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閑話二 第一話 反省


 共同便所は古く、分かりやすい罰だった。石床は黒ずみ、壁の目地には汚れが残っている。窓は小さく、空気もこもっていた。渡された道具は、水桶と雑巾と刷毛、効きの悪い磨き粉だけ。

 ヴァンは雑巾を絞った。水が桶に落ちる。隣では、ハリスが便器の縁を刷毛でこすっていた。便所掃除をしていても、ハリスは要領が良い。どこを先に濡らし、どこで磨き粉を使い、どこを最後に乾拭きするか、段取りが効率的だった。

「ハリスまで来なくてよかった」

「計画の立案者って話だろ」

「そうか」

「そうだ」

 それで一度、話は終わった。

 鍵を取ったのはヴァンだった。塔に入ると決めたのも、ヴァンだった。けれど、鍵の場所を絞り、先生達の動きを読んで、作戦を考えたのはハリスだった。

「ミコト達も来ると思うか」

「来ようとするだろうね」

 ハリスはすぐ答えた。

「ミコトさんは、自分がきっかけだと言う。姉さんは、同行した以上は同じだと言う。オーレリアは、教員を足止めした件を持ち出す。ロイも、現場にいた以上は受けるべきだと言うだろう」

「来なくていい」

「同意見だ」

 ヴァンは少し笑った。

 この便所に全員で入ったところで、掃除より混雑の方が面倒だ。

「罰を受ける人数が増えても、特に何も変わらない」

 ハリスが言った。

「学院としては、旧塔への無断侵入と鍵束の持ち出しを見逃さなかった、という建て前を残す必要がある。ほかの生徒への示しだ。学院側の体面もある」

「体面か、どうでもいい」

「そうでもない。体面も制度の一部さ」

「そうか。でも、そういう話なら、二人で十分だな」

「その通り。それ以上は無駄だ」

 ハリスはそう言って、汚れの残った場所を指で示した。

「そこは先に水を含ませた方がいい。乾いたままこすると広がる」

「分かった」

 ヴァンは水を撒いた。

 古い汚れはしつこい。こすっても、すぐには落ちない。手がだるくなる。けれど、旧塔で息が詰まった時よりはずっとましだった。

「効率が悪いな」

 ハリスが言った。

「それが罰ってことだろ」

「罰であっても、非効率である必要はない」

「そうなのか」

「少なくとも、汚れを落とすという目的だけで見ればね」

 ハリスは壁の隅を見た。

「この便所には、清浄術式の実装がない。だから汚れる」

「清浄術式?」

「身滓清掃ライプケーアという新しい術式があるらしい。その考え方を設備側に応用すれば、利用者の出した排泄物や軽微な穢れをその場で祓う機構を作れる。そういう装置の組み込まれた便所なら、そもそもここまで汚れない」

「でも、ここにはない」

「ない。術式陣もない。維持用の魔力線もない」

「だから、手で磨く」

「そういうことだ」

 ヴァンは、床の黒い筋をこすった。

「その術式は設置できないのか」

「まだ無理だ。その身滓清掃ライプケーアは、皇國歴1001年、つまり去年にデルトラバス・モーゼ・フォルテッシモ教授が編み出した近代術式で、古来から神官達が禊みそぎに使う浄身祓ライプリーニグングを原型の一つにしているらしいが、市場に出回るのはまだ先だ」

「詳しいな」

「新しい術式だから話題になっている」

「話題はどうでもいい。今すぐ使えないんだろ?」

「駄目だね。使えない」

「だよな」

 ヴァンは雑巾を絞り直した。しばらく、二人とも黙って掃除した。水の音。刷毛が石に当たる音。雑巾を絞る音。遠くの廊下から聞こえる生徒の声。

「......やっぱり、お前まで来なくてよかった」

 ヴァンが、ぽつりと呟いた。

「まだ言うのか」

「言う」

 ハリスはそこで、ようやく手を止めた。

「君がそうやって一人で背負うなら、次から僕は計画に加わらない」

「なんでだ」

「責任を共有できない相手とは、計画を立てられないからだ」

 ヴァンは、少し黙った。

「......分かった」

「何が?」

「次から、お前も入れる」

「何を今更。最初から入っている」

 ハリスは笑った。ヴァンは下唇を突き出し、息を吐いた。

「次はもっと上手く、バレずにやる」

「反省している人間の台詞ではないね」

「反省はしてる」

「バレずになんて話は、反省の方向が違う」

「分かってる」

「本当に?」

「たぶん」

「君は反省文をもう一枚書いた方がいい」

 ヴァンは言い返さず、床をこすった。ハリスもまた手を動かした。二人分の罰としては、たぶん、これでいい。

 後日。

 便所掃除の罰は、予定通り終わった。ハリスの反省文は、共同便所の改善提案書として校長室へ回された。題名は『校舎内共同便所における衛生管理上の問題点と、清浄術式導入に向けた段階的改善案』であった。ジークハルト先生は、題名を読んだ時点で眉間を押さえたらしい。

 結果、この問題については、学院側で検討されることになった。ただし、ハリスは反省文を再提出する事になった。理由は、あれが反省文ではなかったから。

 ヴァンは、苦笑いしながら言った。

「もう一枚書く羽目になったな」

「ああ、なんて効率の悪さだ」
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緋鋼皇國物語Ⅰ作者:ふみの世界樹
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閑話二 第一話 反省


