第三十五話 胸の内に残った棘
ロゼンの思考が、一瞬停止した。
――失格。
その一言が、頭の中で何度も繰り返される。
カイレンが一歩前に出た。
歯を剥き出しにし、声を荒げる。
「なぜっすか! うちはルールを破ったかもしれないっす!」
手を払い、クラントに詰め寄った。
「でも、ロゼンは違うっす!」
クラントは小さく息を吐いた。
「ワタシは失格にするとは言ったが、不合格にするとは言っていない」
カイレンが拍子抜けした声を漏らす。
「......あ?」
ロゼンはカイレンの肩を掴み、引き寄せた。
「カイレン、落ち着け」
「......わかったっす」
ロゼンはクラントを見据えた。
「まず、確認したい。あんたは俺たちを不合格にするつもりがない。この認識で間違いないか?」
「ああ。理解が早くて助かるよ」
クラントは咳払いを一つした。
「本題に入る前に、我々ハウンド管理局と浄光教の関係について話しておきたい」
一拍置いて、続けた。
「二年ほど前、我々はエレメンティアを発見した」
ロゼンは眉をひそめた。
ノアから聞いた話と一致する。
クラントが話を続ける。
「だが調査しようにも、廃墟と化した街には知性植物、古城には悪魔が徘徊していた。悪魔を浄化できるのは聖女様だけだ。我々は浄光教の教皇に協力を申し出た」
クラントの声は、淡々としていた。
まるで他人の話をしているかのように。
「作戦の決行日を決め、ワタシはすべてのハウンドに招集をかけた。だが、集まったのは半数にも満たない数だった」
クラントの口調は変わらない。
「作戦を中止にすることもできず、決行した」
ロゼンとカイレンは、無言でクラントの言葉の続きを待った。
「その結果、一部の者が命を落とした。その中には、前任の聖女様も含まれている」
――聖女。
ロゼンの中で、水都アクアレインでの記憶が蘇った。
何も言わず、ただ耳を傾ける。
「一年近くかけた入念な作戦を、台無しにされてしまった瞬間だった」
クラントの目に、初めて感情らしきものが滲んだ。
怒りなのか、後悔なのか、ロゼンには判別できない。
「教皇はその責任を我々に負わせた。ワタシは、やる気のない者を除名し、新体制に切り替えた。その矢先、腕利きのハウンドを浄光教に引き抜かれ、我々は力を失った」
クラントは二人を一瞥した。
「古城の悪魔を一掃した後、我々はエレメンティアおよび北部平原を調査しなければならない。このまま試験を続ければ、面談で浄光教関係者の目に留まる。だから、こうして足を運んでもらった」
ロゼンは剣の位置を調整した。
「あんたの事情は理解した。だが、俺たちを簡単に信用してもいいのか」
ふっ、とクラントが笑った。
初めて見せる、人間らしい表情だった。
「お前たちの話は部下から聞いている。毎日のように訪れては試験の日程を聞いてくる、とな」
咳払いを一つ挟む。
「お前たちの理由を聞かせろ。なぜ、そうまでしてハウンドになりたいのか」
ロゼンは一歩前に出て、胸に手を当てた。
「魔法の歴史に新たな発見をした英雄――それが俺の夢だからだ!」
カイレンは隣に並び、笑顔で答えた。
「うちらは家族っす。ロゼンを置いて帰ることなんてできないっす」
クラントはしばし二人を見つめ、頷いた。
「いいだろう。お前たちをハウンドの一員として認める。名を名乗れ」
「ロゼンだ」
「カイレンっす」
「ロゼン、カイレン。お前たちのことは合格者として浄光教に知られることになるだろう」
クラントは淡々とした口調で続けた。
「だから、序列二位階の紅玉級に身分を偽ってもらう。ただし、分不相応の実力なら序列三位階の翠玉級へ降格処分することも頭に入れておけ」
ロゼンは眉間に皺を寄せた。
「紅玉級でも俺たちのことは知られるんだよな」
その瞬間、クラントの目つきが鋭くなる。
「ワタシの部下になった以上、今後は口の利き方には気をつけろ」
ロゼンは息を呑み、首を縦に振った。
カイレンが頭の後ろで手を組み、ニヤニヤと笑う。
「ロゼンが注意されたっす」
クラントは息を吐いた。
「カイレン、お前にも言っているんだがな」
クラントがロゼンとカイレンを一瞥すると、二人は背筋を伸ばした。
「浄光教には合格者の序列と名だけを書いた書類を渡す。序列一位階の金剛石級に注目するだろう。まだ、気になることはあるか?」
ロゼンは首を横に振った。
「あとのことはハウンド管理局にいる部下に聞け。話を通しておく」
「――はい、失礼します」
「――はいっす、失礼するっす」
二人は声を揃えて言い、出口へ向かった。
「ヴェルナー副長、二人を出口まで案内してやれ。その後、試験を再開する」
ヴェルナーはビシッと敬礼した。
すると、お腹の肉が上下に動く。
「承知しました」
三人が退室した。
クラントは一人、窓辺で空を見上げた。
窓硝子に映った彼の顔には――微笑が浮かんでいた。
*
――守護の鏡ルミナルディア。午後三時頃。
ロゼンとカイレンは北区画のハウンド管理局を訪れた。
受付は二人に笑顔を向けた。
「クラント局長から話を伺っております。南門を抜けた先に、ハウンド養成学院がございます」
