閉じた。
「......さて」

 彼女は窓の外、網膜もうまくを焼く太陽に照てらされた明雲めいうん神社の方向を見つめた。
「きっとこの運命の歯車オートマタは、あなたを狂くるわせる......もう少し踏ふん張ばってね」

 ―――

 その頃、明雲めいうん神社

 千切ちぎれた葉と砕くだけた石の礫こいしが頬ほほを鋭するどくかすめ、火薬のような焦こげた匂においと衝撃波しょうげきはが、肌の産毛うぶげを逆立さかだたせる。

「ふっ、予想通りだったな」
 綾華は、風を裂さくような身のこなしで攻撃をかわし、俺にそう告つげた。

「どういう意味だ」

 彼女の瞳ひとみには、冷徹れいてつな警戒心けいかいしんが刺さすような光となって宿やどっていた。
「甘奈あまなに最後に会あったのはいつだ?」

 淀よどむ視界と、脳を直接掻かき回されるような眩暈めまいの中で、俺は千切ちぎれかけた理性をつなぎ合わせようとした。

「甘奈あまな......あの......入院から......グアッ......フゥッ......頭が痛いたい......」
 耳の奥で、金属をこすり合わせたようなキーンという高音が鳴なり響ひびき、頭蓋骨ずがいこつを内側からノミで叩たたき割られるような激痛げきつうが走る。

(甘あま...奈な...誰だ...?甘奈あまなって誰なんだ?)

「ちっ、面倒めんどうだな。制御不能せいぎょふのうか...」
 綾華あやかの拳こぶしが、みぞおちの奥にある内臓ないぞうを、直接握にぎりつぶすような重い衝撃しょうげきとなってめり込こむ。そのたびに、肺はいの中の空気が強制的に絞しぼり出だされ、喉のどの奥がヒュッという音を立てる。

「手加減てかげんしろと言われているのでね。ただ、容赦ようしゃはしないぞ」

「ガハッ...お前に指示を出したのは誰だ?」

「それは機密事項きみつじこうだ。だがすぐ会えるだろうさ」

「お前らの狙いは何だ?」

 綾華あやかは一度、冷たい空気を深く吸すい込こみ、肺はいを硬かたくしならせた。
「『 時の振り子 』というやつが、この世よに存在する」

「は?」

「『 時の振り子 』は、お前のような人間の憎悪ぞうおなどの感情や魂たましいを喰くい荒あらして栄養えいようを得えている。君に残っているその残滓ざんしは『 時の振り子 』にとってみれば天敵てんてきになる」

「それがどういう意味だってんだよ!」

「だから私たちは君を監視かんしし管理し、生いき永ながらえさせなければならない。君を観察かんさつし続けた研究結果を元に、我々われわれは『 運命のオートマタはぐるま 』を破壊する」

(理解が追いつかない。脳細胞のうさいぼうが熱を持ち、処理しきれない情報の濁流だくりゅうで思考が泥濘ぬかりに沈んでいく。)
「だからそれが俺にどう関係するって言うんだよ!!!」

「君が知る必要はない。君が大人しくなるまで叩たたくだけだ」

(胃のあたりからせり上がる、焼けるような理不尽りふじんへの怒り。俺が一体何をしたって言うんだ。)

 風を切る音さえ置き去りにして、綾華あやかの右腕が胸に突つき刺ささる。

「グフッッ...息が......できない......」

 肺はいの細胞一つ一つに、氷のように冷つめたく鋭するどい針はりを千本せんぼん同時に打うち込こまれたような激痛げきつう。口の中に生ぬるい鉄錆てつさびの味が広がり、せき込むたびに粘ねばり気のある熱い血が、指の間をドロリと伝つたい落ち、掌てのひらを真まっ赤かに染めていく。

