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第八十二話 学院襲撃


【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 0:16 水晶湖クリスタル・レイク 】

 学院校舎の向こう側で、光が弾けた。

 最初は、何が起きたのか分からなかった。屋根の向こう、こちらからは見えない建物の反対側が、白く照らされた。黒い屋根の線、星見塔の縁が一瞬だけ浮かび上がり、学院の形が夜空に切り抜かれたみたいに見えた。

 一瞬だけ遅れて、重なるように大きな音が来た。

 鼓膜よりも先に、お腹の奥底を叩かれるような重たい音だった。

 水面が震えた。小舟が小さく傾き、星を映していた湖面がばらばらに崩れる。わたしは息を呑んで、舟縁ふなべりを掴んだ。

「ミコト、伏せろ」

 ヴァンの声が鋭くなって、肩を抱き寄せられた。わたしは反射的に身を低くした。その直後、今度はこちら側で光が爆ぜた。

 寄宿舎の裏門がある方だった。

 赤黒い火花が散り、がらがら、と何かが崩れる音がした。消灯していた寄宿舎の窓に、次々と灯りが入って行く。叫び声も聞こえた気がした。

 最初の爆発だけなら、まだ事故か何かだと思えたかもしれない。でも、二度目だった。しかも、場所が違う。

 学院の正面玄関と、寄宿舎の裏門。どちら側の入口も潰された。逃げ道になる場所が、順番に壊されていく。とても嫌な予感がした。

 ヴァンが学院の方を睨んだ。

「攻撃されてる」

 これは事故ではない。誰かが、学院を襲っているのだ。

「戻る」

「は、はい......」

 返事をしたつもりだった。けれど、自分の声がちゃんと出ていたか分からなかった。たぶん、わたしの声は震えていた。

 幸せだったのに。

 安らぎだったのに。

 ヴァンが櫂を握り直す。小舟の向きが変わった。さっきまで、ゆっくり星の中を漂っていた舟が、今は夜の水面を流れ星が突っ切るように進み始める。

 櫂が水を掴むたび、暗い湖面が裂ける。その冷たい水の匂いに、煙の匂いが混じり始めた。焦げた木か、焼けた布か、石に染みた火薬と、油を混ぜたような、鼻の奥に引っかかる匂い。炎の光がずっと消えていない。黒い煙がどんどん増える。

 あそこには、みんながいる。誰か怪我をしたのだろうか。誰か泣いているだろうか。不安がどんどん膨らんでいく。

 一体なにが、どうして?

 戦争が、ここまでやって来た?

 それとも、わたしが異世界から来たことを話してしまったから、それで何か悪い人達がやって来た?

 だとしたら、わたしのせい?

 岸が近づく。

 ヴァンは舟を乱暴には寄せなかった。こんな時でも、岸の石にぶつけないよう角度を見て、最後だけ櫂を横に使って勢いを殺した。その慎重な動きを見て分かった。音を出せば、敵に見付かるかもしれないんだ。

 先に降りたヴァンが、手を伸ばしてくれる。わたしはその手を取った。

 桟橋。足元の板は冷たく、夜露で少し濡れていた。靴底が滑りそうになり、ヴァンの手に力が入る。引き上げられるようにして岸へ上がった瞬間、湖の上で感じていた幸福が、遠いものになった。

「ミコト、静かに」

 その時、ヴァンがわたしを連れて湖に飛び込んだ。

 ⁉

 一瞬、何が何だか分からなかったけれど、水中でヴァンに抱きしめられたのは分かった。

「ぷはっ」

 水面から顔を出すと、そこは桟橋の真下、陰になっている場所だった。

 ヴァンは、わたしの口を抑えて、桟橋の支柱に背を預けて、じっとしていた。

 しばらくすると、誰かの足音が聞こえて来た。校舎の裏庭から、坂道の階段を降りて来るようだった。その後、段々とこっちへ近付いて来る気がした。ヴァンは、ぴくりとも動かなかった。

 足音は、桟橋の上までやって来て、踏板を鳴らした。星明りの漏れ落ちる板の隙間から、砂埃がパラパラと落ちてきた。頭の上に掛かったけれど、わたしは、きゅっと目を閉じて、ヴァンの腕にしがみ付いていた。

