ホーム›永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌›01 明けの明星と宵の明星、背中合わせの誓い 前編
目次前の話 →

01 明けの明星と宵の明星、背中合わせの誓い 前編

 世界が暗転する間際、カーラインはアルベルトに向けて手を伸ばした。
 アルベルトも彼女の手を握りしめ、互いの顔に決意を見た。
 薔薇と白鳥と竜の謎を解くために時空を越える。
 だが、カーラインはどうやって時空を越えるのかわかっていなかった。
 
 意識が途切れる時に響いていたあのドラゴンの愉しげな笑い声は、もう聞こえない。
 
 ――そして、闇だけがあった。
 
 目を開けたと思ったのが錯覚だったのか、目を開けているという感覚がなかった。まるで目を失ったように。目だけでなく、手を伸ばそうと思っても、足で地面を踏もうとしても、切断されたように何も感じない。
 カーラインは叫ぼうとしたが、叫ぶ声すら自分にはない。
「カーライン様、大丈夫です。私がいます」 
 アルベルトの声が、闇のなかに差し込む光のように彼女を暖かく包みこむ。
「ここはどこなの?」
 カーラインは声を出せるようになっていた。
「カーライン様の体は、寝室の寝台で眠っていますが、意識だけが鴉の私と繋がっています」
 そんな説明でわかるわけがないと怒りたかったが、アルベルトもわかるように説明するのが難しいのだろう。
「よくわからないけど、わたしは鴉になっている夢を見ているの?」
「そうですね、その方がわかりやすい例えです。分霊鴉の見る夢に貴方を招きいれ、私たちは同じ夢を見ている」 
「......その分霊鴉ってなんなの?」 
「私は、最初の一羽でした。肉体を奪われた瞬間に飛び立った私からさらに三羽に分かれ、竜の洞窟から飛び去りました。だから私たちは一羽であり、四羽でもある分霊鴉なのです」
 カーラインは、肉体と精神の二人でも混乱したのに、さらに鴉の三人が増えて、総勢五人のアルベルトがいると想像した。アルベルトと呼んだら、一斉に五人が振り返るのか。
 そのイメージがアルベルトに直接伝わったのだろう。目では見えないが、彼は笑っているようだ。
「人間になれるのは、最初の一羽である私だけにしておきましょう」
「懐かしいわ。こんなふうに二人きりで話をするのは――あなたが必ず私の元に戻ってくると誓った日以来ね」
 切ない感情が込み上げるのと同時にアルベルトの感情も流れ込んできた。それは、心が引き裂かれる痛みだった。
 互いの感情と記憶が混じりあう。
 
 ――わたし/私は、白い闇に包まれていた。

 アルベルトに会うんだ。そして今度こそ、絶対に離れない。
 赤茶けた砂岩の大地が茫漠とひろがり、彼方の地平線には険しい山の稜線が霞んでいる。そして、数え切れないほどの人の群れが、荒れ果てた大地を進んでいくのを見た。
 力なくたれている軍旗の下、行進していく騎士たちの後を追いかける。


 私は火葬の灰のように濁った川をたどって、薄暮に滲む寒々とした荒野を歩いていた。
 白い渦から影が浮き上がる――力なく垂れた神の十字の旗、うなだれた敗残兵の群れ。
 いつからこうして歩いているのか。どこへ向かっているのか。
 濃霧が流れ、荒野に沈みゆく太陽の最後の矢が目を射た。
 
 それは、私が息絶える前に焼きついた記憶。
 動けない父をかばいながら、疲労に鉛と化した体で剣の輪舞を舞いつづける。命の炎が尽きるそのときまで。殺気が背後から迫る、汗に滲む目を向ける。
 迫り来る、槍の穂先。
 ぎらつく落日は、血の赤に燃えて――
 
 
 騎士の行列の中に、彼はいた。淡く輝く月の光のような髪も、深緑の軍衣を羽織った長身も、彼の全てが懐かしい。
 名を呼びながら走った。
「アルベルト! 会いたかった!」 

