第八話 梵鐘事件
小早川隆景と井上就勝。
宗勝が新高山城に帰還し、二人が相対してからかれこれもう四半刻は経っただろうか。
二人とも、顔にはにっこり笑顔を貼り付けて──共に何も言わず、ただただ微笑みながら、しかし実質はバチバチと見えない火花を散らしながら睨み合いを続けていた。
(怖い......)
言われるがまま連れてきてしまった当の宗勝が言うのもどうかと思うが、身内を殺した側と殺された側での対面なので致し方ないということは理解できる状況ではある。
しかしその仇に対し、仇討ちを目的とするわけでもないのに、ウキウキワクワクと嬉しそうに率先して会いたがる就勝の行動自体は完全に理解不能ではあるが。
「あ、あの......」
松姫の出奔により会合どころではなくなり、「娘の行方を探す協力を隆景に申し出るなら、自ら出向くのが筋だ」と同じくついてきた村上通康が、この状況に我慢できずに声をあげる。
彼のおかげで日没間際にも関わらず、随分早く新高山城に帰ることができた宗勝は、さすがは村上海賊。小早川水軍もしっかり鍛えねば──と決意を新たにするのであった。
──と閑話休題。
「あー、自分のことはお気になさらず。まずは村上殿の話を聞いて差し上げてくださいねぇ」
あくまでニコニコと井上就勝が隆景を促した。
主人にしては実に珍しく、一瞬嫌そうに就勝を一別した後、殊更に複雑そうな表情で通康に向かい合った。
ちなみに簡潔にではあるが、宗勝は隆景に宇賀島衆復活の噂と通康が訪問した理由はあらかじめ伝えている。
「わざわざ宗勝を送っていただきかたじけない。栄は息災ですかな」
隆景はあえてその本題を外し、まずは部下を送ってくれた礼と、養女として嫁がせた姪の近況を問いかけた。
「はい! 昨年息子が生まれました。母子共に、健やかに過ごしておりますよ」
頭巾を目深に被り表情は見て取れないが、通康の声は心の底から嬉しそうに、言葉尻が弾んでいる。
「武吉殿のところに孫がいますが、やはり、子は良いもので......あ、すみませぬ」
相対する隆景に子がいないことを思い出したらしく、彼は慌てて取り繕った。
「いいですよ。こちらのことは気にしなくて。栄のように養い子はいますし、それに──」
手のかかる弟が、息子のようなものですから。とあの二人の弟を思い浮かべながら、隆景は目を優しく細め、小さく笑った。
◆◇◆
毛利の大殿の若君との婚姻。
松姫の言葉にドキリとしたが、冷静に考えてみれば表向き自分は二宮春久の嫡男だ。
彼女の言う『大殿の若君』は、まぁ間違いなく自分ではないだろう。と一夜明けて就辰は結論づけた。
もっとも、考えすぎて眠れなかったのは、ここだけの秘密である。
「......なんだよ」
同じく眠れなかったのか、充血した目をこする宮寿丸。
就辰が考える限り、候補者は元服を控えた宮寿丸か、約半年後に産まれた異母弟の吉満丸か......。
(言葉通りの大殿の若君と限定するならあと三人いるけれど、まぁ他は年齢差とか順番とかで、除外だろうなぁ)
たぶん松姫は就辰と同じくらいの年齢であろうと思われる。少なくとも、元服前の宮寿丸よりは明らかに年上であろう。
あと余談ではあるが、宮寿丸より年下でありながら既に元服済の当主輝元には宍戸隆家の末娘が婚約者に選ばれているし、現時点で元就の末息子はまだ産まれていない。
「だーかーらー! なんなんだよ!」
就辰にジッと見つめられ、宮寿丸は居心地悪そうに怒鳴った。
「思うところは色々ありますが、今はとにかく、盗まれた刀の手がかりを探すことに集中しましょう!」
「お、おう......そうだな」
ひとまず二人は深く考えることを辞め、刀探しに集中することにした。
◆◇◆
