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第五話 黒の呪術


 呪術師が街の宿の一室を使えるなど、文字通り夢のような話だ。
 万一客室で呪術など使われようものなら、悪い噂が絶えず大変なことになる。
 誰だって呪術師を自分の店に近付けたくなどない。
 
 その晩も呪術師であるロキが宿の寝台で眠れているのは、ただユーリが傍にいるからという理由に他ならなかった。

「この街に目ぼしい物は無かったな。違う街に移るか」

 ユーリは手元の本に視線を落としながら独り言のように呟いた。
 この旅の目的は、呪術の逆探知に使う希少素材を集めるため。
 もちろんロキもそれは忘れていない。
 自分が抱えて歩いた二人分の荷物を整理しながら、ロキは黙ってその声を聞いていた。

(......今、言い出すべきか)

 その素材は自分の隠れ家に揃っているということ。
 本来ならば呪術の逆探知などする必要もないこと。
 探している呪術師が同じ部屋に寝泊まりしているということ。
 鞄の中で荷物を整える指が、微かに震えた。

『呪術師を見付けても、間違っても殺すなよ』
 
『僕がこの手で殺すから』

 ユーリの声が脳裏に蘇って響く。

(無理無理、やっぱり無理......!)
 
 今すぐ頭を抱えて叫び出したい衝動に駆られていると、不意に部屋が暗くなった。
 振り返ると、ユーリが照明魔道具ランプの明かりを消したところだった。

「寝る」

「あ、......はい」

 それは短い指示と同義だった。
 明かりが落とされた以上、これ以上荷物を整理する振りをして時間を潰すわけにもいかない。

 今日も真実を告白せずに済んだ。
 言わなくていい口実を得た。
 瞬間、そう思ってしまう自分に嫌悪感が沸き上がる。

(いや、だって仕方ないだろ! 人を呪って、おべっかついでに嘘も吐いて、そうやって生きてきたような人間なんだよ、こっちは!)

 誰に対するでもなく心の内で吐き捨てる。
 窓から差し込む月明りが薄く照らす部屋の中で、扉に近い方の寝台へと潜り込み、何かから逃げるように頭まで毛布をかぶった。


 *

 
 深夜。
 ロキは意識するよりも早く双眸を見開き、飛び起きた。
 じっと暗い壁を睨み付けて精神を研ぎ澄ませる。
 
 空気中を伝う、僅かな魔法の流れ。
 普通の魔術師には捉えきれない、呪術の気配だった。
 呼吸の音にさえ掻き消されてしまいそうなほど細く隠された緻密な気配を辿り、視線を向けた先にはユーリの眠る寝台があった。

(マズい、狙いは俺じゃない......!)

 毛布が絡む足をもつれさせながら床へと降り、もう一つの寝台へと駆け寄る。
 白い髪を枕の上に散らし、小さく寝息を立てるユーリの姿がそこにあった。
 ひとまず呼吸の音が聞こえたことにロキは安堵の息を吐く。

「あの、起きて......」

 声を掛けかけて、ふとその言葉を飲み込む。
 黒い髪を持たない者が呪術の気配に気付けないのは仕方がない。
 だがS級の冒険者が枕元に立たれてなおも気付かず眠り続けているのは、どう考えても不自然だった。

「起きて、ユーリ......! 起きろ!」

 強く肩を掴んで揺さぶる。だが、白い睫毛は持ち上がらない。
 ロキは舌打ちを零した。
 眠っている間は誰でも魔法への抵抗力が下がる。それはS級の冒険者だろうと変わらない。
 
 だが、仮にもユーリは『神授武器オラクル・レリック』である白の魔導書に選ばれた者だ。
 ロキがそうしたように、髪などの媒体一つで呪術を掛けたにしては、昏睡という症状はあまりに強力に思えた。

(まさか、位置が特定されている......!)

 呪いの効力を強めるには条件がある。
 対象の一部を媒体として用いること。
 対象の正しい名や顔を知ること。
 そして、対象が今いる位置を知ること。

 ロキは急いで窓にカーテンを引く。
 この部屋の窓よりも高い位置にある建物は周囲に幾らでもある。どこから術者の目が向いているかは分からない。
 だが、それも今更だ。既に術はユーリを捉えてしまっている。

(ユーリを眠らせてどうするつもりだ? まさか襲ってくるのか?)

