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4.そんなの聞いてません!

 そんなわけで早速、日曜日の午後、王子様を喫茶店に呼び出した。
「久しぶりだね、和くん」
 わたしが笑うと、和くんもつられて笑った。ちょっとぎこちないのは、きっとお互い様だ。
 婚約させようって流れになったのは二か月くらい前のこと。まだ夏で、わたしも夏休みで。暢気に過ごしてた中での、親同士の勝手な取り決め。和くんの方はどうかわからないけど、知らされたのも晩のご飯のあとの「そういえば」みたいなテキトーな流れ。娘の一大事をそんな簡単なノリで決めるんじゃないと、わたしはもちろん大激怒。パパときらニマニマしちゃって「サプライズだ」なんて。わたしが喜ぶと疑ってないようだった。
 この二か月。夏の解放感なんてふっとんじゃった。
 そして、失恋にうってつけな秋になってしまった。
「婚約者同士」って間柄になってから、わたしと和くん、ふたりきりで会うのは今日が初めてだ。
 その間......和くんは沙依さんとも二人きりで会ったりしなかったんだろう。そういう人なのだ、和くんも沙依さんも。

 注文した紅茶が届いてからすぐ、わたしは本題に入った。
「わたし達の婚約、なかったことにしよう?」
「......はなちゃん......」
 和くんの柔和な顔に戸惑いの色が走った。
 婚約を押しつけられてから約二か月。その短い間に、和くんは和くんなりに悩み、気の晴れない日を過ごしてきたんだろう。断ろうとしていてくれたのだと、思いたい。
「わたしね、和くんのことは好きだけど、結婚する気なんてまったくないよ」
 一息つくために、そして和くんの心を落ち着かせるために紅茶を飲んだ。渋みが強くてちょっと眉をしかめた。所長が淹れてくれる紅茶の方が数段美味しいな、なんてぼんやり考える。
「それに、和くんがお嫁さんにしたいのはわたしじゃなくて沙依さんでしょ?」
「はなちゃん......僕は......」
 和くんは沙依さんと同じ反応を示す。どう応えたらいいのか分からないという顔だ。何をどう言ってもわたしを傷つけると考えてるのかもしれない。それでも自分の気持ちを偽ったりはしなかった。
 沙依さんが好きなんでしょと聞けば、ちゃんと頷いてくれた。
 婚約破棄については、わたしからパパに話をつけておくから安心して。そう言うと、和くんは「さすがに、そこまではなちゃんに任せるのは」と慌てた。
「いいの。うちのパパから持ちかけた話なんだし。それにこういうのは女性側から断る方が、角が立たないでしょ?」
「しかし......」
「その代わり、和くんの方から沙依さんにプロポーズしてね? これは絶対条件」
 沙依さんが告白するより先に、和くんの方から言ってほしい。女心ってもんですよ。
 あと、もし身分だなんだと周りがごねたらいつでも相談して。わたしじゃ役に立たないけど、パパの後押しがあれば大丈夫。沙依さんは「ハウスキーパー」といっても我が家がきちんと契約して雇っている人だから。身元はしっかりしてる。信用できる人柄なのは間違いない。
 わたしの出した交換条件に和くんは「まいったな」と困ったような照れくさがってるような苦笑いをする。
 ほんとは「おまえとの婚約は破棄してやる!」って言って下衆顔で笑ってやりたかったんだよね。できればパーティー会場とかでさ。ほらだって、「婚約破棄」モノの定番じゃない、そういうの。それができなかったのは残念だなぁと言うと、和くんは「なんだそれ」と笑ってくれた。
 うん、良かった。いつものふにゃっとした笑顔だ。

