
停止
「あ...?」 死というのは、突然に訪れるモノである。「まじか」 死というのは、森羅万象に与えられる最後の贈り物である。「あぁー...とりあえず名前聞いていい?」 目の前にいる人物に、少年は声を掛けた。 その人物は、信じられないモノを見たとでも言いたげに美しい桃花眼を見え隠れとさせた。『君、何処から来たんだ』 ゆっくりと開かれた言の葉は、凪のよう。 死んだその先、人は何を視るのだろうか。「俺はシテ、気づいたら此処にいた」 その言葉に『本気か?』と問い返される。 その人物は、端正な顔立ちだった。 濡羽色の髪は腰近くまで伸びており、風に乗って揺蕩う。長い睫毛に縁取られた眼の色は稀有な桃花眼。通った鼻筋に薄い桃色の唇。 滑らかな陶器肌を覆う和装は、古い神話から抜け落ちた一節のようだった。『此処が何処か、分かってるのか?』 人の手で作られたはずなのに、どこか人の世のものではない。柔らかな布の流れは、彼女自身が舞うための風景だった。「知らない」 シテと名乗る青年は、静かに首を横に振る。 シテの姿は、夜の底に咲いた一輪の花のようだった。 雪よりも白く、月光を溶かしたような髪が静かに揺れた。片方の眼は灰色の静寂に閉ざされ、もう片方の碧眼は世界の奥底を見つめていた。『なんだ...お前』「お前こそ、名前教えてくれよ」『...私はイアだ』「よろしくな、イア」 シテは、ゆっくりとイアの前に近づき、手を差し出した。イアはその手を取ることはなかった。『お前は、いつの舞台人だ?』 その言葉に、シテは首を傾げた。「なんだそれ」 その言葉に、またイアは桃花眼を見開かせた。『それも知らないのか』「うん」『着いてこい』 パチンと手を叩いた。 すると、一瞬にして風景が変わる。 先ほどいた湖から、一瞬にして場面が切り替わるかのように、風景は変わった。 賑やかな声音、高い天井。 檜の香りが微かに漂う本舞台。 正面には、大きな老松が描かれていた。 その前にはずらりと並ぶ臙脂色の椅子だ。「すげぇ!」『触れるなよ』 そう言いながら、イアは付近を見渡す。『シテ、あそこを見ろ』 イアは指を指した。 その瞬間だった。 気がつけば、シテは椅子に座っていた。「あれ?」『お前は見所人だ。失礼のないように』 その瞬間、イアは消えた。 突然の出来事に、シテは白い髪にそっと触れながら碧の眼を隠す。理由はない。「...えぇ...俺なんも理解できてないんだが」 そう言いながら、シテはイアに言われた通りに舞台の方を見つめた。 舞台の照明がゆっくり落ちる。 そして、耳を澄ませば微かに聞こえる笛の音。 鼓の音が聞こえる。 その後は、大きくなっていく。 笛の音、大鼓の音。太鼓の音。 奏でられる旋律は、華やかで晴れやかな気持ちにさせてくれた。「...」 対して、見所は静寂。 観客は、誰一人話さない。 パン!と音が鳴り響いた。『紳士淑女の皆さま、ご機嫌よう』 先ほどの低い声とは打って変わった声に、シテは驚いて思わず眼を見開いた。 ―――イア!
声を出そうとしたが、言葉になることはない。『さて、今宵の舞台を演じるのは――』『此方の少年でございます』 その瞬間、花が落ちてきた気がした。
『この桜の花は、僕の思い出だ』
『好きな人が、好きだと言っていた花』『あぁ、なんて美しいのだ』 そう言いながら、少年は橋掛から現れた。 厳かな服を身に纏いながら、一風変わった面を身にかけている。 曲見と呼ばれる面だ。 伏し目がちで、物思いに沈んでいるように見えるかと思いきや、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。 見る角度や光によって感情が変化する面。『あぁ、美しき。されど儚き、桜花弁』 少年は、床を強く踏み鳴らした。 舞っている。花弁の装飾の扇子が揺れる度、囃子が鳴る。『人に問いかけられるほど、分かりやすい恋』『その恋を、伝えようとした』 その瞬間、少年はゆらりと身を翻す。『伝えねばと、思った』 囃子が、ピタリと止んだ。『だけれど死は、訪れた』 全ての音がピタリと止んだ。 聞こえるのは少年の呼吸の音だけ。 シテは、自然と少年が次になんて言うのかと身構えた。『...ただ、伝えたかった』 その瞬間、パンと音が鳴る。『花は散れども、想ひは散らず』 イアの声が舞台に響く。『終演でございます』 その瞬間、少年の姿は薄れていく。 桜花弁が舞う。 気づけば、そこに少年の姿はなかった。 消えたのではない。 最初から、
そこに存在していなかったかのように。『それでは皆さま、次の演目にて』 全てを見届けたシテは、呼吸すら忘れていた。 喉が渇く。 心臓だけが、やけに大きく鳴っている
―――なんだ、アレ。「...」 ―――なんだ、アレは!