「気絶きぜつできると思っていたんだがな......しぶといな」
 綾華あやかの右拳みぎこぶしから、陽炎かげろうのような熱気が立ち上る。

「すまないが、私も雇やとわれている身なのでね。暴走ぼうそうした君を止めなければならない」
 彼女の硬かたく冷つめたい掌てのひらが、俺の頭を鷲掴わしづかみにした。地面から足が離はなれ、重力が消える。三半規管さんはんきかんが狂くるい、自分の身体がどこにあるのかすら曖昧あいまいになる浮遊感ふゆうかん。

 絶体絶命ぜったいぜつめい。その時、彼女の左拳ひだりこぶしが放はなたれようとした瞬間――。

「ッ!!!!!!」

 網膜もうまくを焼き切るような閃光せんこうが視界を横切よこぎり、直後、鼓膜こまくを突つき破やぶるほどの爆音ばくおんが世界を真っ白に染めた。背中に、巨大な鉄塊てっかいに叩たたきつけられたような衝撃しょうげきが走り、身体がくの字に折れる。

「ガァ"ハァ"!!!」
 左耳からすべての音が消失し、世界が奇妙きみょうに静しずまり返る。頭の中をミキサーでかき混まぜられたような感覚に意識が遠とおのく中、俺は綾華あやかがその身を呈ていして俺を庇かばっているのを見た。

 ―――

 ――― 綾華あやか視点



 一瞬のことだった。

 肌はだを刺さすような異質いしつな空気のざわめきに、私の本能が警報けいほうを鳴ならした。

(何か来る......!)

 その光の矢は、由記ゆうきを殺そうとしていた。

「危ないっ!!」
 咄嗟とっさに彼を地面に押おし倒たおし、覆おおいかぶさる。

 眼前がんぜんのコンクリートがドロドロとマグマのように溶とけ落ちる様さまが見えた。数十メートル離はなれているはずなのに、肌はだを焦こがすような灼熱しゃくねつが押おし寄よせ、全身から不快ふかいな汗が噴ふき出だす。背中をかすめたその熱量は、私の脊髄せきずいに戦慄せんりつを刻きざみつけた。

「あらぁ、外しちゃったぁ」
 空中に浮遊ふゆうするその女は、獲物の手足を毟むしる瞬間を楽しみにしているような、残虐ざんぎゃくな悦よろこびに濡ぬれた瞳ひとみでこちらを見下ろしていた。

「久しぶりねぇ、綾華あやか」

 その脳を麻痺まひさせるような甘ったるく気けだるい声。全身の毛穴けあなが収縮しゅうしゅくし、鳥肌とりはだが立つような本能的な拒絶感きょぜつかんが走る。

「私の名前を、気安く呼ぶなっ!!!!」
 私は、指先に感じるコンクリートの冷たく硬かたい感触かんしょくを槍やりへと変え、怒りに任せて投擲とうてきした。

 だが、手応てごたえはない。

「もう〜久しぶりの挨拶あいさつなのに、つれないねぇ」
 女は余裕よゆうありげに湿しめった舌で唇くちびるをなぞり、足を組み直してこちらを挑発ちょうはつする。

 この「バイアス」の質しつ......胃を掴つかまれるような嫌な予感よかんが、直感ちょっかんとなって駆かけ巡めぐる。

「貴様きさまが“やつ”の眼めを醒さまさせたのか?」

「どうかしらねぇ、どっちかというと目覚めざめるのを手助けした感じぃ?」

「やつは重要人物だ。ここで我々われわれの邪魔じゃまはしないでもらいたい」

「私わたしだってぇ、こんなめんどっちぃことやりたくないんだけどさぁ。ほらぁ上からの命令は絶対ってやつ? だからあんたに構かまってる時間も惜おしいってわけ」
 女が、泥どろのように倒たおれている彼を値踏ねぶみするような視線で一瞥いちべつし、小悪魔的こあくまてきな笑えみを浮うかべた。

「そこに倒たおれてる男が私たちの目標なんだけど、うちって無駄むだな争あらそいが嫌いなんだよねぇ」

 喉のどの奥が乾かわくような緊張感きんちょうかんが走る。
(......時間稼かせぎか。戦闘は避さけられなさそうだ...)

