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ブレゼされる境界

 床や棚に埃が残っていないかを確かめ、同じ場所を何度も拭き上げる。キッチンには使い慣れた道具を一つずつ並べ、位置と間隔を揃えながら整えていく。食材は流水で丁寧に洗い、手のひらでなぞるたびに、目に見えないものが剥がれ落ちていくのを確かめる。

 それでも、触れようのない空気の層が降り積もってくるように感じられ、拭き終えたはずの場所へと手が戻る。同じ動作を、順序を変えずに繰り返す。

 加奈子が来る前のこの一連の反復は、彼女が安心して存在できる状態へと空間を捧げるための、静謐で清らかな儀式のようだった。

 加奈子は指先でグラスに軽く触れると、わずかに顔の角度を変えながら、確認を繰り返し、わずかに手を止めて次の動作に移る。安心できる空間だと分かれば、触れることも許される──彼女の潔癖症は、そんな微かな予測可能性に従い、少しずつ緩んでいっていた。

 オリーブオイルににんにくを落とし、弱火でゆっくりと香りを引き出す。焦げる手前で大豆ミートのミンチを加え、水分を飛ばすように炒めた。続いて刻んだ玉ねぎを入れ、透明になるまで火を通す。

 白ワインを注ぐと、立ち上る酸の匂いが一瞬だけ空気を緩める。アルコールが抜けたところで細かく刻んだトマトを加え、ローリエとローズマリーを落とした。さらに、味噌と濃口醤油をわずかに加え、輪郭だけを整える。

 煮詰めていくにつれ、水分は静かに失われ、代わりに濃度と香りが凝縮していく。仕上げに黒胡椒を強めに挽くと、サルシッチャを思わせる、わずかに野性味を帯びた匂いが立ち上った。

 かぼちゃのニョッキにソースを絡めると、加奈子がフライパンの中を覗き込むように、すぐそばへ寄り添ってきた。その距離の近さに、わずかな体温が伝わる。

 最初は、ただ同じ空間で食事をするだけだった加奈子は、少しずつ許容する範囲が広がり、やがて映画を並んで観ることも許されるようになった。知り合って一年半が過ぎる頃には、加奈子は時折、家に泊まるようになっていた。

 触れること、同じ空間で過ごすこと。その一つ一つに安全が積み重なることで、彼女の心理的な抵抗は、ほんのわずかずつ、しかし確実に溶けていった。


「屠殺は、淡々と進む、無表情の工程なの」
 加奈子はヴィーガンなのに、食肉加工の仕事をしている。その矛盾を抱えながらも、時折寝る前になると、仕事のことを詳しく話してくれた。

「まず、ボルトガンで頭を打って気絶させるの。脳が一瞬止まるから、苦痛は最小限に抑えられるのよ。その後、頸動脈を切って血を抜く。これを放血ほうけつと言うわ。心臓が動いているうちに行うから、豚だとおおよそ数分で血が抜けるの」
 彼女は手元をほんのわずかに動かすだけで、話す声には抑揚がなくとも、瞳が光り、唇が微かに動くたびに艶やかさが増した。

「気絶処理は建前としては苦痛を減らすためだけど、実際には肉質にも影響するの。だから、結局は人のためなのよね。美味しい肉を届けるための」
 その言葉を紡ぐたび、加奈子の体が少し高揚するのがわかる。目の奥が光り、微かな笑みが浮かび、説明を聞くこちらの胸まで、静かに熱を帯びていく。まるで彼女の内側で生まれた感情が、そのまま私の中へ流れ込んでくるようだった。

 言葉の後、彼女は体をほんの少し擦り寄せる。

「生きているのに、生きていないみたい。でも心臓が動いているから早く血が抜けるのだから、生きているのよね」
 私は指を絡ませ、加奈子のしっとりした手のひらが吸い付く感覚に身を任せる。

 加奈子と付き合うようになってから、精肉や鮮魚のコーナーには足を運ばなくなった。加奈子が来ない日でも、私はヴィーガン食を摂り続けた。その食事を続けることで、まるで彼女とつながっているかのような感覚があり、心が静かに落ち着いていく。

