告白
それから鬼は、私とともに在った。
大学を卒業した私は、この神社へ権禰宜として奉職することになった。
田舎ゆえに、宮司は多くの神社を兼任している。
私も宮司とともに、いくつもの社を回り、毎日を忙しく過ごした。
鬼はいつも鳥居の向こう側で私を見守ってくれていた。その眼差しは温かく、私はいつも鬼の優しさを感じていた。
一日の奉仕が終わり、祖母の家へ戻る。
畳に寝転ぶと、鬼がすぐ側の縁側に座った。
「ヒトよ。今日の祝詞はとてもよかったぞ」
「ふふ、だいぶ上手くなったでしょ」
「ああ。お前はよくやっている」
「明日は姫神さまのお社で、祭りの準備をしなくちゃ......」
そう呟いているうちに、私は睡魔に襲われた。
意識が途切れる少し前、閉じきらない瞼の向こうで、鬼が空を見上げるのが見えた。
「我は、罪深いな」
その言葉の意味は、私にはわからなかった。
ただ、私の手に鬼の手が重なる。
その冷たさに安心して、私は眠りについた。
そうして、いくつもの年が過ぎていった。
私は権禰宜から禰宜となり、やがて宮司を支える立場になった。
祝詞を読む声は落ち着き、祭りの段取りにも迷わなくなった。
「今日の祭りはよく整っていたぞ」
「鬼に褒められると、宮司に褒められるより嬉しいな」
「それは罰当たりではないか」
「姫神さまには内緒にして」
鬼は、困ったように笑った。
私は年を重ねた。
一緒に地域の神社を支えた宮司は老い、やがてこの社を離れた。
その後を継ぎ、私はこの社の宮司となった。
兼任の社はいくつもあり、楽な仕事ではなかったが、不満はなかった。
私の側には、常に鬼がいた。
朝、鳥居をくぐる前に、私はいつも桜の木を見た。
花をつけない桜の下で、鬼は白い姿のまま立っている。
白く美しい長い髪、雪のような肌、骨のような角、宝石のように美しい赤い瞳。
私だけが少しずつ老いていく。
「白髪が増えたな」
「鬼に言われたくないな。鬼は最初から真っ白じゃないですか」
「我の白と、そなたの白は違う」
「どう違うんですか?」
「お前の白は、生きた証だ」
その言葉に、私は少しだけ笑った。
やがて、足腰が弱り、石段を上がる息が重くなっていった。
祝詞をあげる途中で、喉が引っかかる日も増えた。
咳をすると、鬼はいつも私の背に手を添えてくれた。
冷たい手。
私はその冷たさに安堵を覚えた。
「無理をするな」
「宮司が祭りの日に休めるわけないでしょう」
「人は、すぐに壊れる」
「知ってますよ」
私は笑った。
「でも、まだここにいたいんです」
鬼はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、いつものように、鳥居の側の桜を見上げていた。
咳が頻回に出るようになり、私は病院へ通うようになった。
いくつかの検査を受け、診察室で医師から病名を告げられた。
なんとなく、良くない咳であることは自分でもわかっていた。だから余命を告げられても、「やはりそうか」と腑に落ちただけだった。
それから姫神の神社には、後継となる新しい権禰宜がやってきた。
私は、彼が一人立ちできるよう、様々なことを教えた。
そんな私を、鬼は鳥居の向こう側の、桜の木の下で、いつも見つめていた。
「宮司さん、おはようございます」
若い権禰宜が元気に挨拶をしてくる。
私は彼に返事をして、鳥居の方へ歩いて行った。
昔はなんでもない距離だったのに、弱った足ではたどり着くにも時間がかかる。
穏やかな春の日差しの中、鬼がいつものように桜の木の下に佇んでいた。
私は鬼に笑いかける。
鬼もまた、私に微笑んだ。
「大丈夫か? ヒトよ」
「ふふ、そうですねぇ......」
私は上がった息を整えるため、空を見上げた。
「あ」
あの日、姫神さまが咲かせて以来、花をつけたことのない桜の木に、小さな蕾がいくつもついていた。
まるで、私の想いを姫神さまが後押しして下さるように。
「......ああ......」
私は瞼を閉じた。
初めて白い鬼と出会った日。
影の小指に、自分の影を重ねた日。
鬼が桜の影に飲まれそうで、不安だった日。
姫神さまの御力で、鬼の穢れが祓われた日。
そして、穏やかに過ぎていった長い日々。
それらが、泡のように浮かんでは消えていく。
「どうした? ヒトよ」
「......貴方に、聞いてほしいことがあります」
「なんだ?」
私は、鬼の赤い瞳をまっすぐに見つめた。
「私の名は『――』です」
鬼が目を見開いた。
「名を、告げるなと言ったはずだ。良くないことがおきると」
鬼の声が、かすかに震えた。
「ええ」
「名を知った以上、我はそなたをさらうぞ」
私は笑った。
「貴方なら、いい」
「だめだ。そなたは人として全うするのだ。今ならまだ......」
「私は、貴方とともに在りたい」
初めて、鬼の瞳に涙があふれた。
「私は、貴方のことが、大好きなのですよ」
この一言を伝えるために、一生かかった。
鬼は頬を涙で濡らしながら、私へ近づいてきた。
「いいのか」
「ええ」
鬼の腕が、私を抱きしめる。
「我はなんと罪深い......」
「その罪は、私と半分こしましょう」
私の頬にも涙が流れた。
「我も、そなたが――」
その時、桜の蕾が祝福するようにふわりと開いた。
夕刻になり家へ戻った私は布団に横たわり、見守る鬼にそっと手を伸ばし、小指を立てた。
空約束でなく、本当の約束を求めて。
「これからも、ずっと側にいて下さい」
「ああ。約束しよう」
つながれた小指の感触だけが、最期まで残っていた。
─ 終 ─