剣の乙女01 決意
「ひどいです! こんなに美しい金の髪をばっさり無惨に切ってしまわれるなんて。まったく、悲しくて涙が出てきますよ」
エルザは本当に涙を流しながら、女主人の短剣で断ち切っただけの不揃いな髪を切りそろえていた。でも泣いているのは髪のせいではなかった。
領主となった少女のほっそりとした優美な首には、血の滲んだ包帯が巻かれていた。なかなか起きてこない主人の様子を見るために扉を開けた彼女が見たものは、首に包帯を巻こうと格闘している血と泥にまみれたシュミーズ姿の少女だった。
「心配かけさせたことは悪いと思ってる。でも、髪を切ったことは後悔してないわ」
エルザはため息をついて、鋏を置いた。
「......髪を短くして、男にでもなるおつもりなんですか?」
揺るがない眼差しが返ってきた。
「男になりたいわけじゃないわ。男の獲物としての女になりたくないだけ。囚人のように短い髪にして男装をしていれば、じゃじゃ馬の変わり者と悪評がたつでしょ」
「結婚するのがそれほどお嫌なんですか? 毎日のように騎士様方が求婚しにやってきて、なかには見目麗しく騎士としての名誉も地位も財産もある立派な方もいらっしゃるのに、もったいないですよ!」
だが、彼女の主人である少女は興味なさそうにそっぽを向いて、欠伸をしている。
エルザは、眉間に皺を寄せて深々と息を吐きだした。
「姫様は言い出したら聞かない人ですから、もう何も言いませんけどね。返事ぐらいはお出しにならないといけませんよ。昨日だって深紅の薔薇を持って、求愛の歌を捧げに来られた騎士様にお会いになろうともしなかったでしょ」
少女は毛を逆立てる猫のように唸った。
「冗談じゃないわ。愛を高らかに称えて自分に酔いしれている調子はずれの歌を聞かされたら......肌の内側から湿疹ができたみたいに狂い死にそうになるんだから! 黙らせるために切り捨てそうになるのを我慢してるのよ。このわたしが!」
可憐な美少女が、切り捨てるなんて物騒なことを口にするとは、エルザはため息をついた。
「......姫様なら本当にやりかねませんから、お会いにならない方がいいかもしれませんね。でも、女なら普通は喜びますよ。美しさを褒め称えられても嬉しくないんですか?」
「そういう輩は、わたしが年老いて醜くなったら、罵倒と嘲笑の歌を歌うんでしょうよ」
皮肉混じりの冷めた口調にエルザは言葉がなかった。たしかにそれは真実を突いているが、男に冷笑を向けていては恋などできない。男性に対する不信感は亡くなった領主様のせいなのだろうと思う。そして、常に守り、側にいた騎士を愛しているからこそ結婚を拒絶しているのだということを彼女はわかっていた。でもあの美しい若者は命を落としてしまい、残された姫はあまりにも若いのだ。
領主となった少女は、エルザの乳姉妹だった。一つだけしか違わないのに年下の女主人は、領主としての責任をその華奢な両肩に背負い、弱音を吐くことなく務めを果たしている。だが張りつめた糸のように、いつ切れるかわからない危うさがあった。そしてその危惧は当たってしまった。喉に負った傷について何も語ろうとしなかったし、エルザも聞こうとしなかったが......。
支えになる人が必要なのに。彼女の愛する主人は亡くなった恋人に操をたてて、重い責任を独りで背負っていくつもりなのだ。ふいに涙がこみあげてきそうになって、慌てて横を向いた。
気まずい空気になる前に扉を叩く音がした。
主人の許しを得て入ってきた執事が告げた――皇帝の使者の到着を。
「このグスタフ、姫様自ら軍を率いて遠征軍に加わるなどと本気で仰ってるのならば、命令に従うわけには参りませぬ」
皇帝からの命令を伝え終わった使者が立ち去った大広間で、守備隊長グスタフは使者の前でこらえていた抗議を目の前の少女に向けた。あらためてその姿を見て、やりきれない思いに唸る。
使者の伝言を聞くために大広間に入ってきた主君を見た瞬間、彼は絶句した。丈の長いチュニックに外衣を纏った金髪の少年が颯爽と現れたのだ。だが、肩に届かぬ短い髪でも、天使の彫像が命を吹き込まれたかに思える端正な顔は彼がよく知る少女のものだった。それだけでも熱をだして倒れそうになるほどの衝撃なのに、皇帝の遠征軍に自らが軍を率いて参加すると言い出した時は、口を阿呆のように開けたまま石にでもなった気分だった......