「わざわざ手負ておいの人を攻撃するのも、なんだかいけ好すかないしぃ」

「......それでどうしたいんだ?」

「え〜? 分からない? もう脳のうみそまでカチコチになってしまったのかなぁ?」

「あんたらがこの男を気安きやすく扱あつかっていい理由にはならんぞ」

「あらぁあらぁ? さっきまであんなに一方的な攻撃で気絶きぜつまでさせちゃって〜、綾華あやかちゃん矛盾むじゅんしてない?」

「っ、ふざけるのも大概たいがいにしろ!!」
 奥歯を噛かみ締しめ、怒りで指先が微かすかに震ふるえる。

「あ、怒ったぁ? ごめ〜んごめ〜ん。でもそうねぇ。今ここであなたを見逃みのがしてあげる代かわりに、その男を寄よこしてよ」

 躊躇とまどいなど、最初から私の辞書にはなかった。
「断ことわる」

 女の口角こうかくが、獲物えものを追おい詰つめた猛獣もうじゅうのような狂気きょうきで釣つり上あがる。
「え? 聞こえないなぁ? まさかこのまま逃にげ切きれるとでも?」

 言い終わるより早く、私は鉄くずを弓矢に変え、弦げんを引き絞しぼる筋肉きんにくの緊張きんちょうを矢へと乗のせて解とき放はなった。

「人が話してる間は、最後まで聞けって習ならわなかったぁ?! アハハハハハハ!!」
 耳を劈つんざく狂笑きょうしょう。

 無差別に降ふり注そそぐ瓦礫がれきが、周囲のビルや家屋かおくを豆腐とうふのように容易たやすく粉砕ふんさいしていく。私は彼の身体を背負せおい、その重みを背骨せぼねで受け止めた。

「『 パーセキュートpersecute ゴッドレインgodrain !!!!』 」
 神の槍やりが降ふり注そそぐような破壊。それだけではない。

 吸すい取られた精気せいきが女の力となり、大気たいきが彼女の支配下に置かれていくような圧迫感あっぱくかんが肌はだにまとわりつく。

「つまんないなぁ、じゃあこうしちゃおうかっ。えいっ」
 巨大なビルの残骸ざんがいが、太陽を遮さえぎる巨大な影かげとなって頭上ずじょうから降ふりかかる。

「っ!!!!!!!」
 全身の神経を衝突しょうとつのベクトル方向へと同調どうちょうさせ、衝撃しょうげきを逃にがす。だが、彼女の追撃ついげきは止とまらない。

「はっ、まるでメスゴリラじゃないか」
 私は渇かわいた喉のどで挑発ちょうはつを投なげた。

「なぁに、それで挑発ちょうはつしたつもりなの?」

「あんた、サキュバスのくせに誘惑ゆうわくが下手へたくそだもんな」

 血管けっかんが浮うき出でるほどに激昂げっこうした女の顔が紅潮こうちょうし、ワナワナと震ふるえる。
「あんまり怒らせると......どうなっても知らないわよっ!!!!!!!」

 瓦礫がれきが流星群りゅうせいぐんのように空を埋うめ尽つくす。

 私は、背負せおった彼の手のひらの、頼たよりないほどに冷ひえ切きった感触かんしょくを強く握にぎりしめた。
「お前の力を借りるぞ」

 空を覆おおい尽つくすほどの瓦礫がれきが降ふり注そそぐ。

 私は一歩も引かなかった。私の眼に狂くるいはない。彼こそがこのくそったれな世の中を変える革命かくめいの鍵かぎ。力を借りるということは代償だいしょうを伴ともなう。だが今はこれがベストな選択。

 全身に電撃でんげきが走り出す。ありったけの声を絞しぼり出だし、私は叫さけんだ。
『 ロードLord インバーテッドInverted !!!!』

「へ?」

 瓦礫がれきの山が、不自然な軌道きどうを描えがいて反転し、重力の鎖くさりから解とき放はなたれたように女へと突つき刺ささる。

 彼の能力――それは暴力ぼうりょくを振ふるわず、世界の摂理せつりそのものを「反転」させる。だが代償だいしょうとして、身体的・精神的ダメージが鏡写かがみうつしのように重くのしかかる。