就辰と宮寿が前日知り合った商人渋谷の屋敷へ向かうと、二人の小さな少年が大人たちになにやら囲まれている。
「ひっでぇじゃろ! わしらは被害者! あーもう父ちゃんと母ちゃんにコレぜぇったいに怒られるーッ!」
「でもおば......ねぇちゃんも言う事きかないと無茶苦茶怖いから......痛ったぁ!」
十三歳と七歳だというその兄弟は、与右衛門曰くのイノシシ女こと松姫にゲンコツを落とされつつも、能島村上海賊頭領の村上武吉の息子で、太郎と源八郎であると就辰たちに名乗った。
「確かに私はあなたたちのかか様の妹ですけれど、叔母さんは禁句と言っているでしょう! 気分的に嫌なのよ! 年寄りみたいで!」
「......まぁ、能島から来たと言うのなら無茶しやがって! と説教しているところだが、余崎城ならすぐそこだしなぁ」
子どもとはいえ、お前ら二人の操船なら楽勝で来れるか──松姫同様、与右衛門はこの小さな二人とも知り合いらしい。
与右衛門は頭を抱えつつ、部下を呼んだ。
「来島の殿が余崎城にいらっしゃるらしいんで連絡を......」
「ちょっと! やめてちょうだい! 家出してきたのに居場所がバレちゃうじゃないの!」
与右衛門を締め上げるように松姫が詰め寄った。
「首を絞めるな首を!」
「だ、大丈夫です? 坊ちゃん......」
一連のやりとりを見つつ、なんだか青い顔で冷や汗をかき始めた宮寿丸に、就辰は周りに聞こえないよう、小声で話しかけた。
意識するなという方が無理かもしれないが──うん、是非もない。気持ちは解る。
「お松。正直な話、今はお前の相手してる場合じゃないんだ。ウチは撃退して何事も無かったが、このあたりは盗賊が出て女子どもには危険だ。木梨は絶対に動かないし、毛利も小早川も当てにならない」
「ん? その言葉、聞き捨てならないな」
突然出てきた毛利と小早川に、思わず宮寿丸が反応した。
突然割って入られた与右衛門は眉を顰める。
毛利はともかく小早川を馬鹿にされたと感じたらしい宮寿丸が勢いで身元を暴露しないよう、口を塞ぎながら慌てて就辰が代弁した。
「すみません連れが無知で申し訳ない。しかし何故、毛利や小早川が当てにならないのでしょう?」
「あぁ、アンタ、毛利の家臣とか言っていたな。下っ端で知らないのか?」
仕方がないなとでも言いたげに、与右衛門は大袈裟にため息を吐く。
宮寿丸にいいところを見せたい! といった感情が少々見え隠れしている点については、さすがの就辰もちょっとだけ腹が立った。我慢したけど。
「この辺は木梨の殿が元々治めていらっしゃるんだが、今尾道はその殿相手に、ちょっとめんどくさいことになっているんだ」
簡単に説明するなら。と与右衛門は続けた。
「浄土寺に新しい鐘を作りたかったんだが、鋳物師の利権のいざこざで木梨の殿と尾道の職人が対立してるんだ。最初は小早川の殿が尾道側に付いていてくれたけれど、木梨の盟友である上原がめんどくさいのか別の理由があるのかは知らんのだが、最近は静観の構えで表立って動いてくれていない」
ナルホド──と、就辰は納得した。
毛利本隊は尼子を攻めたいし、もちろん隆景も参戦する。そんな時にまったく別方向に隆景が敵を作れるワケが無い。
「だから尾道は自力でなんとかしなけりゃならない。盗賊についても解決したいところなんだが、お松、頼むからお前はこれ以上騒動の元にならないでくれ......」
そんな時だった。
「あははー! 余次ってば、面白いことになってるじゃない」
「見つけたぞ。お松」
気の抜けたような能天気な声と、相反する怒りに震える静かな声。
振り返ると入り口に、就辰の見知った顔と見知らぬ顔。
「就勝!」
「やば......兄様!」
就辰とほぼ同時、イノシシ女げふん松姫が、顔面蒼白で叫んだ。