
第三話 黒を拒む世界
ロキは今にも口から飛び出しそうになる心臓を押さえ付けるのでやっとだった。(無理無理無理......!)
高い外壁でぐるりと覆われた街の入り口となる門の前に、ユーリと並んで立っている。 門へと繋がる通りには多くの荷馬車が行き交い、門番が荷台の一つ一つを確認していた。「今から絞首台に登るみたいな辛気臭い顔やめてくれない?」 ユーリが呆れ半分、文句半分といった顔でロキを見る。 だが、ロキは縋るように自身のフードの端を掴み、首を横に振るだけで精一杯だった。
髪と顔を隠すため、フードを深く被り直す。 だが、呪術師の証である黒い髪は、そう簡単に隠せるものではなかった。 堂々と歩むユーリの背中を追って、顔を俯かせながら門を潜ろうとしたロキの腕を門番が掴む。「待て! お前その髪――」「あ......っ」 容赦なくフードを剥がされ、眩しいほどの日差しの中に黒い髪が晒された。 近くを通りかかった人物が小さな悲鳴にも似た声を上げる。「呪術師じゃないか! この街に何の用だ!」「っ......」「呪いを振り撒こうというのなら容赦はしないぞ!」 腕を掴む指に力が加えられ、黒髪の下でロキの表情が痛みに歪む。(......俺だって、好きで来ているわけじゃない......!)
これが呪術師の日常だった。 存在するだけで、魔物と同じような扱いを受ける。 ゆえに人目につかない場所で、隠れ暮らしてきたのだ。 呪うつもりなどない。 そう叫びたくても、喉に言葉が張り付いて出てこない。 どうせ聞き入れてもらえないことは自分が一番知っていた。
「あのさ」 門番が重ねて口を開きかけた時、静かな声がそれを遮った。 先を歩んでいたユーリが足を止め、振り返ってロキを、そしてロキの腕を掴む門番を見ていた。「僕の番犬に勝手に手出しするの、やめてもらえる?」 怒るでもない、静かな声だった。 門番は怪訝そうに表情を歪め、直後はっと気付いたように両目を見開いた。「S級冒険者の、ユーリ・アルセリア......!?」「そうだけど」 言いながらユーリは顎で門番の腕を指す。 門番は自分の腕とロキとを見比べた後、迷いの残る動作でロキの腕を離した。
顔をめいっぱいに俯かせながら、ロキは痛む腕を擦る。 その傍らで、ユーリは街に繋がる門を振り返っていた。「この街、呪術師を連れて入ってはならないっていう法でもあるの?」「法はありませんが......」「じゃあ良いよね」「ですが危険です!」 食い下がった門番に、ユーリはふと口元に笑みを描いた。「危険......?」 門番の言葉を短く復唱する。 その唇に浮かぶのは、綺麗な顔立ちとは不釣り合いな、明確な嘲笑の形だった。「この僕が、呪術師ごときを従え切れないとでも?」
片手に抱える白い魔導書を撫でながらユーリは笑った。 そして銀の睫毛に縁取られた瞳にロキの姿を映す。「試しに命じてみせようか? そいつは僕の命令通り三回回ってワンと鳴くよ」 揶揄うような、それでいて門番の男を値踏みするような問いだった。
S級の冒険者というのは、例外なく凄まじい力を持っている。 有事の際、その恩恵に与れるならそんなに心強いことはない。 反対にもし不興を買えば、助力を得たい時に見捨てられる危険性すらある。
門番も、その理をよく理解しているようだった。「二度は言わないよ」 返答を急かすようなユーリの声に門番の肩が揺れる。 そして。「......大変、失礼いたしました」 ユーリに頭を下げ、一歩退く。 再度フードを被り直したロキを引き留めるものは、もうなかった。「行くよ」 今度こそユーリの背を追って街へと足を踏み入れる。 先程よりも半歩分近く、手を伸ばせば白い服を掴めるような距離で。
街は洞窟の奥の仄暗く湿った小部屋とは程遠い、にぎやかな人の熱気に溢れていた。 大通りには屋台や露店が多く立ち並び、数えきれない程の食べ物の匂いが風に運ばれてくる。 馬によく似た魔物まで飼い慣らされ、石畳の上で荷車を引いていた。「わあ......!」 思わず声が溢れて、ロキは慌てて口を閉ざす。 人の暮らす街を目に映すのは一体何年ぶりだろうか。 妄想の中では何度も訪れたことがあっても、実際に目に映すのは生まれた街を追われて以来だった。
ユーリの背中からはぐれないように、横目で露店を眺めて歩く。 ロキの隠れ家にやって来る商人が、ずいぶんとぼったくった値段を掲げていたことを知った。 それから何度か、黒髪という言葉を掛けられ恐怖の眼差しを向けられもしたが、ユーリが隣にいるという事実だけで嘘のように事態が収束した。 そうして夜になり、宿の一階にある食堂で温かいスープを一口頬張った時。 ロキの身体は呼吸も忘れて固まった。「何? 毒が入ってるなんて言うなよ」 ユーリの怪訝そうな視線がロキに向く。 だが、言葉を返せるほどの余裕はなかった。(......美味い......)