 
 胸に飛びこんできた少女の、朝焼けの燃えるような色の髪に指を絡ませた。
 私の声は届かない。必死に叫んでいる声も聞こえない。水の膜がふたりを隔てているかのように。
 聞こえないことに苛立っていた琥珀色の瞳が見開かれる。背中にまわされていた手が離れる。その白い手は赤く濡れている。
 血が滲んでいる。胸のあたりで裂かれた軍衣から。
 
 ――わたしは夢を見たのだと思っていた。
 黄昏の荒野で追いかけて抱きしめた。わたしを置いて行かないで。

 ――これが夢ではないと私は知っていた。
 黄昏の荒野で私を抱きしめてくれた。あなたの側に戻りたかった。 
 
 迫り来る、槍の穂先。ぎらつく落日は、血の赤に燃えて――
 槍が胸を貫いていた。
 
 暗転。
 螺旋のように渦巻く川の流れに巻き込まれていく。
 
 気がつけば、黄昏の仄かに明るい、影がたたずんでいる部屋にいた。
 機を織る音がする。
 女が歌を口ずさんでいる。
 
 主君をかばいし勇士の胸に
 突き出た槍は赤く濡れ
 血の花が咲くのを見出したり

 歌と共に織物タペストリーが織り上がっていく。
 私は、運命を織る白鳥乙女に向けて呼びかけていた。
「母上」と。
 これは過ぎ去った記憶を再現しているだけなのか。それとも織り上げられた運命のタペストリーを解いて過去に戻ったのだろうか。だが、あの時と違うのは、己の中にカーラインの存在を感じていることだ。
「人の子としてのそなたの夢は終わった。アルベルト、我が息子よ」 
「いえ、まだです。私は夢から覚めるわけにはいかない」 
 視線を落とすと、指に絡められた黄金の一筋が、朝焼けのように輝いている。 
「その指に絡まる一筋の髪をつかえば、黄泉返りの魔術ルーンを歌うことはできます」
 ただし、よみがえっても破れた心臓が鼓動を刻むことはない。記憶が戻るかどうかもわからない。たとえ、全てを思い出したとしても、いずれ心は壊れ、魔性に堕ちる。
「それでも愛する娘に再び会いたいですか。さあ、鋭い武器たる勇士よ、選びなさい。どう選ぶかはそなた次第です」
 
 何度、選択を迫られても、私の答えは変わらない。帰るのが間に合わなかったことを知っていても。
「私の心はあの方のもの。白鳥の血で結ばれた誓いにかけて、必ず帰ると約束したのです。その誓いを守るためなら、黄泉返りの魔術のための代償を払うことを怖れはしません」
 
 私/わたしはお互いを背中に感じていた。
 夜の終わりと始まりに輝く金星が、明けの明星と宵の明星と呼ばれているように。
 たとえ、死がふたりを分つとも――

 別の人と生きることを選んだわたしの元にそれでもあなたは、わたしを守るために帰ることを選ぶ。
 わたしは別の人と生きることを選んでおきながら、それでもわたしはあなたに戻ってきて欲しい。なんて欲深い女。髪を切ったところで女を捨てられなかった。
 それでも、髪を裁つ。豊かな蜂蜜色の髪が床にこぼれ落ちる様は、光の渦のようだ。
「この髪にかけて誓いましょう。――永遠にあなたを愛し続ける」

 赤金色の一筋の髪は渦巻きながら伸び、霧に覆われた空を貫いていく。黄泉と現世をつなぐ光の梯子となって。
 
 永遠の誓いを交わしたあの頃には戻れないとしても、それでも私達は、生と死に隔てられた境界を超えて、互いに手を伸ばす。
シェア
前の話 →
05 盤上の主vs駒 後編
最新話です
目次に戻る
永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌作者:松木響子
目次を見る
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません

01 明けの明星と宵の明星、背中合わせの誓い 前編

 世界が暗転する間際、カーラインはアルベルトに向けて手を伸ばした。
 アルベルトも彼女の手を握りしめ、互いの顔に決意を見た。
 薔薇と白鳥と竜の謎を解くために時空を越える。
 だが、カーラインはどうやって時空を越えるのかわかっていなかった。
 
 意識が途切れる時に響いていたあのドラゴンの愉しげな笑い声は、もう聞こえない。
 
 ――そして、闇だけがあった。
 
 目を開けたと思ったのが錯覚だったのか、目を開けているという感覚がなかった。まるで目を失ったように。目だけでなく、手を伸ばそうと思っても、足で地面を踏もうとしても、切断されたように何も感じない。
 カーラインは叫ぼうとしたが、叫ぶ声すら自分にはない。
「カーライン様、大丈夫です。私がいます」 
 アルベルトの声が、闇のなかに差し込む光のように彼女を暖かく包みこむ。
「ここはどこなの?」
 カーラインは声を出せるようになっていた。
「カーライン様の体は、寝室の寝台で眠っていますが、意識だけが鴉の私と繋がっています」
 そんな説明でわかるわけがないと怒りたかったが、アルベルトもわかるように説明するのが難しいのだろう。
「よくわからないけど、わたしは鴉になっている夢を見ているの?」
「そうですね、その方がわかりやすい例えです。分霊鴉の見る夢に貴方を招きいれ、私たちは同じ夢を見ている」 
「......その分霊鴉ってなんなの?」 
「私は、最初の一羽でした。肉体を奪われた瞬間に飛び立った私からさらに三羽に分かれ、竜の洞窟から飛び去りました。だから私たちは一羽であり、四羽でもある分霊鴉なのです」
 カーラインは、肉体と精神の二人でも混乱したのに、さらに鴉の三人が増えて、総勢五人のアルベルトがいると想像した。アルベルトと呼んだら、一斉に五人が振り返るのか。
 そのイメージがアルベルトに直接伝わったのだろう。目では見えないが、彼は笑っているようだ。
「人間になれるのは、最初の一羽である私だけにしておきましょう」
「懐かしいわ。こんなふうに二人きりで話をするのは――あなたが必ず私の元に戻ってくると誓った日以来ね」
 切ない感情が込み上げるのと同時にアルベルトの感情も流れ込んできた。それは、心が引き裂かれる痛みだった。
 互いの感情と記憶が混じりあう。
 
 ――わたし/私は、白い闇に包まれていた。

 アルベルトに会うんだ。そして今度こそ、絶対に離れない。
 赤茶けた砂岩の大地が茫漠とひろがり、彼方の地平線には険しい山の稜線が霞んでいる。そして、数え切れないほどの人の群れが、荒れ果てた大地を進んでいくのを見た。
 力なくたれている軍旗の下、行進していく騎士たちの後を追いかける。


 私は火葬の灰のように濁った川をたどって、薄暮に滲む寒々とした荒野を歩いていた。
 白い渦から影が浮き上がる――力なく垂れた神の十字の旗、うなだれた敗残兵の群れ。
 いつからこうして歩いているのか。どこへ向かっているのか。
 濃霧が流れ、荒野に沈みゆく太陽の最後の矢が目を射た。
 
 それは、私が息絶える前に焼きついた記憶。
 動けない父をかばいながら、疲労に鉛と化した体で剣の輪舞を舞いつづける。命の炎が尽きるそのときまで。殺気が背後から迫る、汗に滲む目を向ける。
 迫り来る、槍の穂先。
 ぎらつく落日は、血の赤に燃えて――
 
 
 騎士の行列の中に、彼はいた。淡く輝く月の光のような髪も、深緑の軍衣を羽織った長身も、彼の全てが懐かしい。
 名を呼びながら走った。
「アルベルト! 会いたかった!」 

