第6話 悪魔の魔法
空がわずかに明るさを持ち始めた朝の早い時間。
ミラは、静まり返った屋敷の庭に一人で出ていた。
寝巻きの上に上着を羽織っただけの格好。
昨日からの熱はまだ体に残っている。
冬の冷気が残る芝の上に、白い息だけがゆっくりと溶けていく。
――昨日の夜。
湧き出るようなアイディアを何とか書き留め続けた。
だが、その文字だけでは記録できない熱と興奮が、寝てしまうと、消えてしまいそうで、どうにも寝る気になれなかった。
世界一のショーを作る。
頭で言葉を繰り返し、早朝の寒さを感じる手をにぎりしめる。
「アビス」
小さく呼ぶと、後ろにつく黒い影が応える。
「寝なくていいのか」
「うん。アビスの魔法って、もう試せる?」
アビスは仮面を左右に揺らしながら、庭を見渡す。
「......いいだろう。ひとまずの調律は済んだ。少し狭いが、我が魔法を見せておこう」
アビスが腕を広げると、アビスにまとわりついている魔力が庭全体に広がる。
庭の“重さ”が一瞬だけ消えた。
踏みしめていたはずの芝生が足元から遠ざかっていくような感覚。
次の瞬間、イグニスフルールの花の間を縫うように、空間に線が走る。
空間に刻まれた線に沿って、柱が生まれ、床が生まれ、客席が生えてくる。
空気が「設計図」に変わるような不思議な感覚。
気が付けば、客席とステージがそこにはあり、二つをつなげる階段が組みあがる。
ミラが瞬きをした次の瞬間には、
そこに“完成したもの”があった。
作られた、というより――
最初からそこにあったかのように。
風も音も、そこに縫い留められたように動かない。
まるでこの一帯だけ、世界から切り取られて別の舞台として貼り付けられたようだった。
理解が追いつく前に、体がステージに向かって動いていた。
「すごい、これもう完成してるじゃん......」
あっという間にミラの目の前には小さな、しかししっかりとしたステージが出来上がっていた。
横についている階段を上がって、ミラはステージに上がってみる。
呼吸が速くなる。踊りだしたくなる。歌いだしたくなる。
ステージは安定していて、飛んでも跳ねても問題なさそうだ。
踏み込むと、ちゃんと”舞台の音”が鳴る。
土の上でもなく、石の上でもない。
ステージ特有の反響が返ってくる。
二回転のスピンをしてから、観客席のほうを見る。
お客様が興奮して拍手をしている。
そんな様子をありありと幻視する。
「アビス!あなた最高じゃない!」
ミラはステージで右に左に走りまわる。
「これはまだ狭いが、世界一という目標に合わせ、ひとまず収容人数2000人程度まではこのまま拡張できる。その他も細かな要望に合わせていろいろ調整ができるように、調律されている」
「そうなの?」
「そうだな。一方、お前の野望に合わせて攻撃性はかなり落ちてしまっている。今まで取り憑いてきた者の中では最弱であろうな」
ミラは首を振る。
「ううん。そういうのは求めてないから大丈夫だよ」
ミラはステージ全体を堪能した後、再び中央に戻ってくる。
客席を見渡し、息を吸い込む。
「......みなさん、お待たせいたしました!」
魔力に声を乗せず、たった一人の客、アビスに向かってそう告げる。
「世界一のショーの始まりだ!」
ミラはそのまま、両手を広げる。
「......拍手!」
言われたアビスは、仕方がない、というふうにパンパンと数回拍手をする。
ミラはステージの中央でおじぎをする。
アビスは空中でわずかに身を揺らし、腕を組み直した。
「ここから始まるんだね」
ミラはステージの前の方まで歩き、そこから客席を見下ろすように視線を向けた。
「お前の野望が、これを作ったのだ」
アビスは淡々と答えた。
ミラは胸の前で両手を軽く握り、少しだけ息を整える。
「......ねえ、アビスはこの魔法と共に、私の夢を、野望を叶える手伝いをしてくれる相棒なんだよね?」
問いかけながら、ミラはアビスの方へ一歩近づく。
「相棒......そうだな。そうとも言える」
アビスは応える。
その言葉に、ミラの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあさ!名前で呼んでよ相棒!いつまでもお前ってやだ!」
ミラは身を乗り出すようにしてアビスを見上げる。
距離が一気に縮まる。
「......」
アビスは一瞬だけ沈黙したあと、わずかに首を傾けた。
「アビス?」
「おいお前」
ミラはその場でズッと脱力するように肩を落とす。
「だから、名前で呼んでって!」
「いや、おい、お前」
アビスは微動だにせず、同じ調子で返す。
ミラは怒った顔をする。
「だから!」
だが、アビスはもっと重要なことがあるとでもいうように、アビスの背中側、ミラの視線のさらに奥を指さし、ミラに告げる。
「家族に、見つかっているぞ」
「......え?」
ミラは視線だけを屋敷の方へ向けた。
ステージの外側――現実の領域。
そこに、三つの影が立っていた。
困惑と混乱の表情を浮かべたノルド、リリア、レイナだ。
三人の視線は、ミラではなく、その背後にそびえる見慣れないステージに向けられている。
頭が一気に“舞台”から“現実”へ戻る。
そう、アビスはミラ以外には見えないのだ。
ということは、彼らから見るとどう見えるか。
昨日はなかった大きなステージの上で、一人で空中と会話しているミラの姿だ。
三人とも、言葉を失っている。
「ミラ......これは?」
ノルドの声を聞いた瞬間、ミラは後悔する。
やってしまった、と。
ミラは小さく息を吸い、肩を落とした。
(......説明、必要だよねこれ)
アビスは何も言わず、ただ静かに浮いている。
ミラはゆっくりと、家族の方へ向き直った。