温かいスープには野菜と肉の旨味が優しく溶け込んでいた。 普段は商人が売り付けてくる保存食しか口にするものがない。 乾燥した肉ならまだ良い方で、味のしない土を固めたような食感の携帯食をかじる時も少なくない。
不満を持ったことはなかった。 それ以外に生きる方法などない。仕方のないことだった。 けれど、今更過去の自分を哀れに思ってしまいそうなほど、飲み下したスープは温かく身体の内側に沁みた。「あ、その、美味しくて......」 しばらく遅れて、ようやく言葉を取り戻したロキはユーリに返す。 思い出したように慌てて口角を持ち上げ、肩をすくめて冗談めいた口振りに直した。「普段、干し肉ばかりかじっていたものですから」「何それ。犬だってもう少しマシなものを食べてるよ」 吐き捨てるような、短い言葉だった。 その後も焼きたてのパンに新鮮なサラダ。飲み込んでしまうのが惜しいほどに味の染みた柔らかな肉が順に卓の上に並び、皿の上が空になる頃にはすっかり満腹になっていた。 宿を取った部屋――当然、ユーリの金だが――に戻ると、ロキは重い腹を抱えたまま寝台に身体を横たえる。(うわ、これ......)
満腹だなんて贅沢な言葉を自分に当て嵌める日が訪れるとは思わなかった。 いつもより重く感じるその身体ごと包み込んでくれるような、柔らかい寝床。 黴の臭いもしない清潔な寝具。 魔道具によって適温に保たれた室内。(......こういうのを、幸せっていうのかも)
枕に顔を押し付けるようにして、熱く息を吐いた。(いや、調子に乗って幸せとか言ってちゃダメだ)
金のためにユーリを呪い、更に嘘を重ねて騙し、今に至る。 幸せなんて名の付くものに浸って許される身ではない。 何より、その嘘が剥がれた瞬間、殺される立場なのだ。 そっと顔を上げて、部屋の中にユーリの姿を探す。 照明一つに照らされた薄暗い部屋の中でも、白く輝く髪はすぐに見付かった。 魔導書を読み込んでいた瞳が、ロキの視線に気付いてすぐに向く。「何?」「......いえ」 ロキは慌てて視線を逸らす。「明日はお前の言った素材を探しにいく。寝坊したら寝台から蹴り落とすから」 その言葉を最後に、部屋にはまた沈黙が満ちた。 こんな毎日ならいいと、間違っても抱いてはいけない望みはすぐに捨てて。 ロキは寝台の上でゆっくりと瞼を落とした。
第三話 黒を拒む世界
ロキは今にも口から飛び出しそうになる心臓を押さえ付けるのでやっとだった。(無理無理無理......!)
高い外壁でぐるりと覆われた街の入り口となる門の前に、ユーリと並んで立っている。 門へと繋がる通りには多くの荷馬車が行き交い、門番が荷台の一つ一つを確認していた。「今から絞首台に登るみたいな辛気臭い顔やめてくれない?」 ユーリが呆れ半分、文句半分といった顔でロキを見る。 だが、ロキは縋るように自身のフードの端を掴み、首を横に振るだけで精一杯だった。
髪と顔を隠すため、フードを深く被り直す。 だが、呪術師の証である黒い髪は、そう簡単に隠せるものではなかった。 堂々と歩むユーリの背中を追って、顔を俯かせながら門を潜ろうとしたロキの腕を門番が掴む。「待て! お前その髪――」「あ......っ」 容赦なくフードを剥がされ、眩しいほどの日差しの中に黒い髪が晒された。 近くを通りかかった人物が小さな悲鳴にも似た声を上げる。「呪術師じゃないか! この街に何の用だ!」「っ......」「呪いを振り撒こうというのなら容赦はしないぞ!」 腕を掴む指に力が加えられ、黒髪の下でロキの表情が痛みに歪む。(......俺だって、好きで来ているわけじゃない......!)