 
 胸に飛びこんできた少女の、朝焼けの燃えるような色の髪に指を絡ませた。
 私の声は届かない。必死に叫んでいる声も聞こえない。水の膜がふたりを隔てているかのように。
 聞こえないことに苛立っていた琥珀色の瞳が見開かれる。背中にまわされていた手が離れる。その白い手は赤く濡れている。
 血が滲んでいる。胸のあたりで裂かれた軍衣から。
 
 ――わたしは夢を見たのだと思っていた。
 黄昏の荒野で追いかけて抱きしめた。わたしを置いて行かないで。

 ――これが夢ではないと私は知っていた。
 黄昏の荒野で私を抱きしめてくれた。あなたの側に戻りたかった。 
 
 迫り来る、槍の穂先。ぎらつく落日は、血の赤に燃えて――
 槍が胸を貫いていた。
 
 暗転。
 螺旋のように渦巻く川の流れに巻き込まれていく。
 
 気がつけば、黄昏の仄かに明るい、影がたたずんでいる部屋にいた。
 機を織る音がする。
 女が歌を口ずさんでいる。
 
 主君をかばいし勇士の胸に
 突き出た槍は赤く濡れ
 血の花が咲くのを見出したり

 歌と共に織物タペストリーが織り上がっていく。
 私は、運命を織る白鳥乙女に向けて呼びかけていた。
「母上」と。
 これは過ぎ去った記憶を再現しているだけなのか。それとも織り上げられた運命のタペストリーを解いて過去に戻ったのだろうか。だが、あの時と違うのは、己の中にカーラインの存在を感じていることだ。
「人の子としてのそなたの夢は終わった。アルベルト、我が息子よ」 
「いえ、まだです。私は夢から覚めるわけにはいかない」 
 視線を落とすと、指に絡められた黄金の一筋が、朝焼けのように輝いている。 
「その指に絡まる一筋の髪をつかえば、黄泉返りの魔術ルーンを歌うことはできます」
 ただし、よみがえっても破れた心臓が鼓動を刻むことはない。記憶が戻るかどうかもわからない。たとえ、全てを思い出したとしても、いずれ心は壊れ、魔性に堕ちる。
「それでも愛する娘に再び会いたいですか。さあ、鋭い武器たる勇士よ、選びなさい。どう選ぶかはそなた次第です」
 
 何度、選択を迫られても、私の答えは変わらない。帰るのが間に合わなかったことを知っていても。
「私の心はあの方のもの。白鳥の血で結ばれた誓いにかけて、必ず帰ると約束したのです。その誓いを守るためなら、黄泉返りの魔術のための代償を払うことを怖れはしません」
 
 私/わたしはお互いを背中に感じていた。
 夜の終わりと始まりに輝く金星が、明けの明星と宵の明星と呼ばれているように。
 たとえ、死がふたりを分つとも――

 別の人と生きることを選んだわたしの元にそれでもあなたは、わたしを守るために帰ることを選ぶ。
 わたしは別の人と生きることを選んでおきながら、それでもわたしはあなたに戻ってきて欲しい。なんて欲深い女。髪を切ったところで女を捨てられなかった。
 それでも、髪を裁つ。豊かな蜂蜜色の髪が床にこぼれ落ちる様は、光の渦のようだ。
「この髪にかけて誓いましょう。――永遠にあなたを愛し続ける」

 赤金色の一筋の髪は渦巻きながら伸び、霧に覆われた空を貫いていく。黄泉と現世をつなぐ光の梯子となって。
 
 永遠の誓いを交わしたあの頃には戻れないとしても、それでも私達は、生と死に隔てられた境界を超えて、互いに手を伸ばす。
シェア
最新話です
目次に戻る
永遠の恋人——薔薇の姫君 夜明けの歌/白鳥の騎士 黄昏の歌作者:松木響子
目次
コメント0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません