第十話 兄と弟
「本当にやるんですかぁ? 大将......」
ガクガクと震えながら、元宇賀島衆生き残りの船員たちが文句を言う。
お天道様の位置は天井に近いが、二月の海に潜ろうと思うとさすがに寒い。
「しょうがないだろう。陸に火の準備はしているし、着替えや手ぬぐいはたんとある」
そう言いながら一番に、与右衛門が船から海に飛び込んだ。
致し方ないので文句を言いつつも船員たちが続き、ついでに素潜りが得意だという、太郎と源八郎が後に続く。
「うげぇ......」
あまり直視したいものではない。むしろできることなら見たくない。
二日間海に浸かり、魚につつかれた盗賊の死体たちを船に引き上げて、与右衛門たちが陸に戻ろうとしたその時。
「おじうえー! 見て! こっち!」
尾道の対岸、宇賀島の岸に近い場所で、源八郎が大きく手を振った。
すぐ近くに太郎も浮かび上がり、彼も同様に叔父を呼ぶ。
「このあたり、何かたくさん沈んでいるものがあるんだけど、なんかこう、めちゃくちゃ重い!」
◆◇◆
「沈んでいた? 盗まれたものがか?」
宮寿丸が思案する。
丁寧に拭ったり、干して乾かしたものの、二日間海水に浸かっていたため返ってきたところで使い物になるかどうかは別の話ではあるのだが──とりあえず海の中から引き上げたものを、元宇賀島衆たちは渋谷の家の庭や土間に並べた。
「刀はあるのか?」
宮寿丸の問いに、就辰は首を横に振る。
反物や漆器、鋳物などはあるが、刀剣類に関しては見当たらなかった。
「強引に盗んだのならそのまま売り飛ばせばいいのに、わざわざ海水に沈めて品物駄目にするとか、商売人の風上にも置けねぇな」
囲炉裏の前で与右衛門が毒づいた。が、歯がカチカチと鳴ってて格好がつかない。
いや、盗品売っちゃダメだろうがよ──と就辰は思ったが、とりあえず口にはせずにそれを呑み込んだ。
「助かった。恩に着るよ」
と微笑む宮寿丸。
「お、おう......」
与右衛門は思わず赤面した。
とりあえず他の商人や職人たちを集めて、引き上げた物が盗品かどうかを確認。するとほとんどの物品で「ウチで盗まれたものだ」との申告があったとのことだった。
(もっとも、与右衛門殿の言う通り盗んだのなら売ればいい。捨てるということは、下手人の目的は金や物ではないということ)
ならば、その目的は──違和感を感じつつも、就辰は裏庭に回る。
「就勝! そっちは何か、判ったか?」
「余次ー。面白いものが見つかったよぉー!」
ある程度覚悟はしていたが、二日間海水に浸かり、魚につつかれ腐敗が進み、異臭を放つ仏さんが五体。
鼻と口を片手で押えつつ、就勝は何かを持って、ウッキウキで就辰に駆け寄ってきた。
就勝が手に持っているのは、渋谷の家に押しかけて返り討ちになった男たちの、鎧の金具に刻まれた小さな家紋。
「でかした! ......けど、コレって......」
「木梨杉原家の家紋だねぇ」
実は──と昨日隆景が言っていた話を、就勝は通隆の出自および正体部分の話を抜いて、就辰にあっさり教えた。
「隆景殿は、初めから木梨殿を疑っていらっしゃったのか」
「さすがに木梨だと特定してる感じではなかったけれどねぇ。ただ、諸々の情報を精査した結果、おおよその犯人は断定してたみたいだよぉ」
二人でそんな話をしていた時だった。
急に表が騒がしくなり、周囲に人の気配と殺気が増える。
「渋谷与右衛門! 貴様らが、盗品を扱っているとの告発があった!」
「あっちゃぁ! 先に動かれちゃったかぁー」
何故か楽しそうに就勝が笑う。
しかし、刀を抜こうと手をかける就辰に、ちょい待ち! と就勝が止めた。
「真面目な余次の事は大好きなんだけど、こういう場合、三十六計逃げるに如かずってねぇ!」
「はぁ?」
就勝は就辰の手を引っ張り、生け垣の中を突っ込んで、渋谷家を脱出した。
◆◇◆
「そーろそろですかねぇー」
人の気配がまったく無くなった渋谷家。しんと静まり返った屋内に向かって、就勝が叫ぶ。
あれから二人は少し離れた場所から様子を見て、推定木梨軍の動向を確認していた。
引っ立てられる者たちの中に、小さな二人の少年と、すらりと背の高い美丈夫の姿はよく目立ち確認できたのだが──。
「出てきても大丈夫ですよぉ。姫様方! よーく我慢できましたぁ!」
数十人の人間が引っ立てられて言ったが、女の姿はどこにもなかった。そこから考えられることは一つしかない。
カタンッという小さな音がし、床板がわずかに動く。
就辰は急いで駆け寄って、与右衛門たちが慌てて乗せたであろう木箱や米俵の山を動かして、その床板を外した。
「遅い! 保護者が聞いて呆れるわ!」
「スミマセン! 坊ちゃん!」
宮寿丸に怒られ、しかしホッと就辰は胸を撫でおろした。
床板と地面の僅かな隙間に松姫と二人、ぎゅうぎゅうに押し込められていたが、パッと見た感じ、怪我はしていないようである。
就辰が差し伸べた手を宮寿丸が握り返したとき、ふと何故か亡き隆元の顔が脳裏をよぎった。
──兄と、呼んでくれないか?