「軍務招集に応えるのは封土を授かった領主の務め。領主となったわたしが軍を率いることは当然のことでしょう」
挑むような視線を受けて、グスタフは白いものが混じった髭を引っ張り、困った顔になった。
「立派な心構えです。ですがはっきり申し上げて、か弱き女性には無理ですな」
琥珀の瞳が怒りで煌めき、嘲るような笑みが唇に浮かんだ。
「そして、か弱き女性では領主としての責務を果たすことはできないと言いたいのでしょう?」
答えようと口を開いたが、少女は返事を聞く前に話を続けた。
「強い男に守ってもらうために結婚するべきだなんて言わないでちょうだい。聞き飽きてうんざりしているんだから。――わたしは結婚なんてしないわ」
グスタフは肩を落とし、頭を振った。彼はカーライン姫が生まれた頃から知っており、成長を見守ってきた。姫の想い人が誰なのかも気づいていた。だが、その相手は彼の仕えていた領主の若き頃に生き写しの若者だったのだ......何も知らない姫のまっすぐな愛情が一人の青年だけに向かっているのを見る度に苦いものがこみあげた。そして、あの若者は父を庇って命を落としてしまった。......姫の傷心を思えば、結婚を無理強いすることなどできなかった。少なくとも彼女が痛手から立ち直るまでは。
「主人の結婚について家臣である私が口出しすることではありません」
領主となった少女は、目を閉じた。再び開かれた時、瞳が陽射しを受けて金色に燃えていた。サイン伯の紋章である獅子のごとく。
「領地を拡大しようと虎視眈々と狙っている男たちから、我が領地を守るためにわたしは強くなければいけない。そして女領主が侮りがたい存在だということを知らしめるためにも、わたしは軍を率いて遠征軍に加わるのです。女だから無理だなどと誰にも言わせない」
握りしめた拳をひらいて、手の平をじっと見ていた少女は、優しく懐かしむように言った。
「......グスタフ、お前が私に剣を教えてくれた――覚えている?」
彼は深く頭を下げた。
「もちろんです。アルベルト殿にくっついてきた姫様が自分にも剣を教えろと駄々をこねたことを忘れるわけがございません」
少女は微笑んだ。悲哀を秘めながらも毅然と咲く百合のごとき笑みだった。
彼が知っていた姫は、男のように剣を使えるようになれば父親に振り向いてもらえると思っていたいじらしい子供だった。だが今、目の前にいる女性は、弱肉強食の過酷な大人の世界で喰われないために抗おうとしているのだ。グスタフは若い頃に戻ったような熱い血潮に引きずられるようにして跪いていた。無骨な両手を姫の手に置いた。その手は貴婦人のような滑らかな傷一つない手ではなかった。剣を握るために皮が何度も破けて厚くなった戦う者の手だった。
「私の命は貴方様のもの。戦場ではこの命に懸けてお守り申す」
前領主の娘だからではない、非情な世界に立ち向かおうとする少女だからこそ、主君として仕えることを決めたのだ。
少女は一瞬泣き出しそうな顔になったが、背筋を凛と伸ばした。想いのこもった両手が彼の手を包みこみ、騎士の誓いに応える接吻が、頬に優しく触れた。