「ハウンド養成学院......?」
「ハウンドの方々には、ハウンド養成学院で作戦や戦術を学んでいただき、ハウンド養成学院内の寮で共同生活していただきます。費用はハウンド管理局が負担いたします。ただし、外出するには上官の許可が必要となります」
カイレンがカウンターを叩きつけて訴えた。
「飯はどうなるっすか!」
受付は笑顔のまま答えた。
「朝昼晩、三食ございますので、ご安心ください」
カイレンは踵を返し、ロゼンの手を引っ張った。
「ロゼン、うちは腹が空いたっす。早く行くっす」
「カイレン、ちょっと待て」
ロゼンは手を振り解いた。
「食事の時間が決まっているんじゃないのか」
受付が首を縦に振った。
「はい。この時間ですと、夜まで待っていただきます。ですので、お食事を済ませてから向かわれたほうが、よろしいかと思われます」
ロゼンは肩を竦め、カイレンに言った。
「だそうだ」
カイレンは力強く頷いた。
「わかったっす」
顔を近づけ、目を輝かせた。
「ロゼン、今日は何を食べさせてくれるんっすか」
ロゼンは顎にそっと手を当てた。
「一角牛ステーキなんてどうだ?」
カイレンは涎を垂らして頷いた。
「いいっすね。また食いたいと思っていたっす!」
ロゼンは受付に頭を下げた。
「ありがとうございました」
二人は外へ向かった。
くすっ、と受付は笑い、二人の背中を見送る。
ロゼンはカイレンに声をかけた。
「カイレン、今日も期待しているぞ」
「うちに任せてほしいっす!」
カイレンの嗅覚を頼りに店を選ぶ。
これは日課となっていた。
カイレンを先頭に、ロゼンはその後に続く。
彼女の背中から、ロゼンは視線を落とした。
献身的な彼女を見ていると、胸の辺りが苦しくなる。
二つの気持ちが葛藤していた。
もし、彼女を許してしまえば、マーニのことを忘れてしまうかもしれない。
ロゼンは奥歯を噛み締め、拳を握り締める。
「――この店っすね!」
北区画の一角にある飲食店にカイレンが入る。
ロゼンは息を吐き、口元を緩めて店に入った。
二人は席に座り、料理を注文した。
二人の前に料理を載せた皿が並べられ、ナイフとフォークが置かれる。
帝都ヴァルトクローネでは、硬い肉を出されたが、指の関節二つ分はあろう分厚いステーキだった。
ナイフとフォークで切り分けると湯気が立ち上り、肉汁が溢れ出る。
食べる前から二人の喉が鳴った。
切り分けた肉を口に運ぶと、ハーブの香りが鼻孔を抜ける。
ロゼンは笑みを浮かべた。
「これだよ、これ!」
カイレンは大口で頬張り、笑顔でうんうんと頷いた。
ロゼンは丸パンを一口齧る。
小麦の香りが口いっぱいに広がった。
ステーキを平らげた後、残ったソースを見て、ロゼンは丸パンに染みこませて食べた。
思わず笑みが零れる。
カイレンは唾を飲み込み、ロゼンの真似をして口に運んだ。
「美味いっすね!」
ロゼンの表情から笑みが消えた。
「カイレン、気持ちはわかるが、食事中は静かにしてくれないか」
カイレンは苦笑し、丸パンを咀嚼した。
その横顔を見ながら、カイレンはふと考えていた。
ロゼンは、どんな人間だったのだろう。
己の命令で殺してしまった妹について、触れてはいけないことはわかっている。
それでも、つい考えてしまう。
自分がロゼンの妹だったら――違う顔を見せてくれたのだろうか。
そう思った瞬間、ロゼンとの間に薄い壁を感じた。
そうしてしまったのは己自身だ。ロゼンに非はない。
外の世界を知り、言葉を覚えてしまったからこそ、カイレンは罪悪感を覚えるようになった。
やり直せるのなら、やり直したい。
たとえどんな犠牲を払ったとしても、叶えたい願いだった。
だが――ロゼンも族長も、死を受け入れていた。
それを思い出し、後悔する。
「――カイレン、聞いているのか?」
ロゼンの声に、カイレンは我に返った。
「......聞いていなかったっす。何っすか?」
カイレンは顔を少し伏せた。
「最近ボーっとしていることが多いよな」
ロゼンの声は、いつもより少し低かった。
「もう一枚食うのか?」
カイレンの瞳が、じわりと潤んだ。
「何で、うちに優しくするんっすか」
涙が頬を伝う。
「俺は一度言ったな。『まだ許せない気持ちが残っている』と」
カイレンは泣きながら頷いた。
「マーニは死ぬとわかっていながら旅を続けた。その結果、俺は助かったのかもしれない」
ロゼンは一拍置いて続けた。
「マーニの死を尊重し、尊厳を踏み躙らないお前を、俺は信用している」
微笑んだ。
「今まで苦しかっただろう。だが、俺は後悔していない」
カイレンは手の甲で涙を拭きながら尋ねた。
「何でっすか?」
ロゼンは窓から空を見上げる。
「後悔するってことは、あいつの覚悟を否定することになるからな」
カイレンは鼻水を啜った。
しばらく無言で、ステーキの残りに目を落とす。
「彼女の分まで食べるっす」
ロゼンは頷いた。
「ああ。そうしてくれたほうが、あいつも喜んでくれるだろう。俺の勘がそう言ってる」
あいつも、これでよかったと思うよな――ロゼンはマーニの笑顔を思い浮かべた。