通り名
時は少し遡り―――。
慚を見届け、シテを宿に帰した後。
無事に傷が癒えたアイは、湖で浴を行う。
死者の心の想いを面にしてアイは舞う。
時々、アイは想いを浄化しきれず、澱のように疲れてしまうことがある。
『アイ...無事か...?』
その想いを浄化するために行うのが、浴であった。神聖な水で浄化しきれていない内側の想いを浄化させる役割を持つ。
「イアか」
そして、その様子をイアが見にきていた。
「心配するな、この通り元気だよ」
そう言いながら、湖から水を掬い取り、イアに軽く投げかけた。
『アイ...必要なら、私が身代わりになる』
イアの言葉に、アイの顔は曇る。
「お前はいつもそうやって話を飛躍させる」
『...私は、ただお前が心配で...』
「イア、よく聞け」
「あの少年は、普通の人間じゃない」
突然の言葉に、イアは首を傾げた。
「件で、私はあの少年の中から無理矢理に面を作ったんだ」
その言葉に、イアは頷く。
「前提がおかしいんだ」
アイの言葉に、イアは疑問を抱いた。
『何がだ』
「私は確かに、あの少年の心から慚を映した」
面をかけ、即興で舞台を行ったのが証拠。
「つまり、あの少年の心には最初から慚が存在していた」
『それが、おかしいのか?』
当たり前だとアイは言う。
「普通、人の心は他人を拒む」
硝子細工のように脆い部分である心。
そう易々と見せやしない。
ましてや迎え入れるなんてことは有り得ない。
「死者なら、なおさらだ」
その事実を誰よりも知る『巫』のアイは言う。
「だが、あの少年の心は違った」
それがどれほど、異常なのかを。
「拒まなかった」
それがどれほど、畏るべきことなのかを。
「まるで――最初から......」
一度言葉を切る。この先を言うか、アイは悩んでいた。イアは静かにアイを見つめた。
透き通る、桃花眼だった。
やがて、アイはゆっくりと口を開く。
「最初から、迎え入れるために在るようだった」
『シテは、どうしてシテって名乗るんだろ』
その問いが、やがて世界を揺るがすことを――
この時の二人は、まだ知らない。