 私はインスタグラムに投稿を重ね、他のヴィーガンの人のページも覗いてみる。

 画面に並ぶのは、鮮やかなサラダボウルや整然と盛られた雑穀プレート。赤や黄、緑の野菜は光に映えて輝き、ナッツやハーブが美しく散らされている。透明なグラスにはスムージーが層になり、見るからに冷たく瑞々しい。

 整然とした写真には「#ヴィーガン」「#healthy」といったハッシュタグや、工夫の説明も添えられている。理屈上の満足感はあるものの、指先で触れる感触や口に運んだときの温度や香りまでは伝わってこない。

 良いレシピがあれば、アレンジして......加奈子が喜ぶかもしれない――そんな想像を膨らませていたが、どの写真も加奈子と目の前で食卓を囲む幸福や、肌や息遣いを伴う満たされる感覚には到底及ばない。

 画面の中の反応は色鮮やかでも、冷たく、どこか現実感を欠いていた。

 その欠落を意識した瞬間、私の思考は、食材が辿ってきた現実の過程へと引き戻される。

 スーパーの生肉コーナーに並ぶものは、消費を前提として外部により給餌と運動を統制されていた個体の、処理後の残存である。

 加奈子の手によって頸動脈を切られ、放血され、枝肉へと加工される。血液は家畜飼料や肥料、骨や内臓はペットフードやゼラチン、皮は革製品や化粧品の原料として再び利用される。脂は石鹸や工業用に回されることもあるようだ。

 加奈子が奪った命の一部は、こうして食肉以外の形で生き続け、私の周りに静かに広がって侵食している。その循環を知るたび、加奈子の行為が生み出す命の存在感に、胸の奥からじんわりとした喜びが広がり、知らず知らずのうちに、加奈子は私の世界を静かに形作っていた。

 まるで加奈子という大きな海の中に身を委ね、そこに漂うすべての命や感覚に包まれているような

 ――そんな感覚だった。
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あゝ、美味しい作者:髙山あきら
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 床や棚に埃が残っていないかを確かめ、同じ場所を何度も拭き上げる。キッチンには使い慣れた道具を一つずつ並べ、位置と間隔を揃えながら整えていく。食材は流水で丁寧に洗い、手のひらでなぞるたびに、目に見えないものが剥がれ落ちていくのを確かめる。

 それでも、触れようのない空気の層が降り積もってくるように感じられ、拭き終えたはずの場所へと手が戻る。同じ動作を、順序を変えずに繰り返す。

 加奈子が来る前のこの一連の反復は、彼女が安心して存在できる状態へと空間を捧げるための、静謐で清らかな儀式のようだった。

 加奈子は指先でグラスに軽く触れると、わずかに顔の角度を変えながら、確認を繰り返し、わずかに手を止めて次の動作に移る。安心できる空間だと分かれば、触れることも許される──彼女の潔癖症は、そんな微かな予測可能性に従い、少しずつ緩んでいっていた。

 オリーブオイルににんにくを落とし、弱火でゆっくりと香りを引き出す。焦げる手前で大豆ミートのミンチを加え、水分を飛ばすように炒めた。続いて刻んだ玉ねぎを入れ、透明になるまで火を通す。

 白ワインを注ぐと、立ち上る酸の匂いが一瞬だけ空気を緩める。アルコールが抜けたところで細かく刻んだトマトを加え、ローリエとローズマリーを落とした。さらに、味噌と濃口醤油をわずかに加え、輪郭だけを整える。

 煮詰めていくにつれ、水分は静かに失われ、代わりに濃度と香りが凝縮していく。仕上げに黒胡椒を強めに挽くと、サルシッチャを思わせる、わずかに野性味を帯びた匂いが立ち上った。

 かぼちゃのニョッキにソースを絡めると、加奈子がフライパンの中を覗き込むように、すぐそばへ寄り添ってきた。その距離の近さに、わずかな体温が伝わる。

 最初は、ただ同じ空間で食事をするだけだった加奈子は、少しずつ許容する範囲が広がり、やがて映画を並んで観ることも許されるようになった。知り合って一年半が過ぎる頃には、加奈子は時折、家に泊まるようになっていた。

