ホーム動画配信革命記第三部「善意は笑う。」
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第三部「善意は笑う。」

「高層ビルの屋上から愛を叫ぶ」──のちにそう称されることになるその社会現象は、発生からわずか数か月で、日本社会の倫理と救済の仕組みを根底から再定義してしまった。

清水良正が命を賭けてこじ開けた「命のオークション」の扉は、現代社会が抱えていた「承認欲求」「効率主義」「デジタル通貨」、そして「むき出しの善意」という可燃物に火をつけ、またたく間に巨大な経済圏へと姿を変えた。

もちろん、清水自身は建造物侵入や業務妨害の容疑で逮捕された。だが、ネットが彼に勝手に与えた「善意の時効」という名の免罪符は、すでに消すことのできない前例となっていた。



「おいおい、そこの角度じゃ、地上からスマホを向けたときに光が反射して顔が見えない。あと五センチ前へ出ろ」

「でも、これ以上行くと本当に......」


「いいから出ろ! その方が『映える』んだよ。視聴者はな、お前の覚悟のグラデーションを見に来てんだ。安全圏にいる奴の説教に、誰が金出すかよ!」


港区の、とある四十階建てビルの屋上。
剥き出しのコンクリートの上で、ノートパソコンを開いた男が、鋭い声で指示を飛ばしていた。
その視線の先では、安全靴を履いた中年男性が、片足を屋上の縁から虚空へと突き出している。

男の名は、前田秀樹。

かつては売れないネットアイドルのプロデューサーや、怪しい情報商材のマーケターを転々としていた男だ。しかし今、彼の名刺には神々しいフォントでこう印刷されている。

『一般社団法人 日本ライフ・ディレクション協会 代表理事/寄付コンサルタント』
前田のような人間が、全国の屋上に雨後の筍のように現れていた。
彼らは、本当に困窮していながら「見せ方」を知らない素人をスカウトし、命のステージへと送り出す「死の演出家」だった。

前田は手元のタブレットで「共感度シミュレーター」の数値を確認しながら、震える中年男性──鈴木の背中を、誰にも見えない位置から、そっと、しかし力強く支えていた。

「いいか、鈴木さん。あんたの動機は『会社が出した不渡りの穴埋め』だ」

「これは、はっきり言ってストーリーとしては最悪の部類だ。大衆はな、自己責任の匂いがする他人の借金には、反吐が出るほど冷酷になる。過去の経営ミスなんて、彼らにとっては時効にならない罪だからな」


『現在のプロットでの目標三億円達成確率:四・二%』
タブレットの画面に、冷徹なグラフが表示される。

「じゃあ、どうすれば......! 従業員とその家族、合わせて八十人が路頭に迷うんです。これしか、これしか方法がないんだ!」

鈴木の額から流れる汗が、はるか数百メートル下のアスファルトへと吸い込まれていく。
前田は、鈴木の恐怖も焦燥も絶望も、すべて計算へと置き換えていく。

それでも、鈴木から目を逸らすことはなかった。

「だから、演出が必要なんだよ」

前田は画面から目を離し、鈴木をまっすぐに見つめた。
「家族の写真はあるか? ......あるな」

「入院した写真は?」

「......ありません」

「なら作る」

「......鈴木さん。あんたは、悪徳な取引先に騙された『純粋な被害者』ってことに書き換える」

前田は無言で腰のハーネスを引いた。
金具が乾いた音を立てる。
もう一度、肩のベルトを締め直す。
「......痛いか」

鈴木は小さくうなずいた。

「それでいい」


前田は最後にバックルを強く押し込み、静かに言った。
「お前を絶対に死なせはしない」

「だが、本気で落ちるつもりでやれ」

「そんな......嘘をつくのか......」

「嘘じゃない。正当なプロデュースだ」

「本当に従業員を救いたいんだろ?」 

「......なら、大衆の感情をハックしろ」

「あんたみたいな不器用な人間を、悪者にして死なせるわけにはいかないんだよ......」

前田は鈴木の震える肩をポンと叩くと、自らはカメラに映らない物陰へと身を隠した。
そして配信開始のボタンをゆっくり押した。
日常となった景色の、これが裏側だった。

この狂気を受け入れたのは、困窮者とコンサルタントだけではない。
最も激しく踊り狂ったのは、それを見る「大衆」であり、大衆の注目を集める「企業」だった。


夜のゴールデンタイム。
かつてバラエティ番組やドラマが放送されていた枠は、今や全局が『リアルタイム・ライフスタジアム』という名の屋上生中継特番に差し替えられていた。

