ep1 ルナの日常
夏も本格的に近づいてきており、どこからか蝉の鳴き声が聞こえる。太陽の光が新緑に反射をしてキラキラと輝いている。
そんな道を季節には似つかわしい長袖のパーカーを羽織った少女が無表情で歩いている。
墨色の瞳を持ち、同じ色の腰までの長さの髪が歩くたびに揺れている。少女――夜宵月は通い慣れた劇団までの道を汗一つかかずに歩いている。
「あれ、メイちゃん。もしかして今日は劇団に行くの? だったら行こうかな」
メイと呼ばれ、ルナは迷わずに振り向く。そこには買い物袋を持った女性がいた。ルナは一瞬表情筋を動かすか悩んだがすぐにやめた。
「今日は呼び出されてね、来てくれるなら桜さん喜ぶと思うよ」
そして質問に答えると話は終わりとばかりにまた歩き出す。
「わかった! みんなに伝えとくわね」
そんな声を背中に受けながら、ルナは気にせずに叔母である夜宵桜が経営する小さな劇団『ブルーバード』に向かう。
どこからか涼しい風がルナの体を吹き抜けた。汗や暑さは感じていなかったが、心地いいなと感じた。
夏の匂いを肺に溜め込み、自然と息を吐く。偽る必要のないこの空間をルナは十分に楽しんだ。
しばらく歩くと金髪の柄の悪い男が前方から歩いてくる。見覚えのある男にルナは一度歩みを止める。
「おっ、|ヨルじゃん。桜さんとこ行くのか?」
メイの次はヨルとまた違う名前で呼ばれたが、ルナは気にしない。無表情のまま男に答えた。
「そう。呼び出されて。そっちは?」
「あー、桜さんに頼まれてたモン持って行ってただけだ。あの人も丸くなっちまったよなー」
「まあ、あの年でまだやんちゃしてたら流石に引くよ」
「時の流れは残酷だよな。あんなに若いと思ってた桜さんが40代って」
男は大袈裟に肩をすくませた。その様子をぼんやりと眺めながらルナは男のその発言の方が残酷だろうと思った。そして桜が聞いたら怒り狂いそうだなと想像する。確実に五体満足では済まないだろう。
「それ、桜さんに伝えておいた方がいい?」
「さらっと、恐ろしいこというなよ、夜!? 絶対言うなよ?」
「私の口が滑らないことを祈ってて」
ルナはそう言うと、男を無視して歩き出した。そしてなんとなく呼ばれた理由に見当がついた。機械音痴の桜が親の金で新しい機材を劇団用に購入したというのは聞いていた。きっとそれが届いたのだろう。
ルナがネットに触れて様々な情報を仕入れたり、ハッキングを覚えたりした時は、「ネット環境を渡すべきじゃなかった!」と吠えていたが、現実はいいように使われている。
人間のエゴってそんなもんだよね、と思いながら歩いていると、とうとう目的地に到着した。
町外れの一角にある劇団『ブルーバード』。入口はブロック塀で囲まれており、小さな庭を進むと建物がある。
資産家である桜の父親が投資をしており、建物も庭も手入れされていて綺麗だ。また劇団員が観客を得るためには見た目も重要という考えのもと、定期的に庭の草むしりも行っており、雑草も生えていない。
見た目だけは完璧に整えられた劇団だが、公演はそんなに行われていない。座付きとは少し違うが専属の小説家志望の脚本家もいる。しかし、公演は半年に数回行われるだけ。そんな弱小劇団なのだ。もちろん、知名度もない。
お嬢様の娯楽、そんなような劇団。それが『ブルーバード』だった。
「あっ、アイだ」
劇団に入ると近くにいた役者の女が声をかけてきた。アイというのもルナのことを指している。
「うん。桜さんに呼ばれて。装置届いたんだって?」
「うん、今トモ君がみてる」
「晴智さんもよくやるね。桜さんへの点数稼ぎ」
「本当だよね。団長の好感度はすでにマックスなのに」
役者の女はおかしそうに笑う。ルナは共用スペースに昔置いたある書類について考える。
そろそろ本当に使い時なのではないだろうかと。
「あっ、AI! 来てたんだ。例のミキサー届いたんだが、団長が触ろうとしてトモが必死に止めてるから行ってくれないか?」
丁度入口前を大道具を運んでいた役者の男はルナを見ると助かったというように運んでいた道具を置いて駆け寄ってきた。この劇団は弱小だ。だから、大道具や衣装も役者が製作している。――稀に使われないものもあるのだが。