『そっちはどうだ?』

「ボス、舟がありました」

『燃やしておけ』

「了解」

 低い男の声だった。魔導具か呪文を使って、どこか別の所にいる誰かと話しているようだった。

 しばらくすると、さっきまで乗っていたボートの上で、何か硝子の割れる音がして、液体のこぼれる音がした。その後、炎が見えた。近い。熱い。わたし達のすぐそばで、ボートが燃えている。

 その男の靴先が見えた。桟橋から足でボートを蹴って、沖へと追いやっている。正門、裏門、舟、この人達は、学院にいる者達を逃がさないつもりなんだ。

 しばらくすると、足音は遠ざかって行った。

 ボートは燃え尽きる前に、舟としての形を失って、湖の底へと沈んで行った。

 わたしとヴァンの思い出が、取り上げられたような気がした。

「ミコト。今日、学院に残っている先生、誰がいたか覚えてる?」
 
 さすがに、先生のことまで全部は覚えていない。それでも。

「つばめ先生は、今日は家に帰りました。宿直は、ジークハルト先生です」

「ゴーンズさんと、キャサリンは残ってる」

「そうですね。今日の夕ご飯、ロールキャベツでしたから」

「もう昨日だ」

 いつの間にか、真夜中を過ぎて、日付が変わっていたらしい。

「アルフォンス先生は見てない?」

「うん。見てない」

 こんな時、アルフォンス先生がいてくれたら、あの力で何でも解決してくれそうなのに......。

「さっきの男、武器を持ってた」

 わたしが怖くて目をつむっている間に、ヴァンは見るところを見ている。こんな非常時なのに、ヴァンがいつものヴァンだったから、学院が爆発しても、すごく心強い。 

「飛び道具と、殴るやつ。たぶん、小さな十字弩クロスボウと、戦棍メイス」

 クロスボウって、銃みたいになっている弓だったかな? わたしは武器のことはよく分からないけれど、そんなモノを持つ危ない人達だってことは分かった。

「こっちも武器がいる。秘密基地にいこう」

「秘密基地。あそこに何か置いてありましたっけ?」

「武器はない。でも武器になる何かはある。あと、色々なにか作れそう」

 ヴァンなら、板切れ一枚でも戦いそうだけど......、それなら寄宿舎に戻って部屋にある自分の短剣ダガーを持って来た方が良いんじゃないかと思った。

「寄宿舎には行かない?」
 
「分からない。でも今は行かない。もう占拠されてる」

 占拠。

 敵に、わたし達の暮らす場所が乗っ取られた。今夜はもう温かいベッドで眠ることは、諦めないといけないのかも知れない。

 ヴァンは、わたしの手を引いて水から上がった。慎重に、音を立てないように服の水を絞っていた。わたしも真似をして服をしぼった。少し服が濡れて透けちゃっている気がして、恥ずかしい。

 でも、今はそれどころじゃない。

「くしゅっ」

 身体が冷える。このままでは風邪を引いちゃうかも知れない。

「ごめんね。ちょっと我慢して」

「うん、平気」

 わたしとヴァンは、濡れネズミで階段を上がった。

「こっち」

 ヴァンは迷わずわたしを右の道へ連れて行く。そっちは学院から出る方向で、裏門の他に、小さな通用門がある。でも、そこも既に壊されて燃えていた。

「やっぱり」

 それでもヴァンは止まらなかった。わたしを門の傍まで連れて行く。周りには誰もいない。あの人達は、門を使えなくするだけして、どこかへ行ってしまったようだ。

「ミコト、あの火で温まって」

「ヴァンは?」

「様子を見て来る。もし誰か来たら、そっちの茂みに隠れて、坂の下」

 こういう時、ヴァンの言う通りに従った方がいい。今までもそうだった。でも、ヴァンは自分を犠牲にして、無理しちゃう所がある。

「待って、服を少し乾かしてから、一緒に行こう」

 ヴァンが思案している。何か言う前に、わたしが提案する。

「水が垂れたら、跡が残るし、音でバレるかもしれない」

「服は脱ぐつもりだったけど、わかった」

「だめです。そんな無茶」

「そうだな」

 ヴァンは直ぐに上着を脱ぐと、崩れた門の近く、散らばった大きな瓦礫の上に広げて置いた。わたしも真似をする。シャツも脱ぎたかったし、下着も乾かしたかったけれど、今は靴と靴下だけ乾かすことにした。