『シテ!聞こえているか』 気がつけば、イアは隣に座っていた。「イア」 イアの呼び掛けによって、シテは息を吸った。「イア、なんだ、コレは!」『...本当にわからないのか』 その言葉に、シテは頷く。『教えてやる、着いてこい』 そう言いながら、イアはまたパンと手を叩く。 すると、また風景は変わる。 停止
「あ...?」 死というのは、突然に訪れるモノである。「まじか」 死というのは、森羅万象に与えられる最後の贈り物である。「あぁー...とりあえず名前聞いていい?」 目の前にいる人物に、少年は声を掛けた。 その人物は、信じられないモノを見たとでも言いたげに美しい桃花眼を見え隠れとさせた。『君、何処から来たんだ』 ゆっくりと開かれた言の葉は、凪のよう。 死んだその先、人は何を視るのだろうか。「俺はシテ、気づいたら此処にいた」 その言葉に『本気か?』と問い返される。 その人物は、端正な顔立ちだった。 濡羽色の髪は腰近くまで伸びており、風に乗って揺蕩う。長い睫毛に縁取られた眼の色は稀有な桃花眼。通った鼻筋に薄い桃色の唇。 滑らかな陶器肌を覆う和装は、古い神話から抜け落ちた一節のようだった。『此処が何処か、分かってるのか?』 人の手で作られたはずなのに、どこか人の世のものではない。柔らかな布の流れは、彼女自身が舞うための風景だった。「知らない」 シテと名乗る青年は、静かに首を横に振る。 シテの姿は、夜の底に咲いた一輪の花のようだった。 雪よりも白く、月光を溶かしたような髪が静かに揺れた。片方の眼は灰色の静寂に閉ざされ、もう片方の碧眼は世界の奥底を見つめていた。『なんだ...お前』「お前こそ、名前教えてくれよ」『...私はイアだ』「よろしくな、イア」 シテは、ゆっくりとイアの前に近づき、手を差し出した。イアはその手を取ることはなかった。『お前は、いつの舞台人だ?』 その言葉に、シテは首を傾げた。「なんだそれ」 その言葉に、またイアは桃花眼を見開かせた。『それも知らないのか』「うん」『着いてこい』 パチンと手を叩いた。 すると、一瞬にして風景が変わる。 先ほどいた湖から、一瞬にして場面が切り替わるかのように、風景は変わった。 賑やかな声音、高い天井。 檜の香りが微かに漂う本舞台。 正面には、大きな老松が描かれていた。 その前にはずらりと並ぶ臙脂色の椅子だ。「すげぇ!」『触れるなよ』 そう言いながら、イアは付近を見渡す。『シテ、あそこを見ろ』 イアは指を指した。 その瞬間だった。 気がつけば、シテは椅子に座っていた。「あれ?」『お前は見所人だ。失礼のないように』 その瞬間、イアは消えた。 突然の出来事に、シテは白い髪にそっと触れながら碧の眼を隠す。理由はない。「...えぇ...俺なんも理解できてないんだが」 そう言いながら、シテはイアに言われた通りに舞台の方を見つめた。 舞台の照明がゆっくり落ちる。 そして、耳を澄ませば微かに聞こえる笛の音。 鼓の音が聞こえる。 その後は、大きくなっていく。 笛の音、大鼓の音。太鼓の音。 奏でられる旋律は、華やかで晴れやかな気持ちにさせてくれた。「...」 対して、見所は静寂。 観客は、誰一人話さない。 パン!と音が鳴り響いた。『紳士淑女の皆さま、ご機嫌よう』 先ほどの低い声とは打って変わった声に、シテは驚いて思わず眼を見開いた。 ―――イア!
声を出そうとしたが、言葉になることはない。『さて、今宵の舞台を演じるのは――』『此方の少年でございます』 その瞬間、花が落ちてきた気がした。
『この桜の花は、僕の思い出だ』
『好きな人が、好きだと言っていた花』『あぁ、なんて美しいのだ』 そう言いながら、少年は橋掛から現れた。 厳かな服を身に纏いながら、一風変わった面を身にかけている。 曲見と呼ばれる面だ。 伏し目がちで、物思いに沈んでいるように見えるかと思いきや、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。 見る角度や光によって感情が変化する面。『あぁ、美しき。されど儚き、桜花弁』 少年は、床を強く踏み鳴らした。 舞っている。花弁の装飾の扇子が揺れる度、囃子が鳴る。『人に問いかけられるほど、分かりやすい恋』『その恋を、伝えようとした』 その瞬間、少年はゆらりと身を翻す。『伝えねばと、思った』 囃子が、ピタリと止んだ。『だけれど死は、訪れた』 全ての音がピタリと止んだ。 聞こえるのは少年の呼吸の音だけ。 シテは、自然と少年が次になんて言うのかと身構えた。『...ただ、伝えたかった』 その瞬間、パンと音が鳴る。『花は散れども、想ひは散らず』 イアの声が舞台に響く。『終演でございます』 その瞬間、少年の姿は薄れていく。 桜花弁が舞う。 気づけば、そこに少年の姿はなかった。 消えたのではない。 最初から、
そこに存在していなかったかのように。『それでは皆さま、次の演目にて』 全てを見届けたシテは、呼吸すら忘れていた。 喉が渇く。 心臓だけが、やけに大きく鳴っている
―――なんだ、アレ。「...」 ―――なんだ、アレは!
『シテ!聞こえているか』 気がつけば、イアは隣に座っていた。「イア」 イアの呼び掛けによって、シテは息を吸った。「イア、なんだ、コレは!」『...本当にわからないのか』 その言葉に、シテは頷く。『教えてやる、着いてこい』 そう言いながら、イアはまたパンと手を叩く。 すると、また風景は変わる。