最初の獲物
ターニャは叫んだ。
思い出したくなかった記憶が頭を駆け巡る。ゴブリンの襲撃を受けた際、ターニャの姉はコブリンに殺された。
姉はターニャをベッドの下に押し込んで、ターニャを庇うように、ゴブリンと対峙した。姉は刺された後も必死に動かず、ベッドの下にいるターニャが、ゴブリンに見えないように倒れた。
その姉を殺したゴブリンは、楽しそうに笑いながら、動かなくなった姉を何度も刺していた。ターニャはベッドの下で息を殺し、姉の死を見ているしか出来なかった。あの時と同じ笑い声がする。
五匹のゴブリンたちが馬車に群がり、中にいるアリシアとターニャを襲わんがために、馬車の両脇の扉を引っ張る。シーソーの様に揺れは徐々に大きくなり、ついには限界を迎えた。
「ターニャ、大丈夫ですか!きゃー!!」
アリシアがターニャに手を伸ばしたその時、大きな揺れが訪れ、何かが砕ける音ともに馬車の扉は開かれると、ニ人は外に投げ出される。
千尋が改めて周りを観察し、登山道や獣道でもないかと探していると、少し遠くから少女の悲鳴にも似た、叫び声が聞こえてくる。
それは千尋が知っている叫び声だった。刺された痛みと、死への恐怖が奏でる二重奏。千尋の体は勝手に動き、声がした方へと駆け出していた。
声を頼りに千尋が飛び出したのは、アリシアとターニャの目の前だった。大きめの山道の中央、少し離れた場所には倒れた馬車と二頭の馬、首を刺され絶命している御者。そして、倒れた馬車を取り囲むように、五匹の緑色の肌をした小鬼たちがいる。
投げ出された時にアリシアを庇ったターニャは、体のそこかしこから血を流している。剣を持つ右肩の裂傷を左手で押さえ、なんとか剣を構えて立っている。
弱々しく震えながら、必死に剣を振るおうとするターニャが見せる生への渇望。その哀れさに、千尋の中でどす黒い感情が湧き上がり、自然と愉笑顔になる。
「これはこれは、驚いた。なんなの?お前たち......」
千尋は見たこともない小鬼どもに向け、意思疎通はできるのか確認するように、千尋は話しかけた。しかし、その期待は脆くも打ち砕かれる。
残念ながら小鬼の集団は、お互いで見合ってギギだか何だがと、およそ言葉とはかけ離れた音を出している。
仲間内で意思疎通が取れるだけの正真正銘の餓鬼に、千尋が心底残念そうな顔をしていると、ターニャが叫んだ。
「気をつけろ、ゴ......ゴブリンを知らないのか!」
ゴブリン。千尋はおとぎ話の小鬼を思い出す。目の前の小鬼達が威嚇するように叫び声を上げる。
「ギャーーー!」
二メートルは離れているだろうに、小鬼たちの肉が腐ったような口臭が漂ってくる。千尋はその臭さに顔をしかめる。同時に小鬼達の持つ短剣や棍棒から、鉄さびのような血の匂いがして、千尋が口を開く。
「今日も楽しめそう......」
アリシアたちを庇うように、ゴブリンたちの前にたった千尋の放った言葉の意味は、ゴブリンたちは分からなかっただろうが、ゴブリン達は千尋の笑みに親近感でも湧いたのか、笑い始める。
短剣についた血を舐め、千尋を威嚇するようなゴブリンもいる中。一匹が棍棒を引きずり、千尋に近づいてくる。よだれを垂らしながら下品な笑みを浮かべるゴブリンに、千尋も笑顔を返す。
「おいで?」
千尋のその笑顔と言葉を合図に、一気にゴブリンが飛び掛かる。ゴブリンが棍棒を振り上げた、その時。肩の関節、神経を狙い、千尋はナイフを刺す。
「ここを刺すとね、腕は動かせなくなるんだ、知らなかった?」
とても愉快そうに顔を歪める千尋とは対照的に、ゴブリンは苦痛で顔を歪め叫ぶ。
「ンギギ、ギャー!」
必死に振り下ろそうとしてゴブリンが悶えるが、肩の可動域は失われ、ゴブリンの短い腕では武器を持ち替えることも叶わない。
「ギィ!ギー!」
暴れるゴブリンを無視し、振り上げたままの棍棒をするりと千尋が拝借して、ゴブリンの頭に叩きつける。小気味よく爆ぜて、飛び散る脳漿。千尋の顔は、初めてのおもちゃで遊んだ子供のように明るくなる。
「新鮮じゃない?この感触......!」
千尋が棍棒を振り回し、楽しそうにもう動かないゴブリンの体に棍棒を打ち付けている。それはゴブリンのような低脳でも理解できる、未知への恐怖だ。その様子を見ていたターニャは、千尋の行動の異常性に警戒し、助けに入った千尋に向けて剣を構える。
