十ニ
狂暴かつ凶悪な姿に変化した邪竜は、翼をはためかせながら黒い炎を吐き出した。その勢いは先ほどの炎よりも増し、封印の間を覆い尽くさんとするほどだった。
ミカエルシュナを筆頭とした魔術師達は、強力な障壁を作り出してそれを防いだ。ミカエルシュナはそれに加えて、氷の壁を作り出す。障壁と氷壁に阻まれ、炎はそれ以上広がらなかった。
だが、抵抗は一瞬である。炎の勢いは止まることなく、氷壁を蒸発させ、障壁をきしませた。辛うじて障壁は持ちこたえたものの、炎が収まると同時に砕けてしまう。
炎が収まると、邪竜は前に進み出した。蛇のような首を伸ばし、先頭にいたユリウスに向かって口を開く。ぬらぬらと輝く牙が、ずらりと並んでいるのが見えた。
ユリウスは噛み付かれる前に、その口腔に大剣を突き出した。上顎に切っ先が突き刺さると同時に、邪竜の牙がユリウスの肩に食い込む。
「ぐっ!」
ユリウスは呻きながらも、大剣をぐい、と沈み込ませた。それに悲鳴を上げながら、邪竜は後ろに飛び退いた。それによって、大剣は脳に到達することなく抜けてしまう。
──普通の魔物と同様、頭が弱点なのかしら。
激しい反応にそう考えたミカエルシュナは長い首に向かって氷の刃を飛ばした。だがそれは、邪竜に噛み砕かれて不発に終わる。
その隙に、シグルトが六対の翼のひとつに向かって槍を振るった。槍は翼の膜を斬り裂き、血が噴き出る。
「ぎいいぃぃぃぃ!」
翼を傷付けられた邪竜は、甲高い鳴き声を上げた。その声に呼応するように、ワイバーン達が一斉に毒霧を吐き出す。魔術師達が障壁を張ってそれを防ぐが、騎士達は身動きできなくなってしまった。
「くっ、小癪な」
障壁の中で、ユリウスは顔をしかめた。毒霧の斉射には、さしもの彼も前に出るわけにはいかない。
「これでは⋯⋯近付けん!」
それは、空中に逃れたシグルド達竜騎士も同様である。地上を覆う毒霧のせいで、彼らはうかつに邪竜に近付くができなくなった。ならばとワイバーンに槍を向けるが、倒した傍から邪竜がワイバーンを生み出すため、一向に減らない。
この状況を見たミカエルシュナは、少し考えて魔術師達に声を張った。
「障壁の強化をお願い! わたくしは別の魔法を使います」
「⁉ ミカエルシュナ嬢?」
「わたくしの神聖魔法で、毒霧を浄化しますわ」
ミカエルシュナは剣を鞘に収め、手を組んだ。
「ただ⋯⋯浄化している間は、わたくしはそれ以外の行動はできませんし、無防備になります。何より、そこまで長い間浄化してはいられません。そこはご容赦を」
「⋯⋯いや。短時間でも毒霧を無効化できるのなら、ありがたい。頼んだ!」
「はい──"穢れを祓い、清めたまえ”!」
ミカエルシュナが祈りを捧げたとたん、彼女の身体がぽう、と輝いた。その柔らかな光がミカエルシュナを中心にして広がり、やがて封印の間全体を包み込む。光は毒霧を打ち消し、それだけでなくワイバーン達や邪竜を苦しめ始めた。
「が、があぁ!」
「ぐぎゃあっ」
墜落こそしなかったものの、ワイバーン達は悲鳴を上げながら苦しげに羽ばたき、邪竜は飛び上がろうとしていた翼を硬直させ、長い首をくねらせる。明らかに先ほどと違う様子に、ユリウス達は勢い付いた。
「今が好機だ。総員、構え!」
「「「「「は!」」」」」
「ワイバーンを掃討、邪竜を討伐せよ!」
先頭を走り、ユリウスは邪竜に斬り込んだ。邪竜も迎え撃つが、明らかに動きが鈍い。
上空からシグルド、地上からユリウスが邪竜の翼目がけて各々の武器を振るった。先ほどミカエルシュナの剣を跳ね返した翼は、今度はあっさり絶ち斬られる。ふたつの翼を失った邪竜は、目を剥いてのたうち回った。
──先ほどより、明らかに剣が入りやすい。
翼を斬り落とした当人であるユリウスは、目を丸くした。
ミカエルシュナの浄化によって明らかに邪竜達は苦しんでいた。毒霧の浄化が邪竜達自身にも有効だったのか、彼女の浄化が特別なのかは解らないが、これは都合がいい。
──ミカエルシュナ嬢の魔法が切れる前に、決着を着ける!
