
ジェフリーの頼み
それは朝番が終わる寸前の事だった。
ジェフリーは一足早く門にやって来た昼番の小隊を率いるランディに申し送りを始めていた。
「おい、ジェフリー。あいつら見ろよ。お前がえらく気にしている、例の連中だぜ。」
ロニーの指差す街路を向こうからやって来るのは古き清泉亭に宿泊している八人組の男達であった。
「ランディ、悪い。」
ジェフリーはランディに断ると八人組の方を向いた。
「おや?あんた達、ご出立かい?」
ジェフリーは笑顔で出迎えた。
この男達も一人くらいはジェフリーの顔を覚えているだろうに、まるで初めての相手のように他人行儀に返事した。
「はい。所用が終わりましてね。それでは、これを......」
男達は手形を差し出す。
今回は刺青が顔ののぞかせることはなかった。
手形は初めてこの町に入った時の日付が刻まれている。
だから、滞在期間もわかる。
「うん。確認しよう......随分、滞在したな。すぐに滞在税を計算するよ。」
ジェフリーは計算しながら、男達の様子を窺ったが、彼らはただひたすらに無愛想であった。
(とても商人には見えないな......)
ジェフリーは衛兵だ。
仕事でかなりの商人とやり取りしてきた。
この男達はそのジェフリーをして商人らしさを全く感じさせなかった。
「よし。じゃあ徴収しよう。ロニー、人数が多い。手伝ってくれ。」
ロニーと二人で硬貨を受け取り始めた。
「そう言えば、あんた達、西から来たそうだね。アリス......わかるだろ?あんた達が宿泊してた古き清泉亭の娘だ。彼女が言ってたぜ。」
「えぇ、そうですよ。」
(おや?)
ジェフリーも門番で散々、あの手この手で脱税しようとする商人達の相手をしてきた。
表情一つ変えないこの男達から少し動揺らしきものを感じ取った。
「今日は朝から何人もウェストメーレ街道を通ってきた商人と話したが、街道は特に問題ないようだよ。」
「はぁ。そうですか......」
男達は全くの無表情だが、話しかけれられることは迷惑そうだった。
「クレーネはおいしかっただろ?また、飲みに来てくださいよ!」
ジェフリーは相手の迷惑そうな態度に気付かない振りで絡み続けた。
「そうですね。えっと......もう行って良いですか?」
「勿論ですよ!良きウェストメーレ街道の旅を!またロズベリーアポンフロルにお越しください。その際も古き清泉亭に是非!俺達もあそこは溜まり場だ。今度はクレーネで乾杯しよう。アリスも喜ぶよ!」
男達は軽く会釈だけして、背を向けた。
(なんだか、無言で二度と来たくないって言ってるようだったな......)
「おい、ジェフリー......」
「すまない。ランディ。もう少し待ってくれ。」
ジェフリーはずっと男達を見送っていた。
北門を出るとすぐに追分だ。
左に進めば西方へ続くウェストメーレ街道、真っ直ぐ進めば北方へ続くグース街道だ。
男達の一人が追分で振り返った。
その男とジェフリーは目が合った。
ジェフリーは笑顔で手を振ってやった。
男は会釈すると先頭に立って左に曲がって行った。
(本当にウェストメーレ街道へ行ったな。)
「ロニー。悪いがすぐに上に上がって、フィルとボリスにあいつらが見えなくなるまで見張るよう言ってくれ。」
「お前、本当にあいつらにこだわるな。どうでもいいだろ......」
ロニーは口をつぐんだ。
今、自分が相手をしているのは、こんな時、素直に話を聞いてやるのが一番の奴だと思い出したのだ。
ロニーは門塔の階段を登って行った。
城門の上ではフィルとボリスが見張りについている。
「悪かったな。ランディ。さ、続きだけどな......」
夜番の町内巡回へ出る前にジェフリーは古き清泉亭に訪れた。
「いらっしゃい!あら?ジェフリー?どうして?」
北門詰めの衛兵達があまりに古き清泉亭入り浸るからアリスはほとんどの衛兵小隊のシフトを諳んじている。
だからジェフリーが夜番へ出る前に寄ったことが彼女にはわかった。
店内は相変わらず、大繁盛だった。
「ハハッ!おい!ジェフリー、こんなところでサボってて良いのか?またジェロームに叱られるぜ!」
野次を飛ばしたのは衛兵連中だった。
早めに昼番から退けた小隊もいれば、非番の小隊もいる。
「ジェフリー、大丈夫なの?これから夜番でしょ?」
アリスは心配そうな声を出した。
衛兵達は朝番を終えた後、就寝して夜番に備える。
夜番は早朝まで続く辛い任務だ。
だから、衛兵達は皆、夜番前はできるだけギリギリまで寝たがる。
アリスはそのことを知っていた。
「大丈夫だ。話が終わればすぐに夜番に行く。」
「話?誰と?何の?」
「君に話がある。少し、外で話せないか?」
アリスは驚いたような顔をした。
当たり前だ。
営業中の店にやってきていきなり外で話がしたいなどと言う衛兵などいないだろう。
ジェフリーはそう思っていた。
しかし、アリスにとっては初めてではなかった。
時折、衛兵に話があると呼び出される。
流石に夜番の直前に来たのはジェフリーが初めてだった。
「えっと......明日の昼番明けじゃダメなの?」