 それにしても二人とも、電話番号すらも交換してなかったなんて、驚き通り越して呆れまくりだよ! わたしに遠慮してなのかどうなのかは分からないけど、もう信じらんない!
 沙依さんからオッケーもらってきたので、和くんに電話番号を教えてあげた。
 わたしが一肌脱がなかったらどうにもならなかったよ、この二人は!
 わたしのお節介もまんざら無駄じゃなかったと思う半面、わたしという存在がいかに大きな障害物になってたんだなって改めて思い知らされ、へこんでしまう。
 まったくもう......と、ついついため息がこぼれてしまう。
「はなちゃん、ごめんな。......ありがとう」
 またしても「ごめん」を先越されちゃうし!
 和くんは申し訳なさそうな顔をしながらも優しい笑みを湛えて、わたしをまっすぐに見つめて言った。
「心配かけて、ほんとごめん。その上、二の足踏んでた僕の背中を押してくれて......感謝してる。ありがとな、はなちゃん」
「感謝なんて......」
 だって今回のオペレーションはわたしの自身のためだったんだから。感謝されるようなことなんて、ないよ。
 作戦通りとはいかなかったけど(てゆーか作戦すら立てられなかったわけですが)、ともあれ和くんと沙依さんに関しては大団円を迎えられそうで、ホッとした。
 それで、いいかな。
 そう思えた。
 だから感謝の気持ちも、ちゃんと受け取ろう。
「沙依さんにプロポーズした後はちゃんと報告してね」
「わかった。その時に、はなちゃんの好物を何か持って行くよ。チーズケーキとブルーベリーのタルトタタンと......」
「紅茶のシフォンは絶対! 和くんセレクトはいつも絶品だし、期待してるね!」
 わたしと和くんが微笑み合った、その時だった。
「深花」
 背後からいきなり肩を掴まれ、低い声が頭上から降ってきた。「みはな」と名を呼ばれて反射的に振り返る。
 そこにいたのは、なんと先生ではないですか! 眉間に皺を寄せまくりの、険しい顔をした先生が立っていた。
「深花、話は済んだか」
「......っ!」
 名前を呼んでくれたよ、先生が! いつも「おい」とか「おまえ」としか呼んでくれない先生が! わたしは目を白黒させて先生を凝視する。
 先生はわたしの手首を掴んで立ち上がらせた。
 なんと「俺様」な振る舞いでしょうか!
「ちょ、まっ......」
 さすがのわたしもうろたえてしまった。
 だって先生、いつもラフな格好なのに、見たことないようなパリッとしたかっこいいスーツなんだもの! そんなの持ってたんだ! コートで半分見えないけど! いやでも五割増しのイケメン具合にわたしだけじゃなく、店内にいる女性たちの目も集めてる。
「行くぞ、深花」
 先生は和くんを一瞥し、けれど何も言及しなかった。先生の鋭い視線に和くんは一瞬怯んだけど何か察したようで、ふわりとした笑みを返した。それから軽く片手を振って、わたしと先生を温かなまなざしで見送ってくれた。



 先生はわたしの手首を掴んだまま、ずんずん歩いていく。早足だからってだけじゃなく、心臓の高鳴りがハンパないです、先生。
 ふと空を仰げば、空は暮色を帯び始めていた。西日が眩しくて目を眇める。
「先生、いつからいたんですか、てゆーか、どうしてあの場所に?」
 人通りの少ないところまで来て、やっと先生は立ち止まり、振り返ってくれた。
「先生?」
「あれであの男も、踏ん切りがついただろ」
「え?」
 どういうこと? 首を傾げて先生を見つめる。
「............」
 先生は答えてくれない。もの言いたげな眼がわたしを見つめている。
 もしかして先生は、わたしの『マーメイド・オペレーション(仮)』のために一役買って出てくれたんだろうか。
 だって先生、まるで和くんからわたしをかっさらうみたいに連れ出して。和くんを睨みつけてすらいた。
 俺様男がヒロインを救い出すみたいなシチュエーションだったじゃない?
 ものすっごくときめくシチュエーションだったもん。
 和くん、すごく驚いてた。でも手を振って見送ってくれた時はホッとした顔をしてた。和くんもわたしの気持ちに気づいてくれたのかもしれない。先生は、きっとそれを演出してくれたんだ。
「先生、......わたし、ちゃんとケリつけましたよ?」
「ああ」
 先生は相変わらずそっけない。手首は掴まれたままだ。
「えっと、それでわたし、......――」
 なんで言葉がスラスラと出てこないんだろう。喉が痛くて、鼻の先がツンと痛む。
「いまごろ、泣くんじゃねぇよ」
「......え」
 先生はわたしの後頭部を片手で掴み、そのまま胸元に引き寄せた。
 泣いてなんていません。そう言おうとしたら途端に涙が滲んできた。ほろほろと涙が落ちてきて、自分でもどうしようもなかった。
「ばかだな、おまえは」
「こっ、これは、う、嘘泣きですからっ」
 先生の胸元におでこをくっつけたまま下手な言い訳を口にした。泣いちゃうなんて、自分でもびっくりだったから。
「と、特訓したんです。泣き落としで和くんの情に訴えようかと!」
「そうか」
「そ......です」
「そうか。特訓したんなら、仕方ないか」
 そう言って、先生はわしゃわしゃとわたしの短い髪を撫でてくれた。泣いても構わないって言ってくれてるみたい。
 先生の顔は見えない。けど耳に届く先生の声はとても優しくて。もっと泣けてきちゃう。
「わたし、ちゃんと......できました、よね?」
「そうだな」

