ホーム理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-第六話 消える料理
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第六話 消える料理

 しばらく、二人は黙っていた。

 食堂のざわめきが続いている。隣のテーブルでは誰かが大声で
笑い、椅子が引かれる音がした。皿の触れ合う音、酒の匂い、
木椅子の軋み。メルの話が終わったあとの空気は、少し重かった。

 そこへ、新しい皿が運ばれてきた。腸詰、スープ、追加のパン。
食堂の匂いが濃くなる。メリアはすぐにフォークを持った。腸詰を
切り、口に運ぶ。

 レオンはその様子を見て、少し肩の力が抜けた。

「......ほんとに燃費悪いんだな」

「仕様です」

「さっきも聞いた」

「仕様は変わりません」

 レオンは苦笑した。重かった空気が、少しだけ緩む。メリアは
スープに手をつけた。スプーンでひとすくい、少し冷ましてから
飲む。

「......普通です」

「感想か、それ?」

「感想です」

 即答だった。レオンはジョッキを持ち上げて一口飲んだ。窓の
外はもう暗い。食堂の灯りが石の壁に反射して、橙色の空気が
漂っていた。

「レオンは」

 メリアが言った。フォークの動きが止まっている。

「装備、直さないんですか?」

「金がなくてさ」

「そうですか」

 それだけ返して、また食べ始めた。会話とも呼べないやり取り
だったが、レオンは特に気にしなかった。むしろ、この素っ気なさが妙に居心地よかった。

 レオンが話し始めた。装備の話。剣の手入れが面倒だという話。
グリップを巻き直す金がないという話。

 その最中だった。

 メリアの目が、ほんの少しだけ横へ動いた。

 テーブルの上、鳥の串焼きの皿。さっきまで三本あった串が、
いつの間にか二本になっている。メリアは串を見て、それから
視線を少し横に向けた。れもんが満足そうに口を動かしていた。
もぐもぐ。挿絵

「......それは私の」

 小声だった。

「え?」

「独り言です」

「いや今なんか言った――」

「独り言です」

 即答。フォークは止まっていない。レオンは少し首を傾げたが、
話を続けた。

 その間に、パンが一切れ減った。メリアが視線を向けると、
れもんがパンを前足で押さえてむしゃむしゃと食べている。
満足そうだった。

「......返して」

「え、何が?」

「独り言です」

「また――」

「独り言です」

 メリアはれもんを見た。れもんはメリアを見た。ぱち、と目が
合う。尻尾がゆっくり揺れた。

「......それはあなたのじゃない」

 小さく、しかし真剣な声で言う。れもんは少し間を置いてから、
パンをそっと皿に戻した。半分だけ。

 メリアは半分戻ったパンを見つめた。

「......半分」

(演算コスト)

 れもんが言う。メリアにしか聞こえない声で。

(さっきより消費が多かった)

「食べすぎ」

(必要経費)

 メリアはため息をついた。

(それに、テストの後だから)

「それは今朝の話」

(今朝も今日のうち)

「屁理屈」

(正論)

 メリアは反論を諦めた。

 レオンがジョッキを置いた。

「メリア」

「なんですか」

「豆の皿、さっきより減ってない?」

 見ると、確かに減っている。れもんが豆を数粒、器用に前足で
転がして食べていた。転がすたびに、豆が一粒ずつ姿を消していく。
丸くて、少し得意げな仕草だった。

「......蒸発です」

「蒸発?」

「豆が?」

「豆は蒸発しない」

「します」

「する?」

「たまにあります」

 レオンはしばらく黙った。それからジョッキを持ち上げた。
まあ、そういうことにしておくか、という顔だった。豆が蒸発する
世界なら、それはそれで面白い、とでも言いたげだった。

 その間にも、スープのスプーンが一本、静かに動いた。メリアは
慌てて手を伸ばし、スプーンを取り戻す。れもんは少し不満そうに
鼻を鳴らした。

 メリアは小声でれもんに言った。

「......もう食べない」

(ゲージが)

「ダメ」

(でも)

「ダメ」

 れもんは尻尾を一度振って、大人しく座った。

 メリアはスープを飲んだ。しばらくして、れもんがテーブルの端を
前足でちょんと叩いた。メリアを見上げる。丸い目。尻尾がゆっくり
揺れている。

 メリアは少し目を細めた。......仕方ない。スープをれんげで
一杯すくって、テーブルの端に置いた。れもんは顔を近づけて、
ちびちびと飲み始めた。

 その隙に、追加で頼んだ果物の皿から、いちばん赤い実がひとつ
消えた。メリアが気づいた時には、皮だけが皿の端に残されていた。

「......いちご」

(美味しかった)

