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第04話:南六班の三人目(上)

 朝、廊下の方が少しだけ騒がしかった。

 深緋こきあが目を覚ましたとき、青藍せいらんはもう起きていた。
 鶸ひわはまだ寝ていた。
 
「コキア、起きたか?」
「うん」
「廊下、なんかうるさくてさ」
「うん、それで目さめた」
「奥の部屋、開けてるんじゃないか」

 深緋はベッドから降りて、髪を整えた。部屋着のままで、ドアの方へ少しだけ近づいた。耳を澄ますほどではなかった。たぶん備品を運び入れている音だった。台車の車輪の音と、それから低い大人の声。聞き取れる言葉はなかった。

「ヒワは」
「まだ」
「起こす?」
「もうちょっと」

 深緋は窓から外を眺めた。今日は晴れて、植え込みの青い花は、昨日よりも色がはっきりしていた。
 しばらくして、廊下の音がしなくなった。台車は遠ざかっていった。代わりに、足音が残った。一つは大人で、もう一つは子ども。歩く速さと重さが違った。
 子どもの足音は、南一班の手前で曲がり、奥の方へ向かった。途中で一度止まった。それからまた歩き出した。

「奥の方だな」
「うん」

 青藍はそれだけ言って、洗面所へ向かった。深緋も後について行った。鶸はまだ寝ていた。

  *

 朝食のあと、織部おりべと南棟の廊下ですれ違った。

 南一班は食堂から戻ってきたところだった。鶸はぼんやり寝ぼけていて、食べ損ねたパンを片手に持っていた。歩きながら食べてはいけない決まりだったが、もはや食堂では誰も叱ることを諦めているようだった。
 織部は南棟の奥から戻ってきたようで、南一班に気づくと立ち止まった。

「おはよう。鶸は、なぜ歩きながら食べてるのかな?」
「おなかすいたからー......」
「後で灰桜はいざくらのお話を聞きましょうね」
「えっ......」

 いつもお説教される灰桜の名前を出され、慌ててパンを口に押し込む鶸を見て、織部は笑った。手には書類のファイルがあった。南棟の奥をちらっと振り返って、それからまた南一班の方に向き直った。

「気づいてると思いますが、今日からひとり、南棟に来ています」
「奥の部屋?」
「ええ。南六班です」
「ふうん」

 鶸はパンの残りを飲み込んで、それから「ムラサキのとこ?」と聞いた。織部は少しだけ間を置いてから、「そうですね」とだけ答えた。
 鶸はそれ以上聞かなかった。パンを飲み込んでから、「あー、おいしかった」と言って、廊下の壁に肩を預けた。深緋はその横で、織部の手のファイルを一度だけ見た。表紙には何も書かれていない。

「そんなに心配はしてませんが、時々馴染めてるか見てあげて」
「うん」
「廊下ですれ違った時、くらいでいいですよ」
「わかってるー」

 織部は会釈をして、中央棟の方へ歩いていった。鶸は壁から離れて、また歩き出した。

「セイラン」
「ん」
「部屋もどろ」

 鶸の声は、いつもより少しだけ低かった。部屋に戻るまで、その話はもう出なかった。

  *

 昼前、水差しの水をもらいに行った時のことだった。

 廊下の角を曲がったところで、向こうから歩いてくる子と目が合った。見たことがない子だった。
 深緋より少し背が低く、鶸と同じくらい。髪は黒に近い色で、目元が静かだった。きれいに性別が未分化だった。まだ袖がぶかぶかの部屋着で、片手に水の入った水差しを持っていた。同じように水をもらって来たのだろう。
 鶸が先に立ち止まった。

「あ」

 相手も止まった。

「もしかして南六班の子?」
「うん」
「新しく来たの?」
「うん」
「名前は?」

 深緋が小さく「ヒワ」と制したが、鶸は気にしなかった。相手の子は、少しだけ目を伏せ「キキョウ」と言った。緊張した子どもの声だった。

「キキョウ?」
「うん」
「ボクはヒワ。こっちはコキアで、こっちがセイラン。南一だよ」

 鶸は順番に指差した。桔梗ききょうは律儀に順番に頭を下げたが、最後に青藍のところで、ほんの少しだけ動きが止まった。桔梗は軽く頭を下げた後、顔をぱっと上げた。

「......あの」
「ん?」
「前に」

 桔梗はそこで一度言葉を切った。水差しを持ち直した。

「雨の日に、倉庫で」

 青藍は短く息を吸って、それからゆっくりとよそゆきの笑顔になった。

「ああ」
「覚えて、ますか?」
「覚えてるよ」
「......よかった」

 桔梗はそれだけ言って、また頭を下げた。鶸が「ボクも覚えてるー!」と顔を寄せてきたが、青藍が片手で軽く押し戻した。

「キキョウも、水もらってきた?」
「うん」
「部屋は戻れる?」
「うん」
「迷ったら、誰でもいいから聞けよ」
「うん」

 桔梗は青藍の顔をもう一度だけ見て、それから水の入った水差しを持ち直し、落とさないよう、気をつけて歩いていった。
 角を曲がるところで、一度だけこちらを振り返った。青藍と目が合った。桔梗は小さくおじぎをして、それから見えなくなった。

「一番上の子だな」
「ちょっとおっきくなったよね」
「少しな、あんな経験するとそうなるよな」

 鶸はそれを聞いて、「そっか」とだけ言った。深緋は水差しを持ち直した。空なのに重く感じた。
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ヒュプノスの魔法使いは繭に眠る作者:小川ハリ
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第04話:南六班の三人目(上)

