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その王子、恋に落ちる

 闇夜は俺たちを隠し、逃亡の手助けをする。もっと遠くへ行けば、誰も追ってはこない。早く、国外へ、逃げるんだ――。
 彼女の手を握り締め、森を進む。国直属の衛兵に待ち伏せされていない事を祈るばかりだ。
 フクロウの鳴き声にも、風が木々の葉を撫でる音にもびくついてしまう。
 とうとう体力の限界を迎えたのか、彼女の足がもつれた。俺の足も止まり、肩で息をする。

「ごめんなさい、セレート様。先に行って」

「駄目だ、二人一緒じゃなくちゃ」

「でも、私では足手まといになっちゃうもの」

「一人では置いていけない! ローラの身の安全が......国を裏切った意味も無くなってしまう」

 ここに来て、初めて彼女――ローラが涙を流した。まるで月明かりを映したかのように煌めいて見えた。

「セレート様、ありがとう。ここで挫けちゃ駄目だよね」

 僅かに点った微笑みに、大きく頷いてみせる。

「行こう。夜が明ける前に国を出よう」

 これは婚約者を破滅させた代償だ。改めて手を取り合い、国境を目ざした。

 ローラと出会ったのは約一年前、俺の婚約発表の時だった。
 国王である父は、高らかに宣言をする。

「セレートとイリアの婚約を正式に認める」

 隣では豪華な青色のドレスに身を包んだ公爵令嬢――イリアが俺に微笑んでいた。金のその瞳はまるで俺の心を見透かすようでもある。
 第二王子である以上、俺は国王にはなれないのだろう。これは王家と公爵家の政略結婚だ。分かっているのに、心に決めた人も居ない為、反発する事すら許されない。周りに高圧的な視線を向けるイリアに、俺は笑う事が出来なかった。
 そんな時、俺を見詰める視線に気付いたのだ。
 不意にそちらを見てみると、深い海色の瞳に心を射抜かれた。目が合ったと気付くや否や、その女性は視線を横に流す。
 これが一目惚れというものなのだろうか。心臓はやけに高鳴り、頬が熱くなる。俺はイリアよりも、その女性を目で追うようになっていた。
 婚約発表という場なのに。何故、以前に彼女と出逢わなかったのか。自分を恨めしく思うしかなかった。
 その晩の事だ。国王に呼び出され、イリアに対する態度は何だ、と問い質された。

「俺はイリアをぞんざいに扱うつもりはありません。ただ......」

「何だ」

「兄上が、羨ましいと思ったのです」

 第一王子である兄は、隣国であるライカ国の王女と恋に落ちた。政略結婚ではない。純粋な恋愛結婚だ。
 立場も対等である為、文句を言う者は誰一人として現れなかった。

「兄の事は考えるな。お前はお前の人生を生きろ」

「情も無いイリアと結婚する事が、俺の人生だと?」

「そうだ」

 否定する事もなく、悪びれる振りすらなく、淡々と国王は自分の考えだけを述べる。

「父上とは言え、俺の人生を勝手に決めないで頂きたい」

「今更なんだ? 婚約発表は済んだのだぞ?」

 初めての僅かばかりの抵抗にも、国王は眉すら動かさない。これ以上話しても埒が明かないだろう。そう悟った。

「もう良いです。おやすみなさい」

 肩を落とし、玉座の間を後にする。俺を引き止める者は誰も居なかった。

 後に知った。あの深い海色の瞳を持つ女性は男爵令嬢だと。王族と男爵令嬢では、身分がつり合わない。婚約者が居なくても反対される事は目に見えていた。しかも、あの冷淡な性格の父だ。俺と彼女を引き離す為には、手段を選ばないだろう。
 俺はシンプルな貴族の服装に身を変え、城を抜け出した。金髪は目立ってしまうが、人目に紛れれば王族のそれとは見分けはつかない。瞳の色だって、ありふれた緑色だ。誰も俺が王子だとは気付くまい。
 高を括り、王都の貴族街を歩く。
 侍女を通じて仕入れた情報では、男爵令嬢の住まいは此方で合っている筈――。
 閉じられた門の前で佇んでいると、一人の淑女に話し掛けられた。

「貴方、男爵のお知り合い?」

「い、いえ。そういう関係ではありません」

 慌ててその場を取り繕うと、淑女はほっとしたように吐息を吐いた。

「此処の男爵、爵位を取り上げられるらしいの。近付かない方が身の為ですよ」

「爵位の......剥奪......?」

 まさか、俺が令嬢に目を付けたから――そんな思考に囚われたが、彼女と会ってから、まだ日は浅い。父にも気付かれていない筈だ。
 では、何故なのだろう。
 俺が焦りと不安に苛まれる中、淑女はすれ違い、離れていってしまった。近くには他に人影は無い。
 俺はどうすべきなのだろう。
 呆然と立ち尽くす中、ただただ時間だけが過ぎていった。
 太陽は角度を増し、燦々と辺りを照らし出す。此処に居ても仕方が無い。そろそろ城に帰ろう。
 溜め息を吐き、帰路へ足を向けた。
 そちらから、腰まで揺蕩う茶髪の女性が走ってくる。深い海色の瞳――間違いない、彼女だ。
 会う為に此処までやってきたのに、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
 彼女は泣いていたのだ。

