アリスの仕入れ
古き清泉亭では店を閉めるとすぐに亭主のダグと妻のアガサが食材の棚卸を始める。
残された食材から翌日に仕入れる食材と量を決める。
娘のアリスが仕入れをしっかりやってくれるから、二人は伝票だけを書けば良い。
最近は息子のラルフも仕入れを手伝ってくれている。
マリーは人見知りが激しいから店だけでなく仕入れに出るのも嫌がるが、朝早くから起きて一日、厨房でアガサの横に立って仕込みから店じまいまで手伝ってくれている。
「子供達が大きくなるのも早いわね。」
アガサの言葉にダグが頷く。
「本当になぁ......、儂は時々、あの子達が幼かった頃が懐かしくなるがね。」
「私もよ。可愛かったもの。」
「マリーなんかそれこそお人形さんだったな。ラルフもだが。」
「あら?アリスもよ。」
「当り前さ。しかもアリスはな......」
「アリスは?」
「お父さん!」
二人の後ろからアリスが話しかけた。
「何だい?」
「今日はお疲れでしょ?忙しかったもの。」
「店が忙しい時に一番大変なのは給仕をしてくれているお前だよ。アリス。」
「ううん。私は平気。だからね......」
「どうしたんだい?」
「今日は伝票も私がやってあげるわ。」
「お前、いいのか?」
「うん。お母さんも!食材の残りは数えたんでしょ?だったらメモを頂戴。後はやっとくわ。」
アリスはかなり店のことを理解しているから、残りの食材を知れば、何をどれだけ仕入れるべきかもわかる。
「アリス。いいの?」
「いいわ!二人とも、今日はゆっくり寝て!」
ダグとアガサは店を出て井戸の横を通り過ぎて家に帰った。
「どうしたんだ?あいつは?」
「さぁ......今日は忙しい時に急に少し休憩させてくれなんて言い出すから心配してたんだけど......」
「おい。それ、また衛兵の連中じゃないだろうな?」
「私も見ていなかったのよ。」
「衛兵の連中は大切な常連様だが、アリスに手を出すようなら......」
「あら、あなた。あの子なら大丈夫よ。これまであの子に言い寄る衛兵なんていくらでもいたわ。」
「アガサ!」
「だから、大丈夫って言っているじゃない。あの子はしっかりしているし、そんじょそこらの衛兵なんかに靡きはしないわ。」
「そうかい?それなら良いが......」
「そうそう、それでね。あの子、今日、その休憩から戻った後、恐ろしくご機嫌だったのよ。えらく張り切っていたわ。さっきのお手伝いもそれでよ。」
「何かあったのかな?」
「さぁねぇ......そう言えば、あなた。」
「何だい?」
「さっき、何を言いかけていたの?アリスのことよ。」
「何でもないさ。ただな。あの子は単純にかわいいだけじゃないと言いたかったんだ。衛兵達がアリスにのぼせ上がるのもわかるよ。あの子は人柄が可愛いからな。」
「そうね。」
「だがな、アガサ。」
「どうしました?あなた?」
「マリーは間違ってもあいつらの前に出すなよ。衛兵達は単純だからなマリーの可愛さにはもっとやられてしまうからな!マリーはアリスほど強くはないしな......」
「心配しなくても、あの子は厨房から出たがらないわよ。あなた。」
その頃、アリスは伝票を書き始めていた。
彼女の前には何枚もの蝋板が開かれていた。
(流石にこれ以上、ゼロを間違えて一つ多く書いちゃったってのは無理があるわね。)
アリスは尖筆を上唇と鼻の間で挟んで、考え込んだ。
(塩は持ちが良いから相場が安いと思って、思わずたくさん買っちゃったってことにしよう......そうだわ、同じ食料を買うのでも余所から来た商人から買う方が絶対に良いわね。あの人ならきっとそう考えるわ。)
アリスは尖筆を横に置くと、鏡を覗いた。
(ジェフリー......)
鏡の中のアリスがニヤけだす。
(あぁ、もう!アリス!)
鏡の中のアリスがキリっとした顔になった。
(ジェフリーは真剣に町のことを考えているのよ!)
鏡の中のアリスは更に強い意志を秘めた顔になった。
(私も頑張らなきゃ!)