「さっきのやつが、多分ここを燃やした」

 やって来たタイミングとかを考えると、わたしもそうだと思った。

「それから、桟橋を見て、校舎の方へ戻って行った」

 そこまでは見えていないはずなのに、たぶん足音の遠ざかる方向で分かったんだと思う。ヴァンは、相変わらず頼もしい。

「みんな、無事かな」

「多分、殺されない。狙いは、身代金か、マギ達かもしれない」

 わたしを狙って来たわけじゃない。それなら少しほっとするけれど、マナさんとマギさんが心配になる。そういえば、学芸会の時のイネヴェアさんの事故も、本当はマギさんを狙ったんじゃないかという噂もあった。皇族は何かと大変だ。

 ううん、大変なんてものじゃない。特に今回もそれが理由なら、学院の全員が巻き込まれてしまった形だ。あの二人が、どんな気持ちになるかと思うと、少し辛い。

「ミコト。今なら、おれ達だけでも泳いで逃げることができる」

 ......え?

「この燃えている門を何とかするか、壁を乗り越えて外に出てもいい」

 違う。これはヴァンの意志じゃない。可能性を言ってる。選択肢を、わたしに与えてくれてるんだ。やっぱり、こういう所が好き。

「わたしも手伝う」

「ミコト......」

 ヴァンは少し驚いたような顔をしている。でも、ヴァンが考えることなら、少しずつ分かってきた。

「ハリエットも、オーレリアもまだ残ってるんだし、放っておけない」

「分かった。でも、危ないと思ったら、逃げて」

「うん」


【 同日 0:25 寄宿舎 カフェ 】

「こんな暴挙が許されると思いまして?」

 イネヴェア・リンドホルムは、寝間着姿でも堂々としていた。

 こんな真夜中に爆発音があって、知らない大勢の大人達──それも仮面をつけて武器を持った──に囲まれていても、学院一の淑女を自称するだけあって、彼女は毅然としていた。

 寄宿舎一階のカフェには、百名近い学生が集まっていた。今も一階からは男子生徒が、二階からは女子生徒が、武装集団に脅されて、この場所に集められている。

「なんだこの女、少し黙らせろ」

「エインさん、この方達は一体何ですの?」

 私に聞かれても困る。けれど、非常事態である事は間違いない。クリスとアディは、抱き合って震えているし、男子達も本物の武器を向けられて、みんな縮み上がっている。

 ......いや、一人。

 いいえ、二人。おバカさんがいた。

「イネヴェア、待って。...ちょっと、ローティ、ウォール、あんた達、下がった方がいいよ」

「いいや、イネヴェアの言う通りだ。なんだおまえら、出て行け!」

 ローティ・ネモニクト。状況が分かっているのか、いないのか...、明らかに危険な大人だって見て分からないのかな。武器を持っている。下手すれば殺される。

「ローティ、歯向かわない方がいいよ」

 ウォルター・ヒギンズ。頼りないけれど、こっちの方が遥かに状況が分かってる。それに、誰も一歩も動けないし、一言も喋れない中で、それでもローティを止めようと必死だ。意外と見所あるじゃない。

「いいえ、違います。ウォルターさん、この様な不埒な輩共、神聖なる七聖の学び舎に土足で踏み入って、ただじゃ置きませんことよ」

「へえ、ただじゃ置かないっていうなら、どうしてくれるんだ?」

 仮面の男達。その内の一人が、矢ボルトを番えた携帯式弩ハンド・クロスボウをイネヴェアへ向ける。あの武器なら、装填はともかく、左手だけで保持して射うつことができる。危ない。本当に危ない。

「そんな脅しに、屈すると思いまして?」

 だめ、イネヴェア。魔力盾マギー・シルトで防ぐつもりだろうけれど、敵は大勢いるし、流れ矢が他の生徒に当たるかも知れない。......でも、これは相当に怒ってる。乙女の睡眠を邪魔されたから特に......、

