ep2 劇団『ブルーバード』
18時、開場時間になった。音響室の窓から入口の様子が見えるため、ルナは窓からぼんやりと外を見る。
知名度もない公演も少ない、そんな劇団だが1つだけ特徴があった。ほとんどの観客はそれを楽しみに来ているのだろう。
そんなことを思いながら、冷房の効いた音響室の椅子に座り足を組む。机の上には本日公演予定の台本が置かれているが、見たところで意味がないとルナは手に取る気にもならない。
外の景色を眺めるのが飽きたルナは正面を向く。そして幕の降りた舞台と客席に目を向ける。
いつも通りの空席の目立つ客席に愛着すら沸いてくる。
「くそっ、メイが居やがったか」
そんな声と共に、脚本家真瀬幸弥が入ってきた。そして、ルナを見るなり、舌打ちをして隣の椅子にドスリと座る。
「今日、新しい音響機材が入ったから扱い方の確認で」
「なるほど、それは仕方ない」
そう言いながらも真瀬はすでに苛立っている。その理由を知っているルナは触らぬ神に祟りなしと、触れることをやめた。そして時計を見る。
もうすぐ幕の上がる時間だ。
ルナは慣れたように録音してあるアナウンスを流す。機械合成された声が注意点を客席に伝えていく。
「今日こそ、まともな舞台が見えることを祈りたいものだ」
「それは、難しいんじゃない?」
ルナは幸弥の独り言に聞こえないように小さく呟くと、ブザーを鳴らして、舞台の幕を上げた。
◇◇◇◇
今回の劇のテーマは中世のヨーロッパ。身分差のある2人の悲恋な物語らしい。これは、台本を音響室に置いていった晴智のあらすじ説明で一応頭に入れておいた。意味はないだろうと思いながら。
ルナはスポットライトをプログラミングで動かす。
舞台の真ん中に1人の華美なドレス姿の女性が現れる。
『ああ、私はこんなに愛している。あの人も私のことを愛してる。なのになんで結ばれないの......』
舞台上の女は打ちひしがれたように床に倒れ込みながら泣き腫らす。少し離れた舞台下座にスポットライトを向ける。そこには古びた服をきた青年が帽子を握りしめながら悲嘆に暮れている。
『あの人は今、何をしているんだろうか。僕のことを忘れたりはしてないだろうか。でも、あの人の幸せを祈るためには僕は身を引くべきなのか』
男は俯きながら、舞台袖に消えていった。その時、舞台の男とルナは目が合った。その瞬間に、全てを悟った。
このまま、気づかなかった事にしてしまいたいルナの心はすでに面倒事を感じ取り、萎えていた。
『娘よ、お前の婚約者が決まった。階級も顔もいい男だ。きっと幸せになる』
『待ってください、お父様! 約束したではありませんか! 1年は婚約を待ってくださると』
『学園でいい人を見つけたらと言う条件付きだ。しかし、お前は下層階級の男に心を奪われたらしいな、この家を繁栄させるためにそんな男と一緒になることは許さない』
ルナがそんなことを考えている間にも話は続いていく。まだ隣の幸弥が大人しいので暴走は始まっていないんだろう。
場面転換がされ、女が婚約者と会う。
『お嬢様、実は私は以前より貴女に惹かれていました。この機会に最上級の感謝を』
婚約者役の晴智はずば抜けて演技が上手い。こんな弱小劇団にいていい人ではないのだ。まあ演技のうまさに関してはこの劇団の役者はみんな上手い。しかし、欠点があった。
嫌な予感がしたルナは、照明のプログラミングを確認しながら、全神経を舞台と手、耳に集中させる。
『待ったー!!』
「あのやろー!!」
最初に登場した男が突然乱入してくる。それを見た瞬間に隣にいた幸弥が握っていた台本を握りしめて立ち上がる気配を感じた。隣からは禍々しい怒りの気配も感じるが、ルナは幸弥の存在から無視をした。
そして、役者のアドリブに合わせて音響や照明を調節していく。
そう、この劇団の役者達はアドリブが大好きなのである。脚本を演じてると、こうした方がいいんじゃないか? と勝手にアドリブを入れる。それは作品にとって本筋を変えずにいいものになることも稀にあるが、ほとんどは脚本の本筋すらスルーするのだ。
そして、無駄に全員演技力だけじゃなく、アドリブ力も高い。だから初見の観客に違和感を持たせない。
今も舞台上ではきっと台本にない決闘が始まっている。そもそも話的に剣は出る話じゃなかったはず。また読み合わせの段階から企んで小道具を用意していたかとルナは呆れた。
その間にも婚約者と下層階級の男の剣舞は続く。若干晴智の顔色が悪いのはきっと気のせいじゃないだろう。今頃、舞台上で胃を痛めているであろう晴智に心の中で合掌を送る。