 触れること、同じ空間で過ごすこと。その一つ一つに安全が積み重なることで、彼女の心理的な抵抗は、ほんのわずかずつ、しかし確実に溶けていった。


「屠殺は、淡々と進む、無表情の工程なの」
 加奈子はヴィーガンなのに、食肉加工の仕事をしている。その矛盾を抱えながらも、時折寝る前になると、仕事のことを詳しく話してくれた。

「まず、ボルトガンで頭を打って気絶させるの。脳が一瞬止まるから、苦痛は最小限に抑えられるのよ。その後、頸動脈を切って血を抜く。これを放血ほうけつと言うわ。心臓が動いているうちに行うから、豚だとおおよそ数分で血が抜けるの」
 彼女は手元をほんのわずかに動かすだけで、話す声には抑揚がなくとも、瞳が光り、唇が微かに動くたびに艶やかさが増した。

「気絶処理は建前としては苦痛を減らすためだけど、実際には肉質にも影響するの。だから、結局は人のためなのよね。美味しい肉を届けるための」
 その言葉を紡ぐたび、加奈子の体が少し高揚するのがわかる。目の奥が光り、微かな笑みが浮かび、説明を聞くこちらの胸まで、静かに熱を帯びていく。まるで彼女の内側で生まれた感情が、そのまま私の中へ流れ込んでくるようだった。

 言葉の後、彼女は体をほんの少し擦り寄せる。

「生きているのに、生きていないみたい。でも心臓が動いているから早く血が抜けるのだから、生きているのよね」
 私は指を絡ませ、加奈子のしっとりした手のひらが吸い付く感覚に身を任せる。

 加奈子と付き合うようになってから、精肉や鮮魚のコーナーには足を運ばなくなった。加奈子が来ない日でも、私はヴィーガン食を摂り続けた。その食事を続けることで、まるで彼女とつながっているかのような感覚があり、心が静かに落ち着いていく。

 私はインスタグラムに投稿を重ね、他のヴィーガンの人のページも覗いてみる。

 画面に並ぶのは、鮮やかなサラダボウルや整然と盛られた雑穀プレート。赤や黄、緑の野菜は光に映えて輝き、ナッツやハーブが美しく散らされている。透明なグラスにはスムージーが層になり、見るからに冷たく瑞々しい。

 整然とした写真には「#ヴィーガン」「#healthy」といったハッシュタグや、工夫の説明も添えられている。理屈上の満足感はあるものの、指先で触れる感触や口に運んだときの温度や香りまでは伝わってこない。

 良いレシピがあれば、アレンジして......加奈子が喜ぶかもしれない――そんな想像を膨らませていたが、どの写真も加奈子と目の前で食卓を囲む幸福や、肌や息遣いを伴う満たされる感覚には到底及ばない。

 画面の中の反応は色鮮やかでも、冷たく、どこか現実感を欠いていた。

 その欠落を意識した瞬間、私の思考は、食材が辿ってきた現実の過程へと引き戻される。

 スーパーの生肉コーナーに並ぶものは、消費を前提として外部により給餌と運動を統制されていた個体の、処理後の残存である。

 加奈子の手によって頸動脈を切られ、放血され、枝肉へと加工される。血液は家畜飼料や肥料、骨や内臓はペットフードやゼラチン、皮は革製品や化粧品の原料として再び利用される。脂は石鹸や工業用に回されることもあるようだ。

 加奈子が奪った命の一部は、こうして食肉以外の形で生き続け、私の周りに静かに広がって侵食している。その循環を知るたび、加奈子の行為が生み出す命の存在感に、胸の奥からじんわりとした喜びが広がり、知らず知らずのうちに、加奈子は私の世界を静かに形作っていた。

 まるで加奈子という大きな海の中に身を委ね、そこに漂うすべての命や感覚に包まれているような

 ――そんな感覚だった。
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あゝ、美味しい作者:髙山あきら
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