アリスは衛兵の夜番が明け方に終わり、昼まで寝て、その後、昼番が始まることを知っている。
衛兵達が店に来るのは非番の次に昼番明けが多い。
「今すぐ話したい。今日、朝番が終わった後、寝ずにずっと考えていたんだ。考えれば考えるほど、すぐに君に話さなきゃって思った。だから、どうしてもすぐに話しておきたい。」
ジェフリーから見ると店内の明かりで逆光になっていてアリスの顔が良く見えなかった。
だから、アリスの顔が少し赤くなったこと、そして、ジェフリーが今まで見たことのない表情を浮かべていたことに気付かなかった。
尤も、ジェフリーには見えていても、それがどういうことかわからなかっただろう。
「わかったわ。いいわ。ちょっと待って。」
アリスはそう言うと店内に戻ったが、すぐに出てきた。
アリスが後ろ手で扉を閉める時、中から冷やかすような歓声や口笛が聞こえた。
「なんだ?あれ?」
「もう!もう少し考えてよ。わからないの?」
「?」
「ジェフリー。」
「なんだい?」
「あなたらしいわ。」
「だから、何がだよ?」
「......、もういいわ!」
二人は以前にジェフリーが故郷の話をした井戸端の丸太、通称『椅子』に腰掛けた。
「ここなら、誰もいないわ。」
「そうだな。」
ジェフリーがポンと手を叩いた。
「そうだ!忘れていた。」
「何?」
ジェフリーは厳重に布に包まれた板状のものを取り出した。
勿論、ホリスから渡された鏡だ。
「これを君にあげるよ。」
「私に?いいの?」
「あぁ、君にってさ。」
「え?どういうこと?」
「何でもない。兎に角、君にあげるよ。」
「開けて見ていい?」
「いいよ。」
アリスは布の包みを解いた。
そして、現れた鏡に驚いた。
「ジェフリー!これ鏡じゃない!すごい!」
「あぁ、いや。すまないな。端っこに少しひびが入っているだろ?売り物にもならない品物なんだよ。そんなので申し訳ないな......」
「何を言っているの!ひびなんて、ほんのちょっとじゃない!ガラスの鏡なんて、私の友達は誰も持っていないわ!勿論、お母さんもマリーも!」
アリスが興奮気味に話した。
「そうか。それなら良かったよ。」
「ジェフリー?」
「うん?」
「ありがとう......」
「あぁ、うん。いいさ。気にするなよ。それよりも......」
「それよりも?」
ジェフリーはアリスの怪訝な顔に気づかないまま続けた。
「頼みがあるんだ。無理なことはわかっている。おかしなことを言いだそうとしていることもわかっている。でも、でも、どうしても大切なことなんだ!」
やはりジェフリーは気づかなかったが、アリスの表情が再びパッと変わった。
「うん!わかったわ!言って!」
アリスは穏やかな笑顔を浮かべて、顔をジェフリーに寄せてきた。
「実はな......」
「うん。」
「実は......」
「うん、うん。」
「頼む。食料を大量に仕入れてくれないか?」
「え?」
「できるだけ日持ちをするのが良い。それに塩だ。日持ちしない肉だって塩漬けにすればかなり持つ。できるだけ塩漬けにしてくれ。それから野菜も日持ちのする根菜類はとにかく集めておいてほしい。それから......」
「何それ?」
「あ、いや。だから。確かにおかしなことを言っているのはわかる。だけど......」
「何なのよ!それ!」
「だから......」
「だからじゃないわ!」
「頼む。最後まで聞いてくれ!」
「嫌よ!何よ!」
「?」
「慌てて、それも夜番前にやって来て。話があるって、寝ずに考えたって、今じゃないとダメなんだって......」
アリスが泣き始めた。
ジェフリーは呆然としてアリスを見つめていた。
「アリス?」
「気安く呼ばないで!」
「だって......」
「だって?もう!何もわかってない!私、てっきり......」
「......」
ジェフリーは何を言っても逆鱗に触れそうな気がし始めていた。
「鏡なんかくれて、それで、それで......私、私、本当は嬉しかったのに!」
「何だって?」
「私も最初は何とも思ってなかったわ!そこまでハンサムじゃないし、それどころか気難しそうで、怖そうで、ちょっと変な顔だし!衛兵達の中じゃ、それどころじゃないわ町中の人達から『変人』なんて言われているのよ!」
「わ、悪かったな......」
泣き叫ぶアリスに気圧されて、ついつい呟くような声でしか話せないジェフリーに構わず、アリスは続けた。
「でも、でも、不器用だけど、本当は町のことや人のことをいつも考えてて......それに、それに、それよ!」
「それって何だよ?」
「もう!もう!あなたは本当に!だから、商人達よ!」
「商人?」
「そう!私の宿に泊まる商人達は皆、あなたのことを褒めるわ。賄賂はとらない。ジェフリーは本当に商人のことをわかっているって!それで、いつも、情報ばかり欲しがる。変な奴だって!だから、あなた『変人』なんて言われるのよ!」
泣きじゃくるアリスは既に自分が何を言っているかわかっていないのかもしれない。
(支離滅裂じゃないか......)
