第48話 真っ白な優
2月28日。優の誕生日の前日であり、1週間ぶりに優に会う日でもある。昨日の午後に彼女の母親から面会許可の連絡が来た。そのメッセージは喜びと胸を締め付けるような苦しさ、どちらもを緋那へと与えた。
優は、記憶のほとんどを失っている。そして、口から食事ができず、点滴で栄養を摂っている状態だということだ。
両親のことも理解はあまり出来ておらず、ただニコニコと笑うことしか出来なくなっている。きっと、会うのは辛くなると思うから、緋那は無理してこなくていい。
要約するとこんなようなことが書かれていた。
緋那は昨日メッセージをもらってからは悩んだ。明日、見舞いに行くか、それとも行かないかを。
しかし、すぐに心は決まった。
2月になってから、お見舞いに行くたびに優はカレンダーを見て、閏年だから誕生日があると喜んでいたのだ。そのたびに当日はお祝いをすると伝えると嬉しそうに顔を輝かせていた。
約束したから、それだけでなく緋那自身が優の誕生日を祝いたかった。
「明日、邪魔にならない置物でもプレゼントするか?」
そんなことを考えながら見舞いへの準備をする。
メッセージの内容を見て、正直覚悟と諦めはついた。でも誕生日を祝うという、優と最後に何度も交わした約束だけは破りたくなかった。
当日に状況を知り、ショックを受けるよりは前日に一度様子を見に行った方が、誕生日当日の心づもりが出来ると緋那は考えた。
時計を確認する。優の母にはいつも通りの時間にお見舞いに行くと午前中にメッセージで伝えた。返信で部屋は変わっていないことと、看護師には話を通しておくと教えてくれた。
まだ、お互いに直接会って話す覚悟は出来ていない。それでもこうやって気にかけてくれる。それが嬉しい。
緋那は学校を出ると1週間ぶりに病院までの道を歩く。心の中では覚悟は出来た。実際会うとどうなるかは分からないが、会うまでは正常ではいられるだろう。
信号待ちで立ち止まった際に、反対の道路を黒猫が歩いていることに気付く。
優はよく黒猫と戯れていたなと、公園や流星群を見た丘を思い出す。黒猫は不意に立ち止まり、チラリと赤い瞳で緋那を見た気がした。しかし、すぐにどこかに行ってしまう、気のせいだったかなと緋那は首をかしげた。
黒猫は不幸の象徴と言われることもあるが、緋那にとっては優との思い出の象徴になっていた。
すぐにいなくなってしまったのをさみしく思いながら信号が青に変わり、緋那は病院までの道をまた歩み始めた。
病院に着くと、優の母に言われたとおりにまずナースステーションに声をかけた。
「望月君、久しぶりだね。優ちゃんだけど、さっきは起きていたから面会は大丈夫だよ。ただ、あまり無理はさせないで。何かあったらすぐにナースコールで呼んでね」
「わかりました、ありがとうございます」
緋那はお礼を言うと優の病室へと向かう。扉の前に立つと緊張で口腔内がすこしカラカラになる。扉の向こうにいるのは真っ白な状態の優だ。それが少し緋那を緊張させた。
扉を以前と同様に、コンコンと2度ノックする。そして少し間を置いてから扉を開けた。
「失礼します」
口から何故かそんな言葉が勝手に飛び出してきた。病室内に入るとベッドに仰向けになった状態で瞳だけ開けている。音に反応したのか目だけが緋那を捕らえるとにこりと笑った。
「こんにちは。私の友達かな? 今日来るよって看護師さんに聞いていて。ごめんね、喋れはするんだけど、体があまり動かせなくて」
少し息を切らせながら優はいつもと変わらない笑顔で言った。きっと詳しく聞いてなかったら、一瞬だまされただろうと緋那は感じた。それぐらいに文月優だった。記憶をなくしても喋り方は変わらない。
その事実が嬉しさと空しさを運んでくる。
「えっと、俺は望月緋那です。優とは幼馴染みで親友」
「そうなんだ、親友っていい響きだね」
顔は天井を見たまま、目と口だけを動かして元気に喋る優にどこかあべこべのような変な印象を抱く。
「緋那君は優しいんだね」
「――っ」
緋那君。そう呼ばれて、緋那の呼吸は1回止まった。
緋那は優に1度もちゃんとした名前で呼ばれていない。初対面で、女の子みたいな名前だから、男の子っぽくひなたにしよう! と理不尽極まりない暴論でそれからずっと、優だけが緋那を"ひなた"と呼んでいた。
本当に記憶がないんだなと覚悟を決めていたがショックは大きかった。
「緋那君?」
「......あっ、ごめん。まさか、優しいと言われるとは思わなくて驚いた」
心配そうな瞳に揺れる優に緋那は謝罪する。
そして、以前と同じように優のベッドサイドの頭側に置いてあるパイプ椅子に座った。
「優、明日誕生日だろ? プレゼントを買う約束をしててさ」
「プレゼント!?」
「ああ、それで明日買ってこようと思うんだけど、何が欲しい?」
「えっと、ね?」
緋那の問いに優は少し照れくさそうに口を開いた。
「大きなぬいぐるみが欲しいなぁ。朝起きたとき、1人じゃ寂しくて」
「そうか......。看護師さんに確認して許可もらったらプレゼントするな」
「ほんと? 緋那君ありがとう」
優は息を切らしながらも嬉しそうに笑う。顔も明るく元気だ。それでも体をほとんど動かせないその事実のアンバランスさがどこか現実ではないように思える。
「体は辛くないか?」
「大丈夫だよ、少し息が切れちゃうけどそれぐらいかな?」
「無理はするなよ」
息を切らしながら話す優に、緋那はあまり長時間いない方がいいのかな? と考える。
「えへへ」
「どうした?」
「私、記憶はないけど話すのは好きみたいでさ、緋那君ありがとね」
「そうか、なら俺、毎日来るから話し相手になってもらってもいい?」
「ほんと? 嬉しい」
優はニコニコと笑顔が絶えない。気付くと面会時間ギリギリまで優の病室で過ごしていた。
「さすがに帰るか」
「......そうだよね、また明日ね」
「おう、また明日」
もはや口に馴染んだ言葉を呟くと緋那は病室をあとにして、ナースステーションへと向かった。