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月の光1

 その日の朝から私の扱いは変わった。寝ぼけ眼の私に、セリスは深々とお辞儀をする。

「エレナ様、おはようございます」

 まず、セリスの挨拶が違う。エレナ『嬢』ではなく、『様』なのだ。それだけのことが空気を少しだけ固くする。

「セリス、そんなにかしこまらないでよ」

 戸惑いながら苦笑いをすると、セリスは真顔で口を開いた。

「そういう訳にはいきません。エレナ様は王太子殿下の婚約者となられたのですから」

 私の中では、今までとは何も変わらないのに。そういうものなのだろうか、と首を傾げてみる。

「お部屋も移動させていただきます。このような狭い場所ではいけませんから」

「えっ」

 この広い部屋にもようやく馴染み始めていたのに。もっと広くなるなら、心も身体も落ち着かないだろう。

「私はこの部屋で良い――」

「いけません」

 反論しようとすると、セリスにピシャリと言って退けられた。

「ここは他の貴族にも場所が知られています。危険は徹底的に排除しなくてはなりませんから」

 その言葉に、初めてこの城に来た夜のことを思い出す。厳重すぎる騎士の警戒、張り詰めた空気、そして――眠っている間に身体を改められた。それほどまでに危険な場所なのだ。王太子の婚約者という立場は重いものだとは思っていたけれど、これほどまでとは。

「行きましょう」

 私が返事をする間もなく、セリスは身を翻す。仕方なく、後に続く他はなかった。
 通りかかる騎士や侍女、来城した貴族などが一様に私へ頭を下げる。昨日は私の顔を見るなり陰湿な噂話をしていたのに。これはこれで納得がいかない。
 何度、廊下を曲がっただろう。道を覚えられぬままに部屋へ辿り着いてしまった。蝶番の音と共に開けられた扉の先をまじまじと見詰める。

「今日からこちらがエレナ様のお部屋です」

 今までの部屋の二倍の広さはあるだろうか。リュシアンの私室までとはいかないけれど、持て余すほどの広さだ。真新しいソファー、置かれた白い刺繍入りのクッション、キングサイズのベッド、シャンデリア――豪華なピンクの調度品が所狭しと並べられている。思わず溜め息が漏れそうになった。
 セリスに中へと促され、ソファーに座る。どこを見て良いのか分からず、視線を落としてしまった。

「お時間はかかるかもしれませんが、徐々に慣れていきましょう。エレナ様と同じように、皆もこの状況に対応出来ていないのです」

「......うん」

 そうだ、罪人の家と思われているノワゼル家の娘が、いきなり次期王太子妃となったのだ。リュシアンや国王以外はこの状況に戸惑っているだろう。それならば、私を尊敬に値する者と認識させる以外にはない。
 冤罪がどうのと言っている場合ではなくなってしまった。

「本日の午後、正式に国王陛下から宣言がなされます。その時は、エレナ様も国王陛下とご一緒されますよう」

「分かった」

 ここが名誉挽回する最初の機会だ。気品と厳格さを兼ね備えた私の姿を想像する。
 すっと立ち上がり、背筋をピンと伸ばしてみる。

「エレナ様、その意気です」

 やっとセリスは笑ってくれた。両手でガッツポーズをし、私を応援してくれる。

「やれるだけやらなくちゃ。ここで終わる訳にはいかないんだから」

 私がリュシアンの心の支えとなって、隣に立ち続けてみせる。決意を新たに、震える手でグラス一杯の水を飲み干した。

 * * *

 新調された水色のドレスを纏い、されるがままに豪華に着飾った。
 今は玉座の間の前で待機をしている。扉の向こうには国王とリュシアン、オーレリア、それに大勢の貴族が押しかけているのだろう。国の重大な式典だ。参加しない方がおかしい。

「エレナ様、もうすぐ出番です」

 喉から出そうな胸を押さえ、セリスと一緒に深呼吸をする。それでも緊張が解けることはない。
 姿勢だけでも正さなければ。顎を引き、背筋を伸ばし、震える足を揃える。ほどなくして、国王の声は廊下まで響いた。
 
「エレナ、入りなさい」

 心臓が飛び跳ねたと同時に、騎士の手によって扉は開かれた。
 目が眩むような光なんて気にしてはいけない。足を踏み出し、速度は落とさない。
 貴族たちの憧れと蔑みの混ざったような眼差しと囁き声にも惑わされてはいけない。ただただ視線を真っ直ぐに保つ。
 光にも慣れて、国王とリュシアンの姿をしっかりと捉えた。二人とも穏やかな表情だ。その数歩横へ離れたところにオーレリアの姿はあった。浮かない表情で、私を睨んでいるようにも見える。いつか仲違いが解けたら良いな、と願わずにはいられない。

「エレナ、おいで」

 リュシアンに呼ばれ、胸がじんわりと温かくなる。緊張感が消えたわけではない。でも、それは愛しい人の微笑みに霞んでいった。
 差し出された手を取り、リュシアンの隣に並ぶ。
 ひしめき合う貴族に圧倒されそうになる。駄目だ。心の中で焦っては良いけれど、それを表情に出してはいけない。少しだけ目を細め、口元を引いた。

「今日をもって、エレナはリュシアンの婚約者となる。異論のある者は名乗り出よ」

 国王の宣言は波のように貴族たちに広がり、ざわめきをもたらす。やはり、一筋縄ではいかないらしい。
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優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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月の光1