 和くんへの恋心はもうとっくに吹っ切れてた。和くんは初恋の人だけど、現在の恋の相手ではないから。それでも心にひっかかってたのは、きちんと「失恋」してなかったからなのかもしれない。
 少しくらい泣いてもいいかな。少しくらい失恋に浸ってもいいかな。......甘えてもいいかな。
 そんな風に思えちゃうくらい先生の胸は温かい。
「............先生、なんだか色男みたいですね」
「みたいとはなんだ」
「え、じゃぁ......、先生、めっちゃ色男ですねっ」
「おまえな」
 いきなり髪をひっぱられ、反動で顔が上向きになる。先生にくっついたままの状態で先生を見上げる格好になってて、なんだかこの体勢って、傍目に抱き合ってるように見えなくもないんじゃない? どきどきがおさまらないどころか、さらに速まって大変なことになってますけどっ。
「いつまで先生呼びなんだ」
「はい?」
 思わずきょとんとしてしまう。先生は相変わらずの不機嫌顔だ。怒ってる風ではないけど。
「おまえ、もしかして俺の名前忘れてるんじゃねぇだろうな?」
「えっ、憶えてます憶えてますから! つるさきみなみ。水の流れる崎で“つるさき”、見た目そうは見えないけど陽気の陽で“みなみ”と読む、水流崎陽! 字面の綺麗な素敵ネームです!」
「見た目陽気でなくて悪かったな。あと、素敵ネームとかやめろ」
「じゃあ......キラキラネーム?」
「なお悪いわ」
 先生はむっつりと眉をひそめる。そんな表情もやっぱり陽気とはいえないわけで。でも、決して陰気なわけじゃないですよ、強面系のイケメンですから、先生は! 
「名前憶えてるなら、いい加減先生呼びはやめろ」
「えーっと......」
 いや、でも「先生」は「先生」だし。家庭教師してくれてた頃の癖が抜けないのは確かだけど、一応は「先生業」が本職なんだし......たから「先生」って呼ぶのに慣れちゃって。
 まさかの展開である。名前で呼べということでしょうか、先生?
 いきなり言われても困ってしまう。
「じゃぁ、............みーくん?」
「みーくんは却下」
「あだだだだ」
 ほっぺをつねられた。
「じゃぁ、えっと、み、み、み、なみ......さん?」
 言い終えた途端、わたしは顔を赤くする。なにこの照れくささ! 先生は「それでいい」みたいな満足げな顔をしてるけど。
「行くぞ」
 先生は再び歩き出す。わたしの手首を掴んだままで。わたしはつんのめりそうになった。
「どこ行くんですか、先生」
「事務所だ。所長にも報告しておけ。あと、先生じゃない」
 先生は振り返らない。わたしはひたすらに先生の後を追って歩く。
 夕映えが、わたしの顔も染めていた。




 数十分後、所長室にて。所長はにこやかにわたしの報告を聞いてくれた。一応先生は席を外してくれている。すぐ隣の部屋にいるけど。
「今回のオペレーション、完遂ってことで、オッケー?」
 わたしは「うん、ばっちりです!」と笑顔を返した。
「うんうん。マーメイド・オペレーション、コンプリートだね?」
「やー......うーん、まだコンプリートってわけにはいかないかなぁ、わたしの方は」
 マーメイドっぽさはゼロだったしなぁとこぼすと、所長は「いいじゃないの」と暢気に笑う。
「わたしの方はもうちょっとかかるかなぁって。でも、一歩進めた感じはあるかも」
「そう?」
 所長は首を傾げる。
「わたしの気持ちははっきりしてるんだけど。先生は......なんか手強いし。けど、泡になっちゃう気は全然ないんで!」
 二度目の恋は実らせるのです!
 がんばりますよぅ! とガッツポーズをとってみる。
「そっかそっか」
 今回のオペレーションの全容を知ってる所長は、「コンプは間違いないよ」と太鼓判を押してくれた。
 ほんとは先生に、失恋した女の子にほだされてほしいって企みがあったんだ。オペレーションの本命はもちろん和くんと沙依さんの恋の後押しだったけど、もうひとつ、わたし自身の恋も叶えたかったんだ。
 婚約破棄した側にだって、恋の物語があったっていいじゃないっていう、目論見。
 とはいえ、そもそも先生がそんな簡単にほだされてくれるはずもないし。脈がありそうかどうかなんて全然わかんなかった。両想い目指してなんらかのきっかけ作りたいなー、できればロマンチックな具合に。って、それを所長に相談してたわけ。
 そして思いついた「マーメイド・オペレーション」。
 まあ、お粗末なオペレーションだったってのは、認めますけれども。シナリオもまだ完成してなかったし。
 それでもなんとなく、満足できちゃった感があるのは、なんでだろ?


