
『古い』(上)
「あら?デーブ?巡回?」
「やぁ!アリス!」
「お仕事、お疲れさま!」
「ありがとう。今日は上がったら古き清泉亭に行くよ。」
「待ってるわ!」
「よし!お前ら!さっさと巡回終わらせて、今夜はクレーネをがっつり飲もうぜ!」
街路を巡回していた北門詰めの衛兵小隊長デーブは部下に向かって拳を上げた。
「いいっすね!」
「今夜は飲もうや。」
「飯もたっぷりな。」
デーブの小隊は飲兵衛の大食漢が揃っている。
小隊の指揮も上がったようだ。
ところが......
「ダメよ!飲み過ぎ、食べ過ぎは!今日は私があなた達の飲む量と食べる量を決めるわ!」
「へ?」
「さぁ!お仕事頑張って!巡回も大切なお仕事よ!少しでもおかしなことがあったら報告するのよ!特に他所者には気をつけて!」
「あぁ......アリス。わかったよ。じゃ、また......」
「あとでね!」
首を傾げながら立ち去るデーブ小隊に手を振って満面の笑顔でアリスは見送った。
「お前な......」
横で見ていたダグは今朝から一生分の怪訝な思いをしていた。
商売熱心な彼の娘ならいつもは客に一杯でも多く飲ませ、一皿でも多く食べさせる。
そんなアリスの変貌ぶりに父親の煩悩はついていけなかった。
アリスはいつものように輝くような満面の笑顔だ。
客の全てが憧れ、癒され、求める笑顔だ。
今日の午後は兎に角忙しい午後だった。
ダグはいくら怒鳴りつけてもケロリとして反省しないアリスを叱りつけながら、大量の食材を地下室に運び込んでいった。
厨房ではアガサとマリーがラルフにも手伝わせて大量に豚肉を塩漬けにしていた。
そうしなければ例え毎日、豚のローストの注文が殺到しても大半が腐ってしまうような量だ。
「ねぇ?お父さん?」
「なんだい?」
どれだけ怒っていても、可愛い娘にこのような笑顔で話しかけられると拒絶のしようがない。
「明日の朝市にジムは来るかしら?」
「さぁな。彼の農園は遠いからな......月に一度か二度しか来ないだろ?わからんな。」
「でも、ジムが来る時は荷馬車に一杯の作物と家畜も売りに来るわ。」
「そうだな。」
「それも全部買わなきゃ!」
「アリス?もういい加減にしろっ!」
ダグの怒声も耳に入らないのかうっとりとしたような表情でアリスは店の前の往来を眺め、知人には声をかけている。
「あら?セーラ?元気?」
今日の午後、地下室に全ての食糧を全て片付けたダグは地下室から出て地上の明るさが眩しく目を擦っているとアガサがやってきた。
手には大切そうに何かを持っている。
「あなた!アリスの部屋にとんでもないものがあるの。」
「なんだ?」
「これ......」
妻の差し出すキラリと光るものが何かをダグがはっきりと認識する前に何者かがそれを引ったくった。
「ダメ!」
「アリス、あなた......どうしてこんなものを......」
鏡を大切そうに抱えて両親からそれを守るかのように背を向ける娘にアガサが恐る恐る訊ねる。
その後、ダグとアガサが二人がかりで扉越しに部屋に籠るアリスに問い詰めた結果、鏡はジェフリーからもらったことだけはわかった。
ダグはどうして良いのかわからなかった。
あの誰にも靡かない娘が、どうやら人生で初めて男を見初めたらしい。
それもガラス製の鏡などと言う高級品まらで受け取ってしまっている。
そして、本人は決して認めないが、その男の影響で店が傾きかねない勢いで食糧を買いだめしようとしている。
その上、客には節約をさせたいらしい。
何があれば、こんなことになる?
「ジェフリーの奴......」
ダグは呻いた。
よりにもよって、ジェフリーとは!
あの小男ジェフリー!
御曹司のくせに中隊長にすらなれないジェフリー!
変人ジェフリー!
そうだ。
変人だ。
何をしでかすかわからない。
あの海千山千のイケすかない他所者の商人共ばかりから評判が良く、代官のお気に入りであるジェロームからは悉く叱られていると評判のジェフリー!
大体、部下の三人も胡散臭い奴ばかりだ。
変人ジェフリーとおかしな仲間達、ジェフリー小隊。
どうして、あんな奴に娘が!