 朝、廊下の方が少しだけ騒がしかった。

 深緋こきあが目を覚ましたとき、青藍せいらんはもう起きていた。
 鶸ひわはまだ寝ていた。
 
「コキア、起きたか?」
「うん」
「廊下、なんかうるさくてさ」
「うん、それで目さめた」
「奥の部屋、開けてるんじゃないか」

 深緋はベッドから降りて、髪を整えた。部屋着のままで、ドアの方へ少しだけ近づいた。耳を澄ますほどではなかった。たぶん備品を運び入れている音だった。台車の車輪の音と、それから低い大人の声。聞き取れる言葉はなかった。

「ヒワは」
「まだ」
「起こす?」
「もうちょっと」

 深緋は窓から外を眺めた。今日は晴れて、植え込みの青い花は、昨日よりも色がはっきりしていた。
 しばらくして、廊下の音がしなくなった。台車は遠ざかっていった。代わりに、足音が残った。一つは大人で、もう一つは子ども。歩く速さと重さが違った。
 子どもの足音は、南一班の手前で曲がり、奥の方へ向かった。途中で一度止まった。それからまた歩き出した。

「奥の方だな」
「うん」

 青藍はそれだけ言って、洗面所へ向かった。深緋も後について行った。鶸はまだ寝ていた。

  *

 朝食のあと、織部おりべと南棟の廊下ですれ違った。

 南一班は食堂から戻ってきたところだった。鶸はぼんやり寝ぼけていて、食べ損ねたパンを片手に持っていた。歩きながら食べてはいけない決まりだったが、もはや食堂では誰も叱ることを諦めているようだった。
 織部は南棟の奥から戻ってきたようで、南一班に気づくと立ち止まった。

「おはよう。鶸は、なぜ歩きながら食べてるのかな?」
「おなかすいたからー......」
「後で灰桜はいざくらのお話を聞きましょうね」
「えっ......」

 いつもお説教される灰桜の名前を出され、慌ててパンを口に押し込む鶸を見て、織部は笑った。手には書類のファイルがあった。南棟の奥をちらっと振り返って、それからまた南一班の方に向き直った。

「気づいてると思いますが、今日からひとり、南棟に来ています」
「奥の部屋?」
「ええ。南六班です」
「ふうん」

 鶸はパンの残りを飲み込んで、それから「ムラサキのとこ?」と聞いた。織部は少しだけ間を置いてから、「そうですね」とだけ答えた。
 鶸はそれ以上聞かなかった。パンを飲み込んでから、「あー、おいしかった」と言って、廊下の壁に肩を預けた。深緋はその横で、織部の手のファイルを一度だけ見た。表紙には何も書かれていない。

「そんなに心配はしてませんが、時々馴染めてるか見てあげて」
「うん」
「廊下ですれ違った時、くらいでいいですよ」
「わかってるー」

 織部は会釈をして、中央棟の方へ歩いていった。鶸は壁から離れて、また歩き出した。

「セイラン」
「ん」
「部屋もどろ」

 鶸の声は、いつもより少しだけ低かった。部屋に戻るまで、その話はもう出なかった。

  *

 昼前、水差しの水をもらいに行った時のことだった。

 廊下の角を曲がったところで、向こうから歩いてくる子と目が合った。見たことがない子だった。
 深緋より少し背が低く、鶸と同じくらい。髪は黒に近い色で、目元が静かだった。きれいに性別が未分化だった。まだ袖がぶかぶかの部屋着で、片手に水の入った水差しを持っていた。同じように水をもらって来たのだろう。
 鶸が先に立ち止まった。

「あ」

 相手も止まった。

「もしかして南六班の子?」
「うん」
「新しく来たの?」
「うん」
「名前は?」

 深緋が小さく「ヒワ」と制したが、鶸は気にしなかった。相手の子は、少しだけ目を伏せ「キキョウ」と言った。緊張した子どもの声だった。

「キキョウ?」
「うん」
「ボクはヒワ。こっちはコキアで、こっちがセイラン。南一だよ」

 鶸は順番に指差した。桔梗ききょうは律儀に順番に頭を下げたが、最後に青藍のところで、ほんの少しだけ動きが止まった。桔梗は軽く頭を下げた後、顔をぱっと上げた。

「......あの」
「ん?」
「前に」

 桔梗はそこで一度言葉を切った。水差しを持ち直した。

「雨の日に、倉庫で」

 青藍は短く息を吸って、それからゆっくりとよそゆきの笑顔になった。

「ああ」
「覚えて、ますか?」
「覚えてるよ」
「......よかった」

 桔梗はそれだけ言って、また頭を下げた。鶸が「ボクも覚えてるー!」と顔を寄せてきたが、青藍が片手で軽く押し戻した。

「キキョウも、水もらってきた?」
「うん」
「部屋は戻れる?」
「うん」
「迷ったら、誰でもいいから聞けよ」
「うん」

 桔梗は青藍の顔をもう一度だけ見て、それから水の入った水差しを持ち直し、落とさないよう、気をつけて歩いていった。
 角を曲がるところで、一度だけこちらを振り返った。青藍と目が合った。桔梗は小さくおじぎをして、それから見えなくなった。

「一番上の子だな」
「ちょっとおっきくなったよね」
「少しな、あんな経験するとそうなるよな」

 鶸はそれを聞いて、「そっか」とだけ言った。深緋は水差しを持ち直した。空なのに重く感じた。
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