「......君!」

 何とか声を振り絞る。
 俯いていた女性ははっと此方を向くと、頬を薔薇色に染めた。

「お、王子様?」

 まさか、一瞬で気付かれてしまうなんて。『運命』という言葉が頭をチラついた。

「そんな筈は無いでしょう?」

 慌てて場を収めようとしたが、声は震えていただろう。

「そ、そうですよね。婚約発表の時に見た王子様に、あまりにもそっくりだったので......」

「そんなに似ていますか?」

「はい、お声はお聞きした事がないので分かりませんが」

 彼女も確信を得て言ったものでは無かったらしい。安心しつつも、偶然かと悔しい感情も持つ自分が居る。

「俺はまだ、王子様にはお会いした事がなくて」

「ですが、そのお姿は貴族ですよね?」

「実は、辺境伯の息子で」

「そうなのですか......」

 呟きながら、彼女は鼻をすする。

「それより、貴女はどうして泣いているのです?」

「私の家が......取り潰しに......。幼馴染に助けを求めに行ったんですが、取り合ってくれなくて」

「何故、取り潰しに?」

「父が無実の罪を。王命に背いたとかで。でも、詳しくは分からないのです。父があまりにも塞ぎ込んでしまっているので......」

 確実に裏で父が動いている。そう予感させた。

「貴女のお名前は?」

「私は......ローラです。貴方は?」

 聞かれ、戸惑った。偽名なんて考えてもいなかったのだ。
 
「セレストです」

 飛び出した名は、ほぼ本名と言って良い程似通っていた。あまりにも雑だ。
 それなのに、ローラは初めて笑顔を向けてくれた。

「お名前もそっくりなんですね」

「名前の事は......良く言われます」

 良かった。バレてはいないらしい。苦笑いを返し、頭を掻いてみる。

「俺の父も丁度王都に来ていて。何か力になれるなら、手助けしてみせます」

「本当ですか......? 殆ど見ず知らずの私たちの為に。ありがとうございます。なんて言ったら良いのか......」

 涙が止まっていた筈の瞳は、再び潤んでいく。その様があまりにも美しかったので、思わず見惚れてしまった。
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その兄、信頼を得る
その夜、境界線を超える作者:七宮叶歌
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その王子、恋に落ちる

 闇夜は俺たちを隠し、逃亡の手助けをする。もっと遠くへ行けば、誰も追ってはこない。早く、国外へ、逃げるんだ――。
 彼女の手を握り締め、森を進む。国直属の衛兵に待ち伏せされていない事を祈るばかりだ。
 フクロウの鳴き声にも、風が木々の葉を撫でる音にもびくついてしまう。
 とうとう体力の限界を迎えたのか、彼女の足がもつれた。俺の足も止まり、肩で息をする。

「ごめんなさい、セレート様。先に行って」

「駄目だ、二人一緒じゃなくちゃ」

「でも、私では足手まといになっちゃうもの」

「一人では置いていけない! ローラの身の安全が......国を裏切った意味も無くなってしまう」

 ここに来て、初めて彼女――ローラが涙を流した。まるで月明かりを映したかのように煌めいて見えた。

「セレート様、ありがとう。ここで挫けちゃ駄目だよね」

 僅かに点った微笑みに、大きく頷いてみせる。

「行こう。夜が明ける前に国を出よう」

 これは婚約者を破滅させた代償だ。改めて手を取り合い、国境を目ざした。

 ローラと出会ったのは約一年前、俺の婚約発表の時だった。
 国王である父は、高らかに宣言をする。

「セレートとイリアの婚約を正式に認める」

 隣では豪華な青色のドレスに身を包んだ公爵令嬢――イリアが俺に微笑んでいた。金のその瞳はまるで俺の心を見透かすようでもある。
 第二王子である以上、俺は国王にはなれないのだろう。これは王家と公爵家の政略結婚だ。分かっているのに、心に決めた人も居ない為、反発する事すら許されない。周りに高圧的な視線を向けるイリアに、俺は笑う事が出来なかった。
 そんな時、俺を見詰める視線に気付いたのだ。
 不意にそちらを見てみると、深い海色の瞳に心を射抜かれた。目が合ったと気付くや否や、その女性は視線を横に流す。
 これが一目惚れというものなのだろうか。心臓はやけに高鳴り、頬が熱くなる。俺はイリアよりも、その女性を目で追うようになっていた。
 婚約発表という場なのに。何故、以前に彼女と出逢わなかったのか。自分を恨めしく思うしかなかった。
 その晩の事だ。国王に呼び出され、イリアに対する態度は何だ、と問い質された。