「おい、はな!」
 ドアが開けられ、先生が所長室に入ってきた。
 さりげなく、「み」を抜いている。どうも「みはな」って言いにくいみたいで。
 もちろん「はな」でわたしも不服はない。
「送ってくから支度しろ」
「うん、ありがと、せんせ......じゃなくて、みーくん」
「みーくんはやめろ。俺をいくつだと思ってるんだ」
「三十路がすぐそこの、みーくん」
 冗談交じりに言うと、先生はぽこんとわたしの頭をこづいた。
 全然痛くなくて、むしろほっこりしちゃう。
 口元のにんまりが隠せません。
「みーくんでいいじゃないですか。み、みなみさんとか......まだ恥ずかしいし」
 言いにくいし......「み」が多くて。
「俺が恥ずかしいだろうが」
「慣れますよ、きっと」
「おまえが慣れろ」
「えー、みーくんなら慣れそうなんだけどなぁ」
 わたしと先生のやりとりを楽しげに見守っていた所長は、福福しく笑いながら「コンプリートできると思うよー」と片手を振る。

 そして先生......みーくん、いや、ええっと、「みなみさん」は、去り際、何食わぬ顔で所長に言ってのけた。
「もう、コンプリートだ」


 そんなのわたし、聞いてません!
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マーメイド☆オペレーション作者:あるく
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4.そんなの聞いてません!

 そんなわけで早速、日曜日の午後、王子様を喫茶店に呼び出した。
「久しぶりだね、和くん」
 わたしが笑うと、和くんもつられて笑った。ちょっとぎこちないのは、きっとお互い様だ。
 婚約させようって流れになったのは二か月くらい前のこと。まだ夏で、わたしも夏休みで。暢気に過ごしてた中での、親同士の勝手な取り決め。和くんの方はどうかわからないけど、知らされたのも晩のご飯のあとの「そういえば」みたいなテキトーな流れ。娘の一大事をそんな簡単なノリで決めるんじゃないと、わたしはもちろん大激怒。パパときらニマニマしちゃって「サプライズだ」なんて。わたしが喜ぶと疑ってないようだった。
 この二か月。夏の解放感なんてふっとんじゃった。
 そして、失恋にうってつけな秋になってしまった。
「婚約者同士」って間柄になってから、わたしと和くん、ふたりきりで会うのは今日が初めてだ。
 その間......和くんは沙依さんとも二人きりで会ったりしなかったんだろう。そういう人なのだ、和くんも沙依さんも。

