6.十三比良坂
居間を出てリオンが導くままに階段を登り、2階にある一室のドアを開けた。ドアの向こうにはリオンの長身よりも更に大きな姿見が鎮座していた。
「十三比良坂までは少し距離があるからね。近くまで飛ぼう」
そう言いながらリオンは鏡の表面に触れる。フワリと鏡が光を放つ。
驚いた顔の花凛に得意そうに笑ってリオンは彼女の手を取った。そのまま鏡に向かうと、リオンの姿が鏡の中へ溶けていく。それでも繋がれた手はそのままで、花凛も彼に導かれるように鏡の中へ入った。
(鏡の中って、どんな感じだろう? 息できるのかな?)
「花凛ちゃん、目を開けて大丈夫だよ?」
ドキドキしていた花凛に優しいリオンの声が聞こえた。促されるままに目を開けると、そこは先程の部屋に良く似ていた。キョトンと部屋を見渡した花凛に優しく笑って、彼がドアを開ける。その先には、大きな廊下があって、ようやく花凛は、そこが既に別の建物だと気づいた。
リオンは迷うことなく廊下を進み、玄関へと向かった。引き戸を開けた先は、昨日見た大通りに良く似ていた。ただし、すぐ側に大きな門がある。
開け放たれた門を二人で潜り、すぐ横にあった石段を下っていく。街から程近いというのに、静かな所だった。やがて二人は不思議な石と縄で出来た鳥居に辿り着いた。
「銀杏の大宮司様やないですか」
「これは......灰青の少宮司」
鳥居の奥から出てきた独特なイントネーションの青年がリオンに話しかける。灰色の髪に煌めくような青い瞳が印象的な青年だった。その頭にもまた猫耳がある。彼の周りには数人、取り巻きのように男達が居たが、静かに灰青とリオンの会話を聞いていた。
(銀杏? 灰青? ......名字みたいなものかな?)
花凛が内心で首を捻りながら彼らを伺っていると、灰青と呼ばれた青年が花凛を見る。
「これから、お務めですか? それにしては、お姫さんが居てはるみたいやけど......大宮司様も隅に置けまへんなぁ? 都中の姫君が泣きはるやろから、明日は大雨やろか?」
「彼女は俺の従者だよ」
「あの銀杏の君に、従者? 今まで、十三比良坂にすら、ほとんど単独で下ってた方が? これは、これは。明日は雪やろか、嵐やろか?」
涼しい顔で受け流すリオンと、目を爛々と輝かせ獲物を見つけたかのような灰青と。それを遮ったのは緑の瞳が美しい青年だった。
「......灰青様。そろそろ、お時間が......」
「......せやったな、千草。それでは、御前失礼しますわ、銀杏の君」
悠然と去っていく灰青と千草をリオンはすぐ興味を失ったようだった。ヘタリと耳をうつ伏せて花凛を見る。
「......ごめん、花凛ちゃん。従者なんて言って」
「ううん、それは大丈夫だけど......あの人たちって......?」
「俺の同僚だよ」
「......同僚」
「さて、十三比良坂を下ろうか」
あまり口にしたくない話題なのだろう。さらりと話題を変えたリオンに花凛は頷く。流されてくれた花凛に申し訳なさそうに笑いながら、鳥居の奥にある巨大な岩へと向かう。
「これが十三比良坂の入り口だよ」
「この岩が?」
「そう。今から入るから、俺の手を、絶対に離さないでね」
リオンから差し出された手を繋ぐ。その手をリオンは握り締めると、大岩に手を差し出した。
「猫神の大宮司が命ずる。十三比良坂への道よ、開け」
低いリオンの声に呼応するかのように、大岩が光って、花凛たちの視界を塗り潰した。
光が消えると、花凛は思わず目を瞬いた。
「......わぁ!」
そこは、先ほどまでいた場所とはまるで違う薄暗い洞窟のような所だった。その中で、ふわりとリオンが手を上げると、それに応じるように光の玉が現れた。その光が、どこまでも続くかのような洞窟を淡く照らす。
「ここが......ダンジョン?」
「うん。ようこそ、十三比良坂へ」