 服の下で嫌な汗が伝う。
 宿には他の客もいる。奇襲を受けたら大変なことになる。
 全てを守って戦えるはずのユーリは目覚めない。
 ロキは唇を噛んだ。

(――いや、待て。落ち着け......ここには呪術師おれがいる)

 動揺で乱れそうな呼吸を押し殺しながら、自分の服へと触れる。

「ペン......チョーク、あとは媒体......何でもいい......何か」

 急いで自分の身体を探るものの、何も見つからない。
 照明を付けて視界を確保してから荷物に飛び付いて漁ると、冷たい細身のナイフが指先に触れた。
 携帯食を切り分けるような、武器としては心もとないものだがロキはそれを握って立ち上がる。

 深く息を吐き、利き手の内側を刃で裂く。
 動きに支障が出ないよう、深くは差し込まず、それでいて十分な血が溢れるように。
 肌を伝った鮮血はすぐに指先を濡らした。

「――よし」

 床に膝をつき、自らの血で床に大きく陣を描いていく。
 その手付きに迷いはない。今まで幾度も繰り返してきたことだ。
 目を閉じたとしても正しく描ける気がした。

 普通であれば、自らの血は用いない。術の反動が全て我が身に跳ね返り、不必要に消耗するからだ。
 その代わりに他の素材を媒体とする。
 だが、自身の血を使う利点が一つだけあった。

 陣が完成した瞬間、自分の脳と術が一つに繋がる。
 余計な媒体を挟まない分、術はいつもよりも高い精度で自分の中に根を張った。
 
 ユーリに向けられている呪術を、自分の意識で直接なぞり、辿っていく感覚。
 呪術の逆探知。ロキの得意分野だ。

「......っ」
 
 自身の血を介して脳に直接情報が叩き込まれていくような感覚に、視界が揺れる。
 いつもは媒体に掛かる負荷も、今は自分の身で受け止めるしかない。
 喉の奥から胃液が逆流しそうになり、思わず息を呑み込んだ。
 
 吐き気を堪えながら、自分の隣にもう一つ魔法陣を描く。
 視界はほぼ機能していない。術を辿った先の風景が映っている。
 
 手探りで小さな魔法陣を描き上げる寸前、自分のものではない視界の中に一つの影を見付けた。
 通りの向かいに立つ建物の窓際。呪術の発生地点。そこにいる黒い髪をした術師の姿だった。

「......見付けた」

 小さく呟いた唇の端が吊り上がる。
 手元の陣を完成させるなり、ユーリに結ばれている呪術が途切れ、代わりにその術者へと呪術が跳ね返った感覚があった。
 正しく術が機能していれば、今頃は床に転がって眠っているだろう。
 
 同時に探知の魔法が途切れ、視界が自分の瞳の映すものに切り替わる。
 仄暗い宿の一室。揺れる照明の光。
 気付けば頬には大粒の汗が伝い、肩で荒い呼吸を繰り返していた。

「......痛っ......」

 脳を直接揺さぶられるような頭痛に、頭を押さえる。
 自分の手で裂いた腕も、今更痛みを訴えて熱く脈打つ。

 その横で、呪術を断たれたユーリがゆっくりと身体を起こした。
 ロキは反射的にそれを見上げる。
 無事に目が覚めたと、小さく安堵の息を漏らす。

 ユーリの瞳は真っ先に床に血で描かれた魔法陣を。次にロキの姿を。
 人目を避けるように引かれたカーテンを一度振り返り、最後にまたロキの黒い瞳を捉えた。

「何これ」

「あ......」

 短い問い掛けにロキが答えようと口を開く。
 だが、すぐに言葉に詰まった。

(何を、説明すればいいんだ......)

 ユーリが呪術を掛けられていたこと。
 その呪術を辿り、断ち切ったこと。
 
 だが、それを説明するには、媒体を探しに出る必要など最初からなかったことまで明かす必要がある。
 積み重ねた嘘と躊躇が邪魔をして、結局は一つも声にならなかった。

「何を呪おうとしたの? 僕?」

 冷ややかな声にロキの肩が揺れる。
 見上げた先にはいつもの嘲笑さえもない、ただ無の表情があるばかりだった。
 温度のない瞳が、何も言えないまま凍り付いたロキを射貫く。

「僕を眠らせたんだ。大したものだね。でも――」

 意識がない間に作り上げられた魔法陣へと視線を落とし、ユーリはようやく口角を上げた。
 寝台から降りて立ち上がり、爪先に引っ掛けた靴の底で陣の端を踏み躙って壊す。

「失敗した。残念だったね」

 小さくそう笑って、ユーリは白い外套を纏う。
 そしてすぐに神授武器オラクル・レリックだけを抱えて部屋を出て行った。

 ロキは最後まで何も言えなかった。
 身体ごと固まったかのように床だけを見つめ、部屋を去るユーリの表情を確認することも出来なかった。挿絵AIで作った挿絵
 
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金欠呪術師、呪った相手に「呪術の逆探知」を依頼される。作者:酒麩
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 呪術師が街の宿の一室を使えるなど、文字通り夢のような話だ。
 万一客室で呪術など使われようものなら、悪い噂が絶えず大変なことになる。
 誰だって呪術師を自分の店に近付けたくなどない。
 