 悪びれもせず、れもんはそう答えた。

「まだ何も言ってない」

(顔に出てた)

「出てない」

(出てた)

 メリアはこめかみを押さえた。

 残った最後のいちごに、レオンが何気なく手を伸ばした瞬間、
皿の上でそれがすっと動いた。

「......あれ」

 レオンは瞬きした。皿を少し傾けたつもりはない。だが、いちごは
確かに少し先へ滑っていた。

「気のせいです」

 メリアが即座に言う。フォークを持つ手が、ほんの少し早口に
動いた。

 レオンはもう一度手を伸ばした。今度は問題なく掴めた。首を
傾げながら口に運ぶ。

「......今の、なんだったんだ」

「テーブルが傾いてます」

「傾いてないだろ、これ」

「傾いてます」

 断言だった。れもんがメリアの膝の陰で、悔しそうに尻尾を
垂らしているのを、レオンは知る由もない。

 その様子を見ていたら、口元が少し動いた。本当に、少しだけ。

 楽しかった。

 レオンはその顔を見ていた。さっきまでメルの話をしている時の
メリアは静かだった。表情が動かない。ただ聞いている。今は違う。
何かと話しているような目をして、視線が少し横にある。口元が
緩んでいる。同一人物なのに、全然違う顔だった。

 レオンはジョッキを持ったまま、少し黙った。あんな顔も
するんだ、と思いながら。

 食事が終わりに近づいた頃、レオンは最後のパンを手に取った。

「さっき」と何気なく言う。

「誰と喧嘩してたんだ?」

 メリアはほんの少しだけ止まった。視線が横に流れる。れもんを
見る。れもんは知らない顔で座っている。尻尾だけがゆっくり揺れて
いた。

「......独り言です」

 レオンはそれ以上聞かなかった。「そっか」とパンを食べた。

 その手の中のパンを見て、レオンはふと眉を寄せた。半分ほどの
大きさになっている気がする。気のせいだろう、と思うことにした。

 食堂のざわめきは変わらない。灯りが揺れる。遠くで誰かが笑う
声がした。レオンの頭のどこかに、小さな違和感が残った。独り言。
本当に、そうだったんだろうか。

 やがてメリアが最後のパンを口に運び、満足そうに小さく息を
吐いた。空になった皿がテーブルの上に並んでいる。レオンはその
数を数えるのをやめた。

「よく入るな、その細い体で」

「燃費が悪いので、仕方ないです」

 さっきと同じ台詞だった。だが、今度は少しだけ、口の端が緩んで
いるように見えた。

「今日は、ごちそうさま」

 レオンが言うと、メリアは首を横に振った。

「割り勘です」

「......せめて奢らせろよ」

「経費です」

「経費で自分の飯代を出す冒険者、聞いたことないぞ」

「前例がないだけです」

 よく分からない理屈だったが、それ以上は言わなかった。財布を
取り出しながら、レオンはふと窓の外を見た。港の方角から、船の
汽笛が遠く低く響いてくる。夜がもうそこまで来ていた。

 店を出ると、夜の空気が少し冷たかった。

 ギルドの灯りが背中に残る。石畳の上を、二人は並んで歩いた。
どちらも特に話すでもなく、方向が同じだから並んでいる、
それだけの距離感だった。荷馬車がそばを通り過ぎ、遠くで波の
音がした。港町の夜はいつも、どこかで海の気配がある。

 少し歩いてから、レオンが言った。

「俺、強くなりたいんだ」

 独り言みたいな声だった。さっきの話の続きでもあり、そうでも
ない。ただ、声に出したかった。それだけだ。

 メリアが少し止まった。振り返らない。少し考える。それから、

「......なれます」

 根拠は言わない。理由もない。ただ言い切る。

 レオンは目を瞬いた。

「......ほんと?」

 メリアは歩き出す。

「はい」

 レオンは少し笑った。何がそう思わせたのか、自分でも分から
ない。根拠のない言葉だと分かっている。それでも、胸の奥の
何かが、少し軽くなった気がした。

 灯りが石畳に落ちて、影が伸びる。二人の足音が夜の街に続いて
いく。

 レオンはもう一度、さっきのメリアの言葉を思い出した。なれる。
それだけだった。でも、それで十分だった。

 港の方から、夜風がひときわ強く吹いた。メリアの外套が小さく
はためく。その足元で、何かがとてとてと歩く気配がした気が
したが、レオンが振り向いた時には、もう何もいなかった。
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理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-作者:シラン
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第六話 消える料理