リオンは花凛の手を握ったまま微笑むと、周囲を見渡した。いつものように優しい笑顔だったが、耳はぴんと立ち、瞳孔が大きく開いて周囲の気配を探っていた。
「まずは周囲を確認するね」
「うん」
花凛は声を潜めて、辺りを見回した。どこか遠くで何かが唸るような音がした。
ヒヤリと心臓が冷たくなる。まるでゲームみたいと浮かれる気分を消し去ってしまうように、不安が花凛を支配する。
そんな彼女の手を、リオンが強く握った。その温もりが不安を少し消してくれる。
「大丈夫だよ、花凛ちゃんは俺が守るから。でも、怖いなら、帰ってもいい」
「......ううん。行く」
(私がお願いして、せっかくリオン君が準備を整えてくれたんだから。それにリオン君が大丈夫って言うなら、きっと大丈夫)
少しだけ悩んで、花凛は不安に蓋をした。そんな彼女をリオンは心配するような目で見てから、苦笑した。彼女が言い出したら譲らないことを、リオンは知っていた。
「花凛ちゃん、足元に気をつけてね。ここは道が平らに見えても、石が滑ることがあるから」
「うん」
リオンは花凛の手を引き、ゆっくりと歩き始めた。
少し進むと、洞窟の壁際に小さな水たまりが見えてきた。水面には青白い光が反射し、静かに揺れている。
「綺麗......」
「この階層には、あの水を好む魔物がいるんだ」
「魔物?」
「うん。近くにいるかもしれないから、俺から離れないでね」
リオンがそう言った直後だった。水たまりの奥で、何かがぴちゃりと跳ねた。
「......!」
花凛が足を止める。
水面が大きく揺れ、その中から透明な塊がゆっくりと這い出してきた。ぷるぷると揺れる、青みがかった半透明の身体の中には、小さな光の粒が浮かんでいる。
「......スライム?」
「そう。水棲のスライムだね」
リオンは花凛を自分の後ろへ庇うように立った。
「見た目は可愛いけど、触らないでね。身体に触れると、少しだけ神力を吸われることがあるから」
「神力を......?」
「うん。でも、このスライムなら、俺がいれば危険はないよ」
リオンが花凛を庇うように一歩前へ出る。
すると、スライムは彼を敵と認識したのか、身体を大きく膨らませた。次の瞬間ぷるんと跳ねて......弾かれた。
「......今のは?」
「鏡の力だよ。これくらいの魔物なら問題なく弾いてくれる。......花凛ちゃん、書を使ってみる?」
「......うん」
花凛は左手首に着けた腕輪に手を伸ばす。触れるのは一番大きな石の横にある、紫の石だ。その石に触れながら書を取り出したいと願うと、その手に濃い紫色の表紙をした書が現れた。
「土克水。土属性の神術を使ってみようか。使いたい神術を思い浮かべながら、書を開いてみて」
「......分かった」
花凛は書を受け取り、そっと表紙を開いた。中には、見たことのない文字が並んでいる。なのに一文だけ読める。
「読んでみて」
「麒麟の名の元に命ずる。土よ槍となり、我が敵を封じよ」
何かを体から吸われる感覚があった。吸われた何かが書を輝かせ、それが地面へと向かうのを花凛は見た。
次の瞬間、ドッと音がして土が槍のように隆起し、音もなくスライムを刺した。刺されたスライムはスッと消えて小さな石に変わり、地面でカラリと音を立てた。
それをリオンは拾うと、花凛に手渡す。
「これは?」
「魔法石。魔物を倒すと出るんだよ」
「これが魔法石......」
黒く透き通った石は、宝石みたいだ。花凛は初めての戦利品を嬉しそうに眺める。
と、その時だった。
近くで獣の唸る声がした。
ザッと花凛を背後に隠し、リオンは辺りを探る。近づいてくる足音をリオンの耳は捕らえていた。
「花凛ちゃん、防御の神術を使って。君一人分、土属性でいい」
「え?」
「早く!」
急き立てられるままに花凛は書を開いた。そのまま書に載っている言葉を唱える。
「麒麟の名の元に命ずる。土の気よ、我を守る結界となれ」
花凛が唱え終わると同時に。
――それは姿を現した。