 その晩も呪術師であるロキが宿の寝台で眠れているのは、ただユーリが傍にいるからという理由に他ならなかった。

「この街に目ぼしい物は無かったな。違う街に移るか」

 ユーリは手元の本に視線を落としながら独り言のように呟いた。
 この旅の目的は、呪術の逆探知に使う希少素材を集めるため。
 もちろんロキもそれは忘れていない。
 自分が抱えて歩いた二人分の荷物を整理しながら、ロキは黙ってその声を聞いていた。

(......今、言い出すべきか)

 その素材は自分の隠れ家に揃っているということ。
 本来ならば呪術の逆探知などする必要もないこと。
 探している呪術師が同じ部屋に寝泊まりしているということ。
 鞄の中で荷物を整える指が、微かに震えた。

『呪術師を見付けても、間違っても殺すなよ』
 
『僕がこの手で殺すから』

 ユーリの声が脳裏に蘇って響く。

(無理無理、やっぱり無理......!)
 
 今すぐ頭を抱えて叫び出したい衝動に駆られていると、不意に部屋が暗くなった。
 振り返ると、ユーリが照明魔道具ランプの明かりを消したところだった。

「寝る」

「あ、......はい」

 それは短い指示と同義だった。
 明かりが落とされた以上、これ以上荷物を整理する振りをして時間を潰すわけにもいかない。

 今日も真実を告白せずに済んだ。
 言わなくていい口実を得た。
 瞬間、そう思ってしまう自分に嫌悪感が沸き上がる。

(いや、だって仕方ないだろ! 人を呪って、おべっかついでに嘘も吐いて、そうやって生きてきたような人間なんだよ、こっちは!)

 誰に対するでもなく心の内で吐き捨てる。
 窓から差し込む月明りが薄く照らす部屋の中で、扉に近い方の寝台へと潜り込み、何かから逃げるように頭まで毛布をかぶった。


 *

 
 深夜。
 ロキは意識するよりも早く双眸を見開き、飛び起きた。
 じっと暗い壁を睨み付けて精神を研ぎ澄ませる。
 
 空気中を伝う、僅かな魔法の流れ。
 普通の魔術師には捉えきれない、呪術の気配だった。
 呼吸の音にさえ掻き消されてしまいそうなほど細く隠された緻密な気配を辿り、視線を向けた先にはユーリの眠る寝台があった。

(マズい、狙いは俺じゃない......!)

 毛布が絡む足をもつれさせながら床へと降り、もう一つの寝台へと駆け寄る。
 白い髪を枕の上に散らし、小さく寝息を立てるユーリの姿がそこにあった。
 ひとまず呼吸の音が聞こえたことにロキは安堵の息を吐く。

「あの、起きて......」

 声を掛けかけて、ふとその言葉を飲み込む。
 黒い髪を持たない者が呪術の気配に気付けないのは仕方がない。
 だがS級の冒険者が枕元に立たれてなおも気付かず眠り続けているのは、どう考えても不自然だった。

「起きて、ユーリ......! 起きろ!」

 強く肩を掴んで揺さぶる。だが、白い睫毛は持ち上がらない。
 ロキは舌打ちを零した。
 眠っている間は誰でも魔法への抵抗力が下がる。それはS級の冒険者だろうと変わらない。
 
 だが、仮にもユーリは『神授武器オラクル・レリック』である白の魔導書に選ばれた者だ。
 ロキがそうしたように、髪などの媒体一つで呪術を掛けたにしては、昏睡という症状はあまりに強力に思えた。

(まさか、位置が特定されている......!)

 呪いの効力を強めるには条件がある。
 対象の一部を媒体として用いること。
 対象の正しい名や顔を知ること。
 そして、対象が今いる位置を知ること。

 ロキは急いで窓にカーテンを引く。
 この部屋の窓よりも高い位置にある建物は周囲に幾らでもある。どこから術者の目が向いているかは分からない。
 だが、それも今更だ。既に術はユーリを捉えてしまっている。

(ユーリを眠らせてどうするつもりだ? まさか襲ってくるのか?)