「俺はイリアをぞんざいに扱うつもりはありません。ただ......」

「何だ」

「兄上が、羨ましいと思ったのです」

 第一王子である兄は、隣国であるライカ国の王女と恋に落ちた。政略結婚ではない。純粋な恋愛結婚だ。
 立場も対等である為、文句を言う者は誰一人として現れなかった。

「兄の事は考えるな。お前はお前の人生を生きろ」

「情も無いイリアと結婚する事が、俺の人生だと?」

「そうだ」

 否定する事もなく、悪びれる振りすらなく、淡々と国王は自分の考えだけを述べる。

「父上とは言え、俺の人生を勝手に決めないで頂きたい」

「今更なんだ? 婚約発表は済んだのだぞ?」

 初めての僅かばかりの抵抗にも、国王は眉すら動かさない。これ以上話しても埒が明かないだろう。そう悟った。

「もう良いです。おやすみなさい」

 肩を落とし、玉座の間を後にする。俺を引き止める者は誰も居なかった。

 後に知った。あの深い海色の瞳を持つ女性は男爵令嬢だと。王族と男爵令嬢では、身分がつり合わない。婚約者が居なくても反対される事は目に見えていた。しかも、あの冷淡な性格の父だ。俺と彼女を引き離す為には、手段を選ばないだろう。
 俺はシンプルな貴族の服装に身を変え、城を抜け出した。金髪は目立ってしまうが、人目に紛れれば王族のそれとは見分けはつかない。瞳の色だって、ありふれた緑色だ。誰も俺が王子だとは気付くまい。
 高を括り、王都の貴族街を歩く。
 侍女を通じて仕入れた情報では、男爵令嬢の住まいは此方で合っている筈――。
 閉じられた門の前で佇んでいると、一人の淑女に話し掛けられた。

「貴方、男爵のお知り合い?」

「い、いえ。そういう関係ではありません」

 慌ててその場を取り繕うと、淑女はほっとしたように吐息を吐いた。

「此処の男爵、爵位を取り上げられるらしいの。近付かない方が身の為ですよ」

「爵位の......剥奪......?」

 まさか、俺が令嬢に目を付けたから――そんな思考に囚われたが、彼女と会ってから、まだ日は浅い。父にも気付かれていない筈だ。
 では、何故なのだろう。
 俺が焦りと不安に苛まれる中、淑女はすれ違い、離れていってしまった。近くには他に人影は無い。
 俺はどうすべきなのだろう。
 呆然と立ち尽くす中、ただただ時間だけが過ぎていった。
 太陽は角度を増し、燦々と辺りを照らし出す。此処に居ても仕方が無い。そろそろ城に帰ろう。
 溜め息を吐き、帰路へ足を向けた。
 そちらから、腰まで揺蕩う茶髪の女性が走ってくる。深い海色の瞳――間違いない、彼女だ。
 会う為に此処までやってきたのに、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
 彼女は泣いていたのだ。

「......君!」

 何とか声を振り絞る。
 俯いていた女性ははっと此方を向くと、頬を薔薇色に染めた。

「お、王子様?」

 まさか、一瞬で気付かれてしまうなんて。『運命』という言葉が頭をチラついた。

「そんな筈は無いでしょう?」

 慌てて場を収めようとしたが、声は震えていただろう。

「そ、そうですよね。婚約発表の時に見た王子様に、あまりにもそっくりだったので......」

「そんなに似ていますか?」

「はい、お声はお聞きした事がないので分かりませんが」

 彼女も確信を得て言ったものでは無かったらしい。安心しつつも、偶然かと悔しい感情も持つ自分が居る。

「俺はまだ、王子様にはお会いした事がなくて」

「ですが、そのお姿は貴族ですよね?」

「実は、辺境伯の息子で」

「そうなのですか......」

 呟きながら、彼女は鼻をすする。

「それより、貴女はどうして泣いているのです?」

「私の家が......取り潰しに......。幼馴染に助けを求めに行ったんですが、取り合ってくれなくて」

「何故、取り潰しに?」

「父が無実の罪を。王命に背いたとかで。でも、詳しくは分からないのです。父があまりにも塞ぎ込んでしまっているので......」

 確実に裏で父が動いている。そう予感させた。

「貴女のお名前は?」

「私は......ローラです。貴方は?」

 聞かれ、戸惑った。偽名なんて考えてもいなかったのだ。
 
「セレストです」

 飛び出した名は、ほぼ本名と言って良い程似通っていた。あまりにも雑だ。
 それなのに、ローラは初めて笑顔を向けてくれた。

「お名前もそっくりなんですね」

「名前の事は......良く言われます」

 良かった。バレてはいないらしい。苦笑いを返し、頭を掻いてみる。

「俺の父も丁度王都に来ていて。何か力になれるなら、手助けしてみせます」

「本当ですか......? 殆ど見ず知らずの私たちの為に。ありがとうございます。なんて言ったら良いのか......」

 涙が止まっていた筈の瞳は、再び潤んでいく。その様があまりにも美しかったので、思わず見惚れてしまった。
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次の話その兄、信頼を得る
その夜、境界線を超える作者:七宮叶歌
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