「ならば試してみるか?」

 その男は、躊躇いなく矢ボルトを放った。殺意ではない。単に虫を殺すみたいに、わざわざ強い気持ち、殺意をこめなくても、引鉄に置いた指を引けてしまう。これは悪意。もしくは、善意が欠如している。

「小賢しいわね」

 イネヴェアが予想通り、高速展開した魔力盾マギー・シルトで矢を弾いた。弾かれた矢は、ウォールの足元を掠めて床に落ちた。

 当たりそうになったウォールが、腰が抜けたみたいにビビっているけれど、大丈夫。イネヴェアも、ちゃんと考えて弾いてるから、多分......。

「へっ、見たか、俺達のイネヴェアはすごいんだぞ!」

 そこ、なんで自分の事みたいに自慢?

「そこまでにしろ。みんな、無駄な抵抗はやめるんだ」

 この声は、三年のミシェル先輩。マリアンナ先輩と付き合いだしてから、やたら張り切り出した生徒会長。そうよね、こういう時は先輩とか先生達の出番でしょ。

「そうだよ。ローティ、イネヴェアさんも......」

「いいえ、こんな悪行、見逃すわけには......」

「そうかよっ!」

 その男が、右手で握った戦棍メイスでイネヴェアを殴ろうとした。

「そんなもの」

 再びイネヴェアの魔力盾マギー・シルトが止めた。けれど、男は左手の携帯式弩ハンド・クロスボウ、その柄で殴った。これは間に合わない。

 衝撃音。

「痛ぇなコラ」

 ローティ。

「ははっ! こいつ、飛び出して来やがった!」

「ローティ⁉ あなた、わたくしの為に、なんて馬鹿な真似を......」

 その額から血が流れている。ローティ・ネモニクト、ありがとう。私の友達を庇ってくれて。

「馬鹿な真似? 違うね。これは騎士の真似だ」

「こいつ!」

 その男は、今度は標的をローティに変えて殴り掛かろうとした、その瞬間。

「うっ!?」
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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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第八十二話 学院襲撃


【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 0:16 水晶湖クリスタル・レイク 】

 学院校舎の向こう側で、光が弾けた。

 最初は、何が起きたのか分からなかった。屋根の向こう、こちらからは見えない建物の反対側が、白く照らされた。黒い屋根の線、星見塔の縁が一瞬だけ浮かび上がり、学院の形が夜空に切り抜かれたみたいに見えた。

 一瞬だけ遅れて、重なるように大きな音が来た。

 鼓膜よりも先に、お腹の奥底を叩かれるような重たい音だった。

 水面が震えた。小舟が小さく傾き、星を映していた湖面がばらばらに崩れる。わたしは息を呑んで、舟縁ふなべりを掴んだ。

「ミコト、伏せろ」

 ヴァンの声が鋭くなって、肩を抱き寄せられた。わたしは反射的に身を低くした。その直後、今度はこちら側で光が爆ぜた。

 寄宿舎の裏門がある方だった。

 赤黒い火花が散り、がらがら、と何かが崩れる音がした。消灯していた寄宿舎の窓に、次々と灯りが入って行く。叫び声も聞こえた気がした。

 最初の爆発だけなら、まだ事故か何かだと思えたかもしれない。でも、二度目だった。しかも、場所が違う。

 学院の正面玄関と、寄宿舎の裏門。どちら側の入口も潰された。逃げ道になる場所が、順番に壊されていく。とても嫌な予感がした。

 ヴァンが学院の方を睨んだ。

「攻撃されてる」

 これは事故ではない。誰かが、学院を襲っているのだ。

「戻る」

「は、はい......」

 返事をしたつもりだった。けれど、自分の声がちゃんと出ていたか分からなかった。たぶん、わたしの声は震えていた。

 幸せだったのに。

 安らぎだったのに。

 ヴァンが櫂を握り直す。小舟の向きが変わった。さっきまで、ゆっくり星の中を漂っていた舟が、今は夜の水面を流れ星が突っ切るように進み始める。

 櫂が水を掴むたび、暗い湖面が裂ける。その冷たい水の匂いに、煙の匂いが混じり始めた。焦げた木か、焼けた布か、石に染みた火薬と、油を混ぜたような、鼻の奥に引っかかる匂い。炎の光がずっと消えていない。黒い煙がどんどん増える。

 あそこには、みんながいる。誰か怪我をしたのだろうか。誰か泣いているだろうか。不安がどんどん膨らんでいく。

 一体なにが、どうして?