 しばらく、二人は黙っていた。

 食堂のざわめきが続いている。隣のテーブルでは誰かが大声で
笑い、椅子が引かれる音がした。皿の触れ合う音、酒の匂い、
木椅子の軋み。メルの話が終わったあとの空気は、少し重かった。

 そこへ、新しい皿が運ばれてきた。腸詰、スープ、追加のパン。
食堂の匂いが濃くなる。メリアはすぐにフォークを持った。腸詰を
切り、口に運ぶ。

 レオンはその様子を見て、少し肩の力が抜けた。

「......ほんとに燃費悪いんだな」

「仕様です」

「さっきも聞いた」

「仕様は変わりません」

 レオンは苦笑した。重かった空気が、少しだけ緩む。メリアは
スープに手をつけた。スプーンでひとすくい、少し冷ましてから
飲む。

「......普通です」

「感想か、それ?」

「感想です」

 即答だった。レオンはジョッキを持ち上げて一口飲んだ。窓の
外はもう暗い。食堂の灯りが石の壁に反射して、橙色の空気が
漂っていた。

「レオンは」

 メリアが言った。フォークの動きが止まっている。

「装備、直さないんですか?」

「金がなくてさ」

「そうですか」

 それだけ返して、また食べ始めた。会話とも呼べないやり取り
だったが、レオンは特に気にしなかった。むしろ、この素っ気なさが妙に居心地よかった。

 レオンが話し始めた。装備の話。剣の手入れが面倒だという話。
グリップを巻き直す金がないという話。

 その最中だった。

 メリアの目が、ほんの少しだけ横へ動いた。

 テーブルの上、鳥の串焼きの皿。さっきまで三本あった串が、
いつの間にか二本になっている。メリアは串を見て、それから
視線を少し横に向けた。れもんが満足そうに口を動かしていた。
もぐもぐ。挿絵

「......それは私の」

 小声だった。

「え?」

「独り言です」

「いや今なんか言った――」

「独り言です」

 即答。フォークは止まっていない。レオンは少し首を傾げたが、
話を続けた。

 その間に、パンが一切れ減った。メリアが視線を向けると、
れもんがパンを前足で押さえてむしゃむしゃと食べている。
満足そうだった。

「......返して」

「え、何が?」

「独り言です」

「また――」

「独り言です」

 メリアはれもんを見た。れもんはメリアを見た。ぱち、と目が
合う。尻尾がゆっくり揺れた。

「......それはあなたのじゃない」

 小さく、しかし真剣な声で言う。れもんは少し間を置いてから、
パンをそっと皿に戻した。半分だけ。

 メリアは半分戻ったパンを見つめた。

「......半分」

(演算コスト)

 れもんが言う。メリアにしか聞こえない声で。

(さっきより消費が多かった)

「食べすぎ」

(必要経費)

 メリアはため息をついた。

(それに、テストの後だから)

「それは今朝の話」

(今朝も今日のうち)

「屁理屈」

(正論)

 メリアは反論を諦めた。

 レオンがジョッキを置いた。

「メリア」

「なんですか」

「豆の皿、さっきより減ってない?」

 見ると、確かに減っている。れもんが豆を数粒、器用に前足で
転がして食べていた。転がすたびに、豆が一粒ずつ姿を消していく。
丸くて、少し得意げな仕草だった。

「......蒸発です」

「蒸発?」

「豆が?」

「豆は蒸発しない」

「します」

「する?」

「たまにあります」

 レオンはしばらく黙った。それからジョッキを持ち上げた。
まあ、そういうことにしておくか、という顔だった。豆が蒸発する
世界なら、それはそれで面白い、とでも言いたげだった。

 その間にも、スープのスプーンが一本、静かに動いた。メリアは
慌てて手を伸ばし、スプーンを取り戻す。れもんは少し不満そうに
鼻を鳴らした。

 メリアは小声でれもんに言った。

「......もう食べない」

(ゲージが)

「ダメ」

(でも)

「ダメ」

 れもんは尻尾を一度振って、大人しく座った。

 メリアはスープを飲んだ。しばらくして、れもんがテーブルの端を
前足でちょんと叩いた。メリアを見上げる。丸い目。尻尾がゆっくり
揺れている。

 メリアは少し目を細めた。......仕方ない。スープをれんげで
一杯すくって、テーブルの端に置いた。れもんは顔を近づけて、
ちびちびと飲み始めた。

 その隙に、追加で頼んだ果物の皿から、いちばん赤い実がひとつ
消えた。メリアが気づいた時には、皮だけが皿の端に残されていた。

「......いちご」

(美味しかった)