古き清泉亭では夜遅くまで尖筆が立てるカリカリと言う音が響いていた。
「おい!アリス!この伝票、大丈夫か?アリス!」
肉屋のアントンが大声で叫んだが、アリスは聞こえなかったのか、さっさと行ってしまった。
「おいおい......」
「どうしたの?あなた?」
「いやな。アリスが豚肉を発注していったんだがな......」
そう言うとアントンは妻に発注伝票を渡した。
「ちょっと。あなた!この量、本当なの?」
「俺もそう言ったんだが、アリスの奴、耳でも悪くなったのかな?」
二人は当惑して顔を合わせるばかりだった。
ロズベリーアポンフロルの広場では市場をやっていた。
他の都市なら市場は大抵、月に一度だが、ロズベリーアポンフロルは港湾都市アヴォンマスから近く、ウェストメーレ街道とグース街道の追分に位置する交易都市だ。
月に三度は市場がある。
市場でもアリスの奇行に当惑する者がいた。
「なんだって?アリス?」
南門の外で農場を持っているパッドがアリスに食ってかかる。
「だ・か・ら!あなたの野菜は全部、私が買ってあげる!だから、この余所者の商人には売らないで!」
「でも、このお人は通常よりも高値で買ってくださるって言ってるんだ。俺はこの人に売りたいよ。」
「わかったわ!じゃ、私がこの商人よりも高値で全部買ってあげるわ!」
「それから、あなた!」
市場に露店を出していた余所から来た商人はアリスに指差されてタジタジになっていた。
「な、何かね?」
「一体どういうつもり?そりゃ、パッドさんのところの蕪も人参も美味しいわよ。でも、相場の五割増しですって?何を企んでいるの?」
「何も......私は......ただ、こちらのお方が運び込んだ野菜がおいしそうだから余所で売れば高値になるかなって......」
「パッドさんのところの野菜なら確かにそうかも知れないわね。でも五割増しってどういうこと?それに余所で売るっていうことは、それに関税も乗るのよ?それで商売になるとでも?」
アリスは毎日のように衛兵達に給仕をして彼らとおしゃべりをするから、ただの町人とは思えないほど関税について詳しかった。
その上、常連の中にはジェフリーという関税と商人の動きにやたらうるさい『変人』がいた。
「あなた、パッドさんを騙す気じゃない?なんなら衛兵を呼ぶわよ?」
「おいおい、アリス。頼むよ。うちの商売を邪魔しないでくれ。」
「パッドさん、大丈夫よ。私が二倍の値段で全部買ってあげるわ。それなら文句ないでしょ?」
当惑するパッドも、まくし立てているアリスも、二人の横で露店を出していた余所者の商人が忌々しそうに舌打ちしたことに気づかなかった。
(余所者の商人から少しでも食料を買おうと思ったけれどダメね。それどころじゃないわ。あちらこちらで余所者の商人がロズベリーの食料を買って外へ持って行こうとしているわ。)
市場の中で店から店へと渡り歩きながらアリスは焦っていた。
(やっぱり。ジェフリーは正しいわ。こんなの絶対に変よ。)
アリスは両手で自分の顔をパンっと叩くと気合を入れた。
「ね?あなた、その魚の燻製を全部ちょうだい!」
フロルマスから来て露店を出していた商人は、いきなり店に来て、商品を一目見ただけで全て買うと宣言した自分にとって幸運としか思えない女性の行動に面食らっていた。
「この量はあなたには運べないでしょう。折角だ。この町の中なら私が運びますよ。」
「ありがとう!じゃ、古き清泉亭までお願い!北門の近くよ。北門の辺りで通りがかった人に聞いてくれればきっと教えてくれるわ。結構、人気のお店なのよ!特にエールのクレーネがお勧めよ!でも、今はダメ!また今度にして!」
「駄目ですか......」
「ダメよ!だって、今は町の人の為に少しでもおいておかないと!」
アリスは市場を見回した。
もう既にほとんどの屋台を覗いている。
(あぁ!余所から食料品を売りに来る商人がこんなに少ないなんて!)
まだ、見ていない屋台を見つけたアリスはそちらへ足早に向かった。
その顔は決意に満ちていた。
その頃、アリスの弟ラルフは古き清泉亭でダグに追及されていた。
「ラルフ、お前、そんなところで何をしているんだ?」
「......」
ラルフは元々無口だ。
その無口なラルフは埃まみれになって、何年も使っていなかった地下室の中から、驚く父親を見上げていた。
この地下室は昔、古き清泉亭の貯蔵庫として掘られた部屋だった。
以前は大量に買った食材をここに保管していたが、最近は子供達が大きくなり仕入れをしてくれるようになると、こまめに仕入れられるようになり、地下室に保管するものもなくなり、床にある木番でできた戸を締め切りにしていた。
毎日こまめに仕入れる新鮮な食材を使うようになってから古き清泉亭の料理の評判は更に上がっていた。
それなのに......
「姉さんが......」
「アリスが?」
ラルフが姉さんと言えばアリスかマリーだが、ダグは話を聞く前にアリスと決めつけてしまった。
マリーが地下室に興味を持つ訳がない。
(しかし、アリスなら......あの子はたまに突拍子もないことを考えるからな。)
「それで、この地下室をどうするつもりなんだ?」
「掃除しておけって。これをもらった。」
ラルフがポケットから取り出して見せたのは綺麗な石だった。
以前に宿泊した商人がアリスを気に入って贈った品物だ。
アリスは商人には目もくれなかったがこの宝石は気に入り、宝物にしていた。
(あの子がこの宝石をくれてまで頼むなんて......何がしたいんだ?)
ダグは溜息をつくと厨房に向かった。
「母さん......アリスの奴がおかしいんだ......」
しかし、ダグは知らなかった。
この後、彼は人生で最も驚かされ、途方に暮れると言うことを。
アリスが得意げに次々と運び込む大量の食材に、そして、アリスが運びきれない食材を商人達が続々と運び込む光景に。
そう、この日の午後、地下室は有効活用されることになるのだった。