第二十八話 切り揃えた髪、切り出せない言葉
守護の鏡ルミナルディアは、浄光教が統治している。
街の中央には浄光教の本拠地があり、東西南北に四カ所の出入口となる門が存在する。
帝都ヴァルトクローネと同様に、使われなくなった見張り台があり、外壁の上は通路になっていた。
堅牢な要塞のような国には、およそ十万人が生活しており、移動手段は馬車だった。
守護の鏡ルミナルディアでは、青い外套を纏い、腰に剣を下げた男女が警備していた。
剣の柄には羽の紋様が刻まれており、女神ルミナの清浄・天上・導きの心象を喚起させる。
南門が近づくと、松明の灯かりに照らされて警備兵二人が立っていた。
その瞬間、カイレンの目つきが変わった。
剣の柄に手をかける。
「カイレン!」
カイレンは息を吐き、剣から手を離した。
「......ゴメン」
ロゼンは剣の位置を調整した。
「剣は自分の身を守る時だけ抜け。その時は、俺も手を貸してやる」
カイレンは頷いた。
警備兵が二人に気づき、駆け寄ってくる。
「薄暗くてよく見えなかったが、何かあったのか?」
ロゼンは笑顔を作った。
「足元が見えなかったので、連れが転んだだけです」
警備兵はカイレンを一瞥し、それ以上は追及しなかった。
「守護の鏡ルミナルディアを訪れた用件をお聞かせ願いたい」
ロゼンは咳払いを一つ。
「ハウンド管理局の試験を受けに来た」
警備兵は頷いた。
「街道では馬車が走っているので、事故には気をつけてほしい。ハウンド管理局は北区画にある。馬車の御者に目的地を伝えれば向かってくれる」
ロゼンは肩を竦めた。
「金があまりないんだが」
警備兵が微笑んだ。
「馬車の料金に関しては浄光教が負担している。旅人が心配する必要はない」
カイレンを一瞥して続けた。
「街の中央には大聖堂がある。時間があれば寄るといい。女神ルミナ様の御加護があらんことを」
ロゼンはカイレンに耳打ちした。
「カイレン、街の中で剣を抜こうとするな」
カイレンは頷いた。
二人は南門を通り抜け、馬車の御者に行き先を伝えてハウンド管理局へと向かった。
石造りの共同住宅が建ち並んでいた。一階には、さまざまな店があり、酒場からは賑やかな声が聞こえてくる。歩く人々は白い羽を帽子や服の胸元に差していた。
ロゼンは御者に尋ねた。
「あんたも胸元に差しているが、白い羽を身に着ける風習でもあるのか?」
御者は笑って答えた。
「ルミナルディアの住民は女神ルミナ様を信仰しています。白い羽は信仰者の証しです」
「それがあると何か変わるのか?」
「住民と区別するためですよ。違いがあるとすれば、刑罰の重さです。旅人が窃盗を行えば、手首を切り落としたことが、過去に何度かありました」
ロゼンは眉をひそめた。
「そいつらはどうなったんだ?」
「ルミナルディアから追放されるので、その後どうなったかは知りません」
カイレンは顔を半分伏せながらも、目だけは街並みを追っていた。
物珍しさと警戒心がせめぎ合っているような、その横顔に、ロゼンは一抹の不安を覚えた。
守護の鏡ルミナルディアの一角で馬車が止まる。
「ハウンド管理局に着きましたよ」
二人は馬車を降り、カイレンは口元を手で押さえた。
「......キモチ、ワルイ」
御者が笑った。
「酔ったのかもしれませんね。宿へお連れしましょうか?」
「宿は、この近くにあるのか?」
御者は頷き、西を指さした。
「この先の通りを進んだ場所にあります」
「ありがとう。連れは馬車に慣れていない。もし、汚してしまったら、御者のおっちゃんに迷惑をかけてしまう。歩いて向かうよ」
御者は笑みを浮かべた。
「またのご利用をお待ちしております」
その場を立ち去った。
ロゼンはカイレンに目をやった。
カイレンの表情が少し青ざめていた。
次の瞬間、カイレンは吐瀉物を撒き散らした。
ロゼンは周囲を確認した。
誰もいなかったので、見てみぬふりをする。
「カイレン、平気か?」
カイレンはスッキリした笑顔で頷いた。
二人は建物を見上げた。
出入口部分が前に張り出した造りになっており、屋根には、二枚の羽が交差した金属製の装飾品が設置されていた。
ロゼンは深呼吸を一つ。
カイレンはロゼンに倣った。
「足元に気をつけろよ」
ロゼンが段差を上る。
カイレンは頷き、ロゼンの後に続いた。