「アリス。」
「何?お父さん?」
「ジェフリー達は今日、来るかな?」
「きっと来るわ!お父さん!あの人達、今日、昼番だもん!」
どこかうっとりとした表情で答える娘にため息しか出ない。
「そうだと良いな。」
カラン、カラン。
赤銅でできたベルが鳴る。
「いらっしゃい!あ、ジェフリー!」
ジェフリーは無言で手を上げた。
迷惑そうな顔をして手を振るが、口元は僅かに微笑んでいる。
「いよう!アリス!」
「エールをくれ。」
「会いたかったよ。お嬢さん。」
「皆、お疲れさま!さ、あっちが空いてるわ。」
アリスはアイザック爺さんの指定席と言われている扉近くにある窓際の卓の隣を指差した。
四人がそちらに向かうと背後から声がかかった。
「待ちな。」
ダグが険しい顔をしている。
「おい、ジェフリー。お前、一体どういうつもりだ。」
「おいおい、ダグ?どうしたんだよ?」
事情を知らないロニーが間に入る。
「いや、ロニー良いんだ。」
ジェフリーはアリスの方を見た。
アリスは不敵な笑顔を浮かべ、頷いた。
「たっぷり買ったわ。でも、まだまだ場所はあるわ。明日も買ってくるつもり。」
「アリス、さっきもそれはならんと言っただろう!」
アリスはぷいっと横を向いてしまった。
それは火に油を注いだようなものだ。
ダグの怒りが更に増す。
(全く、こんな不恰好な変人のどこが良いんだ!)
アリスが横を向いてしまったのは、ダグを無視しているわけではないことくらいわかっていた。
何と言っても、ダグはアリスの父親を二十一年もやってきている。
今日は午後からダグはアリスに怒鳴り、叱り、問い詰め、追及し続けた。
しかし、アリスは一度も怒鳴り返したりはしなかった。
内心は父親に悪いと思っていることはダグにも察しがついた。
だから、アリスはあんな態度を取り続けるのだ。
寧ろ、今日はいつもより明るい笑顔を見せてくれているくらいだ。
(優しくて、強い子だ......)
父親としては誇りにすら感じた。
それでも頑固に食糧を買いだめようとする。
(ジェフリーの奴、何を吹き込んだんだ。)
父親としてはアリスが悪いとは思えなかった。
だから、ダグの怒りの矛先は全てジェフリーに向かうのだった。
アリスはそれすら庇おうとする。
ダグからすればそれもアリスの偉さであって、健気な自分の娘にそんなことをさせるジェフリーが益々腹立たしい。
「兎に角、お前はもう店に入るな!」
「ちょっと、お父さん!」
「アリスは黙っていなさい。」
「さぁ、ジェフリー、表に出ろ。話くらいは聞いてやる。」
「わかった。」
ジェフリーは背を向けた。
ダグが続く。
カラン、カラン。
赤銅でできたベルが鳴る。
井戸端でダグは自分が『椅子』と呼ぶよう周囲に言い聞かせている丸太の真ん中にドカリと座った。
ジェフリーに『座れよ』とも言わない。
ジェフリーは無言で井戸を挟んだ反対側に立った。
「おい。ジェフリー。どう言うつもりだ?お前?俺をたかだか宿屋の主人だからと舐めているのか?言っとくが、俺はギルドに入っているんだ。ギルドが本気で動けばお前みたいに評価の低い衛兵小隊長など、どうとでもできるんだからな!」
ダグ言う通りだった。
宿屋や飲み屋にはギルドがない。
しかし、ケラー家はエールの醸造所を持っている。
弟に任せているとは言え登録上の主人はダグだ。
醸造家であれば酒造ギルドの一員になれる。
酒は生活必需品だから、それを作るギルドの力も強い。
「わかっているよ。ダグ。それに俺は今日一番にあんたに言うつもりだったんだ。」
「何をだ。」
「本当に申し訳ない。謝罪する。あんたには迷惑をかけている。」
「何だって?」
「先にダグに言うべきだった。でも、俺は焦ってた。だから、ついにアリスに......」
「何を言い出すんだ。あんなことしでかして......アリスを唆しておいて......謝るだと?」
「あぁ、何とでも言ってくれ。俺が悪かった。」
「ふざけるなよ!ジェフリー!謝って済むことじゃない。うちの地下室はもう半分は食糧で埋まっている。アガサ、マリー、ラルクは今日の午後、ずっと豚の塩漬け作りだ。うちの金がどれだけなくなったか知っているか?正式にギルドから衛兵隊に抗議してやる!」
「穏やかじゃないねぇ。ダグ。もっと、優雅にいこうよ。」