 服の下で嫌な汗が伝う。
 宿には他の客もいる。奇襲を受けたら大変なことになる。
 全てを守って戦えるはずのユーリは目覚めない。
 ロキは唇を噛んだ。

(――いや、待て。落ち着け......ここには呪術師おれがいる)

 動揺で乱れそうな呼吸を押し殺しながら、自分の服へと触れる。

「ペン......チョーク、あとは媒体......何でもいい......何か」

 急いで自分の身体を探るものの、何も見つからない。
 照明を付けて視界を確保してから荷物に飛び付いて漁ると、冷たい細身のナイフが指先に触れた。
 携帯食を切り分けるような、武器としては心もとないものだがロキはそれを握って立ち上がる。

 深く息を吐き、利き手の内側を刃で裂く。
 動きに支障が出ないよう、深くは差し込まず、それでいて十分な血が溢れるように。
 肌を伝った鮮血はすぐに指先を濡らした。

「――よし」

 床に膝をつき、自らの血で床に大きく陣を描いていく。
 その手付きに迷いはない。今まで幾度も繰り返してきたことだ。
 目を閉じたとしても正しく描ける気がした。

 普通であれば、自らの血は用いない。術の反動が全て我が身に跳ね返り、不必要に消耗するからだ。
 その代わりに他の素材を媒体とする。
 だが、自身の血を使う利点が一つだけあった。

 陣が完成した瞬間、自分の脳と術が一つに繋がる。
 余計な媒体を挟まない分、術はいつもよりも高い精度で自分の中に根を張った。
 
 ユーリに向けられている呪術を、自分の意識で直接なぞり、辿っていく感覚。
 呪術の逆探知。ロキの得意分野だ。

「......っ」
 
 自身の血を介して脳に直接情報が叩き込まれていくような感覚に、視界が揺れる。
 いつもは媒体に掛かる負荷も、今は自分の身で受け止めるしかない。
 喉の奥から胃液が逆流しそうになり、思わず息を呑み込んだ。
 
 吐き気を堪えながら、自分の隣にもう一つ魔法陣を描く。
 視界はほぼ機能していない。術を辿った先の風景が映っている。
 
 手探りで小さな魔法陣を描き上げる寸前、自分のものではない視界の中に一つの影を見付けた。
 通りの向かいに立つ建物の窓際。呪術の発生地点。そこにいる黒い髪をした術師の姿だった。

「......見付けた」

 小さく呟いた唇の端が吊り上がる。
 手元の陣を完成させるなり、ユーリに結ばれている呪術が途切れ、代わりにその術者へと呪術が跳ね返った感覚があった。
 正しく術が機能していれば、今頃は床に転がって眠っているだろう。
 
 同時に探知の魔法が途切れ、視界が自分の瞳の映すものに切り替わる。
 仄暗い宿の一室。揺れる照明の光。
 気付けば頬には大粒の汗が伝い、肩で荒い呼吸を繰り返していた。

「......痛っ......」

 脳を直接揺さぶられるような頭痛に、頭を押さえる。
 自分の手で裂いた腕も、今更痛みを訴えて熱く脈打つ。

 その横で、呪術を断たれたユーリがゆっくりと身体を起こした。
 ロキは反射的にそれを見上げる。
 無事に目が覚めたと、小さく安堵の息を漏らす。

 ユーリの瞳は真っ先に床に血で描かれた魔法陣を。次にロキの姿を。
 人目を避けるように引かれたカーテンを一度振り返り、最後にまたロキの黒い瞳を捉えた。

「何これ」

「あ......」

 短い問い掛けにロキが答えようと口を開く。
 だが、すぐに言葉に詰まった。

(何を、説明すればいいんだ......)

 ユーリが呪術を掛けられていたこと。
 その呪術を辿り、断ち切ったこと。
 
 だが、それを説明するには、媒体を探しに出る必要など最初からなかったことまで明かす必要がある。
 積み重ねた嘘と躊躇が邪魔をして、結局は一つも声にならなかった。

「何を呪おうとしたの? 僕?」

 冷ややかな声にロキの肩が揺れる。
 見上げた先にはいつもの嘲笑さえもない、ただ無の表情があるばかりだった。
 温度のない瞳が、何も言えないまま凍り付いたロキを射貫く。

「僕を眠らせたんだ。大したものだね。でも――」

 意識がない間に作り上げられた魔法陣へと視線を落とし、ユーリはようやく口角を上げた。
 寝台から降りて立ち上がり、爪先に引っ掛けた靴の底で陣の端を踏み躙って壊す。

「失敗した。残念だったね」

 小さくそう笑って、ユーリは白い外套を纏う。
 そしてすぐに神授武器オラクル・レリックだけを抱えて部屋を出て行った。

 ロキは最後まで何も言えなかった。
 身体ごと固まったかのように床だけを見つめ、部屋を去るユーリの表情を確認することも出来なかった。挿絵AIで作った挿絵
 
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金欠呪術師、呪った相手に「呪術の逆探知」を依頼される。作者:酒麩
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