眠りの城05 盤上の主vs駒 後編
「なんだこれは?」
オスヴォルトは、覗き込んできた。チェスがしたいのかと思えば、見たこともないゲームになってきている。チェスの駒ですら、ただの黒と白の石に変わってしまった。
アルベルトは、首を傾げると、おもむろに白と黒を混ぜ合わせる。
ドラゴンは、眉間に皺を寄せて、ため息をついた。
「ご破算にするなよ。俺がせっかく見本を見せて打ったのに」
「包囲戦のように見えたが」
と、これはオスヴォルト。この男もゲームが好きなので、つい身を乗り出してしまう。
ドラゴンは嬉しそうな顔になった。
「さっきの君が、やったことを石で表現してみたんだ。あれは言葉の包囲戦だっただろう?」
オスヴォルトはニヤリと笑う。
「で。このゲームで勝ったら俺たちを眠りから覚ましてくれるのか?」
「うーん、それでいいのなら、そうしよう」
ドラゴンは微笑を浮かべている。
「ちょっと待って!」
カーラインはオスヴォルトの黒衣を引っ張る。
「あなたって本当に困った人ね。そいつの手に乗らないでよ。アルベルトがせっかく譜面をぶち壊したのに」
「悪かった。挑発しただけなんだが」
「オスヴォルト、こいつを人間だと思うな。ドラゴンというのは狡猾な策略家だ」
「眠りから覚めたって何も解決しないんじゃないのか」
マルティンは全然話についていけてなかった。チェスも、守備隊の連中と遊んだことはあるが、勝てた試しがない。全戦全敗。何が面白いのかさっぱりわからない。
「マルティンの言う通り、眠りから覚めても、霧をどうにかしないとまた眠ってしまいます。このドラゴンが霧を生み出しているのかどうかもわかりません。私の祖母は言っていました。えーと。うちの祖母も魔女なんで精神体で空を飛べるんですね。それで、竜の洞窟に引き寄せられて、そこから風が渦を巻いていて飲み込まれそうになったんです。それで、祖母は言ってました。光でもなく、闇でもない。ただの虚。神々より古い虚だった、と」
最後の言葉は巫女の託宣のように響いた。エルザは我に返って、皆の注目を浴びていることに首をすくめた。
「運命の三相が勢揃いか。乙女に母に老婆。いやはや。面白い」
ドラゴンは虚については答えなかった。
「運命の三相」という言葉にアルベルトの脳裏にも未来の断片が閃いたが、どこでその模様が繋がるのかはまだ見えない。
今は、話を脱線させるわけにはいかない。
「――ゲームの構造は一つではない。チェスの駒の役割を使って、白が黒に黒が白に変わりながら、陣地取りをする。眠りの城を盤面に見立てて行われるゲームだ。抽象的な概念をわかりやすいように落とし込む為にチェス台を出してきただけ」
アルベルトは、ドラゴンを見据えた。
「さあ、もういいだろう。どんなゲームを我々としたいのか、はっきり言え」
「気が短いな。のらりくらりとしているように見えるかもしれないが、このゲームは、君たちが自ら考えて動かないといけないんだ。君たちは質問しろ。答えられる範囲で答えよう」
マルティンはうんざりした顔になった。我慢して聞いていたが、そろそろ限界が近づいている。下手なことを言って言質を取られたら危険だということはなんとなくわかって黙っていたが。
「何がやりたいのか、俺にはさっぱりわかんねぇけど。俺が知りたいことを質問すればいいんだよな。さっき言ってたよな、グスタフ隊長と守備隊のみんな、母さんもドラッヘンフェルス城に近づいてきてるって。チェスの役割までご丁寧に解説してくれてた。この役割はゲームにどう関係してくるんだ?」
「いいね! 仔犬くん。君は騎士だ。障害の超越、変則的な介入。他の駒を飛び越えて移動できることにある。その役割に合わせた性質がゲームを動かしていくのさ」
ドラゴンは、彼の前にいる対戦者の駒たちを見回している。
「俺が役割を指定しよう。ドラッヘンフェルス城主オスヴォルトは王。薔薇のカーラインは縦横無尽に動ける駒、女王、魔女エルザは歪みを見破るビショップ。騎士は鴉と仔犬。我ながら、ピッタリだ」
ロールを押し付けられた者達は、黙って、ドラゴンを見た。同意も異議も唱えない。
「オメー。俺の質問に答えてないぞ? 俺が聞いた質問覚えてる? その役割を使ってどんなゲームするのかって聞いてるんだよ」
ドラゴンは腕を組み、唸ってみせた。