フィルの声に二人は振り向いた。
エールの入ったマグを手にロニー、ボリス、フィルがやって来た。
その後ろには三つのマグを持ったアリスもいる。
「お前さんが店に入るなって言うからよぉ。」
ロニーがエールを呷った。
「あれはジェフリーに言ったんだ。お前らは店に入れば良いさ。」
「一応、俺達の小隊長だからな。」
ボリスがダグに答えた。
「一応?一応って何?酷いじゃないか!」
フィルが混ぜっ返して笑い出す。
「ぎゃははは!」
ロニーの馬鹿笑いが拍車をかける。
ダグは渋面を浮かべた。
「諦めた方が良いわ。お父さん。この小隊はいつもこんなんだもの。」
そう言うとアリスがエールの入ったマグをダグに渡す。
そして、ジェフリーの横に行くとやはりマグを渡して、自分のマグをぶつけて乾杯した。
「お前、どうして、ジェフリーに!」
「だって、店に入るなとは言ったけど、飲むな、とは言ってないでしょ?」
ダグが黙ってしまう。
「そうそう。一杯目はロニーの払いよ。次はボリス、その次はフィル、最後はジェフリーで締めるそうよ。但し、食べ物を注文するのは最後らしいわ。」
「当たり前だ。こんなところで立ち飲みさせられたんだからな。」
「それに水臭いのも気に入らないね。僕達には内緒のままじゃないか。」
「だから『一応』なんだ。あんたは。」
「ええい!もう黙れ!お前ら!本当に忌々しいな!」
ダグが怒鳴ると小隊の悪ノリが止んだ。
「さぁ、ジェフリー、答えろ。一体お前どう言うつもりなんだ?」
ジェフリーが一歩、前に踏み出した。
「金のことなら、できるだけ俺が払う。とりあえず、俺が今持っているのはこれだけだ。」
ジェフリーが巾着袋を取り出してダグに渡した。
「ほう?薄給の衛兵にしては結構あるな?」
「俺の全財産だからな。」
「思い切ったな。しかしな。これでは全然足らん!」
「わかっている。俺が家を継げば、領地から上がる金を持ってくる。」
「お前が家を継げば?」
ダグはジェフリーが男爵家の息子であることを思い出した。
「ふん。そんなのいつの話だ?俺は今、金を失くしたんだ!」
「だから、それは謝る。」
「謝るだと!それで謝ってどうにかなる問題か?」
「待って!お父さん!どうしてこんなことを始めたかを聞いて!もしかしたらお金は返ってくるかもしれないの!」
アリスがジェフリーの横に並んだ。
「なんだって?」
「あのね。戦争があるかもしれないの。ロズベリーが包囲されるかもしれないのよ、ね?ジェフリー?あなたはそう考えているんでしょ?」
ジェフリーが頷く。
「私、それがわかったからジェフリーの言う通りにしたの。」
「戦争だと?包囲だと?この平和な町にか?」
「ジェフリーはたくさん商人の話を聞いて、それで昨日、夜番前に走って来て、今じゃなきゃダメだって言ったのよ。」
アリスの顔が赤くなってきた。
その時の盛大な勘違いを思い出したのだ。
「......。よし。百歩譲って戦争に備えて食糧をため込んでおいて、金が返ってくると言うのはどう言うことだ?」
「都市の買い上げだ。籠城戦になれば食糧が大切になる。衛兵隊やギルドの備蓄食糧がなくなれば、住民から食糧を徴収する。勿論、ただじゃない。買い上げてくれるんだ。」
今度はジェフリーが答えた。
「何だと?」
「何なら、明日、ギルド会館に行って調べてくるが良い。買い上げ額は通常の市場価値より割増になるはずだ。」
「ね!お父さん!私はジェフリーを信じるわ。この町をロズベリーアポンフロルをクレイグリーみたいにしてはいけないの!」
「クレイグリーだと?」
「あぁ、いや、気にしなくて良い。」
ジェフリーが答えた。
娘と変人小隊長が息の合う恋人のように二人で言ってくるのは忌々しいが、ダグも気になり始めた。
ダグは家族を愛している。
本当に戦争があれば、敵兵が乱入してくることもあるだろう。
彼の娘は二人とも美しく年頃だ。
例え、城壁が保ったとしても、食糧がなくなれば、陥落してしまう。
アリスの言い分は尤もだ。
しかし、本当に戦争なんてあるのか?
本当に町は包囲されるのか?
「ジェフリー、教えてくれ。どうして戦争があると思うんだ。」
皆がジェフリーを見た。
アリスもそこは聞かされていない。
「訛りだ。」
「訛り?」
「『古い』のな。」
「『古い』?」