ジェフリーは途方に暮れる思いだった。
「だ・か・ら・よ!」
「だから?」
「だから、商人達は皆、言っているわ。あいつは本当に町のことを考えているって。町のことを考えているから町の不利益なことがないか、いつも情報を欲しがるって。だって、私、わかっちゃったんだもん!」
「一体、何のことだ?」
「あなたの故郷よ!わからないの!」
(わかるわけないじゃないか!)
ジェフリーは言葉にすることだけは押さえた。
『あなたは思ったことを口にし過ぎよ。』とアリスによく言われている。
「この前、話してくれたでしょ?クレイグリーのこと。」
(俺の故郷の名前を覚えてくれたのか......)
「あなたは一度、戦争で平和だった故郷を突然失ったから、こんな平和な町にいても、いつも、商人達に情報をもらって何か起こらないかって心配してたんでしょ!」
(俺のことを理解してくれている奴がいたのか......)
ジェフリーは困った顔をして手で覆うふりをして浮かび上がってきた涙をそっと拭った。
「素敵じゃない。そんな人。今まで見たことないわ。そんな人。それなのに、あなたはいっつも小隊の仲間と馬鹿な話ばかりして、無愛想、不器用で......ちょっとだけだけど、不細工で......ちょっとはかっこいいわよ......」
(それはありがたいね。)
ジェフリーは内心、苦笑する思いだった。
今は顔に出せない。
「だ・か・ら・よ!」
「だから?」
「だから、私、嬉しかったのに!」
(勘違いしていたのは自分じゃないか?)
「えぇ、そうよ!あなたは立派よ!どうせ、そのおかしな頼みもきっと町の為なんでしょ?どうせ、私の事なんかどうでもいいんでしょ?」
「そんなことないさ!」
「絶対にそうに決まっているわ!どうせ、マリーがいたら、マリーに頼んでたんでしょ?どうせマリーの方が可愛いからあの子の方がこの鏡がふさわしいって思っているんだわ!」
「そんなこと言ってないだろ!」
「言わなくたってわかるわ!衛兵の皆はきっと私よりマリーの方が可愛いって思っているわ!私知ってるんだもん!私だって、そう思うわよ!」
「そんなことないだろ。」
「そうに決まっているわ!私はマリーみたいにお淑やかじゃないわ!私はそばかすだらけで、マリーみたいにお人形さんみたいじゃないわ!」
「そばかすがあったっていいじゃないか!」
「うそ!それにどうせ、私の髪はこのおさまりの悪い金髪。衛兵の皆がマリーのツヤツヤの赤毛が素敵と思っているのも知っているわ!男の人達って皆、金髪がいいって言うけど、本当は子供っぽいとか馬鹿っぽいとか思っているんでしょ?それに私の金髪はちょっと藁みたいだし、本当におさまりきらなくて......何よ!」
「いや、だから、俺はそんなこと思ってないし、言っていないじゃないか!」
「もう、いや!何よ!」
「俺は、そばかすのある女の子の方が好きなんだ!赤毛よりも金髪の方が好きなんだ!」
「え?」
「あぁ、いや......」
「もう一回言って。」
「頼むよ。俺が馬鹿なことを言っているのはわかる。だけど......」
今度はジェフリーが顔を赤くして話を逸らした。
「はい。はい。町の為、皆の為ね!」
「なぁ、聞いてくれよ。アリスの言う通りさ。町の為だ。本当に。でもさ......」
「でも?」
「考えてくれよ。この町の為なんだぜ?」
「だから、そう言っているじゃない?」
「違うって!ロズベリーアポンフロルの為なんだぜ?」
「えぇ、そうね......」
「あぁ!クソっ!」
「もう!」
「悪かったよ。レディの前で下品だったな。」
「本当にそうよ。」
「だって、君がどうしてもわかってくれないからじゃないか!」
「だから、わかっているじゃない!この町の為、つまり、ロズベリーアポンフロルの為なんでしょ?」
「だから!だから......ロズベリーアポンフロル、つまり君の住む町の為じゃないか!」
そう叫ぶとジェフリーは立ち上がって背を向けてしまった。
「ジェフリー?」
「なんだい?」
「あのね。」
「うん。」
「あのね......」
「うん?」
「もう早く行って!もう夜番が始まっちゃうわ!またジェロームに叱られちゃうわ!北門詰所まで走るのよ!」
「アリス?」
思わず振り返ったジェフリーの目の前には、やはり立ち上がり不敵な笑顔を浮かべているアリスがいた。
「あなたの話は聞いたわ。」
「じゃあ......」
「いい?わ・た・し・が!あなたの話を聞いてあげたのよ!だから、あなたは走りなさい!」
ジェフリーは走り出した。