対するゴブリンたちも、千尋の異常な殺害衝動を前に一匹、また一匹と後退り、森の中へ消えて行く。ゴブリンたちがいなくなると、千尋は心底残念そうに棍棒を傍らに放り投げる。そして、次の標的がいた事を思い出し、振り返った。
振り向いた千尋の目の前に、満面の笑みで千尋を見上げるアリシアがいた。首にかかる程度の短めの黒髪に碧い瞳と白雪のような白い肌。年の頃は15か16で、おとぎ話のお姫様のように、パニエでふんわりと広がった淡いピンクのドレスを着込んでいる。
物語の勇者が目の前に現れ、姫を救うシーンに憧れを感じていた少女アリシアには、千尋はどう美化されて映っているのだろうか。
「あなたは、私たちの命の恩人です!」
千尋は顔を歪めて、拒否感をあらわにする。そう、景山千尋は笑顔が苦手なのだ。
「下がってください!アリシア様!」
ターニャが警戒心をあらわにし、アリシアと千尋と間に立つ。僅かばかりだが、戦闘の心得があるターニャからすれば、千尋の行動、戦い方は異常そのものだった。ターニャは女の割に身長が高く、千尋と目線はほぼ同じ高さだ。
「アリシア様ねぇ......」
千尋がターニャを観察すると、20歳には満たない年齢だろうか。好みと一致しない2人の特徴に、千尋は残念そうにため息を吐く。
ターニャはブロンドの長い髪を、三つ編みにまとめ上げている。甲冑を着てはいるが、肩や胸、股間を甲冑で隠していものの、後は皮布でつなぎ合わせているだけで、無駄な露出が多い。戦うという目的にはそぐわない、非合理的な鎧を着ている。
アリシアを庇うように広げたターニャの手のひらには、素振りで出来たであろう豆こそあるが、体に古傷の類いはない。
その褐色の肌は先ほどの出来事で出来た真新しい切傷や裂傷があり、所々赤く染められている。その赤と鉄の匂いが、千尋の五感を刺激する。
「もう少し......。着込んだほうがいいんじゃない?」
言葉では心配しているようで、好奇や劣情を隠しもしない千尋に、ターニャの顔が歪む。胸元を隠しながら、ゲスでも見るかのように千尋を睨んでいる。
千尋はターニャの反応が気に入ったのか、喉を鳴らす。が、ターニャが身を捩りできた隙間から、アリシアがまた顔を出し、満面の笑顔を向ける。
鈍器で殴られたように、千尋が顔を歪めているのにも構わず、アリシアは微笑んでいる。
「やっぱり、そう思いますよね?私も常日頃から言っているんです。もう少し殿方の目を意識して、鎧を選ぶべきだと......」
アリシアが理解者を得たと嬉しそうに近づいてくるので、堪らず千尋が距離を取るように下がる。アリシアは驚いたように口を開けると、はしたないとばかりに直ぐ様、手で口元を隠す。
アリシアの目には、千尋の行動が異性と距離を保つ紳士的な姿に映っているようで、モジモジと気恥ずかしそうに、上目遣いで千尋を見ている。
「ほら、ターニャ?やっぱりこの方、いい人ですよ、騎士様かも」
アリシアの思考が理解できず、千尋は手で顔を覆い呆れているが、アリシアは気にすることもなく、ターニャと話し始める。
「ですが、アリシア様......。あの戦い方は異常です。騎士はあんな戦い方をしませんし、血まみれなんておかしいと思いませんか!」
ターニャは、千尋の血まみれのシャツを指差す。ゴブリンの返り血以前からある鉄錆色の染みに警戒するのは当然だった。
「そうなのですか?」
アリシアは、少し不安そうな顔で千尋を見上げる。アリシアが笑顔でなくなった事で千尋は、いつも調子を取り戻したように斜に構え、肩をすくめる。
「獣たちが闊歩する森を抜けて来たから、ここにまでに色々あってね?」
千尋はさらりとの真実を隠し、事実だけを口にする。千尋の言う色々に含まれる真実に気づく由もないアリシアは小首をかしげ、ターニャと千尋を交互に見る。大量の返り血を浴びた服装の千尋を、どうしたら騎士になるのかと、ターニャと千尋が思っているのを尻目に、とんでもないことをアリシアは口にする。
「でも私たちを守ってくださいました。それだけで騎士に召し抱えても、いいくらいでは?」
アリシアが左頬に左手の人差し指を当てて、きょとんとした顔で二人を見ている。そのアリシアの反応に、千尋とターニャの顔が同じように歪む。二人とも思っているのだろう。駄目だ、こりゃ......、と。