26.狭間
意識の狭間、ポツリと僕は一人立っていた。
あたり一面に広がる暗闇、肌を刺すような酷寒とした寒さ。
匂いもなければ人一人の姿もない。
身体は不思議なほど軽く、頭の中は靄もなく万全そのもの。
立っている、とその感覚はあれど、左右の感覚は一切ない。
「おーい」
試しにと放った声は真っ暗な地平線の向こうに消える。
耳を澄まして返ってきたのは、静寂だけだった。
「潜在意識ってやつか」
ぐるりと周囲を見渡せば、唯一地平線にかすかな光。
それは僕を中心に円を描いているようだった。
ふと地平線の向こうがどうなっているのか気になり、歩み始める。
一歩、また一歩、星もない闇夜を一人孤独に進み続ける。
身体を抜ける冷気が身体の奥底を冷やし続け、僅かに身震いさせた。
「さむ」
どれだけ歩けば、あの地平線に辿り着けるのだろうか。
果てしなく遠い目標。
そうだとわかっていても足を止めようとは思えず、考えもなくただひたすらに足を進めた。
進めて、歩んで、歩を刻み続けた。
やがて、体感で数時間ほど歩いた頃、ふとした考えがよぎった。
「......なんで僕はここにいるんだ?」
そう言葉をこぼした瞬間。
あるはずのない強大な殺意が背後に現れ、風が切り裂かれた。
勢いよく振り返り、それを視認する。
一瞬の油断。
圧倒的な威圧感。
鋭い冷気。
刺し殺さんとする殺気。
その全てがその手刀に集約され、振り返った僕の眼前に横薙ぎで迫っていた。
「む」
身を低くして手刀を躱し、大きく飛び退いて姿勢を整える。
視線鋭く攻撃対象を睨みつければ、その男は真っ黒な靄で覆われ突っ立っていた。
「誰だ君は?」
ゆるく拳を握る。
『......』
返ってくるのは静寂をまとった時間のみ。
だが、異様にもその殺気は未だ解かれていなかった。
一瞬でも気を抜けば殺される、とそんな予感が脳裏に浮かぶ。
どうしたものかと思考を巡らせた瞬間、男は身を低くして構える。
瞬きする間に地を蹴って僕に迫った。
即座に臨戦態勢を取り、一瞬大きく息を吸う。
一歩前に足を刻み込んだ。
顔面に向かって放たれた拳を、首を傾けて躱す。
クロスするように奮われた反対の拳を、掌で防いだ。
「なにすんだ」
胸で生まれる黒い衝動が視線に乗り、黒い靄を見据える。
『――け』
靄の口元が動き、何かを発する。
が、それは小さなノイズが走り耳に入らない。
「言いたいことがあるならまずその手を止めろ」
言葉と同時に拳は掌から消え、胸元に鋭い視線が刺さる。
その位置に掌を置けば、拳がそこに衝突した。
「もっと敵意を隠して攻撃しろ」
額、鳩尾、肩、脇腹、膝。
続いて突き刺す部分に攻撃が迫るも、手の甲で弾き返す。
が、一つの手刀が意識の外から頬を割いた。
血は流れることなく、一筋の傷からは黒いモヤが現れる。
割くような痛みが全身を迸り、一瞬身体が硬直した。
『―づけ』
その隙を縫うようにして、眼前に拳が迫る。
痛みが増すにつれて頭の中は晴れ渡っていった。
今まさに衝突すると言ったその時、その手首を掴んだ。
「いい加減に、したらどうだ」
溢れ始める苛立ちが視線に乗り、黒く揺れる奴を射抜く。
一瞬黒い男は震え上がり、大きく飛び退いた。
「無意味に戦うのは好きじゃないんだ」
男が離れたのを確認し、鋭利な痛みが身体中を駆け巡る。
鈍痛が頭に響き渡り、全身の神経を覚醒させていった。
『......』
奴の靄のかかった瞳が細まり、僕を見据える。
拳を握り、胸の内から溢れ出す怒気を込めて鋭く奴を見返した。
「少し本気で相手してやる」
瞬間、激しい光が僕の後ろ、地平線の向こうから輝き出す。
まるで蓋が開けられるように徐々に広がっていく光が目を眩く照らした。
『白鷺くん』
地平線の向こうから誰かが僕の名前を呼んでいる。
不思議と身体は温もりに包まれる。
敏感だった頭はぼんやりと薄れていった。
『気をつけろよ』
ふと先程男がいた位置から声がし、ゆっくりと振り返る。
鋭い冷気を身体から放っていたその男は、先程までの殺気が嘘のように微笑んでいた。
光が当たった顔のみ靄が晴れた男は、よく知っている顔だった。
『俺』
薄れゆく意識のさなか、白鷺秋夜はそう柔らかく言った。