──『リアルタイム・ライフスタジアム』総合ランキング──
世界同時配信の画面には、刻一刻と変動する数字が並ぶ。

一位
港区女子・美咲(二十四)
現在の残高:四億二千万円

二位
東西町工場・鈴木(四十五)
現在の残高:九千八百万円

三位
自己破産寸前・佐藤(三十一)
現在の残高:三百二十万円

※本日のメインスポンサー:城下町銀行、メガ・ライフ生命保険

画面の隅では、競馬のオッズや株価チャートのように、各屋上の「寄付スピード(円/分)」が、
リアルタイムで明滅している。

「さあ! 画面に映っておりますのは、現在トップを独走中の美咲さん!『実家の老舗旅館を救いたい』という訴えに、世界中から凄まじい額が寄せられています! 応援率は驚異の九十四%! すでに目標額を大きく上回る四億二千万円に達しました! 彼女の美しい涙が、デジタルの数字を黄金へと変えていく!」
実況アナウンサーの声が、まるでワールドカップの決勝戦のように興奮に震える。

テレビ局にとっては、これ以上ない最高のお化けコンテンツだった。
番組制作費も出演料も、ほとんどかからない。
集まった寄付から「救済可視化手数料」として、三十%を差し引けば、それだけで莫大な利益が残る。
視聴率は常に四十%を超え、スポンサー枠は奪い合いだった。

企業もまた、この濁流に飛び込んだ。
メガバンクの一角である『城下町銀行』は、即座に新しいプレスリリースを発表した。
「当行は、命の危機に立ち向かうすべての人々を応援します。期間中、屋上配信口座への振込手数料を完全無料化します。さらに、一般の寄付額一万円ごとに、当行が独自に五百円を上乗せする『命の応援上乗せプラン』を実施いたします」
この発表により、城下町銀行の株価はストップ高を記録。
「人道的な最先端企業」として世界中から絶賛された。

一方で、この濁流に毅然と抗おうとした者もいた。

競合他社である『和皇中央銀行』の頭取は、定例記者会見で不快感を露わにした。
「このような超法規的かつ、一歩間違えれば重大な事故につながりかねない危険な行為に、健全な金融機関として加担することは断じてできない。当行は、屋上配信に関連する口座開設および送金への対応を一切拒絶する」

正論だった。


大手金融機関のトップとして、極めてまっとうな判断だった。
だが、その正論は、会見終了から数分も経たないうちに「命を見捨てる宣言」へと翻訳された。
ネットは瞬く間に炎上し、善意と正義の濁流へと姿を変えた。

翌朝。
全国の和皇中央銀行の窓口には、預金を引き出す人、口座を解約しようとする人の列ができた。
さらに、グローバル企業や大手自動車メーカーなどが、融資取引の解消と法人口座の移管を発表した。
同行の株式を大量に保有する海外の大口ファンドも、連名で「社会的救済の潮流に逆行する行為」として、経営陣を糾弾する公開批判声明を発表した。



一週間後。
カメラのフラッシュが激しく焚かれる中、和皇中央銀行の頭取は、深く、深く頭を下げていた。

テレビ局は「国民の知る権利と、命の救済の可視化」を謳う。
企業は「社会的責任と、次世代の福祉への貢献」を謳う。
大衆は「スマホ一台で、いつでも誰かの神になれる快感」を消費する。

誰も悪意を持っていない。

全員が「善意」と「正義」と「経済合理性」の歯車として、完璧に、心地よく回転している。
しかし、その回転の中心にあるのは、確実に変質してしまった「人間の命の価値」だった。

人気が人気を呼び、金が金を呼ぶアルゴリズムによって、このシステムはさらに残酷なものへと変貌した。

AIが「寄付の集まりやすさ」を予測し、それを画面にパーセンテージで表示するようになると、
寄付する側の大衆も、その数字を競馬の勝ち馬を選ぶような感覚で見るようになった。

「確率が低い奴に投げても、結局目標額に届かなくて無駄死にするだけだろ?」

「どうせなら、あと少しで達成して、屋上から生還する感動が見られる奴に投げたいよね」
大衆の善意は、「コスパの良い感動」が得られる場所へと集中した。



ある日の深夜。
きらびやかなネオンが輝く商業ビルのすぐ裏手、古びた雑居ビルの屋上に、一人の老人が立っていた。
衣服は擦り切れ、肌は土色に汚れ、寒さで全身を小刻みに震わせている。
明日の食費すらない老人だった。

老人は、手に入れたばかりの格安スマートフォンを掲げ、震える声で画面に向かって呟いた。
「お、お願いします......。助けて、ください......。お腹が、空いて......」
老人の配信画面。
同時閲覧数は「12」

そこに並ぶコメントは、冷酷極まりない査定の言葉だけだった。
『うわ、地味すぎ。演出ゼロかよ』

『バックボーンが弱すぎる。ただの自己責任の老人じゃん』

『爺さん、本当に困ってる証拠はどこにあるんだよ』



画面の下部に表示された城下町銀行の口座残高は、【3円】のまま、ぴくりとも動かない。
老人の視線の先、二十メートルほど離れた隣の高層ビルでは、きらびやかな照明を浴びた女子高校生が、スマートフォンに向かって可愛らしく涙を拭いながら叫んでいた。
「皆さんのおかげで、目標だった一千万円達成しました!」
「ありがとうございました!」

「わしの命は......三円か......」
老人は、がたがたと震える手からスマートフォンを落とし、その場に膝から崩れ落ちた。
彼には、ビルから飛び降りる勇気さえ残っていなかった。

国が築いたセーフティネットは完全に形骸化し、今や、ネットの人々に「可愛い」「可哀想」「共感できる」と思われるかどうかだけが、唯一の査定基準となっていた。



第三部「善意は笑う。」

 第四部へつづく
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第四部「全ては、藪の中に。」
動画配信革命記作者:夏目六華
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「高層ビルの屋上から愛を叫ぶ」──のちにそう称されることになるその社会現象は、発生からわずか数か月で、日本社会の倫理と救済の仕組みを根底から再定義してしまった。

清水良正が命を賭けてこじ開けた「命のオークション」の扉は、現代社会が抱えていた「承認欲求」「効率主義」「デジタル通貨」、そして「むき出しの善意」という可燃物に火をつけ、またたく間に巨大な経済圏へと姿を変えた。

もちろん、清水自身は建造物侵入や業務妨害の容疑で逮捕された。だが、ネットが彼に勝手に与えた「善意の時効」という名の免罪符は、すでに消すことのできない前例となっていた。



「おいおい、そこの角度じゃ、地上からスマホを向けたときに光が反射して顔が見えない。あと五センチ前へ出ろ」

「でも、これ以上行くと本当に......」


「いいから出ろ! その方が『映える』んだよ。視聴者はな、お前の覚悟のグラデーションを見に来てんだ。安全圏にいる奴の説教に、誰が金出すかよ!」


港区の、とある四十階建てビルの屋上。
剥き出しのコンクリートの上で、ノートパソコンを開いた男が、鋭い声で指示を飛ばしていた。
その視線の先では、安全靴を履いた中年男性が、片足を屋上の縁から虚空へと突き出している。

男の名は、前田秀樹。

かつては売れないネットアイドルのプロデューサーや、怪しい情報商材のマーケターを転々としていた男だ。しかし今、彼の名刺には神々しいフォントでこう印刷されている。

『一般社団法人 日本ライフ・ディレクション協会 代表理事/寄付コンサルタント』
前田のような人間が、全国の屋上に雨後の筍のように現れていた。
彼らは、本当に困窮していながら「見せ方」を知らない素人をスカウトし、命のステージへと送り出す「死の演出家」だった。

前田は手元のタブレットで「共感度シミュレーター」の数値を確認しながら、震える中年男性──鈴木の背中を、誰にも見えない位置から、そっと、しかし力強く支えていた。

「いいか、鈴木さん。あんたの動機は『会社が出した不渡りの穴埋め』だ」

「これは、はっきり言ってストーリーとしては最悪の部類だ。大衆はな、自己責任の匂いがする他人の借金には、反吐が出るほど冷酷になる。過去の経営ミスなんて、彼らにとっては時効にならない罪だからな」


『現在のプロットでの目標三億円達成確率:四・二%』
タブレットの画面に、冷徹なグラフが表示される。

「じゃあ、どうすれば......! 従業員とその家族、合わせて八十人が路頭に迷うんです。これしか、これしか方法がないんだ!」

鈴木の額から流れる汗が、はるか数百メートル下のアスファルトへと吸い込まれていく。
前田は、鈴木の恐怖も焦燥も絶望も、すべて計算へと置き換えていく。

それでも、鈴木から目を逸らすことはなかった。

「だから、演出が必要なんだよ」

前田は画面から目を離し、鈴木をまっすぐに見つめた。
「家族の写真はあるか? ......あるな」

「入院した写真は?」

「......ありません」

「なら作る」

「......鈴木さん。あんたは、悪徳な取引先に騙された『純粋な被害者』ってことに書き換える」

前田は無言で腰のハーネスを引いた。
金具が乾いた音を立てる。
もう一度、肩のベルトを締め直す。
「......痛いか」

鈴木は小さくうなずいた。

「それでいい」


前田は最後にバックルを強く押し込み、静かに言った。
「お前を絶対に死なせはしない」

「だが、本気で落ちるつもりでやれ」

「そんな......嘘をつくのか......」

「嘘じゃない。正当なプロデュースだ」

「本当に従業員を救いたいんだろ?」 

「......なら、大衆の感情をハックしろ」

「あんたみたいな不器用な人間を、悪者にして死なせるわけにはいかないんだよ......」

前田は鈴木の震える肩をポンと叩くと、自らはカメラに映らない物陰へと身を隠した。
そして配信開始のボタンをゆっくり押した。
日常となった景色の、これが裏側だった。

この狂気を受け入れたのは、困窮者とコンサルタントだけではない。
最も激しく踊り狂ったのは、それを見る「大衆」であり、大衆の注目を集める「企業」だった。


夜のゴールデンタイム。
かつてバラエティ番組やドラマが放送されていた枠は、今や全局が『リアルタイム・ライフスタジアム』という名の屋上生中継特番に差し替えられていた。

──『リアルタイム・ライフスタジアム』総合ランキング──
世界同時配信の画面には、刻一刻と変動する数字が並ぶ。

一位
港区女子・美咲(二十四)
現在の残高:四億二千万円

二位
東西町工場・鈴木(四十五)
現在の残高:九千八百万円

三位
自己破産寸前・佐藤(三十一)
現在の残高:三百二十万円

※本日のメインスポンサー:城下町銀行、メガ・ライフ生命保険

画面の隅では、競馬のオッズや株価チャートのように、各屋上の「寄付スピード(円/分)」が、
リアルタイムで明滅している。

「さあ! 画面に映っておりますのは、現在トップを独走中の美咲さん!『実家の老舗旅館を救いたい』という訴えに、世界中から凄まじい額が寄せられています! 応援率は驚異の九十四%! すでに目標額を大きく上回る四億二千万円に達しました! 彼女の美しい涙が、デジタルの数字を黄金へと変えていく!」
実況アナウンサーの声が、まるでワールドカップの決勝戦のように興奮に震える。

テレビ局にとっては、これ以上ない最高のお化けコンテンツだった。
番組制作費も出演料も、ほとんどかからない。
集まった寄付から「救済可視化手数料」として、三十%を差し引けば、それだけで莫大な利益が残る。
視聴率は常に四十%を超え、スポンサー枠は奪い合いだった。

企業もまた、この濁流に飛び込んだ。
メガバンクの一角である『城下町銀行』は、即座に新しいプレスリリースを発表した。
「当行は、命の危機に立ち向かうすべての人々を応援します。期間中、屋上配信口座への振込手数料を完全無料化します。さらに、一般の寄付額一万円ごとに、当行が独自に五百円を上乗せする『命の応援上乗せプラン』を実施いたします」
この発表により、城下町銀行の株価はストップ高を記録。
「人道的な最先端企業」として世界中から絶賛された。