 注文した紅茶が届いてからすぐ、わたしは本題に入った。
「わたし達の婚約、なかったことにしよう?」
「......はなちゃん......」
 和くんの柔和な顔に戸惑いの色が走った。
 婚約を押しつけられてから約二か月。その短い間に、和くんは和くんなりに悩み、気の晴れない日を過ごしてきたんだろう。断ろうとしていてくれたのだと、思いたい。
「わたしね、和くんのことは好きだけど、結婚する気なんてまったくないよ」
 一息つくために、そして和くんの心を落ち着かせるために紅茶を飲んだ。渋みが強くてちょっと眉をしかめた。所長が淹れてくれる紅茶の方が数段美味しいな、なんてぼんやり考える。
「それに、和くんがお嫁さんにしたいのはわたしじゃなくて沙依さんでしょ?」
「はなちゃん......僕は......」
 和くんは沙依さんと同じ反応を示す。どう応えたらいいのか分からないという顔だ。何をどう言ってもわたしを傷つけると考えてるのかもしれない。それでも自分の気持ちを偽ったりはしなかった。
 沙依さんが好きなんでしょと聞けば、ちゃんと頷いてくれた。
 婚約破棄については、わたしからパパに話をつけておくから安心して。そう言うと、和くんは「さすがに、そこまではなちゃんに任せるのは」と慌てた。
「いいの。うちのパパから持ちかけた話なんだし。それにこういうのは女性側から断る方が、角が立たないでしょ?」
「しかし......」
「その代わり、和くんの方から沙依さんにプロポーズしてね? これは絶対条件」
 沙依さんが告白するより先に、和くんの方から言ってほしい。女心ってもんですよ。
 あと、もし身分だなんだと周りがごねたらいつでも相談して。わたしじゃ役に立たないけど、パパの後押しがあれば大丈夫。沙依さんは「ハウスキーパー」といっても我が家がきちんと契約して雇っている人だから。身元はしっかりしてる。信用できる人柄なのは間違いない。
 わたしの出した交換条件に和くんは「まいったな」と困ったような照れくさがってるような苦笑いをする。
 ほんとは「おまえとの婚約は破棄してやる!」って言って下衆顔で笑ってやりたかったんだよね。できればパーティー会場とかでさ。ほらだって、「婚約破棄」モノの定番じゃない、そういうの。それができなかったのは残念だなぁと言うと、和くんは「なんだそれ」と笑ってくれた。
 うん、良かった。いつものふにゃっとした笑顔だ。

 それにしても二人とも、電話番号すらも交換してなかったなんて、驚き通り越して呆れまくりだよ! わたしに遠慮してなのかどうなのかは分からないけど、もう信じらんない!
 沙依さんからオッケーもらってきたので、和くんに電話番号を教えてあげた。
 わたしが一肌脱がなかったらどうにもならなかったよ、この二人は!
 わたしのお節介もまんざら無駄じゃなかったと思う半面、わたしという存在がいかに大きな障害物になってたんだなって改めて思い知らされ、へこんでしまう。
 まったくもう......と、ついついため息がこぼれてしまう。
「はなちゃん、ごめんな。......ありがとう」
 またしても「ごめん」を先越されちゃうし!
 和くんは申し訳なさそうな顔をしながらも優しい笑みを湛えて、わたしをまっすぐに見つめて言った。
「心配かけて、ほんとごめん。その上、二の足踏んでた僕の背中を押してくれて......感謝してる。ありがとな、はなちゃん」
「感謝なんて......」
 だって今回のオペレーションはわたしの自身のためだったんだから。感謝されるようなことなんて、ないよ。
 作戦通りとはいかなかったけど(てゆーか作戦すら立てられなかったわけですが)、ともあれ和くんと沙依さんに関しては大団円を迎えられそうで、ホッとした。
 それで、いいかな。
 そう思えた。
 だから感謝の気持ちも、ちゃんと受け取ろう。
「沙依さんにプロポーズした後はちゃんと報告してね」
「わかった。その時に、はなちゃんの好物を何か持って行くよ。チーズケーキとブルーベリーのタルトタタンと......」
「紅茶のシフォンは絶対! 和くんセレクトはいつも絶品だし、期待してるね!」
 わたしと和くんが微笑み合った、その時だった。
「深花」
 背後からいきなり肩を掴まれ、低い声が頭上から降ってきた。「みはな」と名を呼ばれて反射的に振り返る。
 そこにいたのは、なんと先生ではないですか! 眉間に皺を寄せまくりの、険しい顔をした先生が立っていた。
「深花、話は済んだか」
「......っ!」
 名前を呼んでくれたよ、先生が! いつも「おい」とか「おまえ」としか呼んでくれない先生が! わたしは目を白黒させて先生を凝視する。
 先生はわたしの手首を掴んで立ち上がらせた。
 なんと「俺様」な振る舞いでしょうか!
「ちょ、まっ......」
 さすがのわたしもうろたえてしまった。
 だって先生、いつもラフな格好なのに、見たことないようなパリッとしたかっこいいスーツなんだもの! そんなの持ってたんだ! コートで半分見えないけど! いやでも五割増しのイケメン具合にわたしだけじゃなく、店内にいる女性たちの目も集めてる。
「行くぞ、深花」
 先生は和くんを一瞥し、けれど何も言及しなかった。先生の鋭い視線に和くんは一瞬怯んだけど何か察したようで、ふわりとした笑みを返した。それから軽く片手を振って、わたしと先生を温かなまなざしで見送ってくれた。



