14『ポーカーフェイス』
その女性は赤茶色の髪を緩く巻き、ブラッドオレンジの瞳が綺麗に輝いており、どこか遠慮がちに笑顔を私に向けている。何故ここにいるのかはわからないが、確かに私の今後を左右し得る人物なのは間違いない。
「......ご機嫌よう。なぜ貴女がここにいるのかを教えてください」
私がそう言うと、彼女は立ち上がり、頭を下げた。
「長く話すことは禁じられているの」
確かにそうした方がいい。こんなところを見られたらどうなることか。
「では、一つだけ。私と遊んでいただけますか?」
彼女はふふっと微笑み、一本のピンクの薔薇を差し出した。
「随分ロマンティックですね。刺されないように気を付けることにします」
少し話した後、彼女は最後に一言言ってから背を向けた。私は一階の様子を眺めてから、ゆっくりと階段を降りた。
◇◇◇
階段を降りると同時に、ドラシオンが私の手を取り階段を上がった。何故往復しないといけないのか......
エリスティアが大きな溜息を吐き、私もそれに続いた。
「お前は席を外せ」
ドラシオンがエリスティアに向かって言った。私はドラシオンから腕を抜き、椅子に座った。
「郷に入れば郷に従え......お分かりですか?」
私は足を組みながら睨みつけた。この五年間、この男はことあるごとに私とエリスティアを遠ざけようとしてきた。
「喧嘩をしに来たわけではない。話がしたいのだ。それに、いいのか? 当主を目指す者が王に向かって――」
私は椅子を鳴らしながら立ち上がり、がやがやと賑わう一階を眺めた。
「フルグラル......レクマリノス......イェステルにユーノもいますね。それに、オブスキュネーもいる。まだ分かりませんか?」
すると、ドラシオンは奥歯を噛み締め、やがて手を叩きながら笑った。
「生意気に育ったものだ。誰かに似てな」
にやりと不気味な視線を、私とエリスティアを交互に指をさした。
「先の演説、あれは本気か? 君はまだ十五になったばかりだ。何を急いでいる」
ドラシオンがエリスティアを見ながら言った。彼女が答える気が無いと察したのか、私に視線を戻した。
「残念ながら、吾輩はひどく嫌われているようだ......そんなことはどうだっていい。本題に移ろう」
立っていた私の横にドラシオンが並び、エリスティアに聞かれないくらい小さな声でぼそっと呟いた。
「支持してやろう。国王である吾輩が、この場で。さすればエリスティアの退位を待つ必要もなくなる」
彼のごつごつした腕が私の腕を強く握った。私はその手を振り払おうとしたが、離れる気配はなかった。
「私が間違えて『神威』を使わないうちに、この手を離すことをお勧めします」
私がそういうと、腕が解放され、彼は降参したかのように手を挙げた。
「冗談だよ。冗談。そう怒るな。だが、吾輩のことが必要なら言ってくれ」
ドラシオンがそう言い、そそくさと背を向けて階段を下って行った。すると、見計らったかのようにバチバチと音がした。右隣にはセラティス、左側にはレオネスが現れた。
「調子はどうだ」
苛立たしそうにセラティスが言った。
「最悪です。でも、覚悟していたことです」
ガタンと椅子に座ると、私を挟む様に彼らが座った。向かい側には、エリスティアが目を閉じて座っている。
「もう抑えきれねーぞ」
だからこのタイミングだったのだ。この五年間で国は悪い方に傾いた。最早止められないだろう。
「それもわかっています。あちらも必死なのでしょう」
王国側......いや、ドラシオンがあからさま過ぎる。しかし、エリスティアが着任時に中立を宣言した以上、彼女が当主でいる間はそれが維持される。
「貴方の方はどうなんですか?」
レオネスが腕を組み、少し俯きながら口を開いた。
「そろそろだろう。不穏な噂もある」
私は小さく溜息を吐き、エリスティアをちらっと見た。首を縦に振っている。
「ドラシオンが私を支持すると言ってきました。この場で表明してやると」
セラティスが拳を握りながら「丸焦げにしてやろうか」と不穏なことを呟いた。
「ですが、それを言った瞬間、彼は失禁することになるでしょう」
セラティスが声を荒げながら笑った。私の背中をバンバンと叩きながら。私は睨みながら彼の胸を思い切り叩いた。
「あぁ、悪いな。あいつがお漏らしするところを想像すると......最高の気分だ! 早くやってくれ!」
彼は私の代わりに、テーブルを叩くことにしたらしい。そして、エリスティアが「女性が失禁などと言うものではない」と言っていたが、聞き流した。
その後、私たちはドラシオンやメティオスをどう懲らしめるかを真剣に議論し、大いに盛り上がった。
それをエリスティアに怒られたのは言うまでもない。
◇◇◇
翌日、私はいつものようにエリスティアの執務室にあるソファで寝転んでいた。そして、テーブルに置いてあった果物をふわふわと浮かばせながら、彼女の仕事が終わるのを待っていた。
「この果物の中で、何が一番甘いか分かりますか?」
私は判子を延々と押し続けているエリスティアに問いかけた。当然、返事は返ってこなかった。
「それ、楽しいですか? なんで判子は一つしかないんですか? 『神威』で判子を動かした方が――」
お婆様がニコニコしながら私を見た。私は「いひひ」といたずらに笑い、ブドウを一粒口の中に入れた。
「あなたもいずれやることになるのですよ。そうだ、特別にやらせてあげましょうか?」
紙の束を見せつけられたが、私は「やりませーん」とプイっと顔を背けて言った。洋梨を食べようかと思ったが、皮が邪魔で食べられなかった。仕方なくブドウを食べていると、私の足を踏みながらエリスティアが座った。
「さて、整理しましょうか」
背の低いテーブルに紙とペンが置かれている。
「まず、あなたを支持している勢力です。現状、主な人物は二人のみ。私と先の人物です」
絶望的な状況すぎて笑いが止まらなかった。こんな状況で当主を目指す者など誰もいないだろう。
「ですが、私は現当主。それなりに伝手があります。しかし、メティオスは分家にも強いパイプがある」
本家は事実上、エリスティア派とメティオス派で分かれている。エリスティア側が優勢であるが、そっくりそのまま私に付くとは思えない。分家についても同様だ。
「まだ何もしていなので当然と言えば当然ですが、あえて言えば状況は絶望的です。ですが――」
エリスティアがペンを走らせ、摩擦音が部屋に響いた。複数の家門の名前がさらさらと紙を埋めた。
「あなたは外側が圧倒的に強い。フルグラル、レクマリノスなど、マチルダが喉から手が出るほど欲しい勢力があなたに付いている」
他にもいるが、この二つの家門に比べたら見劣りはするだろう。
「楽しくなってきましたね。お婆様」
私は首を傾げながらにこやかにエリスティアを見た。彼女は呆れたように私を見つめた。
「この状況で笑っていられるのはあなただけですよ」
私は「確かに劣勢です。ただ、それだけの話です」と言った。
「悪いところだけ見習わないように。本質を――」
お説教モードを止めるために、人差し指で彼女の口を抑えた。
「分家から崩しましょう。お婆様と近い人物がいたはずです」
エリスティアが私の指を手で払い、こくんと頷いた。紙に名前を書き、下線を引いた。
「明日ここに呼びます。彼を味方にできれば分家を分裂できるかもしれない。少し早いですが、勝負所です」
私はニコッと笑い、立ち上がった。洋梨を皮ごと口に入れ、力強く噛み締めた。すぐに、食べたことを後悔したが、私にはこの五年で鍛えあげたポーカーフェイスがある。
「それでは、私はお勉強をしてきますので。失礼します」
優雅にお辞儀をした後に『神威』で皮を剥く方法を考えるため、部屋を出ようとした。
「楽しみにしてますよ。苦くて硬い皮を剥く方法を」
私は奥歯を噛み締めながら、部屋を出た。
――ティノス・グラネイア。分家の中でも長い歴史を持つ、ルミス系の現当主だ。