一方で、この濁流に毅然と抗おうとした者もいた。

競合他社である『和皇中央銀行』の頭取は、定例記者会見で不快感を露わにした。
「このような超法規的かつ、一歩間違えれば重大な事故につながりかねない危険な行為に、健全な金融機関として加担することは断じてできない。当行は、屋上配信に関連する口座開設および送金への対応を一切拒絶する」

正論だった。


大手金融機関のトップとして、極めてまっとうな判断だった。
だが、その正論は、会見終了から数分も経たないうちに「命を見捨てる宣言」へと翻訳された。
ネットは瞬く間に炎上し、善意と正義の濁流へと姿を変えた。

翌朝。
全国の和皇中央銀行の窓口には、預金を引き出す人、口座を解約しようとする人の列ができた。
さらに、グローバル企業や大手自動車メーカーなどが、融資取引の解消と法人口座の移管を発表した。
同行の株式を大量に保有する海外の大口ファンドも、連名で「社会的救済の潮流に逆行する行為」として、経営陣を糾弾する公開批判声明を発表した。



一週間後。
カメラのフラッシュが激しく焚かれる中、和皇中央銀行の頭取は、深く、深く頭を下げていた。

テレビ局は「国民の知る権利と、命の救済の可視化」を謳う。
企業は「社会的責任と、次世代の福祉への貢献」を謳う。
大衆は「スマホ一台で、いつでも誰かの神になれる快感」を消費する。

誰も悪意を持っていない。

全員が「善意」と「正義」と「経済合理性」の歯車として、完璧に、心地よく回転している。
しかし、その回転の中心にあるのは、確実に変質してしまった「人間の命の価値」だった。

人気が人気を呼び、金が金を呼ぶアルゴリズムによって、このシステムはさらに残酷なものへと変貌した。

AIが「寄付の集まりやすさ」を予測し、それを画面にパーセンテージで表示するようになると、
寄付する側の大衆も、その数字を競馬の勝ち馬を選ぶような感覚で見るようになった。

「確率が低い奴に投げても、結局目標額に届かなくて無駄死にするだけだろ?」

「どうせなら、あと少しで達成して、屋上から生還する感動が見られる奴に投げたいよね」
大衆の善意は、「コスパの良い感動」が得られる場所へと集中した。



ある日の深夜。
きらびやかなネオンが輝く商業ビルのすぐ裏手、古びた雑居ビルの屋上に、一人の老人が立っていた。
衣服は擦り切れ、肌は土色に汚れ、寒さで全身を小刻みに震わせている。
明日の食費すらない老人だった。

老人は、手に入れたばかりの格安スマートフォンを掲げ、震える声で画面に向かって呟いた。
「お、お願いします......。助けて、ください......。お腹が、空いて......」
老人の配信画面。
同時閲覧数は「12」

そこに並ぶコメントは、冷酷極まりない査定の言葉だけだった。
『うわ、地味すぎ。演出ゼロかよ』

『バックボーンが弱すぎる。ただの自己責任の老人じゃん』

『爺さん、本当に困ってる証拠はどこにあるんだよ』



画面の下部に表示された城下町銀行の口座残高は、【3円】のまま、ぴくりとも動かない。
老人の視線の先、二十メートルほど離れた隣の高層ビルでは、きらびやかな照明を浴びた女子高校生が、スマートフォンに向かって可愛らしく涙を拭いながら叫んでいた。
「皆さんのおかげで、目標だった一千万円達成しました!」
「ありがとうございました!」

「わしの命は......三円か......」
老人は、がたがたと震える手からスマートフォンを落とし、その場に膝から崩れ落ちた。
彼には、ビルから飛び降りる勇気さえ残っていなかった。

国が築いたセーフティネットは完全に形骸化し、今や、ネットの人々に「可愛い」「可哀想」「共感できる」と思われるかどうかだけが、唯一の査定基準となっていた。



第三部「善意は笑う。」

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