 戦争が、ここまでやって来た?

 それとも、わたしが異世界から来たことを話してしまったから、それで何か悪い人達がやって来た?

 だとしたら、わたしのせい?

 岸が近づく。

 ヴァンは舟を乱暴には寄せなかった。こんな時でも、岸の石にぶつけないよう角度を見て、最後だけ櫂を横に使って勢いを殺した。その慎重な動きを見て分かった。音を出せば、敵に見付かるかもしれないんだ。

 先に降りたヴァンが、手を伸ばしてくれる。わたしはその手を取った。

 桟橋。足元の板は冷たく、夜露で少し濡れていた。靴底が滑りそうになり、ヴァンの手に力が入る。引き上げられるようにして岸へ上がった瞬間、湖の上で感じていた幸福が、遠いものになった。

「ミコト、静かに」

 その時、ヴァンがわたしを連れて湖に飛び込んだ。

 ⁉

 一瞬、何が何だか分からなかったけれど、水中でヴァンに抱きしめられたのは分かった。

「ぷはっ」

 水面から顔を出すと、そこは桟橋の真下、陰になっている場所だった。

 ヴァンは、わたしの口を抑えて、桟橋の支柱に背を預けて、じっとしていた。

 しばらくすると、誰かの足音が聞こえて来た。校舎の裏庭から、坂道の階段を降りて来るようだった。その後、段々とこっちへ近付いて来る気がした。ヴァンは、ぴくりとも動かなかった。

 足音は、桟橋の上までやって来て、踏板を鳴らした。星明りの漏れ落ちる板の隙間から、砂埃がパラパラと落ちてきた。頭の上に掛かったけれど、わたしは、きゅっと目を閉じて、ヴァンの腕にしがみ付いていた。

『そっちはどうだ?』

「ボス、舟がありました」

『燃やしておけ』

「了解」

 低い男の声だった。魔導具か呪文を使って、どこか別の所にいる誰かと話しているようだった。

 しばらくすると、さっきまで乗っていたボートの上で、何か硝子の割れる音がして、液体のこぼれる音がした。その後、炎が見えた。近い。熱い。わたし達のすぐそばで、ボートが燃えている。