 先生はわたしの手首を掴んだまま、ずんずん歩いていく。早足だからってだけじゃなく、心臓の高鳴りがハンパないです、先生。
 ふと空を仰げば、空は暮色を帯び始めていた。西日が眩しくて目を眇める。
「先生、いつからいたんですか、てゆーか、どうしてあの場所に?」
 人通りの少ないところまで来て、やっと先生は立ち止まり、振り返ってくれた。
「先生?」
「あれであの男も、踏ん切りがついただろ」
「え?」
 どういうこと? 首を傾げて先生を見つめる。
「............」
 先生は答えてくれない。もの言いたげな眼がわたしを見つめている。
 もしかして先生は、わたしの『マーメイド・オペレーション(仮)』のために一役買って出てくれたんだろうか。
 だって先生、まるで和くんからわたしをかっさらうみたいに連れ出して。和くんを睨みつけてすらいた。
 俺様男がヒロインを救い出すみたいなシチュエーションだったじゃない?
 ものすっごくときめくシチュエーションだったもん。
 和くん、すごく驚いてた。でも手を振って見送ってくれた時はホッとした顔をしてた。和くんもわたしの気持ちに気づいてくれたのかもしれない。先生は、きっとそれを演出してくれたんだ。
「先生、......わたし、ちゃんとケリつけましたよ?」
「ああ」
 先生は相変わらずそっけない。手首は掴まれたままだ。
「えっと、それでわたし、......――」
 なんで言葉がスラスラと出てこないんだろう。喉が痛くて、鼻の先がツンと痛む。
「いまごろ、泣くんじゃねぇよ」
「......え」
 先生はわたしの後頭部を片手で掴み、そのまま胸元に引き寄せた。
 泣いてなんていません。そう言おうとしたら途端に涙が滲んできた。ほろほろと涙が落ちてきて、自分でもどうしようもなかった。
「ばかだな、おまえは」
「こっ、これは、う、嘘泣きですからっ」
 先生の胸元におでこをくっつけたまま下手な言い訳を口にした。泣いちゃうなんて、自分でもびっくりだったから。
「と、特訓したんです。泣き落としで和くんの情に訴えようかと!」
「そうか」
「そ......です」
「そうか。特訓したんなら、仕方ないか」
 そう言って、先生はわしゃわしゃとわたしの短い髪を撫でてくれた。泣いても構わないって言ってくれてるみたい。
 先生の顔は見えない。けど耳に届く先生の声はとても優しくて。もっと泣けてきちゃう。
「わたし、ちゃんと......できました、よね?」
「そうだな」

 和くんへの恋心はもうとっくに吹っ切れてた。和くんは初恋の人だけど、現在の恋の相手ではないから。それでも心にひっかかってたのは、きちんと「失恋」してなかったからなのかもしれない。
 少しくらい泣いてもいいかな。少しくらい失恋に浸ってもいいかな。......甘えてもいいかな。
 そんな風に思えちゃうくらい先生の胸は温かい。
「............先生、なんだか色男みたいですね」
「みたいとはなんだ」
「え、じゃぁ......、先生、めっちゃ色男ですねっ」
「おまえな」
 いきなり髪をひっぱられ、反動で顔が上向きになる。先生にくっついたままの状態で先生を見上げる格好になってて、なんだかこの体勢って、傍目に抱き合ってるように見えなくもないんじゃない? どきどきがおさまらないどころか、さらに速まって大変なことになってますけどっ。
「いつまで先生呼びなんだ」
「はい?」
 思わずきょとんとしてしまう。先生は相変わらずの不機嫌顔だ。怒ってる風ではないけど。
「おまえ、もしかして俺の名前忘れてるんじゃねぇだろうな?」
「えっ、憶えてます憶えてますから! つるさきみなみ。水の流れる崎で“つるさき”、見た目そうは見えないけど陽気の陽で“みなみ”と読む、水流崎陽! 字面の綺麗な素敵ネームです!」
「見た目陽気でなくて悪かったな。あと、素敵ネームとかやめろ」
「じゃあ......キラキラネーム?」
「なお悪いわ」
 先生はむっつりと眉をひそめる。そんな表情もやっぱり陽気とはいえないわけで。でも、決して陰気なわけじゃないですよ、強面系のイケメンですから、先生は! 
「名前憶えてるなら、いい加減先生呼びはやめろ」
「えーっと......」
 いや、でも「先生」は「先生」だし。家庭教師してくれてた頃の癖が抜けないのは確かだけど、一応は「先生業」が本職なんだし......たから「先生」って呼ぶのに慣れちゃって。
 まさかの展開である。名前で呼べということでしょうか、先生?
 いきなり言われても困ってしまう。
「じゃぁ、............みーくん?」
「みーくんは却下」
「あだだだだ」
 ほっぺをつねられた。
「じゃぁ、えっと、み、み、み、なみ......さん?」
 言い終えた途端、わたしは顔を赤くする。なにこの照れくささ! 先生は「それでいい」みたいな満足げな顔をしてるけど。
「行くぞ」
 先生は再び歩き出す。わたしの手首を掴んだままで。わたしはつんのめりそうになった。
「どこ行くんですか、先生」
「事務所だ。所長にも報告しておけ。あと、先生じゃない」
 先生は振り返らない。わたしはひたすらに先生の後を追って歩く。
 夕映えが、わたしの顔も染めていた。