 その日の朝から私の扱いは変わった。寝ぼけ眼の私に、セリスは深々とお辞儀をする。

「エレナ様、おはようございます」

 まず、セリスの挨拶が違う。エレナ『嬢』ではなく、『様』なのだ。それだけのことが空気を少しだけ固くする。

「セリス、そんなにかしこまらないでよ」

 戸惑いながら苦笑いをすると、セリスは真顔で口を開いた。

「そういう訳にはいきません。エレナ様は王太子殿下の婚約者となられたのですから」

 私の中では、今までとは何も変わらないのに。そういうものなのだろうか、と首を傾げてみる。

「お部屋も移動させていただきます。このような狭い場所ではいけませんから」

「えっ」

 この広い部屋にもようやく馴染み始めていたのに。もっと広くなるなら、心も身体も落ち着かないだろう。

「私はこの部屋で良い――」

「いけません」

 反論しようとすると、セリスにピシャリと言って退けられた。

「ここは他の貴族にも場所が知られています。危険は徹底的に排除しなくてはなりませんから」

 その言葉に、初めてこの城に来た夜のことを思い出す。厳重すぎる騎士の警戒、張り詰めた空気、そして――眠っている間に身体を改められた。それほどまでに危険な場所なのだ。王太子の婚約者という立場は重いものだとは思っていたけれど、これほどまでとは。

「行きましょう」

 私が返事をする間もなく、セリスは身を翻す。仕方なく、後に続く他はなかった。
 通りかかる騎士や侍女、来城した貴族などが一様に私へ頭を下げる。昨日は私の顔を見るなり陰湿な噂話をしていたのに。これはこれで納得がいかない。
 何度、廊下を曲がっただろう。道を覚えられぬままに部屋へ辿り着いてしまった。蝶番の音と共に開けられた扉の先をまじまじと見詰める。

「今日からこちらがエレナ様のお部屋です」

 今までの部屋の二倍の広さはあるだろうか。リュシアンの私室までとはいかないけれど、持て余すほどの広さだ。真新しいソファー、置かれた白い刺繍入りのクッション、キングサイズのベッド、シャンデリア――豪華なピンクの調度品が所狭しと並べられている。思わず溜め息が漏れそうになった。
 セリスに中へと促され、ソファーに座る。どこを見て良いのか分からず、視線を落としてしまった。

「お時間はかかるかもしれませんが、徐々に慣れていきましょう。エレナ様と同じように、皆もこの状況に対応出来ていないのです」

「......うん」

 そうだ、罪人の家と思われているノワゼル家の娘が、いきなり次期王太子妃となったのだ。リュシアンや国王以外はこの状況に戸惑っているだろう。それならば、私を尊敬に値する者と認識させる以外にはない。
 冤罪がどうのと言っている場合ではなくなってしまった。

「本日の午後、正式に国王陛下から宣言がなされます。その時は、エレナ様も国王陛下とご一緒されますよう」

「分かった」

 ここが名誉挽回する最初の機会だ。気品と厳格さを兼ね備えた私の姿を想像する。
 すっと立ち上がり、背筋をピンと伸ばしてみる。

「エレナ様、その意気です」

 やっとセリスは笑ってくれた。両手でガッツポーズをし、私を応援してくれる。

「やれるだけやらなくちゃ。ここで終わる訳にはいかないんだから」

 私がリュシアンの心の支えとなって、隣に立ち続けてみせる。決意を新たに、震える手でグラス一杯の水を飲み干した。

 * * *

 新調された水色のドレスを纏い、されるがままに豪華に着飾った。
 今は玉座の間の前で待機をしている。扉の向こうには国王とリュシアン、オーレリア、それに大勢の貴族が押しかけているのだろう。国の重大な式典だ。参加しない方がおかしい。

「エレナ様、もうすぐ出番です」

 喉から出そうな胸を押さえ、セリスと一緒に深呼吸をする。それでも緊張が解けることはない。
 姿勢だけでも正さなければ。顎を引き、背筋を伸ばし、震える足を揃える。ほどなくして、国王の声は廊下まで響いた。
 
「エレナ、入りなさい」

 心臓が飛び跳ねたと同時に、騎士の手によって扉は開かれた。
 目が眩むような光なんて気にしてはいけない。足を踏み出し、速度は落とさない。
 貴族たちの憧れと蔑みの混ざったような眼差しと囁き声にも惑わされてはいけない。ただただ視線を真っ直ぐに保つ。
 光にも慣れて、国王とリュシアンの姿をしっかりと捉えた。二人とも穏やかな表情だ。その数歩横へ離れたところにオーレリアの姿はあった。浮かない表情で、私を睨んでいるようにも見える。いつか仲違いが解けたら良いな、と願わずにはいられない。

「エレナ、おいで」

 リュシアンに呼ばれ、胸がじんわりと温かくなる。緊張感が消えたわけではない。でも、それは愛しい人の微笑みに霞んでいった。
 差し出された手を取り、リュシアンの隣に並ぶ。
 ひしめき合う貴族に圧倒されそうになる。駄目だ。心の中で焦っては良いけれど、それを表情に出してはいけない。少しだけ目を細め、口元を引いた。

「今日をもって、エレナはリュシアンの婚約者となる。異論のある者は名乗り出よ」

 国王の宣言は波のように貴族たちに広がり、ざわめきをもたらす。やはり、一筋縄ではいかないらしい。
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次の話月の光2
優しすぎる王太子に妃は現れない作者:七宮叶歌
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