これが呪術師の日常だった。 存在するだけで、魔物と同じような扱いを受ける。 ゆえに人目につかない場所で、隠れ暮らしてきたのだ。 呪うつもりなどない。 そう叫びたくても、喉に言葉が張り付いて出てこない。 どうせ聞き入れてもらえないことは自分が一番知っていた。
「あのさ」 門番が重ねて口を開きかけた時、静かな声がそれを遮った。 先を歩んでいたユーリが足を止め、振り返ってロキを、そしてロキの腕を掴む門番を見ていた。「僕の番犬に勝手に手出しするの、やめてもらえる?」 怒るでもない、静かな声だった。 門番は怪訝そうに表情を歪め、直後はっと気付いたように両目を見開いた。「S級冒険者の、ユーリ・アルセリア......!?」「そうだけど」 言いながらユーリは顎で門番の腕を指す。 門番は自分の腕とロキとを見比べた後、迷いの残る動作でロキの腕を離した。
顔をめいっぱいに俯かせながら、ロキは痛む腕を擦る。 その傍らで、ユーリは街に繋がる門を振り返っていた。「この街、呪術師を連れて入ってはならないっていう法でもあるの?」「法はありませんが......」「じゃあ良いよね」「ですが危険です!」 食い下がった門番に、ユーリはふと口元に笑みを描いた。「危険......?」 門番の言葉を短く復唱する。 その唇に浮かぶのは、綺麗な顔立ちとは不釣り合いな、明確な嘲笑の形だった。「この僕が、呪術師ごときを従え切れないとでも?」
片手に抱える白い魔導書を撫でながらユーリは笑った。 そして銀の睫毛に縁取られた瞳にロキの姿を映す。「試しに命じてみせようか? そいつは僕の命令通り三回回ってワンと鳴くよ」 揶揄うような、それでいて門番の男を値踏みするような問いだった。
S級の冒険者というのは、例外なく凄まじい力を持っている。 有事の際、その恩恵に与れるならそんなに心強いことはない。 反対にもし不興を買えば、助力を得たい時に見捨てられる危険性すらある。
門番も、その理をよく理解しているようだった。「二度は言わないよ」 返答を急かすようなユーリの声に門番の肩が揺れる。 そして。「......大変、失礼いたしました」 ユーリに頭を下げ、一歩退く。 再度フードを被り直したロキを引き留めるものは、もうなかった。「行くよ」 今度こそユーリの背を追って街へと足を踏み入れる。 先程よりも半歩分近く、手を伸ばせば白い服を掴めるような距離で。
街は洞窟の奥の仄暗く湿った小部屋とは程遠い、にぎやかな人の熱気に溢れていた。 大通りには屋台や露店が多く立ち並び、数えきれない程の食べ物の匂いが風に運ばれてくる。 馬によく似た魔物まで飼い慣らされ、石畳の上で荷車を引いていた。「わあ......!」 思わず声が溢れて、ロキは慌てて口を閉ざす。 人の暮らす街を目に映すのは一体何年ぶりだろうか。 妄想の中では何度も訪れたことがあっても、実際に目に映すのは生まれた街を追われて以来だった。
ユーリの背中からはぐれないように、横目で露店を眺めて歩く。 ロキの隠れ家にやって来る商人が、ずいぶんとぼったくった値段を掲げていたことを知った。 それから何度か、黒髪という言葉を掛けられ恐怖の眼差しを向けられもしたが、ユーリが隣にいるという事実だけで嘘のように事態が収束した。 そうして夜になり、宿の一階にある食堂で温かいスープを一口頬張った時。 ロキの身体は呼吸も忘れて固まった。「何? 毒が入ってるなんて言うなよ」 ユーリの怪訝そうな視線がロキに向く。 だが、言葉を返せるほどの余裕はなかった。(......美味い......)
温かいスープには野菜と肉の旨味が優しく溶け込んでいた。 普段は商人が売り付けてくる保存食しか口にするものがない。 乾燥した肉ならまだ良い方で、味のしない土を固めたような食感の携帯食をかじる時も少なくない。
不満を持ったことはなかった。 それ以外に生きる方法などない。仕方のないことだった。 けれど、今更過去の自分を哀れに思ってしまいそうなほど、飲み下したスープは温かく身体の内側に沁みた。「あ、その、美味しくて......」 しばらく遅れて、ようやく言葉を取り戻したロキはユーリに返す。 思い出したように慌てて口角を持ち上げ、肩をすくめて冗談めいた口振りに直した。「普段、干し肉ばかりかじっていたものですから」「何それ。犬だってもう少しマシなものを食べてるよ」 吐き捨てるような、短い言葉だった。 その後も焼きたてのパンに新鮮なサラダ。飲み込んでしまうのが惜しいほどに味の染みた柔らかな肉が順に卓の上に並び、皿の上が空になる頃にはすっかり満腹になっていた。 宿を取った部屋――当然、ユーリの金だが――に戻ると、ロキは重い腹を抱えたまま寝台に身体を横たえる。(うわ、これ......)
満腹だなんて贅沢な言葉を自分に当て嵌める日が訪れるとは思わなかった。 いつもより重く感じるその身体ごと包み込んでくれるような、柔らかい寝床。 黴の臭いもしない清潔な寝具。 魔道具によって適温に保たれた室内。(......こういうのを、幸せっていうのかも)
枕に顔を押し付けるようにして、熱く息を吐いた。(いや、調子に乗って幸せとか言ってちゃダメだ)
金のためにユーリを呪い、更に嘘を重ねて騙し、今に至る。 幸せなんて名の付くものに浸って許される身ではない。 何より、その嘘が剥がれた瞬間、殺される立場なのだ。 そっと顔を上げて、部屋の中にユーリの姿を探す。 照明一つに照らされた薄暗い部屋の中でも、白く輝く髪はすぐに見付かった。 魔導書を読み込んでいた瞳が、ロキの視線に気付いてすぐに向く。「何?」「......いえ」 ロキは慌てて視線を逸らす。「明日はお前の言った素材を探しにいく。寝坊したら寝台から蹴り落とすから」 その言葉を最後に、部屋にはまた沈黙が満ちた。 こんな毎日ならいいと、間違っても抱いてはいけない望みはすぐに捨てて。 ロキは寝台の上でゆっくりと瞼を落とした。