 共同便所は古く、分かりやすい罰だった。石床は黒ずみ、壁の目地には汚れが残っている。窓は小さく、空気もこもっていた。渡された道具は、水桶と雑巾と刷毛、効きの悪い磨き粉だけ。

 ヴァンは雑巾を絞った。水が桶に落ちる。隣では、ハリスが便器の縁を刷毛でこすっていた。便所掃除をしていても、ハリスは要領が良い。どこを先に濡らし、どこで磨き粉を使い、どこを最後に乾拭きするか、段取りが効率的だった。

「ハリスまで来なくてよかった」

「計画の立案者って話だろ」

「そうか」

「そうだ」

 それで一度、話は終わった。

 鍵を取ったのはヴァンだった。塔に入ると決めたのも、ヴァンだった。けれど、鍵の場所を絞り、先生達の動きを読んで、作戦を考えたのはハリスだった。

「ミコト達も来ると思うか」

「来ようとするだろうね」

 ハリスはすぐ答えた。

「ミコトさんは、自分がきっかけだと言う。姉さんは、同行した以上は同じだと言う。オーレリアは、教員を足止めした件を持ち出す。ロイも、現場にいた以上は受けるべきだと言うだろう」

「来なくていい」

「同意見だ」

 ヴァンは少し笑った。

 この便所に全員で入ったところで、掃除より混雑の方が面倒だ。

「罰を受ける人数が増えても、特に何も変わらない」

 ハリスが言った。

「学院としては、旧塔への無断侵入と鍵束の持ち出しを見逃さなかった、という建て前を残す必要がある。ほかの生徒への示しだ。学院側の体面もある」

「体面か、どうでもいい」

「そうでもない。体面も制度の一部さ」

「そうか。でも、そういう話なら、二人で十分だな」

「その通り。それ以上は無駄だ」

 ハリスはそう言って、汚れの残った場所を指で示した。

「そこは先に水を含ませた方がいい。乾いたままこすると広がる」

「分かった」

 ヴァンは水を撒いた。

 古い汚れはしつこい。こすっても、すぐには落ちない。手がだるくなる。けれど、旧塔で息が詰まった時よりはずっとましだった。

「効率が悪いな」

 ハリスが言った。

「それが罰ってことだろ」

「罰であっても、非効率である必要はない」

「そうなのか」

「少なくとも、汚れを落とすという目的だけで見ればね」

 ハリスは壁の隅を見た。

「この便所には、清浄術式の実装がない。だから汚れる」

「清浄術式?」

「身滓清掃ライプケーアという新しい術式があるらしい。その考え方を設備側に応用すれば、利用者の出した排泄物や軽微な穢れをその場で祓う機構を作れる。そういう装置の組み込まれた便所なら、そもそもここまで汚れない」

「でも、ここにはない」

「ない。術式陣もない。維持用の魔力線もない」

「だから、手で磨く」

「そういうことだ」

 ヴァンは、床の黒い筋をこすった。

「その術式は設置できないのか」

「まだ無理だ。その身滓清掃ライプケーアは、皇國歴1001年、つまり去年にデルトラバス・モーゼ・フォルテッシモ教授が編み出した近代術式で、古来から神官達が禊みそぎに使う浄身祓ライプリーニグングを原型の一つにしているらしいが、市場に出回るのはまだ先だ」

「詳しいな」

「新しい術式だから話題になっている」

「話題はどうでもいい。今すぐ使えないんだろ?」

「駄目だね。使えない」

「だよな」

 ヴァンは雑巾を絞り直した。しばらく、二人とも黙って掃除した。水の音。刷毛が石に当たる音。雑巾を絞る音。遠くの廊下から聞こえる生徒の声。

「......やっぱり、お前まで来なくてよかった」

 ヴァンが、ぽつりと呟いた。

「まだ言うのか」

「言う」

 ハリスはそこで、ようやく手を止めた。

「君がそうやって一人で背負うなら、次から僕は計画に加わらない」

「なんでだ」

「責任を共有できない相手とは、計画を立てられないからだ」

 ヴァンは、少し黙った。

「......分かった」

「何が?」

「次から、お前も入れる」

「何を今更。最初から入っている」

 ハリスは笑った。ヴァンは下唇を突き出し、息を吐いた。

「次はもっと上手く、バレずにやる」

「反省している人間の台詞ではないね」

「反省はしてる」

「バレずになんて話は、反省の方向が違う」

「分かってる」

「本当に?」

「たぶん」

「君は反省文をもう一枚書いた方がいい」

 ヴァンは言い返さず、床をこすった。ハリスもまた手を動かした。二人分の罰としては、たぶん、これでいい。

 後日。

 便所掃除の罰は、予定通り終わった。ハリスの反省文は、共同便所の改善提案書として校長室へ回された。題名は『校舎内共同便所における衛生管理上の問題点と、清浄術式導入に向けた段階的改善案』であった。ジークハルト先生は、題名を読んだ時点で眉間を押さえたらしい。

 結果、この問題については、学院側で検討されることになった。ただし、ハリスは反省文を再提出する事になった。理由は、あれが反省文ではなかったから。

 ヴァンは、苦笑いしながら言った。

「もう一枚書く羽目になったな」

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