剣舞をしながら、下層階級の男が小声で婚約者役の晴智に何かを伝えるように口が動いているのをルナは持ち前の動体視力で捉える。
その瞬間、悟った。この話は悲恋じゃなく逆転の愛の逃亡劇になると。
その証拠にドレスの女は瞳を輝かせながら下層階級の男を見ている。そして、男が一瞬ルナの方を見る。何を伝えようとしたのかは決して短くない付き合いから察した。
ルナは音響のプログラムをいじり、剣同士がぶつかる音から、剣が弾き飛ばされる音へと変更した。
その音に合わせて、下層階級の男の剣が婚約者の剣を弾き飛ばす。
『お金はない。でも君を幸せにしたい気持ちだけは誰にも負けない』
下層階級の男はそう言って、ドレスの女に手を差し伸べる。
『苦労をかけるかもしれない、でも僕と一緒に生きてくれないか!』
『――っ! もちろんよ。貴方と2人なら何も怖くないわ』
そして手を取り合い、舞台袖に消えていく2人。きっとこの2人はもう舞台に出てくるつもりはないだろう。
『......』
その後ろ姿を婚約者だけが見つめていた。
どうやって畳むつもりだろうとルナはキーボードから手を離さずに考える。
横で微かに幸弥が震えてるが無視した。若干室内の温度も下がっている気がするが、ルナは気にしない。
『愛しい人。君が幸せになるのなら、僕は手を引こう。君の幸せを願うよ。だから君の父親への言い訳は任せてくれ』
寂しそうにそう呟く婚約者はスポットライトを浴びながら、ゆっくりと2人と反対の袖へと消えていった。
これで終焉だ。
ルナはブザー音と共に、幕を下ろした。そしてキーボードから指を離し、横を見る。そこには予想通りに怒りでもはや笑うしかないのか恐ろしい笑顔をした幸弥がいた。
これが1番面倒なんだよねとルナの口から自然とため息が溢れる。
◇◇◇◇
まだ怒りで震える幸弥から逃げ出すようにして、ルナは受付近くまで退避した。長机の上に置かれた複製脚本を役者達が捌いている。
「あっ、メイ。今日も面白かったよ。どれだけ脚本変わったのか気になってまた複製台本買っちまったよ」
「そう。本来の物語も知ってもらえてきっと真瀬さん喜ぶと思うよ」
実態は今頃、音響室で暴れてるだろうなと思いながら、ルナはいつも通りの無表情で答える。それを聞き、客の女性は笑いながら、出口へと向かう。
出口では桜が来場者にそれぞれお礼を言っている。
そんないつも通りの風景に、この後の打ち上げもどきもいつも通りなんだろうなと思いながら、ルナは受付の椅子に座り、来場者が全員帰る様子をボーと眺めていた。
来場者が帰り、舞台の後片付けが終わると予想通り劇団内にある食堂で打ち上げが行われた。
劇団『ブルーバード』は桜の父親の出資から建物や舞台装置に機材、全てが優れている。劇団内には食堂どころか、風呂と宿泊施設まである。
そんな金をかけて特別に設計された劇場の一角にある食堂で怒り狂った幸弥は吠えていた。
「お前ら、今度こそちゃんとやるって言ったから、脚本書いたんだぞ!? それがなんだ! なんで悲恋が愛の逃避行になる」
「いや、マナっちゃんの脚本は面白いよ? でも面白い脚本ほどこうしたら楽しそうって思っちゃうんよ。面白い脚本書いてる証拠!」
「俺は、まともに自分の脚本の舞台が見たいんだよ! 無駄にうまい演技力活かしやがって!!」
下層階級の男役の役者に真瀬は詰め寄ってるが、男は反省する素振りもない。桜はいつものことだと言うように気にせずに打ち上げ用の料理や酒に手をつけている。
唯一申し訳なさそうにしているのは、晴智だ。
「本当にすみません、俺も最後を変えてしまって......」
「お前が不本意で幕を下ろすためにやったのは知ってる。だから、悪いのはお前以外だから、トモは顔を上げろ」
「ですが......」
「マナっちゃん、それなら俺も許してくれる?」
真摯に謝っている晴智の後ろから缶ビール片手に近づいてくる。それがまた真瀬の怒りのスイッチを押す。
そんないつも通りのやりとりを見ながら、ルナは静かに食堂を出て、裏手にある家庭菜園に向かった。
育てている野菜達に触れながら思う。
感情も表情も全て模倣しているルナにとって劇団員の感情豊かにやりたいようにやる様子は眩しく感じる。
そして、外では全てを偽りで演じている自分にとって、感情や表情を動かさなくていい、演じ偽る必要のないこの劇団はとても居心地がいい。
表情筋を動かすのは面倒だから、笑いはしない。でもルナの心は少しだけ温かくなっていた。