第二十七話 殺意ではなく、言葉を
――熊肉スープを配り終えたロゼンが休憩していると、族長が隣に腰を下ろした。
「ロゼン、残りのヴェラの戦士が合意してくれました」
ロゼンは横目で族長を見た。
「そっか」
族長は咳払いを一つ。
「ロゼンに一つお願いがあります」
「必ず帰る。たとえエレメンティアに何もなくてもな」
族長は首を横に振った。
ロゼンは頬杖をついた。
「言いにくいことか?」
しばしの沈黙。
族長は口を開いた。
「ロゼンの旅に、カイレンを同行させてほしいんです」
声がわずかに揺れた。
「今のカイレンは掟に縛られています。それ自体は悪いことではありません。ですが、ミレンの件がそうです。ロゼンのお陰で丸く収まりましたが、このままではまずいと思いました」
柔らかく微笑んだ。
「ロゼンと出会ってから、カイレンは変わろうとしています。僕自身、ヴェラの民の価値観を変えたいと心の底から願っています」
「カイレンはそれでいいと言っているのか?」
「はい。今頃、準備をしていると思います」
ロゼンは少し俯いた。
「俺は復讐しないと決めたが、あんたらのしたことは許せない。きっと、この感情はいつまでも残り続けるだろう」
息を吐いた。
「だが、俺はヴェラの民の一員になった。ヴェラの民にとって、族長は象徴だ。だから、命じろよ」
族長は穏やかな口調で言った。
「それでは、ロゼンに命じます。カイレンを旅に同行させてください」
顔を上げ、族長に目をやる。
「引き受けた。俺の旅が終わった時、ヴェラの民の言語を教えてくれよな」
族長は頷いた。
「はい。カイレンのこと、よろしくお願いします」
手を差し出し、二人は握手を交わした。
その後、二人は手分けして片付け、族長の家へと戻った。
帰路の途中、族長はロゼンから調味料の作り方を聞いた。
*
――族長の家で食事を取り、旅支度を整えたロゼンは、族長と他愛のない会話をし、眠りについた。
*
――翌朝。
出入口の門には、ヴェラの民が集まっていた。
族長が声高らかに叫んだ。
「Losen, Kailen nalteal ze tiralen estal! Raven Maiten nalteal ze tiralen estal! Raven Romien nalteal ze tiralen estal! Losen, Kailen nalteal ze tiralen estal!
(ロゼンとカイレンは、必ず帰ると約束した! ヴェラの民は離れても家族として繋がっている! 外の世界は終わりではない! 彼らが、それを証明してくれる!)」
ヴェラの民が道を空け、二人は集落を出た。
「コッチ」
カイレンを先頭に、ロゼンは後に続いた。
*
――数時間歩き続け、ロゼンは風のにおいを嗅いだ。
ロゼンは左を指さし、カイレンに尋ねた。
「この先は、どこに繋がっている?」
カイレンは首を傾げた。
「......ソト」
「外か。嗅いだことのないにおいがした。アルテリア大陸かもしれない」
「スコシ、マテ」
カイレンは木に登り始めた。瞬く間に天辺に到着し、目を凝らして周囲を見渡す。
滑るように落ち、音もなく着地した。
右を指さす。
「アッチ、ナニモナイ」
左を指さす。
「ソッチ、ヒトイタ」
ロゼンは頷いた。
「行ってみるか」
カイレンが頷き返す。
二人は、左へ足を運んだ。
ロゼンはカイレンに言った。
「カイレン、俺が少しずつ言葉を教える」
肩を竦めた。
「意思疎通できないと、これから先、不便だからな」
カイレンは笑みを浮かべた。
「コトバ......オシエロ」
「おう」
*
――一時間ほど歩き続け、二人はアルテリア大陸に足を踏み入れた。
サヴァンナ大陸とは違い、緑豊かな自然が広がっていた。
人や馬車が通る道は土が固められ、車輪の跡が残っていた。
カイレンのお腹の虫が鳴いた。
ロゼンは空を見上げた。
「......昼過ぎか。そういや、飲まず食わずで歩いていたな」
腰を下ろし、風袋から丸パンと水入れを取り出す。
それらをカイレンに渡すと、不思議そうに眺め始めた。
ロゼンはそれぞれを指差し、ゆっくりとした口調で言葉を教えた。
「丸パン、水入れ」
カイレンは復唱した。
ロゼンは水入れの水を飲んで見せた。
カイレンは頷き、丸パンの匂いを嗅いでからかぶりつく。
喉を詰まらせ、慌てて水を飲んだ。
ロゼンは丸パンをちぎって食べ、咀嚼しながら水で流し込んだ。
カイレンはロゼンに倣った。
先は長くなりそうだが、物覚えは悪くない、とロゼンは食べながら思った。
カイレンのお腹の虫が食べ物を催促する。
「流石に丸パンだけじゃ足りないよな」
干し肉を取り出し、カイレンに与えた。
「干し肉」