(あぁ、そっか......そうだったのですね......)
あの時、隆元が自分に、本当に言いたかったことは──。
(あの人はきっと、もっと頼って欲しかったんだ......小さかった俺に)
たとえ兄と呼べなくても──弟でいられなくても──。
(優しかったあのお方は、幼かった俺を、ただ純粋に守りたかったんだ......)
『家臣と主人』として明確な一線をそこに引くのではなく、信頼の情を伝える方法など、いくらでもあったのに。
でも──。
(ありがとうございます。隆元様。自分に気づかせてくれて)
これは、とても些細な出来事で──宮寿丸はたぶんきっと、ちっとも気づいてくれやしないと思うけれど。
(貴方のように、この方をお守りします)
たとえ兄でいられなくても──弟と呼べなくても──。
◆◇◆
「こ、怖かった......」
泣きだす松姫に胸を貸し、宮寿丸は彼女を抱きしめた。
「どうなった?」
落ち着かせるように彼女の背中をさすりつつ、宮寿丸は就辰に問う。
「宇賀島衆......と便宜上呼ばせてもらいますが、宇賀島衆と村上の三人は全員大人しく木梨軍に捕まりました」
「大人しく......ね」
就辰の言葉に、しかし宮寿丸は面白そうに笑う。
隠れている間、思考を廻らす時間は十分にあった。
通隆と就勝は、昨日隆景と面会している。
彼と直接話をし、彼から何かしらの情報や策を授けられているだろう。
ならば、自分は兄の考えを正確に予測し、兄の望むよう、行動を起こすだけだ。
「余次」
「え......はい」
突然──初めて名前を呼ばれ、思わず就辰の声が上ずった。
「俺たちの当初の目的は?」
「自分の場合は尾道にいる間の貴方の護衛ですが......まぁ、宗近の捜索ということにいたしましょうか」
うぐぐ......そうだった。宗近の捜索だけでよかったのに、余計なことまで思い出させやがって余次めッ!
悪態を付きたくなる気持ちを押さえ、宮寿丸は軽く咳ばらいをする。
「ならばこの状況、どう思う?」
就辰は今度ははっきりと、宮寿丸が望む言葉を口にした。
「兄上の刀は、木梨の手に」
宮寿丸はぐっと拳を握り、上を見上げる。
家の壁が邪魔して直接は見えないが、宮寿丸の視線の先──そこにあるのは、木梨杉原氏の居城、千光寺山城。
「手を出したのはあちらが先だ。目にもの見せてくれるわ」
「御意」
「あー、ゴメン。盛り上がってるところ、ちょぉーっと悪いんだけどねぇ」
急に気の抜けたような就勝の声が割って入り、思わず二人はずっこける。
「なんだよ就勝」
文句を言う就辰を宥めながら、就勝は入り口に向かい、三人の男を迎えた。
「隆景様からの、援軍の到着だよぉー」
立っていたのは小早川水軍指揮官、因島村上家当主、そして──。
「あ、ち、義父上......?」
後の世で『日本最大の海賊』と呼ばれた男──能島村上家当主、その人だった。