ロゼンはドアに手を伸ばし、開けて中に入った。その背にカイレンは続いた。
ハウンド管理局にはカウンターがあり、担当窓口では三人の受付の女性が書類に目を通していた。
静けさの中でペンを走らせる音だけが聞こえてくる。
正面にいた受付が二人に気づき、笑顔を作った。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
ロゼンは咳払いを一つ。
「試験を受けに来た――」
左右の受付が項垂れているのを見て、ロゼンは言い淀んだ。
「が、まだ間に合うだろうか?」
受付は語気を強めて言った。
「現在、試験の受付を行っておりません」
ロゼンは一歩前に出た。
「北部平原の調査は済んだのか?」
受付は目をきっと釣り上げた。
「組織の体制を見直すため、今は試験どころではないんです。お引き取りください」
ロゼンは受付の勢いに負け、半歩後ろへ下がる。
「それが終われば、試験を再開するのか?」
受付は空元気に答えた。
「はい。いつになるかはわかりませんが」
ロゼンは額の右側を人差し指で掻いた。
「わかった。また来る」
二人は外へ出た。
ロゼンは深く息を吐いた。
「くそっ、ようやくここまで来たのに足止めかよっ!」
カイレンに視線を向けた。
「疲れたな。宿を探すか」
カイレンは不安そうな表情でロゼンを見つめる。
「ロゼン、オコッタ。......ゴメン」
ロゼンはカイレンの頭に手を置いた。
「悪い。つい感情的になってしまった。カイレンのせいじゃないんだ」
「ロゼン、オコラナイ?」
ロゼンはにかっと笑った。
「ああ。美味いものでも食って、気持ちを切り替えるか」
カイレンはよくわからないが、右手を振り上げた。
「オウ!」
「カイレン、行くぞ」
カイレンはこくんと頷いた。
ロゼンが歩き出し、カイレンは無言でついていった。
御者の言う通り、そこには宿があった。
二人が宿に入ると、カイレンは周囲を見渡し、ロゼンの後に続いた。
受付の女性が微笑んだ。
「ベッドが二台ある部屋は空いているか?」
「はい。食事つきで一泊銀貨五ルミナです」
「食事は、どの時間帯だ?」
受付は顔の横で手を合わせた。
「夕食と翌日の朝食になります」
「連れの髪を切る。片付けておくが髪の毛が落ちているかもしれない」
受付は笑って答えた。
「掃除ならアタシがやっておきますよ」
ロゼンは代金を支払い、鍵を受け取った。
「一階の突き当りの部屋になります」
ロゼンが歩き出し、カイレンは慌てて後に続いた。
カイレンは瞳の奥を輝かせ、周囲を見渡す。
ロゼンは笑いながら言った。
「カイレンにとっては、いい暇つぶしになるかもな」
カイレンは二度三度と頷いた。
「ココ、シラナイモノオオイ」
ロゼンは息を吐いた。
守護の鏡ルミナルディアで足止めを食らった。
父親にマーニの死を手紙で伝えるべきか否か。胸の奥に沈めていた問いが、浮き上がってくる。
本当は直接会って話がしたい。
だが、自身の存在に気づいてもらえるのかわからなかった。
そんな己がマーニの死を直接伝えても、父親は信じない。信じようとはしない。
それがわかっているだけに、考えないようにしていた。
「手紙で伝えるのが無難だな」
ロゼンは部屋に入ると、イスを動かし、周囲に何もない場所に置いた。
カイレンが静かに部屋に入る。
「カイレン、ここに座れ。髪を切ってやる」
カイレンは指示に従った。
ロゼンはハサミを取り出し、腰まで伸びた長い黒髪を肩の辺りでバッサリ切った。
マーニの櫛を借り、ボサボサの髪を解かす。
再びハサミを入れようとして、マーニの髪を切っていたことを思い出す。
深めにハサミを入れ、全体的に短めに切り揃える。
カイレンの正面に回り込んだ。
「目を閉じていろ」
カイレンはぎゅっと目を閉じた。
前髪を眉の辺りまで切り、左右の耳が出るように切り揃える。
カイレンの頭に手を置き、切った髪を優しく払い退ける。
ロゼンは道具をしまい、カイレンに言った。
「もう目を開けていいぞ」
カイレンは目を見開き、両手で自身の髪に触れながら笑った。
「カミ......ナイ。ロゼン、アリガトウ」
ロゼンはカイレンの顔を見つめ、視線を逸らした。
「あんたは、文句を言わないんだな」
床に散らばった髪で無邪気に遊ぶカイレンを見て、やはりあいつとは似ても似つかないな、とロゼンは再認識した。