カイレンは復唱し、匂いを嗅いでから口に入れた。
「ウマイ。干し肉、クレ」
「くれじゃない。ください」
カイレンは干し肉を噛み千切り、咀嚼しながら言った。
「干し肉、ください」
ロゼンが干し肉をもう一枚渡すと、カイレンは満面の笑みを浮かべた。
ロゼンは立ち上がり、草むらの影で旅装束に着替え始めた。
着替えを済ませたロゼンは、カイレンに言った。
「毛皮を脱げ。目立ち過ぎる」
カイレンは首を横に振り、自身の毛皮を握り締めた。
ロゼンは自身の黒い雨具を、カイレンに差し出した。
「これを着ろ」
カイレンは目を輝かせ、毛皮を脱ぎ捨て、すぐに着替えた。
ロゼンが毛皮を風袋へ入れる。
カイレンの小さな声が漏れた。
「ぁ」
ロゼンは風袋に手を突っ込み、カイレンの毛皮を見せて言った。
「安心しろ。あとで返す」
カイレンは渋々頷いた。
ロゼンは毛皮を仕舞い、雨具のボタンを一つひとつ締めた。
カイレンは、嬉しそうにその場で横に一回転した。
「そろそろ行くか」
カイレンの足元に視線を向けた。
「靴も必要だな」
二人は守護の鏡ルミナルディアへ向かった。
*
――突然、カイレンは踵を返し、剣を抜いた。
身構え、目を細める。
「ナニカ、クル」
ロゼンは、カイレンの視線の先を追った。
荷馬車の姿が視界に映った。
ロゼンはカイレンの首根っこを掴み、街道を空け、両手を大きく振った。
荷馬車は二人の前で停止し、ロゼンは御者に声をかけた。
「よければ、近くの街か村まで乗せてくれないか。金なら払う」
御者は二人を一瞥した。
「それは構わないが、剣を下ろしてくれないか。馬が興奮している」
ロゼンはカイレンに視線を向けた。
「カイレン、剣をしまえ。この人は敵じゃない」
カイレンは御者を睨みつけ、歯を剥き出しにしていた。
ロゼンは息を吐き、カイレンに拳骨した。
カイレンは頭を手で押さえ、蹲る。
「イタイ!」
「もう一度言う。剣をしまえ。この人は敵じゃない」
カイレンは不貞腐れながら剣を鞘に収めた。
「連れが迷惑をかけた」
「気にする必要はないよ。さあ、乗った」
二人は荷車に乗り込んだ。
カイレンは荷車の端で丸まっていた。
視線だけは忙しなく動いていた。
荷馬車が走り出し、ロゼンは御者に尋ねた。
「ここは、アルテリア大陸で間違いないか? 地図を失くしてしまって、少々混乱しているんだ」
御者は笑顔で頷いた。
「ああ。アルテリア大陸で間違いない。ワタシはルミナルディアから南の国境まで物資を届けている」
「じゃあ、ルミナルディアまで向かっているのか」
「ああ。送ってやれるのはルミナルディアの手前までだがね。ワタシは浄光教の司祭様から正式な依頼を受けて物資を運んでいる。他でも商売をしていると思われると仕事を失う」
ロゼンは頷いた。
「わかった。これ以上、迷惑をかけないようにする」
荷馬車がガタンと揺れた。
御者が二人に声をかける。
「二人もハウンド管理局の試験が目当てなのか」
「ハウンド管理局......?」
「何でも、北部平原を調査するために人材を募集している――そう耳にしたが」
「ああ。それで合っている。ルミナルディアのどこかで試験を受ける必要があることしか知らなかったんだ」
御者は手綱を握り直した。
「試験に合格すれば、さまざまな恩赦が受けられる。ワタシは商人だから、つい計算してしまう。命に見合うほどの価値が、その恩赦にあるのかとね」
ロゼンは胸元に手を当てた。
「俺たち......いや、俺の夢はエレメンティアを見つけることだ。それは今も変わらない。俺は夢のために命を賭けている」
御者は微笑んだ。
「ワタシも若い頃は、キミのように夢があった。大人になるにつれ、夢を諦めるようになってしまった。今となっては家族を養うために堅実に生きている。だから、キミの生き方を羨ましく思うよ」
その後、ロゼンは御者から情報収集した。
*
――二時間が経過した。
荷馬車を止め、御者が前を指さした。
「ここからまっすぐ進めば、ルミナルディアが見えてくる。キミの夢が叶うことを応援しているよ」
「ありがとう、御者のおっちゃん」
二人は荷車を降り、御者は荷馬車を走らせた。
ロゼンはカイレンに言った。
「カイレンからすれば、すべての人が敵に見えてしまう。安心しろ。これから学べばいい」
カイレンは少し俯いた。ロゼンが何を言っているのかわからなかった。だが、表情や口調から、ロゼンを失望させてしまったことはわかった。
「カイレン、俺は族長に頼まれたが、無理についてくる必要はない」
ロゼンが歩き出した。
カイレンはロゼンの背中を見つめた。
御者は何もしなかった。
それなのに殺意を向けてしまった。
試練の洞でロゼンが取った行動が脳裏を過る。
遠ざかる彼の背中を追った。