「それは晴智さんに頑張ってもらわないといけないやつだね。音響室? 行ってくる」
ルナはそれを聞き、役者の女に挨拶をして奥にある階段に向かう。
「今日使うから、ミキサーの安全死守お願いね、アイ」
「ここで損失だしたら色々面倒だから、やるけど。出来るなら晴智さん以外も止めなよ」
「トモの邪魔しちゃいけないと思ってさ」
「いや、多分私も出さないけど晴智さんは助け舟欲しいと思ってるはずだよ。仲間なんでしょ?」
感情のこもってない瞳で振り返りルナは言う。しかし役者の男は笑うだけで答えなかった。
本当にこの劇団は愉快犯が多すぎる。そう思いながら、ルナは今度こそ振り向かずに、2階の音響室に向かった。
音響室の扉を少し開けて中を隠れ見る。中では40代半ばくらいの茶髪のセミロングの女性が機械を触ろうとしており、それを必死に黒髪の20代ぐらいの青年が一生懸命止めていた。
「団長! 多分それ触っちゃダメなやつです! 姪っ子呼んでるんですよね!? 来るまで待ちましょうよ!」
「だが、トモ。確実にルナにバカにされる未来しか見えない」
「それこそ、今更でしょう! これで壊したらそれこそチクチク言われますよ? 本日の公演ができなくなる可能性すらあるから、本当にやめてください」
思わず、ルナは扉を静かに閉めてしまった。これ、中に入るのもめんどくさい。晴智に桜を止めるの頑張ってもらって、ルナは裏庭にある家庭菜園でも行こうかなと踵を返そうとした。
その瞬間、扉が勢いよく開いた。そして顔色を赤や青に忙しく変えている坂峯晴智が出てきた。
「姪っ子! 何逃げようとしてる!」
「よく、私がのぞいてたこと気づいたね」
「お前が来るのがわかってたからな。団長を止めながら、扉の確認はしていた」
「......桜さん?」
晴智の怒りを受け流していると晴智の肩越しに桜が機械に触れようとしてるのが目に入る。
思わずルナは声をかける。ここで本気で触られると面倒なことになる。
「なっ、なんだ、ルナ! 私はただ、団長としてだな......!」
機械から、ルナに視線を移しながら桜は慌てたように言い訳をする。
「別に触りたいならいいよ? その代わり壊れた、代金がって私に泣きついてこないで欲しいだけ」
感情も表情筋も動かさずに、ルナはいつも通り淡々と言う。桜はその様子に身じろぐと、降参したように両手を上げた。
「わるかった。機械音痴の自覚はあるが、新しいものはつい触りたくなってしまうんだ、仕方ないだろ?」
「いい年齢して、その理論は何?」
「ルナ、毎回言ってるが確かに私は図太いが傷つかないわけじゃないからな?」
「はいはい、夜桜伝説でそれは知ってるから」
「そのネタ擦るのいい加減やめろ!!」
いつも通りのやり取りを行いながら、ルナは新しく導入されたミキサーの前に移動する。
「姪っ子、壊れてないか? 団長は触れてないはずだが」
「トモ! その言い方はなんだ。私は機械クラッシャーじゃないぞ!?」
「......そうですね」
「おい、目を逸らすな! こっちを見ろ」
背後で行われてるそんなじゃれ合いをルナは無視して、機械の確認を行う。そして、近くにあるマイクを使い、舞台上にいる役者に声をかける。
「今、適当に音鳴らしてるけど聞こえてる?」
役者の1人がルナのいる音響室に向かって腕で大きく丸印を作る。それを確認すると、ルナはマイクを切った。
「問題はないみたい。もうすぐ開場時間になるでしょ? 準備しなくていいの?」
「そうだな、そろそろ準備しないと間に合わない。団長行きますよ」
「そうだな。......ルナ、今日は音響と照明頼んだぞ。今日は真瀬が来るみたいだから、まあ頑張れ」
「存在無視するから大丈夫。というか役者のみんなが怒らせることしなければいいだけじゃないの」
照明の機材も触りながらルナは桜に答える。この劇団の座付き脚本家であり小説家志望の真瀬幸弥はとある事情から自分の脚本の舞台が公演される時は音響室で観劇する。
その理由を知ってるから、ルナはため息を堪えることが出来なかった。今日も隣がうるさいな。そんな予感を感じながら、ルナも開演に向けての準備を始めた。