「ミカエルシュナ嬢、あとどれぐらいかけられる⁉」
「およそ五分ですわ」
祈りながらも、ミカエルシュナはきっちり返した。傍には騎士がふたり、魔術師がひとり付いている。彼女の重要性は、きちんと伝わっているようだ。
「皆、聞いたな! 五分だ。五分で邪竜を斃す!」
ユリウスはそう言いながら、振り下ろされた爪をさばいた。付け根から斬り飛ばされた爪は、近くの壁に突き刺さる。代わりとばかりにかすめた別の爪が、ユリウスの肩から血の筋を描いた。
たった五分で、邪竜を斃す。先人達が討ち滅ぼすことができなかった邪竜を、そんな短時間で討伐するなど、荒唐無稽もいいところである。
だがユリウスは自信を持って言い切ったし、配下達はそれを信じた。決して長い付き合いではないシグルドやその部下達も、ユリウスの言葉に、できるかもしれない、と思わせる。
ユリウスの声は、想像を想像で終わらせない説得力があった。
「竜騎士達よ、ローディウムに遅れを取るな!」
シグルドに鼓舞されて、竜騎士はそれぞれワイバーン達と邪竜に向かっていく。騎竜による炎や氷のブレス、竜騎士の槍によってワイバーンは次々墜落していき、邪竜の翼は一対を残して斬り裂かれる。
勿論、こちらも無傷というわけにはいかない。竜達の爪牙によって、鎧が弾け飛び、血がまき散らされる。それでも、騎士達の猛攻は止まなかった。
「ぎゃおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
邪竜は絶叫を上げながら、残った一対を羽ばたかせた。だがその巨体が浮くことは無い。そもそもその身体を浮かせるのに、一対では力不足なのだ。四肢も太くて立派であるものの、巨躯を支えるのにはいささか足りなかった。加えてユリウスによってうち一本の腱を斬られ、無様に倒れ込む。
それでも、邪竜は首をもたげて黒炎を吐き出そうとする。だが口から漏れたのは、ただの煙だった。どうやら浄化によって、ワイバーンだけでなく邪竜のブレスも封じられたようである。
戸惑う邪竜の隙を逃さず、ユリウスはその首を絶ち斬ろうとした。ユリウスの剣は邪竜の首を捉えたものの、しかし斬り落とすには至らない。それでも半ば首を斬り裂かれた邪竜は、絶叫を上げた。
それまで聞いたどれよりも大きく、心臓を凍らせるような絶叫は、最も近くにいたユリウスの頭を揺らす。防ぐ間も無く浴びてしまった声に、ユリウスの頭はぐわんぐわんと揺れた。
動けなくなったユリウスに向けて、邪竜は最期の力を振り絞るように噛み付く。しまった、とユリウスが思うと同時に顎に力が入れられ──
ひゅん。
空気を切る音と共に、邪竜の目に何かが突き刺さった。投げられただけとは思えないほど深々と刺さっているのは、ミカエルシュナの剣である。刃の根本まで刺さった剣は、当然ながら邪竜の脳に達する。ぎょくん、と痙攣した邪竜は、ユリウスから口を離した。その隙に逃れたユリウスは、今度こそその首を完全に断ち斬った。
重々しい音を立てて、邪竜の首が落ちる。頭を失ってしばらく蠢いていた胴体は、ややあって動かなくなった。
「陛下!」
祈りを解いて剣を投擲したミカエルシュナは、ユリウスに走り寄った。勿論ただ投げ付けたのではなく、風の魔法で後押しをしていたのである。だからこそ正確に、あれほど深く刺さったのだ。
「は──あ。助かった、ミカエルシュナ嬢」
「いえ。それより、怪我を」
「後でいい」
ユリウスは首を振った後、周囲を見回した。血まみれかつ傷だらけだが、思いのほか足元はしっかりしている。
「邪竜は討伐した! あとはワイバーン共だけだっ」
「おお、陛下が成し遂げたぞ!」
「ほ、本当にあの邪竜を⋯⋯」
騎士と竜騎士達は歓声を上げた。そんな彼らの前には、未だ健在のワイバーン達がいる。
「邪竜を斃せば消える──なんて、さすがに都合がよすぎるか」
「なに、残らず討てばよいのです」
ユリウスのところまで降りてきたシグルドが言った。それに、そうだな、とユリウスは返す。
ミカエルシュナも頷き、邪竜の頭から剣を引き抜いた。