第21話 長谷浦 城隍
「で さ......亜樹。結局 幾三郎さんて 何でパリ留学に行っちゃったワケ?」
悟堂町にある長谷浦 城隍の墓石に手を合わした後 瞳が素朴な疑問を口にする。
今日は 9月21日。秋分の日の祝日。あの日から 3週間後の この日 ボクと恋人の瞳は悟堂にあった城隍のアトリエを改装した〈長谷浦 城隍 記念館〉を訪れていた。
まずは 裏手にある 幾三郎君の墓に手を合わせる。
「......たぶん 逃げ出したんだと思う。郁二郎さんからも しのぶさんからも」
しのぶさんの漢字表記が〈信夫〉じゃないか? っていう仮説を ボクは この3週間 徹底的にリサーチした。古い記録を調べ 過去の戸籍謄本に当たった。ボクの予想は 怖いくらい当たっていた。当たり前だ......見てきたんだから。
光岡本町の坂本家の庶子。
信夫 女 昭和三年歿。
陸軍輜重中尉 長谷浦 郁二郎。
本所陸軍被服廠で軍務中に殉職。
もちろん婚姻届は出てなかった。
坂本 信夫は 光岡美術院時代の隣家に住んでいた女性。
長谷浦 幾三郎の結婚相手 絹枝の家にいた冷飯食らいの男みたいな名前の人物。
今まで 研究者が誰も注目しなかったのも無理はない。
次兄の結婚相手ですらなかったんだから。
だけど 確かに記録上も存在した女性。
「逃げ出した?」
「......うん。郁二郎兄さんは あの日 亡くなっちゃったから 2人は隠れることすらできなくなっちゃったんだと思う。生きてる人相手なら 隠れられるけど 死んだ人の眼は誤魔化せないだろ?」
もう1つの仮説は ほとぼりを冷まそうとしてたのかも。
海外留学を経て 誰もが忘れた頃に帰国して ひっそりと しのぶさんとの生活を再開する。そんな展望を思い描いていたのかもしれない。
......だが それも昭和3年の しのぶさんの死が打ち砕く。
死因は病死ってなってる......どうやら 結核だったみたい。
留学を切り上げたのは しのぶさんの死の半年後。当時の情報伝達速度を考えれば 知らせを聞いて 即 帰国を決断したのかも。
帰国した幾三郎君は 浴びるように酒を飲み 狂ったように描く。
シャープな輪郭線は消え失せ 圧倒的な色彩で構成された 完全抽象に近い日本画の数々。......いや「見えぬものは描けぬ」って言ってた幾三郎君だ。毎日 こんな物が見えていたのかもしれない。深い狂気に満ちた時代。
長谷浦 狂醒って名乗っていた頃。今じゃ 幾三郎時代の絵の何倍もの値段が付くけど 当時は全く売れなかったらしい。
瞳と手を繋ぎ アトリエを改装した記念館へと向かう。観光名所っていうような場所でもないけど ちらほらと観覧者の人もいる。
「なんか 何描いてるか 分かんないけど めっちゃ怖いってゆーか 不安にさせるってゆーか。でも ずっと心に残りそうな感じ......」
記念館に入り 狂醒時代の絵を見て 瞳が呟く。ギュっと握った手から 温もりと 少しの不安が伝わってくる。ボクも瞳の手を握り返す。
不安と狂気を そのまま閉じ込めたような 強烈な印象を残す抽象日本画。
その画風が もう一度 変わるのは 昭和20年3月 光岡大空襲で自宅にしていた本町のアトリエが焼け落ち 命1つで助かってから......因みに『藤浜埠頭』も この時燃えたし幾三郎時代の絵の大部分も灰塵に帰した。ボクが見ていた あの画帳も たぶん この時に燃えてると思う。ボクの中だけに残る画帳の記憶。
「......淡い優しい黄色だね」
回向院で見た潤んだ蒲公英を思わせる淡く滲んだ円。
戦後の城隍が好んだモチーフ。破滅的な色調が減り 淡い色の作品が増えていく時代。
この〈城隍の転回〉については 本人の談話が残ってる。「あの日迄 死にたい 死にたいと願っていた自分だったが 紅蓮の炎の中で『生きよ』と命じられた。死んだ人の分まで生きねばならんのだと」この談話については その後の宗教的とも言える画風から 仏教思想や絹枝夫人のキリスト教信仰と関連づける研究もあるけど ボクは違うと思う。
指導教官も 世間の評価も 幾三郎君の絵を変えることはできなかった。幾三郎君の絵に命令できるのは この世界に ただ1人......お兄さんだけだと思う。幾三郎君は紅蓮の炎の中で 紅蓮の炎に散った郁二郎兄さんに出会ったんだろう。そして「生きろ」って。あの優しいお兄さんなら言いそうな言葉だとボクは思うんだ。
「城隍って言い始めるの この頃なんだっけ?」
「うん。終戦直後の11月に発表した『鎮魂』が〈城隍〉の初出」
「お地蔵さんって意味なんでしょ?」
「......しのぶさんは そう言ってた」
〈城隍〉は 中国の辻神のことらしい。直接的にお地蔵様を指した言葉じゃなさそうなんだけど あの時 しのぶさんは「お地蔵様」って言った。そして それは光岡大空襲に取材した『鎮魂』っていう作品に相応しい画号だと思う。この光岡に出現した地獄に似合うのは〈辻神〉じゃなくて〈地蔵〉だと思うんだ。だって『鎮魂』だもんな......。
県立美術館に収蔵されている『鎮魂』は ボクも直接見たことがある。暴力的なまでに抽象的な背景と圧倒的なまでに形象を掴み取った主線の前景。戦後日本画界を代表する巨人 長谷浦 城隍の誕生だった。
他の観覧者に続き 展示室を奥へと辿っていく。
記念館の一番奥 城隍がメインのアトリエにしていた部屋の前に立てられた小さな看板。
【特別展示『しのぶ』五十年ぶりの里帰り】
額装された『しのぶ』。
紺絣の着物をはだけ 静かな諦めにも似た微笑み。
背景に描かれた 坂本家の離れの居間。
あの日 しのぶさんは こんな表情を浮かべたんだろうか? それとも 幾三郎君の記憶を基に再現された しのぶさんなんだろうか?
お母さん... 郁二郎さん...... そして 幾三郎君。
愛してくれた人が 次々に去っていく人生。
そんな哀しみを湛えた笑みなんだろうか?
世間的には 爪弾きにされ 何処にも記録も記憶もされなかった人生。
でも 3人の人が 彼女を心から愛していた。
その事を ボクは忘れないだろう。
たとえ 身を引き裂かれるような辛い愛の記憶だったとしても。
明るい展示室に飾られた『しのぶ』を見詰める。
相変わらず その微笑みは 黙して何も語りはしない。
「......ありがとう」
不意に背後から耳に入る 潤んだような 沁み透るような声。
え?
瞳の声?
隣に立つ 瞳の顔を見るけど 瞳はキョトンとした表情。
さらに 背後を振り返る。
展示室を出ていく 紺絣の和装の裾が見えた。
慌てて 追いかける......だけど 手前の部屋に和装の女性なんて1人もいない。
もう1度 振り返り 展示室の奥...... 裸婦像27『しのぶ』を見る。
その微笑みは ボクの記憶より ほんの少し 柔らかい気がした。
~『城隍亭 画帳控え』〈完〉~