出会いと、三年後
ソフィレーナ・ド・ダリルには四つのケチがつく。
一つ目。
ソフィレーナは、この国の建国神である女神の血を引くとされる唯一の皇家、ダリル家の落ちこぼれとして生まれてきた。
輝くような栗色の髪は、文句の付け所なく美しい。
国で唯一の女系であるダリル皇家の、当主と唯一の配偶者の子のみに現れる、特徴的な――――一等濃い紫水晶に、下から、ほんのわずかに栗色が窺えるような眸の虹彩も持っている。
しかし、非の打ちどころなく美男美女揃いの血を引くにしては微妙にネックを抱える容姿。
丸く大きな一対の眸の、下から現れる栗色のあわいが煙るようにあって見た目がよろしくないという判断。
ソフィレーナは、女神の血が極端に薄い存在として、国から扱われてきた。
二つ目。
一度見た物聞いたことはなんでも覚えて忘れない絶対記憶脳保持者。
歴代の落ちこぼれ姫は、使用人たちからも同情や愛情は受けられたようだが、ソフィレーナは気味悪がられた。
三つ目。
名前が、ソフィレーナ。
ソフィー。ソフィスト。フィロソフィー。
この国でもこれらは哲学を意味するが、不幸なことに、彼女の通った淑女学校の誰と言わず陰口が上手かった。
ソフィレーナに配慮した家族は、せめてと身内での愛称を、ソフィーから、レーナ、に変えている。
四つ目。
趣向がカビ採取や菌糸胞子カビの研究。
彼女は淑女の道より、学者の道を選んだ。
以上の理由で、十九歳で学校を卒業した彼女は、家の世話になるよりも働き口を探した。
働きながら、二十五から受けられる学者用の試験を受けると決めたのだ。
ダリル家の落ちこぼれでいたくない!
納税すれば、この国にお金を収めてるって、胸は張れるわ!!
カビちゃんの研究だって! もっとちゃんとやりたい!!!
彼女の強い意志に負けたか。両親は、本土から西に船で一時間離れた孤島を彼女の就職先として斡旋した。
ウィークラッチ島に聳え立つ、巨大な石造りの塔、国立図書館。
職員は皆なにがしかの学者を目指しているか学者であるか。
利用者も所蔵される本の種類もそちらの方面にどっぷり浸かっている。
その最上階に棲みつく、異世界に行って若返って帰ってきた、という無茶苦茶な経歴を持つ総館長、いいや。
この国随一にして、他に類をない称号を与えられている者。
ワイズレッテッティス・リンズ――――栄光誉れ高き賢者。
ケルッツア・ド・ディス・ファーン。
この国の生まれでない褐色の肌を持つ、少年の補佐役。助手の仕事である。
初顔合わせの日。国立図書館は最上階展望部屋。
大勢の大人(後で各館の館長達だと説明された)に囲まれた、十四に満たないだろう背格好の少年は、『ソフィレーナ』という名前に反応したか、戸口に佇んでいた彼女に振り向いて、見る間に灰色の三白眼を黒くした。
『ソフィー......? ソフィレーナというの?
良い名だ......
哲学という意味だね』
伝承にある魔術師のような黒い服を引きずって足早に、真っすぐに近寄ってくる彼に、ソフィレーナは驚きと、経験したことのない強い強い鼓動の高鳴りと頬の熱さを覚えた。
名前......褒められた............。
彼女が唯一褒められていた自身の長い栗色の髪を、図書館勤めには必要ない、とばっさりと切り落としたのは正にこの夜。
家族以外で......
名前、褒められたの............はじめて。
これが、ソフィレーナの(友達からはそれで!? と言われた)運命の出会い。
ソフィレーナはその日から、光り輝く栗色の髪をずっと短髪にしている。
部分によっては切り込み刈り込んだ髪型を維持している。
そして、出会いからもうすぐ三年。
白く塗られた馬鹿デカい鉄の扉をやっとの思いで閉めて、彼女はそのまましばらくその扉に寄りかかった。両肩をせわしなく上下させ、息を整えるよう荒く深呼吸を繰り返す。
ぜい、ぜい、という気管から漏れる嫌な音は、しかし彼女の入った国立図書館の最上階、禁書庫の薄暗い空間に大して響きはしない。
「......ァ......」
何事か呟こうと動かされた口はろくな音を発すること無く。
しかし、彼女はやけに据わった目で滴り落ちる汗もそのままに、前方の本棚の奥に覗く、巨大すぎて白い光しか感じ取れない窓辺りへと向かって、声を張り上げた。
「ケルッツア!
ケルッツア・ド・ディス・ファーン!?
ケルっ、
ツ
ア・ド
ディ
ファーン!」
呼吸の乱れで切れ切れに、がなったにしては不思議と奇麗な声が乱暴に辺りに響き渡った。まるで名簿のような呼び方で、彼女は続ける。
「どこにいるんですかケルッツア・ド・ディス・ファーン!!!
ここにいるのは、分かってるんですよ!?
聞こえているなら......」
白く塗られたでかい鉄の扉の真ん前で、ずらりと果てなく立ち並ぶ本棚を前に。
可愛らしい声で怒鳴り散らす彼女に、黒いコートの裾を引き摺りながら近づく者がある。
それは、彼女の向いている方向のちょうど真後ろから、彼女の着ている茶色のベストの裾を、くい、と。軽く引いた。
「......下階に聞こえるよ? ソフィーレンス君」
ソフィレーナが、ぐりん、とベストの引かれた方向に首を転じれば。
そこにはソフィレーナより少しだけ背の高い、黒いコートを着込んだよわい十四の背格好の、灰色の短髪と褐色の肌を有した少年が佇んでいた。
おっとりと、しかし賢そうな眼差しで彼女を見ている。
「ケルッ」
そのお目当ての人物に、思わずソフィレーナは声を詰らせた。
彼女の目の前、褐色の肌に灰色の髪と涼しげな三白眼は少し見開かれ、筋は通っているがひしゃげた鼻が、なに、と言わんばかり。ゆっくりと傾いでいく。
彼女はそれに、なに? じゃない! などと内心思いつつも。
「私はソフィレーナです! ケルッツア・ド・ディス・ファーン!!
ッお昼ですよ! とっとと食堂に......」
行きますよ!!! ソフィレーナはそう続けたかったが、食堂に、の辺りで目の前の少年は考え込むように、ゆっくりと禁書庫の天井を見上げた。
彼は、ふうむ、と。ひとつ唸ると、これまたゆっくりとソフィレーナと顔を合わせる。
「まだ、腹の虫が喚かないから、なあ......。
せっかくで悪いけど、ソフィーレンス君。僕は、昼食を、摂らないことにするよ。
それより、出しっぱなしにしてあった、本を。
そろそろ、片付けなくちゃあ......。
君も、前に言ってたじゃないか。さて、どのぐらいあったか..................?」
そんなことを、ソフィレーナの心情からすればいけしゃしゃあと言い放ち、すでに目の前から禁書庫の奥へと移動しかけている男に。
毎回、毎回だけど、と。彼女は痛みを覚え始めた頭に両手をやり、勝手に想起される約三年分の苦悩の記憶が鬱陶しいと首を振って。
搾り出すように、こう答えた。
「腹の虫っ......て............。
おなかすいたら、食べるって..................いつも、いつも言うから!!
じゃあって信じて放っておいた結果が!!!
っこの!!! 四日間もの飲まず食わずなんじゃないですか!!!!!」