 私は彼を背負せおって帰ろうとしたその時



 ガコッッッッッ―――

「...ふぅ、どうやらまだ返してくれないみたいだ」

 瓦礫がれきの間あいだから、ドクドクと拍動はくどうする赤黒い血潮ちしおが噴ふき出だし、それがヌルリとした光沢こうたくを持つ触手しょくしゅへと変貌へんぼうしていく。

「ちっ、自己再生か。しぶといやつめ」
 私は瓦礫がれきの影かげを伝つたって移動し、触手しょくしゅの攻撃から逃げる。

 しかし今ここで攻撃しようと離はなれてしまえば、彼女の思う壺つぼだ。彼女の狙ねらいは彼であり、彼の能力までもが吸すい取とられてしまえばとんでもないことになる。

「せめて核かくを攻撃できれば...」

 足元から、粘ねばつくような不快ふかいな音がした。赤黒あかぐろい肉塊にくかいから、無数の「目」が生え、こちらの毛穴の一つ一つを監視かんしするように凝視ぎょうししている。

「しまっ......!!!!」

 油断ゆだんした。足首に絡からみつく、吸盤きゅうばんのように肌はだに吸すい付つく触手しょくしゅの生温なまたたかい感触かんしょく。四肢ししから力が奪うばわれ、髄液ずいえきを直接啜すすられるような、芯しんからの脱力感だつりょくかんに襲おそわれる。

「くそっ、こんな時に!!!」
(せめて、彼だけでも......!)

 周囲の空気が一気に緊張きんちょうするのを感じた。彼女に違いない。人型の血潮ちしおが、目の前に立っていた。

「ふぅ...なかなかやってくれるじゃない」

 かなりまずい。彼女はすぐに再生するとでもいうのか。底知そこしれない焦あせりで身体が震ふるえた。

「まぁ、まだ不完全体ふかんぜんたいだけど、これでもイける...さて」
 彼女は一呼吸おいた。その吐息といきはまるで野獣やじゅうそのものだ。

「わたくしの出番でばんですわよ!!!」

 心臓しんぞうを冷つめたい手で直じかに鷲掴わしづかみにされたような、根源的こんげんてきな恐怖きょうふ。触手しょくしゅが容赦ようしゃなく肌はだを割り、粘膜ねんまくを凌辱りょうじょくする不快な刺激しげき。私のプライドが、そのヌルついた愛撫あいぶによってズタズタに引ひき裂さかれていく。

「アハッ、いつまで耐たえられるかなぁ?」

 肺はいが圧迫あっぱくされ、酸素さんそが途絶とだえる。脳のうが痺しびれる感覚が幾度いくども波のように押し寄せ、視界が白濁はくだくしていく。

「お楽しみはまだまだこれからよっっ!!!」

 内臓の壁かべを直接こすり上げられるような、吐はき気けを催もよおす刺激しげき。視界の隅すみで赤い星が散り、意識が、深い闇やみの底へと沈んでいく。

「それじゃあ一気にラストスパートイこっか」

 触手しょくしゅが脈動みゃくどうし、粘ねばり気けのある赤濁せきだくした液体が、身体からだの奥底まで容赦ようしゃなく注そそぎ込こまれ、溢あふれ出だしていく。

「グッ......ウ......ゥ......グ......」
(......見るな......私のこんな姿を......)

 私は力尽ちからつき、ゴミのように放り出された。

「抵抗する人間を嬲なぶるのもなかなか悪くないわね。...じゃあ、彼を連れていきましょうか」

(ダメだ......そいつに......触れるな......)
 指先一つ動かせない絶望。遠ざかっていく意識の淵ふちで、私は消えゆく彼の影かげに向けて、感覚を失った手を空むなしく伸ばした。
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ゲマトレイル Gematrail — 残響領域の観測者 — 紅蓮よ、咲き誇れ作者:⛰️終末 金剛山
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