 悪びれもせず、れもんはそう答えた。

「まだ何も言ってない」

(顔に出てた)

「出てない」

(出てた)

 メリアはこめかみを押さえた。

 残った最後のいちごに、レオンが何気なく手を伸ばした瞬間、
皿の上でそれがすっと動いた。

「......あれ」

 レオンは瞬きした。皿を少し傾けたつもりはない。だが、いちごは
確かに少し先へ滑っていた。

「気のせいです」

 メリアが即座に言う。フォークを持つ手が、ほんの少し早口に
動いた。

 レオンはもう一度手を伸ばした。今度は問題なく掴めた。首を
傾げながら口に運ぶ。

「......今の、なんだったんだ」

「テーブルが傾いてます」

「傾いてないだろ、これ」

「傾いてます」

 断言だった。れもんがメリアの膝の陰で、悔しそうに尻尾を
垂らしているのを、レオンは知る由もない。

 その様子を見ていたら、口元が少し動いた。本当に、少しだけ。

 楽しかった。

 レオンはその顔を見ていた。さっきまでメルの話をしている時の
メリアは静かだった。表情が動かない。ただ聞いている。今は違う。
何かと話しているような目をして、視線が少し横にある。口元が
緩んでいる。同一人物なのに、全然違う顔だった。

 レオンはジョッキを持ったまま、少し黙った。あんな顔も
するんだ、と思いながら。

 食事が終わりに近づいた頃、レオンは最後のパンを手に取った。

「さっき」と何気なく言う。

「誰と喧嘩してたんだ?」

 メリアはほんの少しだけ止まった。視線が横に流れる。れもんを
見る。れもんは知らない顔で座っている。尻尾だけがゆっくり揺れて
いた。

「......独り言です」

 レオンはそれ以上聞かなかった。「そっか」とパンを食べた。

 その手の中のパンを見て、レオンはふと眉を寄せた。半分ほどの
大きさになっている気がする。気のせいだろう、と思うことにした。

 食堂のざわめきは変わらない。灯りが揺れる。遠くで誰かが笑う
声がした。レオンの頭のどこかに、小さな違和感が残った。独り言。
本当に、そうだったんだろうか。

 やがてメリアが最後のパンを口に運び、満足そうに小さく息を
吐いた。空になった皿がテーブルの上に並んでいる。レオンはその
数を数えるのをやめた。

「よく入るな、その細い体で」

「燃費が悪いので、仕方ないです」

 さっきと同じ台詞だった。だが、今度は少しだけ、口の端が緩んで
いるように見えた。

「今日は、ごちそうさま」

 レオンが言うと、メリアは首を横に振った。

「割り勘です」

「......せめて奢らせろよ」

「経費です」

「経費で自分の飯代を出す冒険者、聞いたことないぞ」

「前例がないだけです」

 よく分からない理屈だったが、それ以上は言わなかった。財布を
取り出しながら、レオンはふと窓の外を見た。港の方角から、船の
汽笛が遠く低く響いてくる。夜がもうそこまで来ていた。

 店を出ると、夜の空気が少し冷たかった。

 ギルドの灯りが背中に残る。石畳の上を、二人は並んで歩いた。
どちらも特に話すでもなく、方向が同じだから並んでいる、
それだけの距離感だった。荷馬車がそばを通り過ぎ、遠くで波の
音がした。港町の夜はいつも、どこかで海の気配がある。

 少し歩いてから、レオンが言った。

「俺、強くなりたいんだ」

 独り言みたいな声だった。さっきの話の続きでもあり、そうでも
ない。ただ、声に出したかった。それだけだ。

 メリアが少し止まった。振り返らない。少し考える。それから、

「......なれます」

 根拠は言わない。理由もない。ただ言い切る。

 レオンは目を瞬いた。

「......ほんと?」

 メリアは歩き出す。

「はい」

 レオンは少し笑った。何がそう思わせたのか、自分でも分から
ない。根拠のない言葉だと分かっている。それでも、胸の奥の
何かが、少し軽くなった気がした。

 灯りが石畳に落ちて、影が伸びる。二人の足音が夜の街に続いて
いく。

 レオンはもう一度、さっきのメリアの言葉を思い出した。なれる。
それだけだった。でも、それで十分だった。

 港の方から、夜風がひときわ強く吹いた。メリアの外套が小さく
はためく。その足元で、何かがとてとてと歩く気配がした気が
したが、レオンが振り向いた時には、もう何もいなかった。
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