「ゲームとはロールプレイだからかな」
マルティンは、はぁ? といった顔になり、アルベルトの方を見た。直接ドラゴンと話したところで、欲しい答えは返ってこない。
「こいつの仕掛けてくるゲームをそれぞれの割り振られた役割で対応して、攻略しろってこと? 相変わらず、どんなゲームなのかわかんねぇけど」
アルベルトは、「そうだ」と頷いた。
「だが、その聞き方では本質を突けない。このゲームでドラゴンが何をしたいのか。問うならそこだ」
エルザがポンと手を打った。
「あ、そうか。妖精や神々や竜のようなこの世とは違う摂理で存在している者たちって、謎々が好きなんですよね」
拍手の音が響いた。正解だったようだ。
「さすが魔女だ。やっと話が進むよ。俺はすでに君たちに伝えている。その謎を言ってくれないか」
エルザはドラゴンの方を見ずにカーラインの方を見た。
「あいつは私たちに謎々を言いましたか?」
「直接は言ってないわね。いい加減、謎々をしたいのなら、自分の口で言えばいいのに。イライラするわ!」
ふ、と何か思い当たることがあったのか、カーラインは目を細めた。
「そういえば、言っていた。ドラゴンなのか、お前は? とあなたが問い詰めた時」
カーラインがオスヴォルトを見ると、彼も気づいていたようだ。
「ドラゴンって何だろうな? とかほざいてたな。俺たちに人間って何だろうな? と尋ねるようなもんだぞ」
オスヴォルトの呆れた声にドラゴンは苦笑してみせた。
「そうは言うけどね。案外、自分のことをわかっていないんだよ。ドラゴンとは何なのか。オスヴォルト、君の先祖が始めたことは、最後の血脈である君しか答えられない」
「それだけなら、俺と一対一で話をするだけでいいはず。なぜ、俺たちを駒にして、ゲームをする必要がある?」
「謎は一つではない。もう一つ、対になっている問いがあるだろう?」
「黄金の炎の娘、ね。私に向かってあんたが言ったことでしょ」
「そう、君だ。これは謎ではないな。黄金の炎の娘はドラゴンの花嫁。このゲームには時間制限があってね。ドラゴンが迎えにきたらおしまいなんだ」
カーラインの琥珀の瞳は炎のように烈しい。
「私の心を無視して、勝手に決めないで!」
オスヴォルトも黙っていない。
「予言してやるよ。ドラゴンは串刺しになる。俺の奥さんの茨で血の雨が降る」
串刺しになると言われた方が、憐れむようにオスヴォルトを見た。
何か言いかけたところで、口を閉ざした。瞬きすると、昏く翳っているエメラルドの瞳はカーラインを見ていた。
「人間と白鳥乙女の息子――白鳥の騎士は死んだ。死者がなぜこの世に戻ってこれたのか。黄泉返らせたのは薔薇の乙女の愛。愛という魔法。だが、戻ってきた時はすでに時遅く、乙女は別の男と結婚していた。黄泉返りし者は、誓約が破れても、白鳥には戻れない。人間にも戻れない。魔性となってこの世界にあなたに災いをもたらす。カーライン様、そして鴉の私よ。この呪いを解いてほしい」
そして、瞬きをすると、面白がるような目をしたドラゴンに戻っていた。
「薔薇と白鳥と竜。謎がいっぱいだね」
カーラインには、わかった。さっきまで、話していたのはドラゴンではない、アルベルトだ。彼の言葉が胸を突き刺した。私の側に帰ってきてと願った夢、夢とうつつの間、生と死の狭間で、私達は本当に会っていたの。それなのに私はあなたを死んだ者として、歩き出した――。
動揺している妻の肩を抱こうとして、翡翠色の瞳と目があい、オスヴォルトは伸ばした手を止めた。
アルベルトはオスヴォルトから背を向けた。私のことは気にせず抱きしめて慰めろ。
だが、私はそれを見たくない。
ドラゴンの意識を退けて、黄昏の仄暗い闇に沈む、引き裂かれた半身の声が、分霊鴉に決意させた。
燃える太陽の最後の一閃のように人間だった頃の記憶を持つ鴉は未来を幻視する。
「私とカーライン様の呪いは、私達二人で解く。精神だけの時空を超えての旅になる。その間、カーライン様の肉体は無防備になる。ドラゴンが欲しいのは黄金の炎の娘カーライン様だ。エルザ、マルティン、それからもうすぐ到着するグスタフたちと一緒に、カーライン様の体を守れ」
アルベルトの宣言を持って、断片だった運命は今、繋がった。
ドラゴンの楽しげな笑い声がして、彼らはこの夢の牢獄から解放された。