 その男の靴先が見えた。桟橋から足でボートを蹴って、沖へと追いやっている。正門、裏門、舟、この人達は、学院にいる者達を逃がさないつもりなんだ。

 しばらくすると、足音は遠ざかって行った。

 ボートは燃え尽きる前に、舟としての形を失って、湖の底へと沈んで行った。

 わたしとヴァンの思い出が、取り上げられたような気がした。

「ミコト。今日、学院に残っている先生、誰がいたか覚えてる?」
 
 さすがに、先生のことまで全部は覚えていない。それでも。

「つばめ先生は、今日は家に帰りました。宿直は、ジークハルト先生です」

「ゴーンズさんと、キャサリンは残ってる」

「そうですね。今日の夕ご飯、ロールキャベツでしたから」

「もう昨日だ」

 いつの間にか、真夜中を過ぎて、日付が変わっていたらしい。

「アルフォンス先生は見てない?」

「うん。見てない」

 こんな時、アルフォンス先生がいてくれたら、あの力で何でも解決してくれそうなのに......。

「さっきの男、武器を持ってた」

 わたしが怖くて目をつむっている間に、ヴァンは見るところを見ている。こんな非常時なのに、ヴァンがいつものヴァンだったから、学院が爆発しても、すごく心強い。 

「飛び道具と、殴るやつ。たぶん、小さな十字弩クロスボウと、戦棍メイス」

 クロスボウって、銃みたいになっている弓だったかな? わたしは武器のことはよく分からないけれど、そんなモノを持つ危ない人達だってことは分かった。

「こっちも武器がいる。秘密基地にいこう」

「秘密基地。あそこに何か置いてありましたっけ?」

「武器はない。でも武器になる何かはある。あと、色々なにか作れそう」

 ヴァンなら、板切れ一枚でも戦いそうだけど......、それなら寄宿舎に戻って部屋にある自分の短剣ダガーを持って来た方が良いんじゃないかと思った。

「寄宿舎には行かない?」
 
「分からない。でも今は行かない。もう占拠されてる」

 占拠。

 敵に、わたし達の暮らす場所が乗っ取られた。今夜はもう温かいベッドで眠ることは、諦めないといけないのかも知れない。

 ヴァンは、わたしの手を引いて水から上がった。慎重に、音を立てないように服の水を絞っていた。わたしも真似をして服をしぼった。少し服が濡れて透けちゃっている気がして、恥ずかしい。

 でも、今はそれどころじゃない。

「くしゅっ」

 身体が冷える。このままでは風邪を引いちゃうかも知れない。

「ごめんね。ちょっと我慢して」

「うん、平気」

 わたしとヴァンは、濡れネズミで階段を上がった。

「こっち」

 ヴァンは迷わずわたしを右の道へ連れて行く。そっちは学院から出る方向で、裏門の他に、小さな通用門がある。でも、そこも既に壊されて燃えていた。

「やっぱり」

 それでもヴァンは止まらなかった。わたしを門の傍まで連れて行く。周りには誰もいない。あの人達は、門を使えなくするだけして、どこかへ行ってしまったようだ。

「ミコト、あの火で温まって」

「ヴァンは?」

「様子を見て来る。もし誰か来たら、そっちの茂みに隠れて、坂の下」

 こういう時、ヴァンの言う通りに従った方がいい。今までもそうだった。でも、ヴァンは自分を犠牲にして、無理しちゃう所がある。

「待って、服を少し乾かしてから、一緒に行こう」

 ヴァンが思案している。何か言う前に、わたしが提案する。

「水が垂れたら、跡が残るし、音でバレるかもしれない」

「服は脱ぐつもりだったけど、わかった」

「だめです。そんな無茶」

「そうだな」

 ヴァンは直ぐに上着を脱ぐと、崩れた門の近く、散らばった大きな瓦礫の上に広げて置いた。わたしも真似をする。シャツも脱ぎたかったし、下着も乾かしたかったけれど、今は靴と靴下だけ乾かすことにした。

「さっきのやつが、多分ここを燃やした」

 やって来たタイミングとかを考えると、わたしもそうだと思った。

「それから、桟橋を見て、校舎の方へ戻って行った」

 そこまでは見えていないはずなのに、たぶん足音の遠ざかる方向で分かったんだと思う。ヴァンは、相変わらず頼もしい。

「みんな、無事かな」

「多分、殺されない。狙いは、身代金か、マギ達かもしれない」

 わたしを狙って来たわけじゃない。それなら少しほっとするけれど、マナさんとマギさんが心配になる。そういえば、学芸会の時のイネヴェアさんの事故も、本当はマギさんを狙ったんじゃないかという噂もあった。皇族は何かと大変だ。

 ううん、大変なんてものじゃない。特に今回もそれが理由なら、学院の全員が巻き込まれてしまった形だ。あの二人が、どんな気持ちになるかと思うと、少し辛い。

「ミコト。今なら、おれ達だけでも泳いで逃げることができる」

 ......え?

「この燃えている門を何とかするか、壁を乗り越えて外に出てもいい」

 違う。これはヴァンの意志じゃない。可能性を言ってる。選択肢を、わたしに与えてくれてるんだ。やっぱり、こういう所が好き。

「わたしも手伝う」

「ミコト......」

 ヴァンは少し驚いたような顔をしている。でも、ヴァンが考えることなら、少しずつ分かってきた。

「ハリエットも、オーレリアもまだ残ってるんだし、放っておけない」

「分かった。でも、危ないと思ったら、逃げて」

「うん」


【 同日 0:25 寄宿舎 カフェ 】

「こんな暴挙が許されると思いまして?」

 イネヴェア・リンドホルムは、寝間着姿でも堂々としていた。

 こんな真夜中に爆発音があって、知らない大勢の大人達──それも仮面をつけて武器を持った──に囲まれていても、学院一の淑女を自称するだけあって、彼女は毅然としていた。

