第1話 七海堂
チリーーーン......
よく徹る音を響かせて燕の鉄風鈴が鳴る。
行きつけの古美術商のガラス扉を押し 薄暗い店内に入る。
「あら。いらっしゃい。今日は1人?」
黒髪を後ろに結い上げた妙齢の女主人が声を掛けてくれる。
9月の初日とはいえ夏の暑さが残る正午前。
稲荷町のアンティークショップは 外の暑さとは無縁のしっとりと落ち着いた静けさと 特有の微かな黴の臭いでボクを迎え入れてくれた。
「あー そうです。今日は 彼女合宿で......」
ボクの名前は 宮村 亜樹。紅梅美大ってゆー大学に通う大学3年生。専攻は グラフィックデザインってことになってるけど 主に油彩を描いてる。
「で 今日は 1人でアンティーク漁り?」
相変わらずの悪戯っぽい笑みを湛えた瞳でボクの眼をのぞき込みながら 七海さんが尋ねてくる。今日の七海さんは いつものことながら 黒っぽい服装。ちょっとタイトなロングワンピース。
年齢は これまた いつものことながら 全く見当が付かない。20代にも見えるし 40代と言われれば そうかと思う。相変わらずの年齢不詳っぷり。......いや 20代ってことは無いか。もうすぐボクも21だ。初めて会ったのが16。あれから5年も経ったのに20代ってことは あり得ない。とは言え 出会った頃と全く変わらない美貌を保っている。......ホント 不思議な人。
「あー いや。そこの画廊に少し用事があって......。ちょうど 前を通り掛かったら お店 開いてるみたいだったし......」
「あら~。運命のお導きってワケね。桜橋の方が忙しくて こっち なかなか開けられてないから......で 画廊に何のご用? ついに画家デビュー? それとも個展でも 開くのかしら?」
「いや あの そんな大層なハナシじゃなくて......これ なんですけど」
そう言いながら スマホのフォルダを開き 1枚の画像を見せる。
「あら。城隍さんじゃない。裸婦像27『しのぶ』ね」
「えっ!? 知ってるんですか?」
「バカにしないで。この街で古美術 扱ってて城隍先生 知らないなんてモグリよ~」
ボクが見せた画像は この光岡出身の大正時代の日本画家 長谷浦 城隍の裸婦像。城隍の現在知られている裸婦像の内 最後期の作品で少なくとも この作品より後の作品は知られていない。要するに『城隍 最後の裸婦像』。そして もう1つ異色なのは 題名。城隍の裸婦像は『女学生』とか『女給』とか作品名に個人名を記さないのが基本。ってゆーか唯一の例外がこの『しのぶ』。
「......そんなワケで ゼミの梶本先生に出された課題が この『しのぶ』の制作過程に迫るって課題なんです。『しのぶ』の実物は 今 東京の美術館なんですけど 稲荷町にも城隍の裸婦像の実物があるってゆーんで 近藤画廊まで」
「ふーん。城隍さんが裸婦像 描いてたのって 若い頃でしょ? まだ 城隍先生って感じじゃなくって幾三郎君って感じだった頃。まだ 画学生やってて スケッチブック抱えて この辺りウロウロしてたような気がするわ」
七海さんは まるで見てきたかのような話し方。
これも いつものこと。魔女っぽい感じに自己演出してくるからな......。長谷浦 城隍は本名 長谷浦 幾三郎っていって 今の市立美大の前身の光岡美術院へ通う画学生だった。裸婦像を描いてたのは 光岡美術院時代の5年間ほどだけ。ここら辺のことは 一般的な解説書にだって載ってるハナシ。
ずいぶんモテたらしくて 今残る裸婦像20数点のモデルは 7人ほど確認されてるけど そのどの女性とも交際があったって言われてる。
この『しのぶ』を除いて。
この女性が誰なのか?
なぜ この絵を最後に裸婦像を描かなくなったのか?
その答えは なんとなく解る。
たぶん これ以上の絵は描けないって思ったんだろう。
ボクも絵を描くから解るけど 今日 見た裸婦像に比べても『しのぶ』は 格段に出来がいい。
懸けた時間と一筆に込めた想いが 違う。
この絵の女性は 静かな諦めにも似た微笑みを此方に向けている。
『しのぶ』って誰なんだ?
若き日の城隍と何があったんだ?
この瞳が映してるのは どんな想いなんだろう?
資料は沈黙して何も語らない。
そして ボクは途方にくれる。
レポートを書かなきゃってのもあるけど こんな深い深い想いを込めた絵を描くってのは そして こんな切ない表情を人に向けるってのは そうそうできるモノじゃあ無い。
それは プロの画家でも 一緒だと思う。
この絵の向こう側を覗いてみたい。
この課題は 大学の課題を超えて ボクの絵描きとしての課題になり始めていたんだ......。
.........。
......。
...。