 数十分後、所長室にて。所長はにこやかにわたしの報告を聞いてくれた。一応先生は席を外してくれている。すぐ隣の部屋にいるけど。
「今回のオペレーション、完遂ってことで、オッケー?」
 わたしは「うん、ばっちりです!」と笑顔を返した。
「うんうん。マーメイド・オペレーション、コンプリートだね?」
「やー......うーん、まだコンプリートってわけにはいかないかなぁ、わたしの方は」
 マーメイドっぽさはゼロだったしなぁとこぼすと、所長は「いいじゃないの」と暢気に笑う。
「わたしの方はもうちょっとかかるかなぁって。でも、一歩進めた感じはあるかも」
「そう?」
 所長は首を傾げる。
「わたしの気持ちははっきりしてるんだけど。先生は......なんか手強いし。けど、泡になっちゃう気は全然ないんで!」
 二度目の恋は実らせるのです!
 がんばりますよぅ! とガッツポーズをとってみる。
「そっかそっか」
 今回のオペレーションの全容を知ってる所長は、「コンプは間違いないよ」と太鼓判を押してくれた。
 ほんとは先生に、失恋した女の子にほだされてほしいって企みがあったんだ。オペレーションの本命はもちろん和くんと沙依さんの恋の後押しだったけど、もうひとつ、わたし自身の恋も叶えたかったんだ。
 婚約破棄した側にだって、恋の物語があったっていいじゃないっていう、目論見。
 とはいえ、そもそも先生がそんな簡単にほだされてくれるはずもないし。脈がありそうかどうかなんて全然わかんなかった。両想い目指してなんらかのきっかけ作りたいなー、できればロマンチックな具合に。って、それを所長に相談してたわけ。
 そして思いついた「マーメイド・オペレーション」。
 まあ、お粗末なオペレーションだったってのは、認めますけれども。シナリオもまだ完成してなかったし。
 それでもなんとなく、満足できちゃった感があるのは、なんでだろ?


「おい、はな!」
 ドアが開けられ、先生が所長室に入ってきた。
 さりげなく、「み」を抜いている。どうも「みはな」って言いにくいみたいで。
 もちろん「はな」でわたしも不服はない。
「送ってくから支度しろ」
「うん、ありがと、せんせ......じゃなくて、みーくん」
「みーくんはやめろ。俺をいくつだと思ってるんだ」
「三十路がすぐそこの、みーくん」
 冗談交じりに言うと、先生はぽこんとわたしの頭をこづいた。
 全然痛くなくて、むしろほっこりしちゃう。
 口元のにんまりが隠せません。
「みーくんでいいじゃないですか。み、みなみさんとか......まだ恥ずかしいし」
 言いにくいし......「み」が多くて。
「俺が恥ずかしいだろうが」
「慣れますよ、きっと」
「おまえが慣れろ」
「えー、みーくんなら慣れそうなんだけどなぁ」
 わたしと先生のやりとりを楽しげに見守っていた所長は、福福しく笑いながら「コンプリートできると思うよー」と片手を振る。

 そして先生......みーくん、いや、ええっと、「みなみさん」は、去り際、何食わぬ顔で所長に言ってのけた。
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