 寄宿舎一階のカフェには、百名近い学生が集まっていた。今も一階からは男子生徒が、二階からは女子生徒が、武装集団に脅されて、この場所に集められている。

「なんだこの女、少し黙らせろ」

「エインさん、この方達は一体何ですの?」

 私に聞かれても困る。けれど、非常事態である事は間違いない。クリスとアディは、抱き合って震えているし、男子達も本物の武器を向けられて、みんな縮み上がっている。

 ......いや、一人。

 いいえ、二人。おバカさんがいた。

「イネヴェア、待って。...ちょっと、ローティ、ウォール、あんた達、下がった方がいいよ」

「いいや、イネヴェアの言う通りだ。なんだおまえら、出て行け!」

 ローティ・ネモニクト。状況が分かっているのか、いないのか...、明らかに危険な大人だって見て分からないのかな。武器を持っている。下手すれば殺される。

「ローティ、歯向かわない方がいいよ」

 ウォルター・ヒギンズ。頼りないけれど、こっちの方が遥かに状況が分かってる。それに、誰も一歩も動けないし、一言も喋れない中で、それでもローティを止めようと必死だ。意外と見所あるじゃない。

「いいえ、違います。ウォルターさん、この様な不埒な輩共、神聖なる七聖の学び舎に土足で踏み入って、ただじゃ置きませんことよ」

「へえ、ただじゃ置かないっていうなら、どうしてくれるんだ?」

 仮面の男達。その内の一人が、矢ボルトを番えた携帯式弩ハンド・クロスボウをイネヴェアへ向ける。あの武器なら、装填はともかく、左手だけで保持して射うつことができる。危ない。本当に危ない。

「そんな脅しに、屈すると思いまして?」

 だめ、イネヴェア。魔力盾マギー・シルトで防ぐつもりだろうけれど、敵は大勢いるし、流れ矢が他の生徒に当たるかも知れない。......でも、これは相当に怒ってる。乙女の睡眠を邪魔されたから特に......、

「ならば試してみるか?」

 その男は、躊躇いなく矢ボルトを放った。殺意ではない。単に虫を殺すみたいに、わざわざ強い気持ち、殺意をこめなくても、引鉄に置いた指を引けてしまう。これは悪意。もしくは、善意が欠如している。

「小賢しいわね」

 イネヴェアが予想通り、高速展開した魔力盾マギー・シルトで矢を弾いた。弾かれた矢は、ウォールの足元を掠めて床に落ちた。

 当たりそうになったウォールが、腰が抜けたみたいにビビっているけれど、大丈夫。イネヴェアも、ちゃんと考えて弾いてるから、多分......。

「へっ、見たか、俺達のイネヴェアはすごいんだぞ!」

 そこ、なんで自分の事みたいに自慢?

「そこまでにしろ。みんな、無駄な抵抗はやめるんだ」

 この声は、三年のミシェル先輩。マリアンナ先輩と付き合いだしてから、やたら張り切り出した生徒会長。そうよね、こういう時は先輩とか先生達の出番でしょ。

「そうだよ。ローティ、イネヴェアさんも......」

「いいえ、こんな悪行、見逃すわけには......」

「そうかよっ!」

 その男が、右手で握った戦棍メイスでイネヴェアを殴ろうとした。

「そんなもの」

 再びイネヴェアの魔力盾マギー・シルトが止めた。けれど、男は左手の携帯式弩ハンド・クロスボウ、その柄で殴った。これは間に合わない。

 衝撃音。

「痛ぇなコラ」

 ローティ。

「ははっ! こいつ、飛び出して来やがった!」

「ローティ⁉ あなた、わたくしの為に、なんて馬鹿な真似を......」

 その額から血が流れている。ローティ・ネモニクト、ありがとう。私の友達を庇ってくれて。

「馬鹿な真似? 違うね。これは騎士の真似だ」

「こいつ!」

 その男は、今度は標的をローティに変えて殴り掛かろうとした、その瞬間。

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